一話
毎週金曜日更新でやってます。
一巻完結ぐらいの長さで頑張ります!
「やりました!世界各地から集められた勇者たちが遂に成し遂げました!かつて最強と謳われていた勇者部隊を全滅させた魔王を、三年の年月の末に倒したのです!魔王の息の根を止めたのは勇者、綾瀬啓人さんです!今のお気持ちは?」
「僕たちが故郷に残してきた家族、そして友達の命を守ることが出来た。たったそれだけで僕たちは満足ですよ。ですけれども、僕たちじゃなければいけなかったなんて事もなかった、もっと死者は減らせたはずだと考えると慚愧に堪えません。これのどこが勇者かと、指を指されて笑われてもしょうがないです。彼らの家族には、僕たちを裁き、しかるべき罰を与える権利があります。ですがこの一時ばかりは、皆さんと手を合わせて彼らを思うことを許してください。お願いします」
「黙—」
プチっとテレビを切る。
数舜の暇もなくブラックアウトした画面を見ると、魔王と戦い死んだ勇者も眼前に同じ画面を見たのかと脳裏に不謹慎な考えが過る。だけどその考えを注意する人はいなかった。
約束された表現の自由を振りかざしているのではなく、ソファにのんべりだらりと横になる彼女以外、部屋に人はいないからだ。都内のボロアパートの1DKの部屋に来る人と言えばそれこそ家族か恋人だけだろうが、生憎と彼女に恋人はおらず、家族は故郷の遠い田舎で暮らしている。
田舎の綺麗な空気が恋しいなぁ、と缶ビール片手に感傷に浸る彼女の耳にじたばたと携帯が震える音が届く。電話画面に表示された上司の名前に思わず故郷に現実逃避したい欲求が高まるが断れば恐らく来月の家賃は払えない。
缶ビールを一気飲みしてテーブルに叩きつけ、彼女は頭を切り替えて応答ボタンを押した。
「もしもし、こちら桃川です。依頼ですか?」
「やる気十分でよろしい。君には噂によると存在するらしい真の勇者様の取材を頼みたい」
「は?すみません、真の勇者ってどういう意味ですか?綾瀬勇者が偽物って事ですか?」
「何言ってんだ、本物に決まってるだろ。だがな、綾瀬勇者は帰還した直後に別の人物を魔王を倒した勇者として呼んだらしいんだ。今回君にはその噂の火元を取材してきて欲しい」
「……存在がいくら何でも不透明過ぎませんか。そんなの綾瀬勇者を美化したいだけの連中が作った美談でしょう」
彼女は頭を横に振りながら、頼むから上司は諦めてくれと予定調和的な流れを覆すべく口を開く。
「大体、ニュース見ましたか?綾瀬勇者、自分が魔王の息の根を止めたって言ってましたよ。大手だって口が裂けても言えない私たちが綾瀬勇者の言葉を嘘だって言えば、それこそ名誉毀損で潰れますよ?」
「でも、本当に魔王を倒した真犯人がいれば勇者も認めざるを得ないだろ?」
「それは見つかったらの話で」
「見つからずにバレたら風評被害を喰らうと。だから、今回は便宜上君の個人的な調査という事にして欲しい。勿論その分、ボーナスは上乗せしてやる」
「……何で私なんですか?嫌な訳じゃないんですけど、無理に私にするような理由もないじゃないですか」
「そりゃあお前が生き残りの勇者と知り合いだからに決まってるだろ」
数秒間の沈黙が流れる。友達勇者が死んでいても、お前は私にこの面倒で厄介な依頼を投げてきただろうと毒づきたかった。一度振ったにも関わらずねちねちとしょうもない事で突っかかり、事あるごとに嫌がらせをしてくるこの上司に、彼女の堪忍袋の緒は切れる寸前だった。
だが、彼女は今この会社を離れれば、大した技能もキャリアもない自分を就活生を跳ね除けて選んでくれる会社はないと理解していた為、クビにさせられるような事は絶対に出来なかった。
彼女の怒気が少しでも伝わったのか電話越しの上司もよく回る口を閉めた。
「……分かりました。引き受けましょう」
「よろしい。そうそう、本物の勇者の疑惑ってのが掛かってる勇者の名前は柊尚木。日本に帰還してからの一切の消息が不明。綾瀬勇者によると心身に重大な傷を負ったため田舎で療養だとの事だ」
「私は柊勇者の居場所を探り取材する事が目的なんですよね?」
言っていて、私はこんな事がやりたくて記者になったのかと自己嫌悪がむくむくと起き上がる。一人の男の家に押しかけて死ぬほど辛かったであろう記憶をほじくりかえさせるような真似は、決して彼女がしたかったことではなかった。
仕送りと家賃、そして仕事の現実が伸し掛かり、彼女の希望は儚く押しつぶされてしまったが。
