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僕が通っている高校で、同じクラスに、佐伯理緒さんという女子がいる。
彼女は、多くの男性が恋心を抱くに違いないとても整った容姿をしているし、頭もすごく良い。けれど、そういうどこがどうだからといった理屈抜きで、存在感が際立っている。よく大物の有名人にはオーラがあるという言い方がされるが、佐伯さんも「生まれ持った」であるとか「選ばれた」などの修飾語が似合う、黙っておとなしくしていても目立ってしまう人なのだ、きっと。
それでいて、明るくハキハキした気持ちのいい態度で、性格もいいゆえ、クラスメイトみんなに好かれている。
とはいえ、完璧な人間などいないだろう。もし佐伯さんの欠点を挙げなければならないとしたら、「あまりに自分を曲げない、柔軟性に欠けるところ」というのが妥当ではなかろうか。
例えば彼女は、多分必要を感じられないのであろう授業を、平気でサボる。うちの学校は偏差値が高くて皆真面目で、そんな生徒は他にはどの学級にもいないのだけれど、なんと佐伯さんは授業にとどまらず定期テストまで出席しないことがあるのだ。「自分は明日死ぬかもしれず、時間を無駄にしたくないから」らしい。何でも包み隠さない佐伯さんは休み時間などに周りの人にそういった話も堂々としており、席が近いために僕は彼女に関する多くの情報を得ることができるのである。
正直な性格でいながら、そうして出ない授業や試験の担当の先生に批判を口にしたりはせず、自分が悪いという振る舞いをしているのだが、それは、先生たちは精一杯やっているのだから文句を言ってもどうにもならないだろうという配慮や諦めの気持ちゆえのようだ。ただ、高校は義務教育ではないわけで、進級や卒業が危うくなるし、それらはなんとかなっても、うちの学校では当然と見なされる大学進学も厳しくなってしまうぞと担任の先生から言われた際には、黙って受け入れずにこう返した。
「最終学歴が高卒になっても構いません。就職するとき、学歴で人を判断するような会社には、こちらが興味ありませんので。それに今の時代、学歴を重視しないところのほうが多数になっているんじゃないですか?」
先生が「そんなに世の中甘くないぞ」と続けると、また反論したけれど、ケンカ腰ではなかった。
佐伯さんは、受験制度にも不満があるみたいだ。数人の男子相手にこう話したことがあった。
「例えばあんたが、知っているのはルールくらいなのに、他にできる人がいないといった事情で、弱小野球部の監督を任されたとする。専門的なことはさっぱりで、何も教えられない。それでも、ほぼ確実にチームを強くする方法があるんだけど、わかる?」
「えー? そんなのあるか?」
「外部から、選手をやってくれる人を大勢スカウトしてくるんだよ。そして、元々いたメンバーも含めて、レギュラーを激しく競わせるの。スタメンを勝ち取ったり、試合で結果を残した場合、報酬をあげれば、さらに効果的かもしれない」
「あー、なるほど」
「まあ、あまりやるとチームワークが悪くなったりする心配があるけど、最初の時点でほんとに弱かったら、このやり方で強くできるのは間違いないと思う。要するに、競争っていうのは、誰でも簡単にレベルを上げられるものなんだけどさ、全体は良くても力がないコを置き去りにするものでもあって、本来は選手一人ひとりに技術だったりを教えて強くするべきでしょ? 受験も、入学する人を選抜するものとはいっても、だったら志望者が定員に満たなかったらやらなくていいはずで、実質学力レベルを上げるために競わせてるんだけど、生徒全員のためを思うなら授業でしっかり教えて向上させるべきなわけ。それに、受験による競争で上昇するのはテストの点数を取るテクニックの部分が大きくて、サッカーでいうとリフティングの回数を競わせてるようなもので、ちょっとポイントがずれるんだよ。リフティングもサッカー上達のプラスにはなるんだろうけど、試合でのプレーの本質的なレベルアップまではいかないよね? だからこそ、ものすごく賢くて何らかの成果をあげた歴史上の人物が学校は落第してたり、高学歴で賢いはずの政治家がちゃらんぽらんな人だったりするじゃん」
「そういえばそうだな」
「なのに、あの受験の結果でその後の人生が左右されかねないのは納得いかない。大人が仕事で使う知識や技術を学び直すリスキリングって言葉があるけど、そもそも学校の勉強が受験のためのものばっかで身になる学びができてないと思うよ」
「ふーん」
「国語の古典なんて、源氏物語とか、もっと内容を味わうほうが有意義なのに、文法がメインみたいになっててさ。そうしないと、受験で出す問題に困るからなんだと思うよ。もっとやり方を考えるべきだよ」




