No.087
<ニュールミナス市/ピンクコイン家王宮>
ピンクコイン家の王宮に来て、一週間が経過していた。
今のところは、平和的に過ごすことができている。
激しく損壊されたサンダーブロンド家の王宮も、ようやく再建が始まったところだ。
警備の観点からも、メリーナがここに居候させてもらえたのはありがたい。
しかも、ウチのメンバーも快く受け入れてくれたのだから、だいぶ親切というか、協力的だ。
もちろん、それには裏がある。
俺たちに恩を売って、大帝王の即位を支持させるつもりなのだろう。
「どうしたものか……」
俺は王宮の庭で一人、ベンチに座って考え事をしていた。
その時、どこからかピアノの音が聞こえてきた。
「この音は……?」
音色につられて庭の奥へ歩いていくと、休憩所を見つけた。
その中で、桃色の髪の女性が、ピアノを弾いている。
彼女の指先から紡ぎ出される旋律は、優美で清らかだった。ずっと聞いていたくなるほど心地いい。
俺は近くの椅子に座ると、何も言わず、しばらくその音色に耳を傾けていた。
やがて演奏が終わり、ビオラは最初から気づいていたかのように、声をかけてくる。
「お待たせしました」
「世界一の演奏を独占できて得した気分だよ」
「あなたでもお世辞を言うんですね」
そう言うと、ビオラは子供のような笑顔を見せた。
最初に会った時とは随分、雰囲気が違う。
「いつもここで弾いてるのか?」
「今日は久しぶりに休みが取れたので」
「邪魔したみたいだな」
「いえ、ちょうどライさんと話したいと思っていたんです」
「どんな話だ?」
「メロディスター号でのことです」
「そうか……」
1年前、豪華客船メロディスター号では、ドラム・ピンクコインと、メリーナ・サンダーブロンドの婚約パーティーが行われていた。
俺は任務でその船に潜入していたが、ドラムの姉であるビオラも当然あの現場にいたはずだ。
「あの船でのパーティーの途中、突如として乱入してきた<銀色の仮面の男>に、私の弟の犯罪が暴かれました……」
「事件の概要は知ってるよ」
「彼は仮面をしていましたが、声を聞いてわかったんです。さっきまで会場にいたウェイターだと。そして、その声はいま、この場でも聞こえています」
ビオラはまっすぐ俺を見つめてくる。
どうやら誤魔化すのは無理そうだ。
「いい耳をしてるな」
「音楽家ですから」
ビオラは少し得意げに言う。
とはいえ、ここまでは俺も予想していた。
問題は、彼女がなんのためにこの話をしているのかだ。
「弟の仇でも討つ気か?」
「いえ、そんなつもりは……。ただ、いまだに信じられない気持ちはあります。ドラムは私のすぐ下の弟で、子供の頃は本当に毎日のように一緒に遊んでいました。あの頃は、姉想いの素直な子だったのに……」
「誰でもそんなもんだよ」
「ドラムは末っ子だったので、兄たちにはよくイジメられていました。だから大帝王になって、見返してやろうとでも思ったのでしょう……」
「俺に罪悪感を植えつけるつもりなら、それ以上聞く気にはなれない」
「違うのです。私はただ……知りたくて……」
「何をだ?」
「ドラムの行方です」
ドラム・ピンクコインは、あの日を境に行方をくらましている。
俺が最後に見た時の状況から考えると、奴は爆発した船から放り出され、海に落ちたのだろう。
「生きてると思ってるのか?」
「あれから、何度も周辺海域を捜索しました。でも死体は見つかりませんでした……。だから、生きてる可能性はあると思っています」
「仮に生きてるとしたら、どこに隠れてるんだ?」
「……そうですか。やはり、GPAでも情報を掴んでいないのですね」
ビオラは落胆したように目を伏せる。
つまり、俺たちが知っているかどうかを確認したかったってことか。
世界最高レベルの情報網を持つGPAでも知らないとなると、ドラムを見つけるのは確かに絶望的と言っていい。
「仮にドラムが見つかったとして、どうするつもりだ? あいつは重罪犯だぞ。1年前は、マルトノ・ピンクコインが退位したことで、いったんは決着したが、いま本人が出てきたら、大帝王争いにも悪影響が出るはずだ」
「あなたにはわからないかもしれませんが、大帝王になることよりも大切なことは、この世にいくらでもあるんですよ」