押しつぶされた状態に慣れてしまったのが彼女は何よりも嫌だった。
「そうだ。頼んだぞ」
「わかりました」
ディスプレイが発光する事をやめ、部屋がまた一段と暗くなる。部屋を照らすものはもう月明りしか残っていない。
彼女は携帯をソファに放り投げ、敷いてある布団に身を投げ出す。
仕事だから仕方ないと、そう割り切るのも限界が近づきつつあると彼女は感じていた。さっさとボーナスを受け取り、別の会社に。少なくとも今の上司が付き纏わない場所に行かなければならないと。
一刻も早く上司から離れたい彼女は、しかし眠気に勝てずに眠りに落ちて行った。
「ぁああぁ、頭が痛いぃいいい」
翌朝、二日酔いにガンガンと頭を叩かれるようにして彼女は起きた。寝覚めは最悪だったが、しなければいけない事は脳内にリスト化されてある。彼女は躊躇いなく布団から跳ね起きると、脳内を反響するように煩く響く着信音を数分鳴らした。
持ち前のド根性で上司よりはましだと唱えながら耐え、無事報われた。
「はぁーい、もしもーし。……桃川が電話だなんて珍しいな。いつも携帯なんて碌に使わない癖に」
「そんだけ緊急事態だって察しなさいよ。今日会える?」
「お。遂に勇者の俺に惚れてくれたかな?」
「あんたが魔王討伐の真犯人だったらね」
電話口の向こうから不自然な静寂が流れる。嘘つくが下手くそなのはちっちゃな時から欠片も変わってないなとしみじみすると同時に、即座に電話を切られなかった事に感謝する。
「そんなら確かにお前を惚れさせれないな、俺じゃあ。魔王討伐は綾瀬が成し遂げたしな」
「私、記者やってるって話したっけ」
「……なぁ、桃川。親しき中にも礼儀あり、だろ?」
「木村。こっちだって生活が懸かってるのよ。そう簡単には引けない」
勇者木村。日本人として魔王討伐に挑んで生き残った三人の内一人。弓の使い手であり、三十路を超えて下手なアイドルグループを容易く上回る美貌を維持し、なおかつ桃川の小学校からの腐れ縁とも言うべき人物。
腐れ縁である彼女であるからこそ、一呼吸置いて敢えて明るく喋る木村は怒髪天を衝く勢いでキレる、その寸前にいるのだと理解していた。そして同時に、自分の都合だけを考えて人に対して怒鳴れるような人物でもない事を、彼女は知っていた。
「どう?世界を救った勇者さん。私の生活を救う手助けぐらいしてくれても良いんじゃない?」
「……明日の午後、いつものファミレスで集合な」
木村の優しさに付け込むような真似をして生活費を稼ごうとする自分は、客観的に見れば唾棄すべき上司と大して変わらない。
思考の坩堝から電話の切れる音で呼び戻された彼女は、携帯を放り出すと便所に行き、吐いた。
何もない空っぽの胃の中身は吐けるのに、どうしてこんな醜い心の内を吐く事が出来ないのか。心と同様、便所にうずくまりゲロを吐く醜い女には分からなかった。
今日一日、何かをしなければ気が触れそうだった。もう触れているのかもわからない。
服を着替え、碌な化粧もせずに彼女は外に出た。
ボロいアパートの周りに大型ショッピングセンターなどある訳もなく、閑静な住宅街が続いている。きっと各々の家の中で、家族で幸せに暮らしているんだろうなと思うと途端に憎たらしく感じた。
どうしてこんな事になったんだろう。
他人の幸せを憎むような人間になりたいなんて一度でも思った事は無かったのに。ただ夢を叶えたい一心で上京した結果が。
「大丈夫ですか?顔色が随分と悪いですよ?」
「……あぁ、はい。お気遣いありがとうござぃ」
「!危ないですよ!……近くに教会があります。案内しますので少し休んでください」
優し気な男性の声の言われるがままに、背中を支えられる手に体重を少し預けて住宅街を進む。
悪徳商法のホストでもなんでもいいから、今は誰かに心の内を吐き出したかった。
「座っていてください。今、水を持ってきますので」
「……そんな、大丈夫ですよ」
「いえいえ。これでも私、司教なので」
司教、というワードに耳がピクリと反応するが、ぐちゃぐちゃになった心と頭はこれ以上考える事を放棄していた。
頭の中にあるのは、こんな状況で明日木村に会えるのかという事だけ。自分で言い出しておきながら、罪悪感で何も言えなくなって木村を困らせるのが関の山だろう。そして木村は喋ってしまうのだ。偏にその優しさのせいで。
