No.082
<ニュールミナス市/サンダーブロンド家王宮>
ブルトン・サンダーブロンドの死から、早いものでもう一ヶ月になる。
国葬となったブルトンの葬儀も、もう二週間も前のことだ。
悲しみは次第に癒され、サンダーブロンド家の王宮内でも、次の時代を迎える用意が整えられつつある。
そして今日は、いよいよメリーナ・サンダーブロンド継王の即位式だ。
サンダーブロンド家の王宮には、十三継王家の王族を初めとして、貴族、政財界の要人が勢揃いし、これ以上ないほどの賑わいを見せている。
王宮の敷地外にも、この晴れの舞台を見るために、世界中から人々が集まってきていた。
俺は王宮の敷地内を一通り見回ってから、とある部屋の前で立ち止まる。
コンコン。
部屋のドアをノックして、俺は自分の名前を告げた。
すると、すぐに部屋の中から声が返ってくる。
「入って」
部屋の中に入ると、一人の女性が出迎えてくれた。
彼女は背が高く、気品のある佇まいをしている。整った顔立ちの中に、わずかに残っていたあどけなさは、今はもう感じられない。光り輝く金髪は腰よりも長く伸び、かすかに揺れていた。
「メリーナ」
俺がその名を呼ぶと、彼女は少しはにかんだように笑う。
そして自分が着ている衣装を撫でながら、尋ねてくる。
「この格好、どうかな……?」
メリーナが身につけているのは、継王即位式用の衣装だ。
金と黄色を基調としたドレスは、部屋をいっぱいに埋め尽くすほど大きい。動く時は、何十人もの侍従たちが裾を持つことになるという。
ただ、俺の目に留まったのは、ドレスに刻まれたサンダーブロンド家の紋章だ。雷と太陽を象った紋章は、自ら光を放っているかと思うほど輝いている。
それこそが継王の証だった。
「似合ってるよ」
俺は素直にそう告げた。
すると、メリーナは嬉しそうな表情を浮かべ、飛びついてきそうになる。
「待て待て。それはダメだろ」
「あっ……そうだった。せっかく三時間もかけて着せてもらったのに。えへへ……」
部屋に入った時は別人のように見えたが、メリーナはこれまでと何も変わらない。
なんだかほっとしたよ。
「継王になる準備は、もうバッチリか?」
「ううん、そんなことないわ。このドレスの下では、足が震えてるもの」
「そんなんじゃ、先が思いやられるな」
「ひどーい。もっと元気づけてほしいわ」
「グランダメリス大帝王になる時は、今のプレッシャーの比じゃないぞ」
俺は正直に言ってやる。
少し厳しいかもしれないが、半端な慰めは彼女のためにならないからな。
そう思っていたのだが……。
「ふふっ、ライってば、わたしのことが大好きなのね」
メリーナは嬉しそうに笑っていた。
予想外の反応だ。
「なんでそうなる?」
「マナちゃんに聞いたのよ。『センパイは、大好きな子ほど意地悪なことを言っちゃうアレ系男子なんです』ってね」
メリーナは驚くほどアイマナの真似が上手かった。
って、そういう話じゃない。
「アイマナの言ってることをあまり真に受けるなよ」
「うん、おかげで緊張がほぐれたわ」
メリーナは素直に笑っていた。
その笑顔を見てるだけで、俺も安心できる。
ここ最近のメリーナは、なんだか無理してるみたいだったからな……。
「まあメリーナが元気そうでよかったよ」
俺がそう言ってやると、メリーナも嬉しそうな顔をしていた。
しかし、そんな和やかな空気に水を差すように、耳の奥から冷え切った声が聞こえてくる。
『全然よくないんですけど』
……そういえば、アイマナの無線、切り忘れてたな。
『いまセンパイ、無線を切っておけばよかったとか思いましたね』
「聞いてたんなら、さっさと言えよ」
