No.077
ドドドドド――。
エンジンの振動が腹に響いてくる。
あの島から脱出して、はや一時間ほどが経った。
俺はボート内でシャワーを浴び、食事を摂り、ようやく一息ついたところだ。
甲板に出ると、夜風がさっきよりも冷たく感じられた。
周りは真っ暗闇の海だ。遥か遠くに、ニュールミナス市の明かりが見える。
そこで、ふいにエンジン音が止まった。
アイマナたちが甲板に出てくる。
「ここなら、簡単には見つからないはずです」
アイマナの言葉にうなずいてから、俺はみんなを見回して言う。
「さて、まずは情報共有だ。まずはロゼットたちから。三人は俺と同じ期間、あの古城に捕まってたってことでいいんだよな?」
「ええ。尋問は一日に12時間ほどだったわ。遠慮してくれた方かしら?」
「酷い目に遭わなかったか?」
「ふふっ、わかってるでしょ。あたしの身体に自由に触れられるのはライライだけよ」
ロゼットが思わせぶりに言うので、俺は簡単に一言だけ答えておいた。
「そいつはよかったよ」
「ちょっと! もう少し何かあるでしょ。あたしはライライのために頑張ってたんだからね!」
ロゼットは興奮した様子で突っかかってくる。
と、アイマナが冷めた声でつぶやく。
「ロゼットさんだけは心配する必要ないと思います」
「……マナ。この狭い船の上で、あたしとやり合うつもり?」
「今日は、センパイはマナの味方ですよ?」
「ほぅ……試してあげようかしら?」
こいつらは放っておこう。
俺は紫髪の男に視線を向ける。ジーノは、さっきからうつむき加減で元気がない。それが気になっていた。
「ジーノ」
「はっ、はい! な、なんでしょうか?」
「なんでそんなに怯えてる?」
「な、なんでもないっすよ! オレは何も喋ってないから!」
「怒らないから正直に言え。何を話したんだ?」
「その……仮に、の話としてですよ? あくまで仮定というか、オレの勝手な邪推として、チラッと言っちまったというか……」
「何を?」
「メリーナ様が、ボスにホレてるんじゃないかなぁ……って」
「なるほどな……」
俺は小さくため息をついた。
一方、メリーナはどことなく嬉しそうにしていた。
彼女の感覚は、いまいちよくわからない。
「すんません!」
そこでいきなり、ジーノが床に這いつくばって謝り出した。
「ジーノ、よせ。俺は怒らないって言ったはずだ」
「だってあいつら、何か言わないと痛いことするって言うんすよ! メシだって食わせてくれないしさ。でも、任務に直接繋がることはまずいと思って、他のことはないか考えてたら、そのことが口から出てきちゃって――」
ジーノは甲板の床に額をこすりつけながら、必死に弁解していた。
その動きを、ふいにソウデンが止める。
一瞬、優しさなのかと思ったが、そんなことはなかった。
「謝って済むならGPAは必要ないんだよ」
ソウデンは追い打ちをかけていた。
しかしジーノも、ソウデンには言われたくないといった感じで、睨み返す。
……こっちも放っておくか。
「しかし帝国魔法取締局がジーノの証言を信じたからといって、何があるんだ?」
俺がつぶやくように言うと、隣に座っていたメリーナが反応する。
「ライとわたしが結婚する……って思ったのかも?」
「あり得ないですね」
メリーナの予測をアイマナが一瞬で否定していた。
言われた本人は全く気にしてない様子だが、アイマナの冷え切った声に、俺は少しだけ背筋が寒くなった。
「真面目な話、アイマナはどう思ってるんだ?」
「メリーナさんがセンパイに恋してるって知られたことについてですか? マナは大した影響はないと思いますけどね」
「理由は?」
「センパイが拘束されてから、ほぼ一週間になります。でもメリーナさんの周辺では、あまり変化がありませんでした」
「俺がサンダーブロンド家の王宮を襲撃したことは公表されてないのか?」
「監視カメラの映像は、捏造された証拠ですから。あんなの、公表したところで、裁判で検証すればすぐにバレますよ」
俺はとっくに映像が公表されているものだと思っていた。
だからこそ帝国魔法取締局も、俺に自白を迫ってるのだと思ったが……。
「なんか腑に落ちないな」
「ですね。この事件には、二つの側面があります。一つめは、サンダーブロンド家が古代魔法書を盗まれたということ。二つめは、その犯人をセンパイに偽装したことです」
「一つめはメリーナを大帝王にさせないため。二つめは……俺個人を狙ってのことか?」
「センパイを陥れるためなら、あの映像をすぐにメディアに流してるはずです。真偽はともかく、それだけでセンパイのエージェントとしての命運は尽きますから。あるいは命を狙っていたのだとしたら、絶魔の獄に入れた時に行動を起こしてるはずです」
監視カメラの映像に細工したのは、恐らくGPAのエージェントだ。しかし、その背後で何者かが指示していたのは間違いない。
そいつは、俺を拘束して自白を引き出そうとしていたが、なんのためだ?