親友に醜く情で訴えかけるのだけは嫌だった。勇者ともあろう木村に醜い心の内を見せるのだけは。
「はい、麦茶しかなかったんですが許してください」
「ありがとうございます。……ところで、ここは何の教会なんですか?」
「神託教ですよ。そして私が神託教の司教を務めさせていただいております、ルシアンと申します」
即座に彼女は椅子から飛び起きて頭を下げる。
「す、すみませんでした!立ち眩みが激しくお顔が良く見えなかったもので」
「良いですって。そんなに顔が売れてるとは思ってませんし、私」
勇者を選定する事の出来る唯一の組織である神託教の、最年少で司教にまで成りあがった人物が彼女の目の前にいた。
一時期最年少司教として教皇への有力候補という話題が沸騰し、上司に何度も取材にねじ込まれたからよく覚えている。最も、当時の上司の狙いは桃川を堕とすことだったけれども。
「それより具合は如何ですか?」
「も、もう大丈夫です。……何故私を助けてくれたんですか?」
言って、馬鹿な事をと気が付いた。
相手は仁愛を大切にする司教であり、人助けは基本に決まっているだろ。
まさか醜い自分は、そんな基本的なことまで口にしてもらえないと満足できないのかと一周回って驚いた。
「模範解答としては人が倒れていたら助けるのが普通、といった所でしょうけれど。あなたがあまりにも私の友達に似ていたもので、思わず助けたくなってしまったのですよ」
「……それは恋人ですか?」
盛りに盛った中学生かよ、と変わってないのはそれこそ木村ではなく自分だと思いながら口走った。そんな事聞いても何にもならないと分かっていながら。
「いえいえ。私は俗に言う独身イコール年齢という奴でして。これからも生涯恋人を作る気はありません」
「それも御友人の影響なんですか?」
「まぁ、そうですね。彼からは色々と学ぶ所がありましたので」
この司教は随分とひねくれた友人を持っているようだ。
木村から見た私もそうなんだろう。
「彼は一見下らないと思えるものの為だけに、世界で誰よりも強いと思える決意で努力をしました。けれど彼も人間ですから、くじけ……壊れそうになった時が数多くありました」
「その時の御友人に、私が似ていたんですか?」
「そっくりでしたよ。特にその目元とか。だからあなたも頑張り過ぎて、我慢をし過ぎているんじゃないかと思いましてね」
司教の友人も私みたいな目に遭った。それだけで自己嫌悪に塗れていても孤独ではないと感じられる。
彼女よりも幾分か、それとも同じくらいの年齢の相手に励まされるのはそれこそ中高生以来だった気がする。
「世の中には私の友人のようにあなたよりも辛い目に遭っている人がいるのだから生きなさい、などとは口が裂けても言いません。ただ、あなたは決して為した分だけの努力の重みに一人で耐える必要はない、という事を頭の片隅にでも置いて欲しかったのです」
柔和な笑みを浮かべて謙遜し続けるような姿勢に教会の牧歌的な雰囲気も相まって、彼女は司教に憧れを抱いた。
今この時ばかりはこの気持ちを嫉妬と思えずにいて良かったと、彼女はうすぼんやり思った。
「貴重なお言葉をありがとうございます」
「いえいえ。信者であるないに関わらず、人を救うのが自分の役割だと思っているので。大したことではありませんよ」
私も暫くここに居ますので、落ち着くまではゆっくりと休憩なさってくださいと去る司教の背中にぼそりと投げかける。
「……司教様のような人であれば、それはもうモテたと思いますけどね」
「ははっ。彼女持ちになってしまえば彼には嫌われてしまいますからね」
軽口を叩けるぐらい私はこの人に気を許した、という事に彼女は驚いた。
驚いて慄いた一日だった。
「また、会えますかね?」
少し驚いたような顔をして、けれど司教はすぐに自信に満ちた笑みを取り戻した。
「あなたは一人ではないのです。あなたが切に私を必要とすれば、私はいついかなる時でもここに姿を現しましょう」
「……木っ端記者の身に余るお言葉、ありがとうございます」
「それであなたが努力の重みに押しつぶされてしまわなければ、私はそれで十分ですよ」
司教は今度こそ彼女に背を向け、祭壇へと歩いて行く。色鮮やかなステンドグラスを通過する日光に照らされた司教に名残惜しさを感じながら、彼女は席を立って扉に向かう。
私はもう一人じゃない。
親友の情に訴えかける惨めな女としてではなく、一人の記者として彼女は扉を開いた。