案件8:反乱の城からアイドルたちを脱出させよ!
「なにこれ閉じ込められたの!?」
「何でPK範囲に捕まってるのよ!」
華やかだった控室は一転、麻のように乱れる悲鳴に包まれた。
開かなくなった扉。突然現れたPKエリア。果たしてこの城で今何が起こっているのか。
しかし何より混乱に拍車をかけているのは、自分たちが閉じ込められていることだとイトは察知した。
ライズ会場で襲撃に慣れているグレイブアイドルたちも、密室でPKに包囲された経験などない。
逃げ場のない不安。急速に膨れ上がったそれが、今にも破裂しそうになっている。
「みんな、落ち着きなさい」
そこに、ぴしゃりと水を打つような声が走った。
聞き洩らす者などないほどよく通る声に引かれ、少女たちは一斉に振り返る。
毅然とした声を放ったのは、イトのすぐ隣にいた結城いづなだった。妹によく似た凛然とした表情で、自分に一点集中したすべての視線を受け止め、続く言葉を場に押し出す。
「慌てていたら逃げる判断もできなくなるわ。まずは落ち着いて仲間の安否確認。できる人は装備を防御構成に変更。すぐにやって」
『はい!』
トップアイドルという知名度を抜きにしても、いづなの言葉には力があった。浮足立っていた少女たちはすぐに指示通りに動き出し、破裂寸前だった混乱が一気にしぼんでいく。
とんでもない統率力。このどっしりとした安定感は六花にもない。
「イトちゃん、今どっしりとかの副詞使った?」
「つ、使ってないですう何でそう思われたのか本当に不思議ですう!」
イトは真っ青になって本心をごまかした。
「まさか、本当に反乱が起きたのか?」
そこに声を挟み込んできたのは、いづなの妹のなずな。彼女が目をやった先には、直前に情報をもたらしてくれた眼鏡の少女が、青い顔で震えているのが見える。今の状況は彼女が言った内容に強く関係しているように思える。
「まだ確定はしていないわ。でも、事前にそうした情報があることはありがたいことよ」
いづなはそう述べると、ユニット同士でまとまり終えたアイドルたちに再度呼びかける。
「みんな、仲間の無事は確認できたかしら。いない人はいないわね?」
『イエッサッ!』
ビシッと全員が敬礼で応える。この一糸乱れぬ統一感。
「それなら次よ。誰か、このホームで変な話を聞いた人はいない? 行き先のグレイブのこととか、クランの不和のこととか」
途端にアイドルたちがざわめきだす。仲間同士で確認し合う者、黙って首を横に振る者、反応は様々だが――。
「あの、いいでしょうか、サー」
一人のアイドルが進み出る。
「何かしら。あと、サーはいらないわ。いづなちゃんって呼んで」
「許してくださいそれだけは!」
「何でよ!?」
「いづな、それより話を……」
六花に言われて渋々引き下がるいづな。
ほっとしたのか、少女が先を話しだす。
「わたし、今回の行き先が〈石園の庭師〉に変更されたって聞きました。メールで伝えられていたお墓とは違うところです」
「〈石園の庭師〉……ハウジング素材の稼ぎ場で有名なところね」
ハウジング。イトもここに来る前に女性シンカーからその言葉を聞いていた。
一人目を皮切りに、ちらほらと別の証言も出てくる。
「あたしは、今回の攻略は準備不足だって話、聞きました」
「クランの副長は最後まで反対してたとか……」
「大手の警備クランはどこも今回のオファーを受けてないって話をどこかで……」
いずれも、眼鏡の少女の証言を裏付ける内容ばかり。
また、案内役だった女性シンカーからその手を話を聞いたという者が多かった。よくあるただの愚痴だとその場では聞き流していたそうだが、ここまで来るとそれはただのぼやきではなく……。
「なるほど。よくわかったわ。みんな聞いて」
いづなが呼びかけると、アイドルたちはビシィと背筋を伸ばして傾聴の姿勢を取る。
「このお城は今、〈西の烈火〉内でのクーデターの真っ最中と思われるわ」
クーデター。少女たちはたちまちざわつきだす。平和な日本ではあまり耳にしない言葉。それに直面するとなるとさらに。
「PKはわたしたちに向けてじゃない。彼らの内部での争いよ」
それは一つの朗報に違いなかった。聞き入る少女たちの顔にわずかばかりの安堵が灯る。
「だとすると、扉に鍵をかけたのも、迂闊に外に出たわたしたちが巻き込まれないよう誰かが配慮してくれた結果かもしれない。希望的観測も入っているけれど……」
良識ある誰かがいてくれたということ。これも一つの安心材料となる。
「わたしたちはひとまず落ち着いて待ちましょう。今は好き勝手に動き回るのが一番危ないわ。PKエリアが解消されたら、即座にファストトラベルで離脱。事情の説明については、後で〈西の烈火〉から直にしてもらえばいい」
全員が納得してそれを了承した。
最初からそれくらいしかできることはない、ということもあったが、自分たちで話し合ってたどり着いた結論というのが大きかった。皆、当初よりずっと落ち着いた顔だ。
「さすがいづなさん……圧倒的なかん――」
「イトちゃん、今貫禄とか言おうとした?」
「ちちち違いますう完璧って言おうとしたんですう!」
「ほんとぉ? まあいいわ。それに、わたしだけの力というわけじゃないから。彼女たちをよーく見て」
小声で促され、イトは室内の少女たちを観察する。
「……よかった。こんな時に〈ヴァンダライズ〉さんがいてくれて」
「このピンチを察知して来てくれたんだよきっと」
「天使かな?」
聞こえてきたのはそんな声。それとチラチラと向けられる熱視線。
「〈ワンダーライズ〉ちゃんが隣にいてくれたから、わたしの話もよく聞いてもらえたというわけ。特にイトちゃんは鉄壁のボディーガードとして女の子たちの間で有名だから」
「ぐへへ……」
アイドルの扱いとしてはいかがなものかと思うが……可愛い少女たちから微熱のこもった目を向けられるのは悪い気分ではない。むしろイイ……!
