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No.96

 ランダムに飛んだ空間移動の魔法でも、地下の魔法都市から脱出することはできなかった。


 俺はいま、メリーナとビオラと、三人で砂漠に似た場所を歩いている。

 元いた地点――ドラムがいたところを目指して。


「本当に戻るつもりか?」


 俺が尋ねると、ビオラはこちらを振り返りもせず、小さくうなずく。


「ええ……」


 正直なところ、俺はあそこに戻るのは反対だった。

 わざわざ自分の目で確かめなくても、何が起きたのかわかっていたからだ。


 ドラムは、自爆する魔法を、強制的に発動させられた。


 だからドラムの身体は、もう跡形もなくなっているだろう。

 恐らく、ビオラもそれを察しているはずだ。なのに、今さら確認してどうなるというのか。


「行こう」


 立ち止まっていたら、メリーナに手を引かれた。


 メリーナはなんとも言えない表情をしていた。サリンジャーへの怒り、ビオラへの同情心、そして凶悪な魔法に対する恐怖。いろいろなものが混ざり合った、複雑な気持ちが感じられる。


「戻ったところで、良いことは何もないんだぞ?」

「ビオラさんにとっては、良いか悪いかじゃないんだと思う……」


 メリーナの言葉が、妙に重く聞こえた。

 彼女も最近、大切な人を亡くしている。だからビオラの気持ちがわかるのかもしれない。

 俺は、それ以上は何も言わず、大人しくビオラの後をついて行くことにした。



 ◆◆◆



 あまり時間をかけずに、元いた辺りまで戻ってきた。

 ただ、戻ったところで、ドラムの亡骸は見つからないと思っていた。

 しかし――。


「ドラムッ!」


 地面に横たわる弟の姿を見つけると、ビオラが声を上げて走り寄る。

 俺たちも、すぐにそこへと近づく。


 だが、淡い期待はすぐに裏切られた。


 ドラムは腹の辺りが、言葉にできないほど酷い状態になっていた。

 恐らく、自爆の魔法が発動したはいいが、魔力が足りなかったのだろう。それで、内臓だけが破裂した、といったところだ。


 すでにドラムの意識はない。かすかに呼吸しているようには見えるが、それも今にも止まりそうだ。表情は苦痛に歪んでいる。


「ああ、どうしよう……こんな……なんで……」


 ビオラは動揺しながらも、すぐに治療を試みる。

 だが、どんな魔法を使っても、まるで効果はなかった。


「ライさん……」


 ビオラが涙ぐんだ目で俺を見つめてくる。

 力になってやりたいとは思うが……。


「俺にも無理だ」


 そう返事すると、ビオラの顔が絶望の色に染まる。

 その瞳からは、大量の涙があふれ出した。


「なんでなの! どうして? どうして私の弟がこんな目に――」


 ビオラは地面を叩き、ありったけの声で叫んでいた。


 その時、ふいにドラムの目が、わずかに開いた。


「……ぁ……っ……」


 ドラムは何かを言おうとしていたが、声はほとんど聞こえてこなかった。


「ドラム、私よ! ビオラ! わかる? 姉さんよ!」


 ビオラは必死に声をかけるが、反応はほとんどない。

 ドラムは苦しそうに呼吸をしているだけだった。


「ドラム……ねぇ……うぅ……っく……なんで……」


 ビオラの声に嗚咽が混じり始める。

 俺は、その隣に膝をつき、ドラムの身体に手をかざした。

 そんな俺の様子を、ビオラは不思議そうな眼差しで見つめてくる。

 でも変な期待は抱かせないように、あらかじめ言っておく。


「治療じゃない」


 そして、俺は魔法を使った。


安らかなまじない(ヘブンズコンフォート)


 白く、淡い、優しげな光が、ドラムの全身を包み込む。すると次第に、その表情が和らいでいく。


「ドラム……」


 ビオラは彼の手を取り、名前を呼ぶ。

 その瞬間、確かにドラムは微笑んでいた。


 そして、永遠の眠りへとついた。


「くっ……うぅ……あああああぁぁぁぁぁ――」


 しばらくの間、ビオラの慟哭だけが、辺りに響いていた。



 ◆◆◆



 あれから数時間。

 俺たちは、まだ地下の魔法都市に留まっていた。

 

