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「ごめんなさいね、何度も来てもらっているのに」
「いえ、全然。私も同じ立場だったら顔を合わせたくないと思います。ですから、出てくるようにきつく言ったりしないでくださいね。余計に嫌になるでしょうし」
「わかったわ。ありがとう。あなたも無理して来てくれなくてもいいのよ。もちろん迷惑だから言ってるんじゃなくてね」
「はい。ですが、私は好きで訪れさせていただいてるので大丈夫です。こちらこそ、毎回笑顔で出迎えてくださって、ありがとうございます」
私はお母さんにおじぎをして、岡部くんの家を後にした。
私、西口佳苗は、現在籍を置く中学校に、少し前に転入してきた。岡部くんはその新しい学級のクラスメイトなのだが、会ったことはない。彼がいわゆる不登校だからだ。
不登校と一口に言っても、そうなった経緯や本人の考え方、置かれた状況など、さまざまだろう。ゆえに学校に戻るべきとは思わない。とはいえ、不安だったり困っていたりは高い確率でしているのではないだろうか。なので私は、できることであれば協力するから何かあったら言ってくださいと伝え、定期的に彼の家に足を運んでいるのである。
こう述べると、自分が新しい環境に適応するので大変な時期に、どんな人格かもわからない相手にそんなことをするなんて、なんと大胆でおせっかいな人間だと思う人は多いに違いない。
けれど私は大胆な性格ではない。これには訳があるのだ。
幼少期、私は善いことを積極的に行っていた。それは大人に褒められて嬉しいからというのもあるが、純粋に気持ちが良いのが大きく、そもそもそうするのが当然な感覚だった。ところが、周囲のコたちにいい子ぶってると悪口を言われるようになり、おとなしくなったところ、多分誰に何をされたかなど全部は把握していなかっただろうけれど事情を知った母が、「明日死ぬかもしれないんだから、やりたいように生きなさい。他の人の言うことを気にして我慢してたら、もったいないよ」と語りかけたのである。それでも、同級生らに嫌われるのを恐れてずっと自分を抑えたままだったが、母がおよそ一年前に病気で他界した。平均寿命より遥かに早く亡くなり、確かにいつ死ぬかわからないと思い知らされたのと、遺言ではないけれど、あのときもらった言葉を今度こそしっかり受けとめて自分に正直に生きようと心に誓い、その後の転校という環境の変化、そして今の時代珍しくはないかもしれないがクラスにいた不登校のコの存在など、一歩を踏みだしやすい条件が整っていたゆえの行動だったというわけだ。前の学校で一緒だった人が私のこの振る舞いのことを耳にしたら、きっと驚くだろう。
一方で、おせっかいとの点に関しては否定できない。岡部くんは私に姿を見せてくれず、お母さんを通じても何の反応も示してもらっていないのだ。ただ、困っている人は自ら声はあげづらいもので、「おせっかいなくらいがちょうどいい」という話を聞いたことがある。岡部くんも、出てきてくれないのは恥ずかしいからで、誰かに頼りたい気持ちはあって、私の訪問を嬉しく感じたりしているかもしれない。もちろん、迷惑でしかない可能性が高いことだってわかっている。直接でも間接的にでも、はっきりそう告げられたら、すぐに家を訪れるのはやめるつもりだ。




