No.041
俺はメリーナとともに、セントラルホロタワー内の廊下を走って行く。
店を出るのに少し手間取ったせいで、逃げた男はだいぶ遠くにいる。
ただ幸い、辺りを歩いている人の数は少ない。これなら遠慮なく走れる。
「メリーナ、少しスピードを上げるぞ」
俺がそう呼びかけると、メリーナは笑顔で応じる。
「うん、まだまだ余裕よ!」
俺たちが走る速度を上げると、次第に距離が詰まってくる。
逃げる男は、こちらを振り向き焦りの表情を浮かべていた。
俺は走りながら無線に呼びかける。
「見つけたぞ、アイマナ。たぶん魔獣の子だ。ただ、写真と顔が違ってる」
『変ですね。顔の生体パーツは簡単に手に入らないはずですけど……あっ』
「どうした?」
『そのビル、<ホシマチギア>が入ってます!』
「……なんだそれ?」
『魔導ロボット製造のトップ企業ですよ! 最初に量産型魔導ロボットを開発し、世の中に普及させた会社です!』
「魔獣の子も量産型なのか?」
『わかりません。でも量産型なら、生体パーツの替えは手に入りやすいはずです』
「殺人犯としての面が割れたから、顔を取り替えてもらったのか? どんな会社だよ」
『細かい事情はマナにもわかりませんけど……』
アイマナが言いよどんだときだった。
「あっ」
メリーナが小さく声をあげ、立ち止まる。
俺も目の前の光景を見て、立ち止まるしかなかった。
逃げていたキツネ顔の男が、小さな女の子を抱きかかえ、ナイフをちらつかせている。
「来るな! それ以上、近づくな!」
男が怒声を張り上げ、俺たちを牽制してくる。
「きゃああぁぁ!」
「誰かー!」
「おい、警察を呼べ!」
異常な状況に気づいた周りの人たちからは、悲鳴や叫び声が上がり始めた。
「子供の人質をとりやがった」
俺は小声でつぶやき、アイマナに状況を伝える。
『センパイ、魔法は控えてください。魔法さえ使わなければ、帝国魔法取締局は介入してこないはずです』
言ってる場合か……。
と思ったが、メリーナが剣を引っ張り出そうとする気配を察し、俺は止めた。
「メリーナ、ここは俺に任せろ」
「でも――」
メリーナは不満そうだったが、俺は厳しく睨みつけて黙らせる。
悪いが、今は言い合いをしてるほどの余裕はない。
俺は群衆の輪から一歩前へ進み出て、男に語りかけた。
「どうするつもりだ?」
「お前は誰だ?」
男が問い返してくる。その顔を見る限り、やや興奮状態といったところか。
まずは奴を落ち着けたいところだが……。
魔導ロボットが相手だと、行動や感情が読めないな。
「俺の名前はライだ。あんたは?」
「アラン」
「いいか、アラン。その子は関係ない。二人で話そう」
「黙れ! 偉そうにするな、人間ッ!!」
キツネ顔の男が再び大声で叫ぶ。
おかげで、それまで耐えていた女の子が、声を上げて泣き出してしまう。
「うっ……うぅ……うえええぇぇぇぇん」
すると母親らしき人物が、前に進み出て懇願する。
「やめて! お願いです!」
騒ぎにつられ、野次馬がどんどん集まってくる。
それがアランの興奮をさらに高めてしまう。
「黙れ! 殺されたいのか、人間ども! 誰も近づくな!」
アランがナイフを振り回す。
周りを取り囲む野次馬たちから悲鳴があがる。
俺は母親の横に立ち、彼女にだけ聞こえる声で言う。
「必ず助けるから下がっていてください」
母親は俺の言葉に無言でうなずき、後ろへ下がる。
聞き分けのいい人で助かった。
しかしアランはというと、興奮が収まらない様子だ。
「さっきからお前はなんだ! なんのつもりだ! 人間がオレになんの用だ! まだオレをこき使うつもりか!」
アランは怒りに満ちた声で怒鳴りまくる。
その声に、女の子が怯えている。
「うぅ……ママぁ……」
一刻も早く助けてやりたいが……。
「大丈夫だ。あんたに何かするつもりはない」
俺はアランに呼びかけ、一歩後ろへ下がる。
「黙れ黙れ黙れ! 勝手にオレに話しかけるな!」
まずいな。奴の思考が全く読めない。いきなり女の子にナイフを突き立ててもおかしくない状況だ。
『センパイ、相手は普通の人間とは違います。魔導ロボットなんです。バグが起きてたら、話が通じない可能性もあります』
「わかってるよ。でもな――」
俺は小声でアイマナと会話しようとした。
だが、奴はそれを見逃さなかった。
「誰と話してるんだ! お前! 人間! オレを操る! 魔法! ふざけ……ふざけるな!」
アランの様子がおかしくなってきた。
アイマナが言ったように、魔導AIにバグが起きてたら、説得も無駄かもしれない。
強硬策でいくか?
