案件9:新米アイドルをコーチせよ!?
「わえー。すっごい高いビルです……」
のけぞるほどの高層建築を天辺まで見上げようとして、イトは首に痛みを覚えた。
果たして何階建てのビルなのか。身近な高層建築が学校くらいしかなく、三階建て以上はすべて「たくさん」としか計れない目には正しい答えなど出せもしないまま、入り口の魔法式自動ドアをくぐる。
「いらっしゃいませ。本日はようこそおいでくださいました。最上階にて社長のケンザキがお待ちしております」
「はっ、はい。本日はよろしくお願いいたします!」
受付からして現実と見まごうような商社ビル。さすがにこの女性はNPCだろうが、そのかっちりしたエントランスに、イトたちはたちまち緊張に包まれることになった。
タウン7。つまりイトたちの本拠タウン6の隣町にあたるこの地域で、まるで大黒柱のように突き立つ白いビルディングは、情報クラン〈ソード&ペン〉のホームだ。イトたち〈ワンダーライズ〉は、ワケあってここを訪れていた。
理由はもちろん――。
「これはすごい案件になりそうですよ!」
細かな花の意匠に縁取られたエレベーターの箱の中で、イトは興奮を隠せずに千夜子と烙奈に向かって言い放つ。
案件。先の「〈西の烈火〉事変」の後でメールフォームに送られてきた依頼の一つ。その内容とは、
「それはわかるんだけど大丈夫かなあ……」
「よりにもよって、わたしたちに新人アイドルのアドバイスとは」
千夜子と烙奈が口々に不安を告げ合う内容こそ、メールに書かれていた本日の要件だ。
新人へのアドバイス。〈ソード&ペン〉が推すデビュー前のグレイブアイドルに、ここでの生活のあれこれと助言してほしいという。
しかし、〈ワンダーライズ〉だって結成一月程度のパリパリのニューフェイスだ。新人に新人の教育を託すなど、普通なら考えられない。普通なら。
「いえ、恐らくここの社長さんは、わたしたちが自分でも気づかない才能に目を付けてくれたんです! なんてったって、こんなに大きなホームを買えるくらいのすごい人なんですから!」
イトはあくまで前向きだった。
「〈ソード&ペン〉か……」とつぶやく烙奈。
「大手情報クラン。つまるところ、わたしたちが日々目にしているジャーナルの発行元の一つだ。主に取り扱う内容は攻略系と時事系――わたしたちを傭兵団扱いしている連中の親玉とも言えるな。クランメンバーは上限いっぱいの三百。ここまでくると、会社というよりもはや一つの社会だ」
「うう……。大丈夫かな。エレベーターに乗るまで誰とも会わなかったんだけど。なんか静かすぎて不気味だよ……」
「クランの人たちは軒並み取材に出てるんですよきっと! メールにも〈ワンダーライズ〉様へ、ってはっきり書いてあったし、これは今までのおふざけを清算して、正しくお付き合いしましょうという意志の表れかもしれません!」
ポーンと心地いい電子音が鳴り、シャレた斜めのラインで噛み合っていた扉が左右に開く。最上階――社長室だ。
箱を出ていきなりが、部屋だった。
廊下も衝立もない。エレベーターを降りた直後から赤絨毯で、広大な部屋が視界の左右を超えていく。壁は全面ガラス。まるで展望台か赤い空中庭園にでも入ったみたいだ。
「やあ。わざわざ来てもらって申し訳ない」
絨毯の他にはデスクしかないというミニマルな部屋の奥から、落ち着いた男声がイトたちを出迎えた。
チャコールグレイのスーツに、赤茶のサングラスをかけた中年男性。このホームのオーナーであるケンザキに違いなかった。
「ほ、本日はお招きいただきありがとうございます! メールは読ませていただきました!」
イトは大きな声で挨拶すると、三人揃って深々と頭を下げる。
「や、よしてくれ。こんな偉そうなナリをしてはいるが、同じゲームを愛好するプレイヤー同士、堅苦しい上下関係はよくない。こちらの都合で足を運んでもらったことには心から感謝するよ」
