No.056
メリーナの自宅――サンダーブロンド家の宮殿には、前にも一度来たことがある。
あの時は、メリーナの記憶が消えていないことに驚いたものだが……。
「お父様が待っているのは、この部屋よ」
メリーナに案内され、俺が通されたのは、建物の最奥にある部屋だった。ここがサンダーブロンド家当主、<ブルトン・サンダーブロンド>の私室らしい。
そのわりには調度品も少なく、簡素な部屋に感じた。ソファーやテーブルも地味で、王族らしい派手さからは程遠い。
俺がソファーに座ると、テーブルを挟んで向かいに座る老人が、かすれた声で話しかけてくる。
「何か飲むかね?」
「ありがとうございます。お気遣いなく」
「そうか。本当なら、酒でも飲みながら話したいところだが――ゴホッゴホッゴホッ」
ブルトンが盛大に咳き込む。見るからに体調が悪そうだ。髪こそ綺麗な金色のままだが、身体はやせ細り、顔色も悪い。高齢だとは聞いていたが、どうやら歳だけが原因ではなさそうだ。
「お父様! 大丈夫? 無理しないほうが……」
メリーナが慌てて駆け寄るが、ブルトンは心配いらないといったように手を振る。
「薬を飲めば、しばらくは平気だ。私のことはいいから、お前は部屋から出ていなさい」
「えっ、でも……」
父の意外な言葉に、メリーナが戸惑った様子で俺に視線を送ってくる。
ブルトンがどういうつもりで俺を呼び出したのかわからないが、メリーナに席を外させるということは、それなりに深刻な話なのだろう。
「メリーナ、俺は大丈夫だ。少し暇つぶしでもしててくれ」
俺がそう言うと、メリーナは小さくうなずく。
まだ少し納得してなさそうな顔をしていたが、彼女は大人しく退室した。
部屋内には俺と、ブルトン・サンダーブロンドの二人きりになった。
彼は薬を飲み、それから程なくして、俺の方から話しかけた。
「体調はどうですか?」
「……医者に言わせれば生きているのが奇跡なくらいだそうだ」
「娘さんは知ってるんですか?」
俺の質問に、ブルトンは小さく首を横に振る。
「話してどうなるものでもない。<マリオン・ホワイトリブラ>が自ら診てくれたのだ。しかし魔法治療でも、手の施しようがないらしい」
マリオン・ホワイトリブラは、十三継王家の一つ、<ホワイトリブラ家>の現当主だ。
ホワイトリブラ家は主に<医>、<薬>、<毒>あたりの系統に分類される魔法を得意としている。病気や怪我について、十三継王家同士の対立を無視して治療を行ってくれるため、他の家からの信頼も厚い。
「ホワイトリブラ家でも無理なら、通常の医療でも難しいでしょうね」
「ふむ、率直にものを言う男だな。相手が継王でも遠慮はしないか」
「すみません。無礼な人間だとよく言われます」
俺がそう話すと、なぜか老人は嬉しそうな笑みを浮かべた。
「礼儀は不要だ。かつてのように、親しく話したい」
「……かつて? なんの話かわからないが、それじゃ遠慮なく」
「ああ、お前に慇懃な態度を取られると、本音で話してる気がしないのでな」
ブルトンがそう言うなら、俺も希望に沿うようにしよう。
「さっそくだが、なんのつもりで俺を呼んだ?」
「<ライ・ザ・キャッチー>……今はそう名乗ってるのか?」
ブルトンの質問に、俺はしばらく沈黙した。
その問いにどういう意図があるのか、計りかねていたからだ。
すると、再びブルトンが静かに口を開く。
「やはり何も覚えていないのだな」
「俺たちが知り合いだとでも?」
「うむ。だから警戒しなくていい。お前がGPAのエージェントであることは、以前から知っているし、今さら敵対する気もない」
ブルトンの表情からは寂しさが感じられた。嘘を言っているようには見えないが……。
そこで俺は、核心に迫る質問をすることにした。
「俺たちが知り合ったのは、どれくらい昔のことだ?」
「40年前だよ」
「40年……」
さすがに驚いた。
こういうことは、今までもなかったわけじゃないが、40年とは……。
「仮に知り合いだったとして、なぜ俺の記憶がないと思った?」
「40年前に、お前が言っていたのだ。私の記憶を消した後、しばらくしてから自分の記憶も消すと」
「……確かに任務によっては、完全に終了した後、最低限の情報以外は、俺の記憶からも消すことにしている。しかし、あんたがそのことを覚えてるのはなぜだ?」
「私も長いあいだ忘れていたよ。だが死期が迫っているせいだろうか。最近は走馬灯のように昔の夢をよく見てな。それでお前のことを思い出したんだ」