だが、魔法ナシでこの距離から飛びつけば、女の子に被害が及ぶ可能性がある。
俺が対応策を練っている時だった。
「ピイイィ――」
どこからか、鳥の鳴き声に似た甲高い音が聞こえてきた。
一瞬、アランも、周りの野次馬たちも、メリーナも、全員が動きを止めた。
その隙に、俺は小さな声でつぶやく。
「まずナイフを蹴り飛ばせ。次に奴が女の子を掴んでる腕を引き剥がせ。女の子は俺が受け取る。あとは――」
そこでアランが俺の声に気づいたらしく、こっちを見る。
「お前! 喋ったな! 殺してやる!」
奴がナイフを振り上げる。
辺りに悲鳴が響き渡る。
それと同時に――。
タタタタタタッ!
天井から素早い足音が聞こえ、一陣の風が俺たちの上を通り過ぎて行く。
「なっ!?」
アランが天井を見上げる。
その時には、すでにオレンジ色の塊が地面に着地していた。
「まずナイフわね!」
プリがアランのナイフを蹴り上げる。
それから間髪入れずに、プリはアランの腕を強引に引き剥がす。
「ライちゃん!」
アランの腕から離れた女の子を俺がキャッチする。
一連の動きは、周りの人間には見えていなかっただろう。
彼らが瞬きする間に、女の子は俺の腕の中にいた。
ただ、問題なのは、最後までプリに伝えきれなかったことだ。
「……はれ? このあと、どうするわね?」
プリがコテリと首を横に傾ける。
と同時に、アランが襲いかかってくる。
「コロスウウゥゥッ! ニンゲンンンンンッ!!」
俺は女の子をかばいながら、声を上げる。
「ぶっ飛ばせ!」
「ぶっ飛ばすのよ!」
プリがアランに回し蹴りを喰らわせる。
ドゴンッ!
ドラム缶でも潰れたかのような音が鳴り、キツネ顔の男が吹っ飛ばされて行く。
そして奴は、遠くにある店舗に突っ込んだ。
「やったわ!」
メリーナが笑顔で駆け寄ってくる。
周りからも歓声が上がり、女の子の母親が駆け寄ってくる。
「あぁ……ありがとうございます。本当に……なんて言っていいか……」
母親が泣きながら礼を言ってくるが、俺はすぐにその場を離れた。
元々、こっちのせいなのだ。礼を言われる筋合いはない。
むしろ巻き込んでしまって申し訳なかった。
それに、まだ終わったとは言えないのだ。
◆◆◆
俺はアランが吹っ飛んでいった方に向かった。
すぐ後からプリが追いかけてくる。
「ライちゃん、プリやったわね!」
「ああ、さすがだよ」
俺はプリの頭を撫でてやった。
すると、メリーナも隣に追いついてくる。
「わたしは……なにもできなかったわ……ごめんなさい」
そう言うと、メリーナは悲しげな顔をする。
まあ、気持ちはわからないでもないが、あの状況じゃしかたない。
「メリーナもよくやってくれたよ」
俺はメリーナの頭を軽くぽんぽんと撫でてやった。
「えへへへ……そ、そうなのかな?」
メリーナは顔を真っ赤にし、緩んだ笑顔を浮かべる。
その時だった。
アランが突っ込んだ店舗の中で、何かが動いたのが見えた。
「急ぐぞ!」
俺は声をかけ、走り出す。
メリーナとプリもすぐに後を追ってくる。
しかし店舗にたどり着いた時には――。
「どこ行った……?」
魔獣の子の姿はすでになかった。




