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No.086

 自動車で俺たちが連れて行かれたのは、ピンクコイン家の王宮だった。

 当主のビオラが言っていた通り、浮遊魔導艦(ふゆうまどうかん)は、この王宮の上空には侵入してこない。追ってくる武装兵たちの気配も消えた。


 俺とメリーナは、王宮内の応接室らしき部屋に通された。そこは、壁紙も、カーテンも、絨毯も、すべてが淡い桃色で統一されている。

 その落ち着かない空間で、俺たちはソファーに座らされた。


「どうぞ楽にしてください」


 桃色の髪の女性も俺たちの正面に座ると、落ち着いた声でそう言った。

 俺は、彼女のあまりにも無警戒な態度に、逆に警戒心を抱いてしまう。


継王(つぐおう)が護衛もつけず、どこの馬の骨ともわからない奴と面会していいのか?」

「これは信頼の証です。それに、あなたのことはよく存じ上げていますよ、『ライ・ザ・キャッチー』さん」


 彼女は穏やかに微笑む。しかし、その笑顔の奥にある感情が読み取れない。

 そしてビオラは、メリーナの方に語りかける。


「メリーナ様。この度のことは残念でした。ですが、即位式が行われなくても心配はいりませんよ。あなたが継王であることは、先日の枢密十三議会にて承認されていますので」

「別にわたしはそんなことは気にしていません」

「気にしてください。あなたは継王なのです。その自覚を持たなければなりません」

「そっか……はい。わかりました」


 少し厳しいように感じるが、ビオラは間違ったことは言ってない。

 ただ、メリーナに継王としての自覚を持たせることになんの意味があるんだ?


 その疑問が頭をもたげた瞬間、俺は気づいた。


「これはサンダーブロンドと、ピンクコインの<継王会談>ってことか」


 俺がその言葉を口に出すと、ビオラは静かに微笑みながら応じる。


「その通りです。ここでの合意は、サンダーブロンド家、ピンクコイン家、双方の総意となり、約定となります」

「合意? 何を決めるって言うんだ?」


 俺が尋ねると、ビオラは再びメリーナに顔を向ける。


「お願いです。どうか大帝王降臨会議で、私を支持してください」

「えっ……」


 メリーナが驚きの声を漏らす。

 俺は、メリーナが次に何か言い出す前に、割って入る。


「それはつまり、あんたが大帝王になるために、一票入れろってことか?」

「ご存じかと思いますが、私は次の大帝王即位を目指していますので」


 それはもちろん知っている。というか、現大帝王のフィラデル以外で最も大帝王に近いのは、実はこのビオラ・ピンクコインなのだ。


 彼女は音楽と歌の才能に秀で、幼少期から世界的な栄光を獲得してきた。冗談のような話だが、彼女の歌や演奏が戦争を終わらせたこともある。

 そのため、累計の栄光値(ポイント)では、二十代ですでにフィラデルに迫っているほどだ。


 だからこそ一年前の事件で、当時のピンクコイン家の継王である<マルトノ・ピンクコイン>が退位に追い込まれた際、第七子という立場にもかかわらず、<ビオラ>が継王に即位したのだ。


 しかし、そうだとはいえ、あまりに不躾な申し出だ。


「メリーナが大帝王を目指していることは、()()()()()のか?」


 俺は語気を強めて尋ねてみる。しかし、ビオラは少しも動じない。


「メリーナ様の事情は理解しているつもりです。しかし、我々の目的は一致していると考えています。特に、あなた方GPAとは」

「どういう意味だ?」

「GPAがメリーナ様を大帝王に即位させようとするのは、フィラデル陛下を初めとした<覇権派>が大帝王になるのを阻止したいからなのでしょう?」


 俺が想像していた以上に、ビオラは頭が切れるようだ。

 この若さで、そこまで核心を理解しているとはな。


 思わず黙り込んでしまった。すると、隣からメリーナが服を引っ張ってくる。


「ライ、ビオラ様がおっしゃってるのはどういうことなの?」

「……現在13人いる継王の思想は、おおむね3つのグループに分かれる。現状維持を受け入れる<穏健派>。継王家以外に積極的に権力を委譲しようとする<民衆派>。それと、王権を強化し、世界を支配しようとする<覇権派>だ」

「世界を支配って……」


 メリーナは呆気に取られたようにつぶやく。王族の一員である彼女が聞いても、その思想は異質に感じるのだろう。

 しかし、それが単なる絵空事でないことを、ビオラは理解しているようだった。


「かつてグランダメリス大帝国は、世界を支配していました。今から1000年ほど前……いわゆる<大魔法時代>と呼ばれる頃のことです」

「大魔法時代……」


 ビオラの言葉を、メリーナはただ繰り返す。

 その時代のことは、歴史の知識として知ってはいるはずだ。だが、1000年という月日は、メリーナにはあまりに現実感がないのだろう。


 なので、メリーナに代わって俺が尋ねる。


「その話は、フィラデルから直接聞いたのか?」

「いえ。ですが、方々から伝え聞く話を総合して考えればわかります。彼らは、再び大魔法時代を始めようとしていると」


 大魔法時代は、グランダメリス大帝国が最も栄えた時代である。一方で、今では考えられないほど強力な魔法が飛び交い、継王家同士が血で血を洗う戦いを繰り広げた時代でもある。