ビオラは優しく微笑みかけてくる。母親が子供を諭すように。
しかしその言い方が、俺には挑発しているように感じられた。
「だったら、大帝王に立候補するのは辞退してくれないか?」
「なにも天秤に掛けられていないのにですか?」
「じゃあ弟が見つかれば、大帝王争いから降りてくれるのか?」
「それはGPAとしての要請ですか? それともライさんの個人的なお願いですか?」
俺とビオラの会話は、いつの間にか質問の応酬になっていた。
やはりこの継王は一筋縄ではいかないようだ。
「どうしても大帝王になりたいんだな」
「王族として生まれた者は、誰でも一度は夢見ることです」
「夢見てなれるほど、大帝王の地位は甘くない」
「そうですね……。でも、私に夢見ることの大切さを教えてくれたのは、あなたかもしれませんよ?」
ビオラがまた思わせぶりなことを言う。
最初に話した時からそうだったが、彼女は俺と以前に会ったことがあると思っているらしい。
「それは本当に俺だったのか?」
「私はそう思っています。でも、20年近く前のことですから」
メリーナの父、ブルトン・サンダーブロンドともこんな話をした。
ビオラの言っていることも本当なのかもしれない。
ただ、俺にはなんの記憶もないのだ。
「たまに自分が怖くなるよ」
思わず自嘲してしまった。
すると、ビオラが静かに語り出す。
「子供の頃、祖父からよく聞かされた御伽話があるんです……。<大賢者ホールコールの冒険>という名前の、子供向けの物語です」
「名前くらいは知ってる。でも、それがなんだって言うんだ?」
「その物語の最後はこう結ばれています。『大賢者ホールコールは、大勇者グランダメリスの守護者。グランダメリスのことをいつまでも見守り続けるのだ。その名が忘れられないように……』と」
「別に内容について聞いたわけじゃない」
「祖父はこう言ってました。『だから、大賢者ホールコールは、今もグランダメリス大帝国を見守っているんだよ』と」
ビオラは真剣な顔で語っていた。冗談を言っている雰囲気でもない。本気でそう信じているようだった。
「ある意味、GPAの仕事に通ずる部分はあるかもしれないな」
「ライさん……いえ、幼い頃の私には、<ウィート>と名乗っていましたね。あなたは、<グランダメリスの守護者>じゃないんですか?」
――――――――。
一瞬、頭の中に、洪水のように記憶が流れ込んできた。
そして、一瞬ですべて消えた。
気づくと俺は、ビオラと見つめ合っていた。
そうして、どれほどの時が経っただろうか。
俺は思考を落ち着け、周りの状況を把握し、はっきりと言う。
「違うな」
その言葉を信じたのかどうかはわからない。
ただ、ビオラは穏やかな微笑みを浮かべていた。
「そうですよね。おかしな話をしてしまいました。忘れてください」
「ああ。代わりにと言ってはなんだけど、今日ここでの会話は誰にも話さないでくれると助かる」
「特にメリーナ様には、ですね」
話が早くて助かる。
どこまで信頼していいのかわからないが、少なくとも敵に回したくない相手だ。
そんなこんなで、俺たちの話が一区切りついた時だった。
「あっ! こんなところにいたのね!」
朗らかな声が聞こえてきた。
振り返ると、長い金髪をなびかせながら、一人の少女が駆けてくるのが見えた。
彼女はあっという間に俺の前までくると、息を切らせながら言う。
「ハァハァ……ライ、大変よ!」
「何があったのか知らないが、そんなに慌てなくてもいいだろ。ビオラに笑われるぞ」
「えっ? あっ……ビオラ様。ご挨拶が遅れてしまい失礼しました!」
メリーナは勢いよく頭を下げる。
しかしビオラは何も気にしていない様子で、穏やかに笑っていた。
「いいのですよ。もし都合が悪いのなら、私は席を外しますが」
「大丈夫です。一般のニュースになっていることなので」
そう言うと、メリーナは俺に向けて新聞を広げて見せた。
読めということらしい。
「えーと……『独立系捜査機関の元エージェントにより、第三継王になったばかりのメリーナ・サンダーブロンド陛下が誘拐された――』と」
まさか、こんな手でくるとはな……。




