No.080
サンダーブロンド家の王宮は、門から中に入ると、すぐに広大な庭が広がっている。
深夜ということもあり、人の姿は全くない。
その真ん中で、俺とサリンジャーは二人だけで対峙した。
「久しぶりだね、キャッチーくん」
サリンジャーはそう言うと、穏やかな微笑みを浮かべた。
ぼんやりとした外灯の明かりに照らされ、奴の姿はいつも以上に幻惑的な雰囲気を醸し出している。
相変わらず、何を考えているのか読みづらい男だ。
「なぜ俺たちがここにいるとわかった?」
「君も知ってるだろ? 各方面に潜ませたエージェントの情報網のおかげさ」
サリンジャーはさらりと言ってのけた。
まるで手品の種を明かすように、得意げに。
しかしそのことはもうメリーナに話してあるし、疑わしい奴は遠ざけた。
だから今は、この王宮の情報を得る手段はないはずだ。
となると、潜入してたエージェントは、俺たちが二週間前ここに来た時点で、サリンジャーに報告したということか?
でもそれなら、なぜ今になって尋ねてきた?
そもそも潜入しているエージェントは、GPAを裏切ったはずだ。なのに、まだサリンジャーのために働いているのか?
疑問が頭の中を埋め尽くす。
俺は何を聞くべきか、慎重に考えを巡らせていた。
すると、再び奴の方から口を開いた。
「君は知らないかもしれないから教えておく。GPAは壊滅寸前だよ」
「本部だけじゃないのか?」
「国中の支部が攻撃を受けてる。リアルタイムでね」
「敵は何者だ?」
「それは調査中だよ。ただ、特定には時間がかかるだろうね。こちらも使えるエージェントが随分と減ってしまったからさ。おかげで僕が自ら動かざるを得ないくらいだ」
相変わらず軽い口調で話す男だ。事態の深刻さを正確に把握できてるのか疑わしく感じるほどだ。
ただ、いずれにしろGPAが窮地に陥っているのは間違いない。
そんな大変な状況にもかかわらず、この男がわざわざ俺に会いにきたということは――。
「キャッチーくん。正式に通達する。現在遂行中の任務はすべて中止だ」
ある程度の予想はしてたが、改めて言われると怒りが込み上げてくる。
過去にあれほど偉そうに説教を垂れておきながら、いざ自分たちの組織がピンチになると、あっさり任務を放り出すっていうのか?
「俺はこの任務を途中で放り出すつもりはない」
「GPAという組織を立て直すことの方が先決だ」
「やりたいなら勝手にやればいい。俺は自分の任務に専念する」
「それじゃダメなんだよ。君の任務続行の可否は、組織の立て直しに影響するんでね」
「どう影響するっていうんだ?」
「君の任務が中止になれば、十三継王家との関係が改善する」
「GPAを攻撃したのが十三継王家だと?」
「誰が敵なのかは、もはや問題ではない。我々には、十三継王家の支援が必要なんだよ」
「十三継王家の傘下にでも入るつもりか?」
「必要があれば、あるいは……ね」
サリンジャーの言葉に、俺は耳を疑った。
そんな話、到底受け入れられるわけがない。
長い歴史の中で、この国、そして世界のほとんどを継王家が支配してきた。
彼らの持つチカラは、時に暴走し、無用な争いを生み、そして多くの人間を犠牲にしてきた。
その強すぎるチカラを監視し、必要があれば制御するのがGPAの役目だったはずだ。
しかし十三継王家の傘下に入れば、その役目は果たせなくなる。
大勇者グランダメリスから始まった、GPAの一万年の歴史を振り返ってみればわかる。
そんな判断が下されるわけがないと。
「『聖賢枢密院』の意思は確かめたのか?」
俺はその名を口にし、問いかけた。
すると、サリンジャーの表情が一瞬だけ強張る。
どうやら、俺の想像通りらしい。
だが奴の顔には、すぐにいつもの澄ました笑みが浮かぶ。
「君は何を知ってるんだい? 聖賢枢密院について」
「最終的な決定権を持つのが、あんたじゃないってことくらいは知ってる」
「だから僕の決定には従えないと?」
俺はその質問には答えなかった。
……………………。
しばしの沈黙が流れた。
やがてサリンジャーは、ゆっくりと俺に背を向ける。
「これは僕からの最終通告だよ」
それだけ言い残し、サリンジャーは去っていった。
俺はしばらく、奴がいなくなった後の空間を見つめていた。
その先には、ただ闇が広がるばかりだ。
ふと気づくと、すぐそばにメリーナが立っていた。
他のみんなの姿はない。彼女ひとりだけだ。
「これからどうなるの……?」
メリーナにも、さっきの会話は聞こえていたのだろう。
彼女の表情に不安と哀しみが入り混じっている。
もちろん、俺はGPAという組織の一員だ。その決定には従う義務がある。
だが――。
「俺はメリーナを大帝王にするつもりだ」
「GPAが手を引いても?」
「ああ。ただし、メリーナがやめたいというなら、俺も降りる」
「わたしの気持ち次第ってこと……?」
「正直、この先は何が起きるか予測できない。メリーナにとっても、辛いことが待ち受けてるかもしれない。だから――」
俺が言い終わらないうちに、メリーナが抱きついてきた。
優しい温もりに包まれ、全身から力が抜ける。
「わたし、ライと離れるつもりはないから」
「……いいのか?」
「だってあなたは、わたしが恋する人だもの」
「そうだったな……」
今さらだけど、気づいたよ。
メリーナに選択を委ねる時点で、俺はとっくに意思表示してたんだ。
俺はメリーナの長い髪をそっと撫でる。
と、次の瞬間だった――。
「ライちゃぁぁーん!!」
俺を呼ぶ声と共に、オレンジ色の塊がすさまじい速さで駆け寄ってくる。
そして勢いそのままに、俺の頭の上に飛びついてきた。
「ぁがっ――」
一瞬、首がおかしな角度で曲がった気がする。
しかし俺の頭の上の住人は、そんなことを微塵も気にしていなかった。
「ライちゃん、プリ起きたわね!」
「ああ……悪かったよ、起こしちまって」
結果的に他のメンバーを配置する必要はなかったな。
骨折り損のくたびれもうけってやつだ。
このパターンは、俺たちの仕事には付き物なんだけどな。
とはいえ、プリには通じないか……。
「ライちゃんから嗅いだことのある臭いがするわね」
プリは、俺の頭の上でクンクン鼻を鳴らしていた。
「サリンジャー長官だ。プリも何度も会ってるだろ」
「そうなの? 誰わね?」
プリの返答に、メリーナも堪らず吹き出していた。
自分が所属する組織のトップすら覚えていないとはな。
まったく、プリには恐れ入るよ。
まあ、場を和ませてくれたということで、よしとしておくか。