「俺たちGPAは、二度とそんな時代を繰り返させたりはしない」

「でしたら、なぜ私ではなく、サンダーブロンド家を補佐しているのですか?」


 ビオラの理知的な瞳の奥には、非難の感情が見え隠れてしている。

 実際、彼女を大帝王にするという任務なら、どれほど楽だったろうか。


「俺は一介のエージェントに過ぎない。その質問への回答は持ち合わせてないよ」


 そう答えると、なぜかビオラの表情が和らいだ。

 そして彼女は言うのだった。


「本当にあなたは変わりませんね」


 まるで昔を懐かしむようだった。

 さっきまでとは打って変わり、彼女からは親しげな空気を感じる。

 おかげで、メリーナが俺の服を引っ張る力が強くなる。


「ビオラ様と知り合いだったの?」

「……いや、初対面のはずだが」


 嘘じゃない。今までの任務で、ビオラ・ピンクコインと接触した記憶はない。

 俺の記憶にはな……。


「覚えていなくてもしかたありません。遠い昔の、悩める少女の淡い恋心に過ぎませんので」


 思わせぶりな言い方をする人だ。過去に何があったのか知らないが、そういう言い方をされたら、メリーナだって気になって当然だろう。


「ねぇ、ライ。わたし、怒ったりしないわよ? でも、なんで隠すのかしら? それって、やましいことがあるってことよね?」

「誰に対して、どんなやましいことがあるって言うんだよ?」

「マナちゃんとロゼットさんが言ってたの。ライは、隠し事がたくさんあるんだって。その中には、わたしにも言えないようなこともあるんだって」


 あいつらのせいで、メリーナの純真さがどんどん汚されている気がする。

 それが大人になるってことなのかもしれないが……。


「その話は後だ。今は他に聞きたいことがある」


 俺はビオラに視線を戻す。

 と、彼女は穏やかな口調で言う。


「なんでも聞いてください」

「あっ、それならわたしから聞いてもいいですか?」


 俺よりも先に、メリーナが声を上げる。

 それに対して、ビオラは「どうぞ」と言わんばかりに両手を差し出す。


「わたしたちを助けにきてくれた時におっしゃってた話なんですけど……」

「お聞きになりたいのは、『1000年前の盟約』についてですね」

「はい。父からは何も聞かされてなくて……」

「大魔法時代の話です。当時、ピンクコイン家は、継王家の中で最も勢力が弱く、明日にでも消滅するほどの窮地に陥っていました。それを、二つの継王家によって救われたのです」

「二つの継王家……?」


 メリーナはのめり込むように、真剣に話を聞いていた。

 一方、ビオラは淡々と語り続ける。


「ピンクコイン家は、その時に両家と盟約を結びました。三つの継王家のどこかが窮地に陥った際は、残りの二つの家が必ず助けると」

「そのうちの一つが、サンダーブロンド家なんですね」

「いいえ、違います」

「えっ……?」

「ピンクコイン家が盟約を結んだのは、<サンダーイエロー>と、<ゴールドソル>の二つの継王家です」

「それって……」

「両家は後に統合し、今では<サンダーブロンド>と名乗っています」


 ビオラの話ぶりに、メリーナはすっかり惹き込まれていた。次期大帝王のライバルとしては、厄介な相手だ。


「じゃあ……ピンクコイン家が盟約を結んだのは、二つともわたしのご先祖様ということですか?」

「500年前、ゴールドソル家が事実上消滅し、サンダーイエロー家に統合された際、我らの高祖は盟約を果たせなかったと聞いております。ですから、今度こそはその約束を果たしたいと思っているのです」


 ビオラは、まるで義理堅いことのように語っていた。

 だが、俺にはいまいち納得できない。


「だったら、メリーナを大帝王にするのに、協力してくれてもいいじゃないのか?」

「それとこれとは話が別です。盟約はあくまでも、互いの家の存続を助けることです」

「だから1年前、ここの王子と、メリーナとの婚約を画策したのか? あわよくば、サンダーブロンド家を、ピンクコイン家に吸収しようとしたんじゃないのか?」

「当時の継王である母が企図した事です。私には計り知れません」


 さすがに簡単に認めるはずがないか。


「あの婚約に、そんな意味が……」


 メリーナの表情が曇る。

 ただでさえ、1年前の件では嫌な思いをしたのだ。その上、さらなる謀略があったかもしれないと知れば、気分が悪くなって当然か……。


「悪かったな。嫌なことを思い出させたみたいだ」

「ううん、平気よ」


 メリーナは気にしてないという感じで、無理やり笑顔を作っていた。

 すると、ビオラが大げさに頭を下げる。


「あの時は、弟が失礼致しました。謝って済む話でないことは承知していますが、改めて私から謝罪させていただきます」


 それを受けて、メリーナは慌ててフォローしていた。


「そんなことはなさらないでください! 謝罪なら、1年前にマルトノ様から散々受けました。マルトノ様も責任をとって退位なさったし、わたしはもうなんとも思っていません」


 ビオラが顔を上げる。しかし彼女は、メリーナではなく、なぜか俺の顔をじっと見つめてくる。


「何か聞きたいことでもあるのか?」

「いえ……ただ、あの時のことを思い出して……」


 まずい。

 恐らくビオラは、1年前のメロディスター号で、俺を見たとでも言うつもりだ。

 しかし、そのことはメリーナの記憶から消した。

 知られるわけにはいかない。


「話も長くなったし、いったん休憩にしないか? せめて、メリーナを着替えさせてやりたい」


 俺は強引に話を打ち切ることにした。

 ただその理由も、ビオラを納得させるには充分だった。


「これは配慮が足りませんでした。お疲れにもなっているでしょうし、しばらくこちらの王宮でゆっくり過ごしてください」


 こうして俺たちは、ひとまずピンクコイン家の王宮に滞在することになった。


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