あくまで落ち着いたケンザキの声。アバターをいかに飾ろうと本人の仕草がモロに出てしまうスカグフにおいて、この物腰は彼が現実でも相応に社会経験を積んだ大人であることを想像させる。
これなら、依頼に関してもつつがなく話が進みそうだ。
「そ、それで、わたしたち〈ワンダーライズ〉に、新人アイドルへのアドバイスをしてほしいとのことでしたが……」
「ああ、そうだったね。だがその前に――」
パチン。
「!?」
ケンザキが指を鳴らすと同時に、全方位晴れ晴れとしていたガラスが、瞬時に防御壁じみたシャッターで閉じられた。
室内が一気に暗くなり、足元の間接照明がぼんやりと点灯する。
「ケンザキさん、これは一体……!?」
イトたちがうろたえていると、デスクのケンザキは机上に置いた手を組み直し、
「騙して悪いが仕事だ、〈ヴァンダライズ〉」
「だ、騙して悪いが案件!?」
「やはりか!」
「イ、イトちゃん!」
烙奈と千夜子がすぐさま手元に武器を出現させ、イトと背中合わせに集まる。
「待ってくれ。何か勘違いをしているようだ。君たちに仕事を頼みたいということに変わりはない。これを見てほしい」
薄暗い部屋に非物質のモニターが複数点灯。淡いブルーの髪の可憐な少女があらゆる角度から映し出される。
烙奈は目を細め、
「まさか、その少女を襲撃しろと言うことか?」
「話が早くて助かる……と言いたいところだが、早すぎて目的地をとっくに通り過ぎた。君、彼女を見てどう思う?」
「チョベリ可愛いです! ちゅっちゅ!」
「イトちゃん?」
「イト」
「ありがとう」
速攻で叱る声を向けてくる仲間二人に対し、ケンザキが返してきたのは感謝だった。
「彼女は、わたしの実の娘だ」
『えっ!?』
イトたちは揃って声を上げた。
「彼女は近日、“愛川セツナ”の名でグレイブアイドルとして活動を開始することが決まっている。メールにあった新人へのアドバイスというのは、この子のことだ」
イトは改めてモニターの少女を観察した。
若い――というより幼い。中学生と見積もっても、小学生に寄った顔立ちと体格だ。
滑らかできめ細やかなひたい。左右に分けられたパステルブルーの髪は背中でふわっと広がり、垂れ目がちの双眸が儚げで気弱な印象を与える。
「小規模ではあるが事務所が宣伝を打ち、すでにゲーム内フォロワーは八千人を超えている」
「せ、戦闘力8000以上!? バカな、スカウターの故障です!」
「イトちゃん、それは失礼だよ……」
「現実を受け入れるのだイト」
ちなみにイトたちのゲーム内フォロワーは限りなく2ケタに近い3ケタ。ミジンコ級。
「とは言え、活動前のグレイブアイドルでその人数は確かに多いな。事務所の宣伝も恐らくわたしたちと大きな差はないだろうし、何か裏がありそうだ」
烙奈が淡々と指摘すると、ケンザキは据わりが悪そうに体を揺すり、
「うむ……。実は我々のクランでそれとなく宣伝を流していてね。ほんのちょっと。こっそりとなのだが」
なるほど、そういうカラクリか。大手マスコミクランのほんのちょっとは、象にちょっと踏まれたくらいの威力があるはずだ。
しかし、それは別に悪いことではない。グレイブアイドルはルール無用。打てる手があるのなら何でも使うべき。貧弱一般人のイトたちは、打てる手作りから始めないといけないというだけで。
「ただね……わたしは家族に内緒でスカグフをやっているのだ」
眼鏡の周囲を苦渋のシワだらけにしながら、ケンザキは告白した。
「わたしは家では空気のように目立たない存在でね。こんな大クランの長の片鱗などカケラも見せない、静かなるオトンというわけだ」
『…………』
「なにっ、ギャグの反応がまるでない」
「そんな昭和のギャグをかまされても、令和生まれのピチピチギャルであるわたしたちには通用しません!」