「まさかここまでやって、裁判で真っ当に闘うつもりだったなんて言わないよな?」
「そもそも、GPAのエージェントが裁判にかけられることはありません。仮にセンパイがGPAを除籍されたとしても、です」
「待て。俺はまだGPAをクビになってないのか?」
「正式な通達は届いてませんよ。マナたち、チームのメンバーにも」
「どういうことだ? サリンジャーは俺たちを切り捨てたんじゃないのか? だから帝国魔法取締局がオフィスに乗り込んできたんだろ?」
俺が疑問をぶつけると、アイマナは難しい顔をして黙ってしまう。
代わりに、メリーナが口を開いた。
「わたし、お父様に話を聞いたんだけど……」
「そうだ。彼の体調はどうなんだ?」
「あまりよくはないけど、枢密十三議会には顔を出せたわ。そこで今回のことを話して、退位を宣言したみたい」
「残念だが、古代魔法書を盗まれたら、その責任は取らざるを得ないからな」
「それが、退位は認められなかったらしいの」
「……どういうことだ?」
ブルトン・サンダーブロンドが退位すれば、その理由として古代魔法書の件を公表せざるを得ない。
それは、他の十三継王家からすれば、望む展開のはずだが……。
「古代魔法書を盗まれたことを秘密にする代わりに、お父様が継王を続けるよう要請されたんだって」
「そうか……逆なんだな」
メリーナの話で、だいたい合点がいった。
恐らく十三継王家は、変化を恐れたのだ。
俺は初め、ブルトンが継王を降りてメリーナが後を継ぐことは、大帝王になる上ではマイナスだと考えていた。
なぜなら、そうなれば古代魔法書の件を公表せざるを得なくなり、メリーナに対する民衆の支持が落ちると思ったのだ。
だが、冷静に考えてみると、必ずしもそうなるとは限らない。
今回の失態を演じたのは、あくまで現継王のブルトンであり、娘であるメリーナではないのだ。
メリーナは父親の失態で、突如として後を継ぐことになった若き娘。しかも最近、太古の魔獣を討伐するなどして、アイドル的な人気を得ていた人物だ。民衆はむしろ同情する可能性が高い。
それどころか、メリーナの人気がさらに高まることだって考えられる。
だから他の十三継王家は、この件を伏せようとしたのだ。
「だけどそうなると、今回の件を画策したのは何者だ?」
俺はふとつぶやく。
すると、アイマナが俺の思考を読んだかのように答える。
「十三継王家と関わりのない者、ということになりますね」
「フィラデルでも、タツミでもないってことか? その上で、サンダーブロンド家の王宮に侵入できるほどの人物、あるいは団体……」
「泥だらけの太陽」
アイマナがその単語を口にする。
俺はそれでようやく思い出した。
「反十三継王家の思想を掲げる凶悪なテロリスト集団か……」
「彼らなら、王宮に侵入し、古代魔法書を盗み出すことも考えられます」
「俺に偽装する理由もあるにはあるな……」
「ただ、今のところ犯行声明は出てません」
「他のテロリスト集団や、犯罪組織はどうだ?」
「マナが『泥だらけの太陽』の名前を出したのは、センパイが交戦した時の情報があるからです。他のテロ組織に、あれほど魔法が使える者がいるとは思えません」
そこで俺たちの会話は途切れた。
すると、タイミングを見計らったように、ロゼットが声を上げる。
「ねぇ、寝ちゃってるんだけど」
ロゼットに指差され、俺は自分の膝の上を見る。
そこには、オレンジ色の塊が丸まっていた。
「いつの間に……」
「ライライたちの話を邪魔しないようにって思ったんじゃない? プリも意外と健気なところがあるのよねぇ」
ロゼットはプリに対してだけ、評価が激甘だった。
とはいえ、話の腰を折らないでくれたことには感謝しておこう。
おかげで、だいたいの事は把握できた。
「アイマナ、このボートで本部まで行けるか?」
「もちろん可能ですよ。マナたちも、しばらくは近寄ってないですけどね」
「一度、様子を見ておくか。できれば、サリンジャーとも連絡が取りたい」
「長官とコンタクトを取れるかは不明ですが、ではGPAの本部に向かいますね」
アイマナはそう言って、操舵室に向かう。
それから程なくして、ボートは動き出した。




