No.90
「センパイ、サリンジャー長官に連絡をとりますか?」
しばらくの沈黙の後、おもむろにアイマナが尋ねてくる。
「いいや。話し合いの余地はもうない。今日の新聞記事も、たぶんサリンジャーからのメッセージだ」
「警告ですか?」
「絶縁状だよ。俺は正式にGPAをクビになったってことだ」
「そもそも、サリンジャー長官の狙いがGPAの壊滅なら、今さらそんなことをしても意味がないんじゃないですか?」
「正確に言うと、サリンジャーはGPAを壊滅させたいんじゃなくて、壊滅しそうな状況に追い込みたいんだよ」
「どう違うんですか?」
「奴の本当の目的は、聖賢枢密院を引っ張り出すことだ」
「聖賢枢密院って……」
アイマナも名前くらいは知っているらしい。ただ、その実態については、ほとんど何も知らないようだった。
「本当に実在するんですか?」
「そうじゃなければ、サリンジャーは動かない」
「じゃあ引っ張り出すというのは、交渉のテーブルにつかせるという意味ですか。何を要求するつもりなんですかね?」
「給料をあげてもらうのか、人手を増やしてもらうのか……」
「センパイ」
「冗談だよ。サリンジャーの要求は不明だ。ただ、一方的に命令を受けてる現状に不満があるのは確かだろうな」
俺がそう説明しても、アイマナはいまいち納得していない様子だった。
すると、横からメリーナが聞いてくる。
「ねぇ、ライ……。聖賢枢密院って、前にサリンジャー長官と話した時も話題にしてたわよね?」
「俺が一回、メリーナの任務から離れようとした時だな。サリンジャーは聖賢枢密院の名前を持ち出して、任務の続行を命令してきた」
あの時のサリンジャーの言葉に嘘はないはずだ。
しかしGPA本部が爆破された後は、任務の中止を命じてきた。恐らくアレは、聖賢枢密院に逆らう決意表明みたいなものだったんだろう。
そんなことを思い出していると、アイマナが神妙な面持ちで尋ねてくる。
「センパイ。一つ確認してもいいですか?」
「なんだ?」
「センパイは、聖賢枢密院と接触できないんですか?」
「できない。聖賢枢密院に会えるのは、GPA長官のみだ」
「じゃあ長官が裏切った今は、聖賢枢密院との連絡手段を失ったということですか?」
「そうなるが……」
話の途中で気配を感じ、俺はドアの方に視線を向ける。
「気になるなら、入ってきたらどうだ?」
俺が声をかけると、ドアがゆっくり開かれる。
そして桃色の髪の女性が姿を現した。
「ビオラ様! いつからそこに?」
メリーナが驚きの声を上げる。
するとビオラは、少しだけ遠慮がちに言う。
「気になる会話が聞こえてきたもので」
「盗み聞きなんてしなくても、入ってくればよかったんだ」
俺がそう言ってやると、ビオラは意外そうな顔をする。
「いいんですか? だいぶ深刻な話みたいでしたが」
「要するにGPAが壊滅寸前って話だ。今さら誰かに知られたところで、どうなるものでもない」
「ですが、私には意味のある話でした」
「どういう意味だ?」
「これを見てください」
ビオラが一枚の写真を差し出してくる。
そこには、二人の男が写っている。だいぶ遠くから撮っているせいで、一人の顔はあまりよく見えない。ただ、もう一人の男は見覚えがあった。
「これはサリンジャーか……」
「やはりそうなのですね」
ビオラは、難しいパズルを解いた時のように、小さく息を吐き出した。
「そうか。ビオラは奴の顔は知らないんだよな。でも、それと一緒に写ってるのは……」
「弟のドラムです」
「なんだと?」
「この写真が撮られたのは、今から2年ほど前のことになります」
「メロディスター号事件の少し前だな。つまりサリンジャーは、あの一件にも関わってたってことか……」
しかし思い返してみれば、浮遊魔導艦を最初に見たのは、メロディスター号の事件の時だった。
ドラムと浮遊魔導艦には繋がりがあるのだから、サリンジャーと繋がっていてもおかしくない。
「サンダーブロンド家との婚約式も控える中、どうも弟の行動には不審な点が目立ちました。そこで私は配下の者に、ドラムの様子を見張ってもらったのです」
「それで撮れたのがこの写真か」
「はい。ただ、相手については、どれだけ調べても情報が掴めませんでした。あるいは、この人物が弟の行方を知っているのではないかと思っていたのですが……」
「あながち的外れな話でもないな」
もしサリンジャーが、1年前のあの時も浮遊魔導艦に乗っていたとしたら、ドラムの身柄を回収するくらいはできたはずだ。
「サリンジャー長官に尋ねれば、弟の居場所がわかるかもしれないと?」
「ああ。ただ、仮にそうだとしても、俺たちは力になれない」
「わかっています。先ほどのお話は聞いていましたので。それに、これはピンクコイン家の問題ですから」
「俺たちも、こっちの問題であなたに迷惑はかけないよ」
俺とビオラは無言で頷き合う。暗黙の了解が得られた。
これでGPAの問題は俺たちが、ドラムの問題はビオラが、それぞれ互いに干渉せずに解決することになった。
◆◆◆
そろそろ夕食だということで、俺たちはビオラと一緒に地上階に戻った。
そして大広間に向かう途中、庭を横切る渡り廊下に差し掛かった時だった。
突如、俺は魔力の気配を感じ――、
「プリ!」
一言だけ叫び、メリーナを抱えて後ろへ飛ぶ。
その直後。
バチバチバチバチィッ!
雷が落ちたような衝撃音と共に、それまで俺たちがいた場所が激しい光に包まれた。
少しして、光が収まると、辺りの景色は一変していた。
渡り廊下は、屋根も壁も全て吹き飛び、地面は大きく抉れている。
抉れた部分は真っ黒に変色し、焦げた臭いが鼻をくすぐる。
「プリ……」
俺は辺りを見回しながらつぶやく。
パッと見たところ、誰の姿も見えないが……。
「ライちゃん! プリ、こっちわね!」
声はすぐ後ろから聞こえてきた。
振り返ると、プリがアイマナとビオラを担いで立っていた。
その姿を見て、俺は心から安堵した。
「よくやった……」
「プリ、ホメられてるわね?」
「ああ。さすがプリだよ」
「やったわね〜。プリ、ホメられたのよ〜。おスシもらえるわね〜」
プリは嬉しそうに小躍りし始めた。
しかし、すぐに苦情が入る。
「ちょっと、プリちゃん。喜ぶのはマナたちを降ろしてからにしてください!」
「そうわね!」
プリは素直にアイマナとビオラをその場に降ろした。
すると、ビオラが驚愕した表情で尋ねてくる。
「今のはなんですか?」
「見ての通り、魔法攻撃だ」
「いったい誰が? そんな簡単に侵入できるわけないのに……」
「どうやら侵入じゃなくて、帰宅のようだ……」
俺は言いながら、前方に立つ人物を睨みつける。
その派手なピンク色の衣装には、嫌な意味で見覚えがある。
ビオラも、そこにいる人物を見つけると、震えた声でつぶやく。
「ドラム……?」
そう、奴の名はドラム・ピンクコイン。
一年前、メロディスター号で姿を消したはずの男だ。




