No.95
「ねぇ、ドラム! 私がわからないの?」
ビオラは何度も繰り返し、奴に声をかける。
しかし返事どころか、ドラムは顔を向けることさえしない。
じっと地面を見つめたままだ。
そして、ふいに顔を上げたかと思えば――。
「【雷鳴の始まり】」
ドラムは馬鹿の一つ覚えのように、同じ魔法を繰り出してくる。
【銀幕の守り人】
俺は想定していた通りに、再び防衛の幕を張った。
バチバチバチバチィッ!
目の前で稲妻が弾けるが、俺たちにダメージはない。何度やっても同じことだ。
しかしドラムにはそれがわからない。傀儡にされ、判断能力を失っているのだろう。だから、手のひらに刻まれた魔法を使う以外の行動は取れないのだ。
「ドラム、もうやめて! これ以上はあなたの身体がもたないわよ!」
ビオラの悲痛な叫び声が響く。
だが、俺としてはこのまま魔法を使い続けてもらったほうがいい。
いくらドラムが操られていても、魔力が尽きれば意識を失うはずだ。
「ねぇ、ライさん。どうにかできないんですか?」
ビオラが必死に訴えてくる。
無理やりでもいいなら、方法はなくはないが……。
「魔法を使ってもいいのか?」
「ドラムの意識を取り戻せるなら認めます」
「傀儡状態を解除する魔法はいくつかあるが、効果がなければ、あんたがやった時みたいに、ドラムが苦しむことになる」
「それならダメです」
ビオラの返答を聞き、思わずため息が出てくる。
こんな話をしている間にも、ドラムの魔法攻撃は続いているのだ。
だから俺も、防御魔法を解くわけにはいかない。
この状況で、ドラムの傀儡解除を試すのは、かなりリスクがある。
下手に動いて、メリーナに危険が及ぶようなことだけは避けたい。
やはり、力尽きるのを待つ方が無難だ。
「ドラムにかけられてる魔法について、何かわからないんですか?」
ビオラは弟のことになると、冷静に考えられなくなるらしい。
「それこそ、<魔法解析>にでもかけないと無理だろうな」
「ここのどこに、そんな設備があるんですか?」
「だから無理を前提で言ってるんだよ。そもそも奴の動きを止めないと、解析だってできない」
「だったら、ドラムにかけられた魔法を解除してください」
これじゃ堂々巡りだ。
まあ、このまま時間を稼いでいれば、そのうち奴も力つきるはずだ。
俺が思った通り、それからもドラムは繰り返し同じ魔法を放ってくる。
そして十数度目かの攻撃の後、その動きがピタリと止まる。
「……っぁ……ぐっ……」
奴の口から呻き声が聞こえてきた。
無理をしているのは一目でわかる。
「ドラム……もういいのよ。やめて……」
ビオラが優しく声をかける。
だが、それを振り払うようにドラムは頭をかきむしっていた。
そして両手のひらをこちらに向けるが――。
「――――ッ!!」
声なき絶叫とともに、ドラムはその場に倒れ込んだ。
「ドラムッ!」
ビオラは悲鳴に似た声を上げ、俺の作った銀色の幕を飛び出していく。
気持ちはわかるが、まだ安全が保障されたわけじゃない。
「油断するなよ!」
俺はそう声をかけ、すぐにメリーナと共にビオラを追いかけた。
「ドラム! ドラム! ねぇ、返事をして!」
ドラムの元まで行くと、ビオラはその身体にすがりつくようにして、必死に呼びかけていた。
それに対して、ドラムがわずかに反応しているように見えた。
俺は、奴がまた魔法を使うことを警戒したが――。
「ねえ……さま……」
ドラムの口から、わずかに言葉が聞こえてきた。声は弱々しく、表情も苦悶に満ちているが、目には光が戻っている。
「ドラム、わかるのね! 私よ! ビオラよ!」
「あっ……ああ……」
ドラムは会話するのも辛そうだ。逆に言うなら、こうなるまで魔力を消費したからこそ、傀儡の効果が弱まったのだ。
もちろん、完全に魔法が解除されたわけじゃないので、気をつけた方がいいのは変わらないが。
「待っててね。すぐに元気にしてあげるわ」
俺の思いとは裏腹に、ビオラはドラムを回復させようとしていた。
「ちょっと待ってくれ。いま回復させたら、また暴れ出すかもしれない」
「このまま放っておけと言うのですか?」
「少しの辛抱だ。せめて地上に戻って、魔法解析にかけるまでは――」
「それまでに、どれほどの時間がかかるのですか? あの男の話だと、私たちはここに閉じ込められているのでしょう?」
痛いところを突かれた。
ビオラの言う通り、サリンジャーはこの空間に何かしらの魔法を使っている。
俺にも未知の魔法なので、その解析から始めて、対処法を探すとなると、それなりに時間がかかってしまう。
「今回は私に譲ってください。お願いです……」
ビオラが俺に頭を下げてきた。
そこまでされたら、俺も反対し続けるのは難しい。
「わかった。ただ、ほんの少しだけ待ってくれ」
ビオラの了解を得てから、俺は改めて魔力の臭いを嗅いでみた。
相変わらず異様な魔力の臭いが、辺りに漂っている。
だが、どの系統なのか、どのような効果を生むのか、詳細を特定するまでには至らない。
「強い魔力は感じるんだけどな……」
しかし空間全体というのは、大げさな気がした。そこまで広範囲ではなく、この近くのどこかに、魔力の発生源があるといった感じだ。
「いや、ちょっと待てよ……」
嫌な直感が働き、背筋が冷える。
そもそもこの魔法は、本当に俺たちを閉じ込めるための魔法か?
俺が疑問に思った時だった。
「逃げて……」
ドラムが妙な一言を口にする。どうやら、まだ意識は失っていないらしい。
しかし顔中に大粒の汗が浮かび、呼吸もさっきより荒くなっている。
ビオラもその様子を心配し、落ち着かせるように話しかけていた。
「……何を言ってるの? もしかして恐いのかしら? 大丈夫よ、ドラム……。姉さんはあなたを見捨てないから……」
「早く逃げろぉッ!」
ドラムが雄叫びのような声を上げた。
それとほぼ同時に、俺は奴の服をめくった。
「なによ……コレ……」
ドラムの上半身を目の当たりにし、ビオラが悲鳴のようなつぶやきを漏らす。
その肌に刻まれていたのは、禍々しく巨大な魔法陣だった。
俺は瞬時にその魔法を読み解く。
決断を下すのに残された猶予は、ほんの刹那。
迷いは死を招く。
俺はメリーナとビオラを抱きかかえ、魔法を発動させた。
【空間を越える穴】
ボンッ――。
視界が飛ぶのとほぼ同時に、何かが破裂する音がした。
だが、俺たちがその瞬間を見ることはなかった。