「そんなことがあるのか……」
記憶消去剤も所詮は魔導薬だ。使い勝手はいいが、実際の魔法よりは効果が数段落ちる。長い時間が経ち、死を目前にして、効果が薄まったということか。
俺がそんなふうに考えていると、ブルトンがかすれた声で尋ねてきた。
「私の娘は知っているのか? お前自身、そしてお前と任務で深く関わった者の記憶が消されることを」
「いいや。話しても彼女の得になることは何もない」
俺がそう答えると、老人は苦笑いしながら、小さくため息をついた。
「本当に変わらないな。お前はあの日……最後に私と話した時のままだ」
「俺たちはなんの任務で知り合った?」
「40年前。当時の私は、このサンダーブロンド家を継いだばかりだった。まだ未熟ではあったが、若くして継王となり、私は自信に満ちていた。そして……グランダメリス大帝王を目指したのだ……」
「それをGPAと、俺が手助けしたって話か?」
「逆だ。お前が助けたのは、当時の私のライバル……フィラデル・シルバークラウンだ」
「…………」
すぐには言葉が出てこなかった。
グランダメリス大帝王は、20年ごとに十三継王家が主導して選挙を行い、選ばれた者がその座に就く。
現在のフィラデル・グランダメリス=シルバークラウン大帝王は、その選挙に2回勝ち、40年もの間、君臨している。
「フィラデルが初めて大帝王になったのを、GPAが助けた……?」
俺がつぶやくように言うと、ブルトンは小さく首を横に振った。
「GPAというよりは、ほとんどお前ひとりの力だよ」
当時のことを思い出そうとしても思い出せない。
40年前の俺は、その記憶を不要だと考え、消したのだろう。
つまり、覚えておくほどのことではなかったということか。
いや……あるいは覚えておくことで、今後の任務に影響が出ることを懸念したのか。
「ライ……と、今は呼べばいいのか。どうやら本気で驚いているようだな」
「さすがに、そんな昔の話を蒸し返されるとは思ってなかった」
「私も驚いたよ。監視カメラの映像で久しぶりにお前の姿を見た時は」
「この前、ここに来た時のことか……」
「私は40年でここまで肉体が衰えてしまった。しかしお前はどうだ? 私と初めて会った時と同じく、若々しいままじゃないか」
ブルトンはわずかに身を乗り出し、俺の目をじっと見つめ、問いかけてくる。
「お前はいったい何者なんだ?」
「…………」
「答えたくないのか、答えられないのか……」
「どちらもだな」
馬鹿みたいな話だが、俺は自分自身のことをあまり知らない。
確かなのは、他の人間よりも長く生きているということだ。それも尋常ではないほどの長い刻を。
だが、その理由はわからない。
おそらく、定期的に自分で自分の記憶を消してきたのだろう。
そしていつしか、そうしている理由すらも忘れてしまったのだ。
「そうか……良い冥途の土産になると思ったのだがな」
目の前の老人も、俺が本気で考え込んでいると理解したらしい。
諦めるように、小さなため息をついていた。
「……俺が何者かなんて、どうでもいいはずだ。なぜ知りたがる」
「神話のような言い伝えが、十三継王家の間では伝わっている。もしかしたらお前の正体は、この国……いや、この世界の根幹に関わっているのかもしれない」
「それは<大勇者グランダメリス>に関わる話になるぞ」
「さすがに、お前が大勇者グランダメリスだ、なんて世迷言を口にするつもりはない――ゴホッゴホッゴホッ」
ブルトンが咳き込む。どうやら少し話しすぎたようだ。
「そろそろ休んだほうがいいんじゃないか?」
「残念ながら、そのようだ……。もっと話したいことがあったのだが……」
「てっきり、娘について何か言われると思ってたんだけどな」
「あの子が自分の意志でやっていることに、文句をつける気はない。まだまだ足りない部分も多いが、フィラデルよりは随分とマシな大帝王となるだろう」
「そんな簡単に、メリーナがグランダメリス大帝王になれると思うのか?」
「お前がついている。その恐ろしさを、私は40年前、身をもって経験したのだ」
ブルトンはそう言うと、さらに激しく咳き込んだ。
するとすぐに、メリーナが医者を連れて部屋に飛び込んでくる。
そして俺たちの会談は終わりとなった。
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