 ドラムの遺体は、この街にあるピンクコイン家の王宮の庭に埋めてやった。

 それが一段落つくと、ようやくビオラの顔にも血の気が戻ってきた。


「ありがとうございます……」


 ビオラに礼を言われたが、なんだか居心地が悪い。

 正直、俺のドラムに対する気持ちは複雑なままだ。


「……もう大丈夫なのか?」

「はい。お騒がせしてしまい申し訳ありません」

「こっちも悪かったな。GPAのイザコザに巻き込んだみたいで」

「いえ。あの男の話が事実なら、これは継王家の人間には逃れられない、業のようなものなのでしょう」

「アイボリビスト家のことか……」


 俺がつぶやくように言うと、隣から遠慮がちに服を引っ張られた。

 そっちを見ると、メリーナが気まずそうな顔で尋ねてくる。


「その話……聞いてもいいかしら……?」


 もちろん俺は問題ないが、ビオラがなんて思うか……。

 俺はちらりとビオラの様子を窺う。目が合った。

 すると意外なことに、ビオラが自ら語り出した。


「アイボリビスト家は、召喚と、生物使役の魔法を得意とする継王家でした。しかし、今から8000年ほど前のこと。彼らは突如として、他の継王家に牙を向いたのです」

「なんでそんなことを……?」

「理由は様々語られていますが、今となっては正確なことはわかりません。ただ、結果として、アイボリビスト家は、他の十六の継王家によって滅ぼされたのです」

「滅ぼすって……そこまですることなんですか?」


 メリーナの無垢な質問に、ビオラは疲れたような笑みを浮かべる。

 どうやら精神的にまだ不安定なようなので、メリーナの相手は俺が変わることにした。


「アイボリビスト家は、魔神の力を使い、世界中に<太古の魔獣>を蘇らせてしまったんだよ」

「えっ……太古の魔獣って……」

「メリーナも一度倒しただろ。あいつらは全部、8000年前のアイボリビスト家によって、召喚されたやつなんだよ」

「ウソ……。だって、すごい数じゃない?」

「当時は、数十万もの魔獣が出現したと言われている。継王家も力を合わせて討伐に乗り出したが、とても手に負える数じゃなかった。そこで、いくつかの場所に結界を張り、魔獣をひとまず閉じ込めることにしたんだ」

「それって……」

「今ではその場所を<禁足地>と呼ぶ」


 俺の言葉に、メリーナは目を丸くして驚いていた。


 本当に何も知らなかったんだな……。

 さすがに、もう少し勉強した方がいいんじゃないか?


 俺がそんなことを思っていると、再びビオラが口を開いた。


「大勇者グランダメリスが実現した完全平和な世界は、アイボリビスト家の愚行により、2000年で終わりを告げました。それから8000年余り、私たちは、古代の魔獣に怯えながら生きることを余儀なくされた。これでも、アイボリビスト家を滅ぼしたのは、()()()()だと思いますか?」


 ビオラの声色には、怒りの感情が存分に含まれていた。

 彼女は、継王の立場でも、弟を亡くした姉の立場でも、サリンジャーの言い分は受け入れられないのだろう。


 もちろん、俺も奴の言ってたことには少しも賛同できない。

 メリーナも、その気持ちは一緒のようだった。


「そうですね……わたしにはまだわからないこともありますが……サリンジャー長官のことは許せません」


 メリーナの言葉にも力がこもっていた。

 するとビオラは、メリーナの目をしっかりと見すえ、言うのだった。


「では、あなたがグランダメリス大帝王になり、私の無念を晴らしてください」

「えっ……?」


 ん? なんか今、妙な話を聞いた気がする。

 ここは念のため、確認しておこうか。


「それはつまり、ビオラが大帝王になるのを諦めるってことか?」

「今回はメリーナさんに譲るという意味です」

「急になぜだ?」


 そう尋ねると、ビオラは睨むような視線を俺に向けてくる。


「あなたがいるからです」

「なんで俺が関係ある?」

「さっきの戦いで気づきました。私には、圧倒的に武力が足りないのだと。悔しいですが、あんな男にすら、遅れを取ってしまった」

「サリンジャーは厄介な相手だ。ビオラが悪かったわけじゃない」

「慰めは必要ありません。いずれにしろ、他の大帝王候補に狙われたら終わりです。今回は特に暴力が飛び交っていますからね。だから、ここで身を引くのが理にかなっています」


 そう言うと、ビオラは再びメリーナの方に顔を向けた。

 そして真剣な様子で語りかける。


「メリーナさんは、他の継王家の中で唯一、私が信頼できる人物です。あなたになら、私の想いを託せます。どうか、後をよろしくお願いします」


 ビオラは深々とメリーナに頭を下げた。

 しかし、あまりに突然の展開で、メリーナはまだ戸惑ったままだ。


「えっと……それって、何がどうなるんですか……?」

「我がピンクコイン家は、全面的にサンダーブロンド家を支持させていただきます」


 その言葉を聞き、メリーナもようやく自分の立場が理解できたらしい。

 彼女は表情を引き締めると、力強くうなずいた。


「ありがとうございます。わたし、必ずグランダメリス大帝王になってみせます」


 メリーナとビオラが手を取り合う。

 その光景を目の当たりにし、もちろん俺も嬉しかった。


 でも同時に思ってしまうのだ。

 これで、ようやく1票か……と。


 メリーナが大帝王になるには、少なくともあと5つの継王家から支持を得ないといけない。

 しかし、投票が行われる大帝王降臨会議は、もう1ヶ月後に迫っていた。


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