「君には通じてそうだが」
オホンと咳払いするケンザキ。
「とまれ、彼女とうちのクランとの関係が公になってしまうと、わたしの正体もバレてしまう危険性がある。特にママにバレたらわたしはデバイスを取り上げられ、実体化する場所を失ってしまう……。それは絶対に避けたい」
「あー……」
いきなり情けない発言だが、気持ちはわかる。
スカグフは完全な別人になり切ることはできないが、普段は見せない自分の一面を掘り起こせる場所ではある。ここを失うということは、自分の一部を失うに等しい。
「だからこうしてわたしたちを直接呼出し、外部もシャットアウトしたということか?」
「それもある」
烙奈の質問に対し、ケンザキは部分的に肯定する。
「もう一つの大きな理由としては、これが本当に彼女にとって公にするべきではないスキャンダル――いや事件性を含んでいるからだ」
「!」
ただならぬ物言いに、イトたちに緊張が走った。
「これを見てほしい」
愛川セツナの画像が消え、新たな画像が現れる。
そこにも彼女は映っていた。ただし端っこにだ。メインとなる被写体は別にいた。彼女を離れた位置からこっそりと盗み見るような、怪しい人影……。
「これは……」
イトは息を呑む。
「クランのメンバーに頼んで撮ってもらったものだ。証拠として収めた後で、映っている本人にも直接話を聞こうとしたが、逃げられてしまった」
フードで頭をすっぽりと覆ったローブの人物だ。現実世界にいたら目撃証言だけで日本列島を縦断できそうだが、ゲームの中では取り立てて奇異な格好ではない。
隠し撮りっぽいものの、個人を特定できるものではないためAIの削除判定から逃れられたようだ。
「見ての通り、写真は複数の場所、時間帯で撮られている。たまたまそこにいたとは思えない。――ストーカーの可能性がある」
ケンザキの推測に、イトたちは神妙にうなずいた。
アイドルにかかわらず、有名プレイヤーにこうしたつきまといの危険性は常にある。ゲーム内のことなので肉体的な危機はなく、現実の警察が動くはずもないが、精神的――特に未成熟な子供のメンタル的には相当にキツいことのはず。
「君たちに頼みたいのは彼女のレッスンではない。身辺警護なのだ」
「そうきましたかぁ……」
イトだってこの愛川セツナと同じくアイドル。普通なら守られる側のはずだ。しかし、同じ夢を追いかける仲間として、このいたいけな少女の危機を放っておくこともためらわれた。
「君たちの実力はわかっている。先日、〈西の烈火〉のホームで内乱が起こった時、立ち塞がるクランメンバーを片っ端から切り伏せてアイドルたちを無事脱出させ、クラン自体も壊滅に追い込んだという武勇伝は聞かせてもらった」
「そんなことしてませんけど!?」
「なに? では、リーダーとサブリーダーをダウンさせたのは君ではないのかね」
「あっ……いえ、それは……。でもちょっと、誇張があるというか何というか……」
「記事の内容についてはクランメンバーに一任している。情報発信とはいえ、皆、趣味でやっていることだからね。わたしはクラン維持のための単なる雑務長にすぎない」
堂々と無責任発言をした後、ケンザキはおもむろに席を立った。
「頼む。今度、この子のお披露目ライズがある。その時まででいい」
ばんと机に手を突いて頭を下げてくる。大の大人がだ。彼の声は真剣だった。
「娘はこれまであまり積極的に何かをしたことがなかった。しかし、今回は違う。ライズ用のボイストレーニングも受けたくらいに熱心なのだ」
「! ライズ用のボイストレーニングということは、直に歌うということですか?」
ライズの楽曲には一部歌詞が付いているものがある。基本的にはAIシンガーが歌うオリジナルを流しつつアイドルたちが踊る形になるが、中にはあえてボーカル部分を切り、自分の声で勝負する者もいる。