『壁に耳あり障子に目あり、無線にマナありです』
「なに言ってるのかさっぱりわからん」
俺が呆れてつぶやくと、メリーナもアイマナのことに気づいたらしい。
「もしかしてマナちゃんと話してるの? それなら無線も、ちゃんと使えるようになったみたいね」
ここ一ヶ月、アイマナはサンダーブロンド家の協力も得て、無線システムの復旧に勤しんでいた。
結果的にGPAと同じレベルにはできなかったらしいが、ここ2、3日使ってる感じでは、特に問題はなさそうだ。
『メリーナさんにお礼を言っておいてください。あと、マナの真似をする時は、もう少しセンパイへの愛情を込めてほしいと言ってください』
「俺への文句に愛情がこもってるとは思えないんだけど」
『センパイ……』
急にアイマナの声が深刻になる。
また怒らせたのかと思い、俺は軽く謝っておいた。
「悪かったよ。ちゃんと愛情は感じてる」
『嬉しいけど、そんな冗談を言ってる場合じゃないです』
「……何かあったのか?」
俺はすぐに異変を察知し、真剣に問いかける。
その時、どこからか唸るような轟音が聞こえてきた。
窓ガラスがカタカタと激しく揺れ、建物全体が軋むような音を立てる。
『センパイ、外です!』
俺は部屋の窓を開け、上空を見る。
そしてすぐに、その巨大な物体を視界に捉えた。
上空にいるのは潜水艦に似た、無骨な鉄の塊だった。
全体は黒い装甲で覆われ、その周りに幾重もの魔法陣が防護壁のように浮かび上がっている。
「浮遊魔導艦……」
無意識に、その単語が口をついて出ていた。
「あれって……1年前の……」
いつの間にか、メリーナがすぐ横で空を見上げていた。
その横顔を見ていたら、俺の脳裏に1年前の記憶が蘇ってくる。
海上の婚約式、メリーナとの出会い、ドラム・ピンクコインの暴走、そして彼女の記憶を消したこと――。
「ライ、大丈夫?」
いつの間にかメリーナに見つめられていた。
俺は一度、深呼吸をしてから答える。
「ああ、少し考え事をしてただけだ」
「空を飛んでるあの船、見覚えがあるの。1年前に、わたしの婚約式を襲ったのと同じものだと思うわ」
「婚約式……」
「あっ、それは違うの! ライが思ってるようなものじゃなくて……」
「ドラム・ピンクコインだろ」
「なんで知ってるの?」
メリーナが目を丸くする。その金色の瞳を見て、俺はハッとなった。
一瞬、記憶が混同していた。彼女に何を話していいのか、ダメなのか……。
「十三継王家の情報は、だいたいGPAに入ってくるからな」
「そっか……それはそうよね」
俺のその場しのぎの嘘に、メリーナは簡単に納得してくれた。
そして少しだけ照れたような顔で、彼女は言葉を続ける。
「じゃあ、わたしたちが知り合う前から、ライはわたしのことを知ってたのね。なんだか、ちょっとだけ恥ずかしいかも……ふふっ」
無垢な笑顔を向けられ、わずかな罪悪感が生まれる。
俺はそれを誤魔化すように、話を変えた。
「無理やり動いたせいで、せっかくの衣装がくしゃくしゃになってるぞ」
「うん……だけど、もう今日は無理そうだし……」
そう言いながら、メリーナは視線を下に向ける。
確かに彼女の言う通りかもしれない。
王宮の庭に集まっていた要人たちは、すでに大半が撤退を始めていた。
この辺りの判断の早さはさすがだ。
まあ被害を出されるくらいなら、その方がこっちとしてもありがたいが。
浮遊魔導艦はちょうど庭の真上で動きを止めていた。
その無骨な艦から、濁った声が降り注いでくる。
「我々『泥だらけの太陽』の狙いは、『メリーナ・サンダーブロンド』だ。彼女を差し出せば、無駄な血が流れることはない」




