No.049
「この青スーツ野郎が……」
レンジは、怒りのあまり顔が真っ赤になっていた。
顔中をピクピクしながら、まばたきもせずに俺を睨んでいる。
ただ、そろそろ気づいてもらいたいものだ。これ以上やり合うのは、無駄だってことを。
「もういいだろ。この辺りで痛み分けにしないか?」
「ッンだと! オレは危うく雲の上までぶっ飛ばされるところだったんだぞッ!!」
「じゃあ、なおのこと実力の違いがわかったんじゃないのか?」
「テメーがオレより上だって言いてェのかッ!?」
「お前の魔法は、その指輪に刻まれた魔法陣によって発動してるんだろ? だから一見、呪文も使わず、媒介物も使わず、ノータイムで発動してるように見える。まるで無拍子魔法のようにな」
「この野郎が……」
「だが魔法の種類は、指輪の数だけ。せいぜい20くらいか? しかも、指輪に刻まれた魔法陣程度じゃ、大した威力もない。すでに俺は、お前の魔法を何度も防いでる。つまり、お前に勝ち目はないってことだ」
俺は奴でもわかりやすいように説明してやった。
しかしレンジの怒りを鎮めるどころか、余計に油を注いでしまったらしい。
「グギッ……生まれて初めてだぜ。ここまでナメられたのはなァ!!」
レンジの顔には、破滅的な表情が浮かんでいた。もう怒っているのか、笑っているのかもわからない。とにかく激しい感情が渦巻いていた。
「まだやるつもりなら、俺も手加減できないぞ」
「いいぜ? オレも完全にキレちまったからよォ……」
レンジが手のひらに炎を生み出す。
懲りない奴だ。何度やっても、その程度の魔法は通用しないのに。
「【誇らしき番犬の楔】」
レンジが魔法を使う。
と、奴の手のひらの上にあった炎が、大きな鎖を形作った。
炎で作られた鎖はどんどん伸び、海の中へと入っていく。
そして、しばらくしてから突然ピンと張った。
「コイツは、もっと穏便に使うつもりだったんだがな。もう関係ねェ……。ナニもかもぶっ壊してやる!」
レンジはサディスティックな笑みを浮かべ、鎖を思いきり引っ張った。
すると、それまで波も穏やかだった海面が、突如として山のように膨れ上がる。
その膨れ上がった海面の下から、巨大な丸いナニカが姿を現した。
オアッァアッオォアォアッオアッァアッオォアォアッ――。
そのナニカが、この世のものとは思えぬ破壊的な叫び声を上げた。
俺は思わず耳を塞いだ。
ロゼットたちも驚愕の表情を浮かべ、耳を塞いでいる。
ズドンッ……ズドンッ……。
まるで地震のような揺れを起こしながら、ソイツは海からゆっくりと上がってきた。
近くで見ると、その体がとてつもない大きさだとわかる。本当にちょっとした山のようだ。
ソイツは全体的に青黒く、肌は魚のよう。形は球体。足はほとんど球体に隠れていて、わずかに先端が見えるだけだ。
その巨大な球形の体に、グルリと炎の鎖が巻かれている。
ソイツの体の上の方には、皿のような目が二つあった。
その目が、ギョロリと俺たちの方を向く。
「いゃ……ライ……」
メリーナが抱きついてくる。俺の服を掴む手がガタガタと震えていた。
本能的に恐怖を感じているのだろう。
俺だって、こんなにデカいのを見たのは久しぶりだ。
「太古の魔獣……」
俺がつぶやくと、レンジが嬉しそうな顔をする。
そして奴は、宝物でも自慢するように言う。
「スゲーだろ? <ウミボウズ>って言うらしいぜ」
レンジが手に持っている炎の鎖を引いた。
すると太古の魔獣が大きくよろめき、地鳴りのような足音を響かせる。
そして怒りを発散するかのように、空に向けて咆哮した。
オアッァアッオォアォアッオアッァアッオォアォアッ――。
「きゃっ……」
メリーナが小さな悲鳴をあげる。
彼女ほどじゃないにしても、他のみんなも動揺を隠せていない。
「ボス……これ、ヤバくないっすか……?」
ジーノは、その場にいる誰もがわかりきってることを確認してくる。
