No.94
さすがに俺も、サリンジャーの異様な姿には面食らった。
奴の身体に刻まれた魔法陣。その一つ一つが、すべて違う種類の魔法であり、ほとんど瞬間的に発動させることが可能なはずだ。
「……そこまでするのか?」
俺は無意識につぶやいていた。
しかし奴は、さも当然のように答える。
「君や、継王家の人間と戦うには、こうでもしないと間に合わないからね」
「魔法陣を身体に刻んだら、二度とは消せない。しかも、紋様を維持するだけでも魔力を消費する。その数を維持するためには、どれだけの魔力を消費すると思ってるんだ?」
「百も承知さ。だが、魔導の進歩というのはバカにできないものだよ。今では、飲むだけで魔力を体内に補充できる薬がたくさんあるんだ。栄養剤のようにね」
サリンジャーは得意げに語っているが、本人だって理解しているはずだ。そんな方法を続けていれば、遠くないうちに身体が壊れると。
「本当に命を懸けてまですることなのか?」
「君は何もわかってないな、キャッチーくん。それとも、わざと知らないフリをしてるのかい?」
「なんの話だ?」
「<失われた継王家>だよ」
その単語を聞いた瞬間、脳内に様々な思考が入り乱れる。
「…………」
俺は、なかなか言葉を発することができなかった。
奴の言いたいことが理解できなかったわけじゃない。ただ、あまりに信じがたい話だったのだ。
そして、奴が口にするかもしれない可能性の一つを聞くのが恐かった。
俺が黙っていると、ふいに後ろから声が聞こえてくる。
「それって……わたしに関係ある?」
メリーナだった。俺が躊躇していたことを、ずばり尋ねていた。
「残念ながら、あなたには関係ありませんよ。サンダーブロンド家の継王様」
その言葉を聞いて、俺はどれだけホッとしただろうか。
サリンジャーにもそれが伝わってしまったらしい。奴は俺を馬鹿にするような笑みを浮かべながら、声をかけてくる。
「キャッチーくん。君は僕が、<ゴールドソル家>の末裔だとでも思ったのかい? よかったね、4分の1のババは引かなかったよ」
「お前がメリーナの遠い親戚だったなんてことは、想像すらしたくなかったよ」
「伝説によれば……魔神から世界を取り戻したのは、大勇者グランダメリス、大賢者ホールコールと、17人の仲間だったという。その17人が<十七継王家>の祖となり、世界を治めることになった」
「お前の身の上話を聞かせるのに、わざわざ神話から振り返るのか?」
「お伽話だよ。しかし、継王家は現在に至るまでに、4つが欠けてしまった。1つが<サンダーイエロー家>と統合した、<ゴールドソル家>。残りの3つは、<アイボリビスト家>、<スカインディゴ家>、<リュウガミネ家>だ」
「もったいぶるな。お前はどれだ?」
「アイボリビスト……」
サリンジャーがその言葉を口にした瞬間、後ろから小さな悲鳴が聞こえた。ビオラだ。彼女にとっては、幽霊か化物でも見たような気分なのだろう。
「まさか、生き残りがいるとは思いませんでしたか?」
サリンジャーは意地悪く、ビオラに問いかける。
俺はちらりと彼女の様子を窺う。その顔は、わかりやすいほど青ざめていた。
それでもビオラは懸命に、強気な言葉を口にする。
「思う思わないのではなく、あり得ません」
「なぜですか? 他の継王家たちが共謀し、確実に滅ぼしたからですか?」
「…………」
ビオラは黙り込んでしまう。いくら彼女であっても、この件に関しては議論すらしたくないということだろう。
メリーナもきっと同じはずだ。
そう思い、俺は彼女の様子を窺ってみる。
しかしメリーナの顔には、恐れというよりも、恥ずかしそうな表情が浮かんでいた。
まさか……。
「知らないのか?」
俺が尋ねると、メリーナは身体をビクンと震わせる。
それから顔を真っ赤にし、精一杯の弁解を始めた。
「知ってるわ。でも……歴史の講義は苦手だったの……。難しい話も苦手だし……だから、あんまり詳しくないというか……」
「まあ、8000年も昔の話だからな」
正直、俺はメリーナが知らなくても気にしないので、適当に言ってしまった。
すると、ビオラが鬼のような形相で睨んでくる。
継王のくせに……とても言いたげな感じだ。ただ、やはりこの話題については、口を閉ざしたままだった。
「メリーナ様のために、僕から説明して差し上げましょうか?」
サリンジャーが、いかにも芝居がかった口調でメリーナに話しかける。
しかし、奴の相手は俺がしてやる。
「説明の必要はない。そもそも、お前の話は信用できないからな」
「今さら隠さなくたっていいだろ? みんな知ってる話だ。十七が十六に減った経緯くらいはね」
「そっちじゃない。信用できないのは、お前がアイボリビスト家の生き残りって部分だ」
「もちろん証拠はないよ。あれば、とっくに殺されてるだろうからね。何しろ、断絶した他の3つの家とは違い、アイボリビスト家は、明らかに継王家によって滅ぼされたんだ」
「だからお前が復讐をするとでも言うつもりか?」
「もちろん、継王家は許せない。だけど、それよりも許せないのは、聖賢枢密院だ。あいつらは継王家を制御するのが使命だとか言いながら、アイボリビスト家が滅ぼされるのを止めなかったんだ!」
サリンジャーにしては珍しく、声を荒げていた。思わず感情的になったといったところか。
もちろん芝居の可能性もあるが……。
ただ、奴が何を思っているのかなんて、もうどうでもいい。
サリンジャーは、俺の大切なものを傷つけようとしている。
それだけで、敵対するには充分だ。
「いいだろう、サリンジャー。それなら俺がお前を止めてやる」
「キャッチーくん、君は本当に融通が利かない男だね」
奴が動く気配を見せる。
俺は身構え、魔法の攻撃に備えた。
だが――。
「僕は君ほど暇じゃないんだ」
そう言いながら、奴は大きく飛び上がった。
一瞬遅れて、突風が吹き荒れ、俺たちは砂に包まれた。
「サリンジャー! 逃げるのか!」
俺が声を張り上げると、遥か遠くの方から、かすかに声が返ってくる。
「君たちは、もう少し遊んでいくといい」
俺はすぐに奴を追いかけようとしたが――。
「ッ!?」
気配を察知し、反射的に魔法を使う。
【銀幕の守り人】
俺と、メリーナ、ビオラの三人を銀色の幕が包む。
その直後のことだった。
バチバチバチバチィッ!
激しい雷撃に襲われた。
ギリギリ防御が間に合ったが、今のはかなり際どかった。
俺たちを攻撃した男は、少し離れた場所に佇んでいる。
派手なピンク色の服を着た男だ。
相変わらず生気のない顔をしている。立ち姿からも、力が感じられない。糸で操られた人形のようだ。
「ドラム……」
ビオラがその名をつぶやく。
しかしあの男の目に、実の姉の姿が映ることはないだろう。




