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が、その次の日——。
「え?」
俺は目が点になったと思う。
「昨日あの後、親に生徒会役員に立候補しようと思ってるって話したらね、多分、というかほぼ確実に、仕事の都合で、来年の早い時期に転校することになっちゃうんだって。だから……ごめんなさい」
「ああ、あああああ、そう……」
「ほんと、どうお詫びしたらいいか……」
「いいよ、いいよ、気にしないで。全然平気だから。ハハハ……」
俺はショックでフラフラしつつも、必死に明るく振る舞って、その話を聞いた学校の廊下で、渡瀬さんのもとから離れていった。
歩を進めながら、胸の内で叫んだ。
嘘だろっ!
その日の帰り、俺は仲がいい、別のクラスの男子の曽我といた。
「どしたの? なんか暗いけど」
そう訊かれたのをきっかけに、俺は学校の不満を延々ぶちまけた。曽我がトラウマになってしまうのではというほどで申し訳なかったけれど、止まらなかったのだ。
翌日以降は、これまでと変わらぬ態度で学校生活を送った。しかし、暗い雰囲気が漂っていたと思うし、生徒会役員選挙に出馬しなかったので、俺はずっと落胆していると渡瀬さんは感じ取っていただろう。その立候補しなかったことに関しては、「俺、目立つの得意じゃないから。渡瀬さんと一緒ならなんとかできるかなと思ったけど、やっぱりきついし。だいいち当選できるか、かなり怪しいもんな」と陽気に言っておいたが。
そして、表面上は以前と同じ普通のクラスメイトながら、なんとなくギクシャクした関係が続き、年を越えて渡瀬さんが転校する日がやってきた。
クラスの教室でお別れ会が開かれ、彼女がみんなにあいさつをする機会があった。
「今日はありがとうございました。このような最後のあいさつで、皆さんに何をしゃべろうか悩みました。今までお世話になった感謝などはすでに述べましたし、こうした場面にふさわしい、かっこいい話でもできたらいいんだけどと考えたところ、ふと一つ頭に浮かんだものがありました。皆さんのなかには、二学期に石山くんが私に生徒会役員になるのを勧めたことを知っている人もいると思います」
え? 何を言いだすんだ? と俺はドキッとした。
「転校するのもあって断りましたが、その際にもし役員になったら考えることになる学校の在り方や勉強の扱いといった事柄について語り合ったんです。そこで石山くんが口にした、なぜ勉強をするのかという話が、なるほどとすごく感心して、ぜひ皆さんにも聞いてもらいたい、最後にふさわしい私が伝えたいことなので、間違いがないように、申し訳ありませんけれども石山くん、それを言ってくれませんでしょうか?」
みんなの視線が一斉にこっちに向いた。
「え……」
何だよ、それ。
俺は怒りもわくほど焦ったものの、目立つのが苦手ながら学級委員など人前でしゃべる役割を任されることが少なくないために慣れている面もあり、なんとか気持ちを落ち着かせて口を開いた。
「えっと、勉強をやる理由を話せばいいんですか?」
「はい。お願いします」
渡瀬さんは平然した調子で答えた。
「じゃあ……えー、皆さんが、今回の渡瀬さんのように家庭の都合で、例えば今まで名前も知らなかった国に移り住なければならなくなったとしたら、どうするでしょうか? おそらく、その国の言葉や食事、法律や生活習慣といったことを勉強するんじゃないでしょうか。その学んだなかには、いざ現地に行ったら必要なかったと感じるものもあるでしょう。しかし、後々すごく役に立つかもしれませんし、現地の人との会話のネタになるなど、まったくの無駄にはならないと思います。つまり、この地球の、僕たちだったら日本に、生まれて、暮らしていくのだから、日本を中心とした世の中の一通りのことを知っているほうが良いので行うというのが、勉強の一番の目的だと思います。それから、これはわかりやすいですが、医者を目指すから医学、弁護士になりたいから法学、といった具合に将来の仕事のため、あるいは興味があるなどの動機により、集中的に深く学習する。それを専門教育というのに対して、一通り学ぶものは教養教育と分類できます。くり返しになりますけども、教養教育のなかには『こんなの将来使わない』と必要性を感じにくいものもあるでしょう。ですが、勤める会社で数学の時間に学ぶ方程式を解いたりしないとはいえ、買い物など経済に関わって生きていくなかで数字にまつわるものは感覚的だけでも理解しておいたほうがいいでしょうし、運動は一つよりもいろいろなスポーツをやったほうが体のバランスが良くなると言われるように、勉強も人格形成や脳を鍛えるといった点でさまざまな分野を学んだほうがプラスだと思います。なので、どんな勉強でもとりわけ本気でやれば有益だと考えますが、一方で、中学、高校、大学と進むにつれて専門教育の割合は増えていくのでしょうけれども、学校はもう少し早い段階から本人が関心のある勉強をもっとできるようにすべきではないかとも思います。……こんなところでしょうか?」
一生懸命話して、終わったことで我に返り、周りがシラケた雰囲気なのに気づいて、俺はまた嫌な感情が込み上げてきた。
「どうもありがとうございました」
渡瀬さんが声を発した。
「どうですか? 皆さん。勉強をやる訳がよくわかって、聞いてよかったと思いませんか? そのために私も石山くんも場違いな、おかしな発言をしたような空気を味わったのですから、ぜひ役立ててたくさん勉強してください。そして、夢を叶えたりして、いっぱい感謝してくださいね」
そこで軽く笑いが起こった。
「石山くん、私がしゃべる場に巻き込んでしまい、ごめんなさい。おかげで助かりました。以上です」
茶目っ気たっぷりといった話し方だったことで、みんなは笑顔のまま、丸く収まった感じで締めくくられた。
けれど、俺は恥をかかされた心地をぬぐえなかった。
最後なんだからもう一回今までの感謝を述べるとか、探せば言うことはいくらでもあるだろう。やるならせめて、前もってこうするって俺に伝えてくれりゃいいのにさ。ったく、もー。
心の中でそうつぶやいたのだった。