だが、今はそれにツッコんでる場合じゃない。
すぐにロゼットが、深刻な顔で俺に言ってくる。
「ライライ、禁足地以外で太古の魔獣を発見した場合、即座に近隣の街に避難勧告を出さないと」
「……ここだと、ニュールミナス市か」
俺がそうつぶやくと、耳の奥のイヤーピースからアイマナの声が聞こえてくる。
『センパイ、首相に繋ぎますか?』
「いや、まだ待て」
俺の頭の中で、瞬時に様々な予想が巡る。
避難勧告により、パニックになる人々、断絶されるインフラ、混乱に乗じて暴れ出すテロリスト、縄張り争いによって対応が遅れる各機関、保身ばかり考える権力者たち……。
いまニュールミナスに避難勧告なんて出したら、太古の魔獣が街に着く前に崩壊しかねない。
ならば、いっそ街に着く前に――。
「騒ぐんじゃねェよ」
レンジの声で、思考が遮られた。
見ると、奴の顔にはまた余裕ぶった薄ら笑いが浮かんでいる。
そのふざけた顔を、俺は黙って睨みつけた。
「ホレ、手綱はバッチリ握ってンだろ?」
そう言って、レンジが炎の鎖を引く。
太古の魔獣はよろめき、また激しく咆哮する。
オアッァアッオォアォアッオアッァアッオォアォアッ――。
それでも、太古の魔獣は勝手には動かない。
どうやら奴の言う通り、ちゃんと拘束できているようだが。
「なんで太古の魔獣を捕まえて、わざわざここまで連れてきた?」
「知ってっか? 昔はなァ、大帝王になる奴は、太古の魔獣を始末するのが義務だったんだぜ」
「なぜ連れてきたのか聞いてるんだ」
「大勢の前でぶっ殺した方がインパクトあンだろ? 街を破壊しまくってる魔獣を、オレがカッコよくぶっ殺してやるんだ。そしたらどうよ? フィラデルのセコイ、テロリスト討伐なんて、みんな忘れちまうぜ」
一瞬、聞き間違えたのかと思うほど、レンジの語った話は信じられない内容だった。
「街を襲わせるだと? 本気で言ってるのか?」
「そりゃ、悲惨な目に遭った奴らがいた方が、ドラマは盛り上がるだろ?」
「そんなことは許さない……絶対にな」
「へー、そんじゃまァ、ガンバレよ」
馬鹿にするように言うと、レンジはいきなり炎の鎖を手放した。
「なっ――」
オアッァアッオォアォアッオアッァアッオォアォアッ――。
俺が驚く暇もないうちに、太古の魔獣は内陸に向かって進み始めた。
向かう先にあるのは、ニュールミナス市だ。
「行かせるな! 人がいる区域に着く前に始末しろ!」
俺はプリとロゼット、ジーノに指示を出した。
「はいわね!」
すかさずプリが飛び上がり、太古の魔獣に蹴りを入れる。
ズゴオオォォォンッ!
地滑りでも起きたかのような轟音をあげ、山のような巨体が吹っ飛んでいく。
さすがはプリだ。
と思ったのも一瞬――。
オアッァアッオォアォアッオアッァアッオォアォアッ――。
太古の魔獣は起き上がり、すぐにまた前進を始める。
「ヤベーって! 全然効いてないじゃん!」
ジーノが頭を抱え、半ばパニックになって叫ぶ。
それに対して、プリはほっぺたを膨らませて反論していた。
「プリ悪くないわね! 全力で蹴ったのよ!」
その通り、プリは悪くない。太古の魔獣は、おおむね物理攻撃には耐性があるのだ。
それにプリ自身も、まだ力が回復しきっていないせいもあったのだろう。
「もう一回蹴ってくるわね!」
そう言うと、プリは俺が止める前に走り去ってしまう。
やる気があるのはありがたいが、今のプリでは、太古の魔獣を足止めするのがせいいっぱいだ。
つまり、やるなら魔法しかない。
「ロゼット! 俺たちで仕留めるぞ!」
「全力でやっていいの? 森とか燃えちゃうかもしれないわよ!」
「街が壊滅するよりマシだ」
そうして俺たちは走り出そうとするが――。
「きゃぁっ」
メリーナの悲鳴で立ち止まった。
レンジが、メリーナの腕を掴んでいたのだ。
そして奴のもう一方の手には、炎で作られた長剣が握られていた。