しかしこれは、かなり大胆な方針だった。元の歌が十分良いからだ。本人が歌うということによほどの付加価値がなければ――月折六花くらいに――、かえって観客を興ざめさせてしまうことになる。
「フォロワーはその歌声のサンプルを聞いて集まった人数でもある。決して、わたしが誇大広告を打ったわけではないんだ。親の目を差し引いてもあの子には素質がある。この世界で……いやこの世界から、もっと輝いていけるはずなんだ」
「……!」
それまで埋もれていた人が輝ける。それはとてもいいことだ。
愛川セツナは強力なニューカマーになるだろう。彼女に手を貸すことは、所属事務所からすれば利敵行為にすらなりかねない。しかし……。
「ケンザキさん、セツナちゃんの画像をもう一度見せてもらえますか」
「ああ」
再び現れた愛川セツナは、二度目に見てもやはり可憐で儚げな少女だった。
首筋は白く細く、肩は華奢で、まるで雪の日に湖で見た妖精のよう。不安げな瞳は庇護欲をそそり、体に触れればまるで甘い花の香りがふわっと匂い立ちそうな……。
「わかりました」
イトは唐突なイケボで言った。
「何ができるかはわかりませんが、一緒にいてあげるくらいならお安い御用です」
「本当かい!?」
机から乗り出してくるケンザキ氏。
「ただ、資料としてこのへんの画像全部ください。出してないものもあったらそれも」
「もちろんだ。よーしパパとっておきの一枚も出しちゃうぞ」
「ぐへへ……」
「<〇><〇>」
「びゃう!?」
鼻先数センチ前から千夜子の視圧を受け、イトはのけぞった。
「ご、ごめんなさいチョコちゃん、烙奈ちゃんも。お仕事なのに勝手に決めちゃって……」
「そ、それは別にいいけど……!」
「うむ。イトは〈ワンダーライズ〉のリーダーだ。受けるかどうかの最終判断は任せている。それに、放置するのも寝覚めの悪い話であるしな」
二人が反対しているわけではないと知り、ほっとする。やはりセツナのことが気がかりなのだ。仕事の枠を超えて。
「君たちには感謝しかない。報酬は全額前払いしよう。ああ、今度は早とちりしないでくれよ。あの子への口止め料も込みだ。わたしが依頼したとバレると、このアカウントに勘づかれてしまうかもしれないから。君たちは……そうだな……歌のサンプルを聞いてファンになったということで近づいてもらえると助かる。サンプルデータはすぐに渡そう」
方針は固まった。
「では、善は急げ。早速セツナちゃんに会いに行きましょう!」
※
愛川セツナは〈ソード&ペン〉のお膝元、タウン7にいた。
サンプルで聞かされた歌声は確かに、ホンモノだった。本人の努力もあるだろうが、才能があるというのはこういうことを言うのだろう。水のように透き通り、繊細で、哀切な歌声。聞く者の心の奥まで届き、震わせる声だ。
「あのっ、愛川セツナちゃんですよね? こんにちは!」
イトは朗らかな笑顔を浮かべながら、ストリートを一人で歩くセツナに声をかけた。
画像で見るより軽やかで、透き通る色の髪。今は普段着なのか厚手のゆったりとしたローブ姿で、着られている感があどけなさを加速させる。
少し驚いた表情でこちらを見る少女は、予想通り、期待通りの、か弱く儚い妖精のようで――。
「実はわたしたち、あなたの歌のファンで……。もしよかったら、友達になりたいなって」
「結構です」
ズバッ。
(あれ?)
狭霧のように儚い少女は、思いのほかはっきりと顔をしかめ、思った以上にはっきりとした拒絶の態度でお断りを入れてきた。
「えっ、でも、そのお……」
「あなたたちが何を頼まれたのかは知りませんが」
セツナは忌々しそうに視線をどこかへ向け、
「頼んだのは父ですね」
「ホアッ!?」
バレテーラ。
これは……少し大変なことになるかもしれない。
普通に裏稼業みたいになってきた……きてない?