No.081
朝焼けが、サンダーブロンド家の王宮を赤く染めている。
昨夜、サリンジャーと話した後はあまり眠れず、俺は早朝から庭を眺めていた。
「なんだろうな……」
昨日眠りにつく前から、妙な胸騒ぎがしていた。
何かおかしな気配がする。違和感というか、嫌な予感というか……。
そんなことを考えていた時だった。
「陛下が! 陛下が倒れられました!」
切迫した侍従の声が、広い庭にまで響いてきた。
俺は急いで、その声が聞こえてきた方に向かう。
宮殿内に入ると、廊下の先で、メリーナの長い金髪が角を曲がるのが見えた。
「メリーナ!」
俺は呼びかけた。だが彼女は聞こえてないのか、振り向かずに行ってしまった。
少し遅れて追いつくと、すでにブルトンの執務室の前には人だかりができていた。
俺はその群れを掻き分け、部屋の中へ入る。
そこでは医師たちが、床に横たわる一人の老父を取り囲んでいた。
「急げ! 魔法医療に切り替えるんだ!」
「魔法士たちはまだか!」
「ホワイトリブラ家に連絡を!」
医師たちは口々に怒声を張り上げていた。
ブルトンは、深紅の絨毯の上で苦しそうに顔を歪めている。まぶたはきつく閉じられ、呼吸は今にも途切れそうなほど弱々しい。
「ハァ……っ……」
「お父様! お父様!」
メリーナは、ブルトンの身体にすがりつき、必死に呼びかけている。
しかし、どれだけ声をかけても反応はない。
俺はメリーナの横で膝をつき、ブルトンの身体にそっと触れる。
それで、すべてを察した。
「ライ……」
メリーナが悲痛な表情で見つめてくる。
彼女が俺に期待していることは、わざわざ言葉にしなくてもわかる。
でも魔法は万能ではない。
俺は小さく横に首を振る。
メリーナの目から涙がこぼれ落ちる。
「お願いよ……ライ……」
メリーナのかすれた声が室内に響く。
室内は、いつのまにか静まり返っていた。
それまで盛んに指示を飛ばしていた医師たちも、黙ってブルトンを見つめている。
「ねぇ、ライなら治せるでしょ? だってライはなんでもできるもの。どんな不可能なことでも可能にできるもの……」
メリーナは顔をくしゃくしゃにし、俺の腕を引っ張ってくる。危うく倒れそうになるくらい、強い力だった。
「すまない……」
俺は一言だけつぶやく。
その瞬間、メリーナの表情は絶望色に染まった。
メリーナは俺の腕から手を離し、糸の切れた操り人形のように、項垂れてしまう。
すると、ふいにブルトンが目を開け、こちらに向けて手を伸ばしてくる。
「あっ……ぅっ……」
「お父様、少しの辛抱よ! すぐに治してあげるから!」
メリーナは彼の手を取り、必死に呼びかける。
ブルトンは何かを言おうとしているが、どこか痛むのか、声が出てこない。
俺はブルトンの身体の上に手をかざした。
メリーナはわずかな希望を瞳に宿し、見つめてくる。
だが、彼女の期待を裏切りたくはないので、俺は前もって言っておく。
「苦しみを和らげるだけだ」
【安らかなまじない】
俺は魔法を発動させる。
途端に、ブルトンの呼吸が安定し始め、表情も穏やかになってくる。
「あっ……ありがとう……」
ブルトンは俺の目を見すえ、確かな口調でそう言った。
「お父様! お父様……おとうさま……」
メリーナはその言葉を何度も繰り返す。そして大粒の涙を流しながら、父親の身体に抱きつく。
ブルトンはかすかに笑みを浮かべ、娘の髪をそっと撫でる。
そうしながら、彼は俺に話しかけてきた。
「あなたでも無理か……」
「俺は<治癒系>の魔法はあまり得意じゃない。ただ、マリオン・ホワイトリブラが来ても変わらないだろう」
「相変わらず率直な男だ……」
「最後の時間を無駄にしないほうがいい」
俺はそれだけを伝え、口を閉じた。
ブルトンは娘の髪を撫でながら、静かに語りかける。
「メリーナ……聞きなさい……」
「お父様……」
「お前の進む道は……決して平坦ではない……」
「わかってるわ……」
「だが……心配はいらない……。彼が……ついてる……」
「うんうん……」
メリーナはうなずくことしかできなくなっていた。
その長い髪を撫でながら、ブルトンは再び俺のことを見る。
「頼んだぞ……」
彼の言葉に、俺は黙ったままうなずく。
やがてブルトンの瞳から光が失われ始めた。
「メリーナ……お前なら……」
虚空を見つめる彼の声は、今にも消えそうなほど弱々しいものだった。
「おとうさま……」
「きっと……大帝王に……」
ブルトンは最後の力を振り絞るように、震える手でメリーナの頬に触れた。
メリーナもその手を握り、涙ながらに何度もうなずく。
「あいしてるよ……メリ――」
それが、雷王と呼ばれし第三継王ブルトン・サンダーブロンドの最期の言葉となった。
「わああぁぁぁぁぁぁぁ――」
メリーナの慟哭が室内を埋め尽くす。
誰も何も言わず、動くこともできなかった。
時の止まったような空間の中、いつまでもメリーナの泣き声だけが響き続けていた。
◆◆◆
時間はあっという間に過ぎていった。
気づけば、夜更けだ。
俺は一人、ブルトンの執務室に来ていた。今は早朝の騒ぎが嘘みたいに、静まり返っている。
メリーナは泣き疲れ、日が暮れる頃には眠りについた。
彼女なしでも、臣下たちの手により、その後の段取りは忙しなく進められていく。
第三継王の葬儀、そして新たな継王の即位式は、すでに日取りまで決められていた。
個人的にはメリーナを休ませてやりたいが、彼女を取り巻く環境は、一時の休息すら許してはくれない。
この件に関しては、俺も口を挟むような立場にはないからな。
「センパイ……」
ふいに声をかけられ、俺は振り向く。
白銀色の少女も、今日ばかりは笑顔を一度も見せなかった。
「どうだった?」
「センパイの想像通りです。昨晩から今朝にかけて、この王宮内で異常な魔力量を検知していました」
「俺のじゃないよな?」
「もちろん、センパイがブルトン陛下に使った魔法は省いています」
「魔法の詳細はわかるか?」
「魔法の特定までは不可能です。でもマナは<死呪系>だと推測しています」
アイマナの回答は、俺の想像と一致している。
全く嬉しくはないが。
「<死呪系>は、ブラックサイス家が得意な系統だが……」
「ロゼットさんたちにも協力してもらって調べましたが、外からの侵入者はいませんでした」
「ブラックサイス家の人間なら、これほどの証拠を残さないだろう。そもそも、こんなことをする理由がない」
「だったら……なんで……」
「余命いくばくもないブルトンに、あえてトドメを刺した理由か……」
俺はつぶやくように言葉を吐き出す。
すると、アイマナにしては珍しく、激しい怒りを露わにする。
「メリーナさん、すごく泣いてました……」
「そうだな」
「マナは許せません。なんでわざわざこんなことをするんですか……」
「単なる腹いせなのかもしれない……」
「そんなことしてなんの意味があるんですか! 教えてください!」
アイマナが激しい口調で尋ねてくる。
だが、俺は何も答えなかった。
今さら『なんで』とか、『どうやって』とか、詳しいことなんて知りたくもない。
だが『そいつ』には、自分のしたことの報いを受けさせる。
俺はそう胸に誓っていた。