「イトちゃん?<〇><〇>」
「イト?」
「イトちゃん……」
「しゅ、しゅいましぇん今は緊急事態でしたぁ……」
千夜子と烙奈と六花から同時に圧をかけられイトは縮こまった。いづながくすくすと笑う。
と、その時だ。壁に設置されていた暖炉から突然、人の声がした。
「アイドルの皆さん、遅れてすいません! こちらへ!」
全員がぎょっとなった。暖炉の奥の床が開き、そこから人の顔がのぞいている。
ここまでイトたちを案内してくれた、あの女性シンカーだ。
「イトちゃん、先頭をお願い。わたしたちはしんがりを務めます」
「イエッサ!」
いづなの指示を受け、イトたちは真っ先に暖炉下の隠し通路へと入った。他のアイドルたちもそれに続く。
「一体何が起こってるんです?」
足早に通路を進んでいく女性シンカーに、イトは呼びかける。
「反乱です。サブリーダーがクランを裏切りました」
「本当に反乱が……」
「やっぱり、嗅ぎつけてくれましたね。さすが〈ヴァンダライズ〉」
女性は少し嬉しそうに言った。
ここまで来たらもうイトにもわかる。彼女はこうなる未来を予測していた。その上で、案内中にアイドルたちに断片的な手がかりを与えていたのだ。もしかすると、イベント当日になって急遽メールをくれたのもこの人かもしれない。
「サブリーダーがわざとライズ会場の警備を手配し忘れて、今回の攻略イベントを失敗させようとしたのが発端です。キレたリーダーが決闘を吹っかけて、城内はリーダー派とサブリーダー派に分かれて大ゲンカの真っ最中ですよ」
「そこまでやるんだ……」
千夜子のドン引きな一言に女性は苦笑し、
「ええ、ホント、バカみたいな話なんですけど。サブリーダーは手配ミスをメールフォームのバグのせいにして、別のダンジョンへ行き先を変更させようと持ちかけました。ハウジング勢にとっては都合のいい空墓に」
これでは第十七地区に対して大々的に宣伝を打っていたリーダーは面目丸潰れ。だがそれ以上に、直前になって勝手に行き先を変えようとしたことが大勢に火をつけたとイトは見た。
例えるなら、みんなで遊園地に行こうと約束していたはずが、当日になっていきなり動物園がいいと一部がゴネだすようなもの。その場の空気はもはや毒ガス。行き先がどちらになるにせよ、グループの分裂は必至……。
「クランを割るなら好きにすればいいですけど、問題は皆さんの扱いです。どっちもライズバフはほしいですから」
「それって……」
「ええ。今、ウチのバカたちの狙いは皆さんの身柄です。お互いに牽制しあっている間がチャンス。とにかくPK範囲から出ましょう。この通路を抜ければ安全圏です」
何というか、すごい、
これが本当に遊びの中のできごとなのか。本物の内乱とか革命とかそういう雰囲気だ。気分は戦火から逃れるお姫様。リアル世界でアイドルとしてそういうドラマやイベントに出演するよりも先に、実物さながらの事件に巻き込まれるとは……。ここまで来ると恐怖よりも感心してしまう。
「みんな、もう少しで出口です。頑張って!」
前方に光を見たイトは、後続のアイドルたちをそう励まし、ついに外へとたどり着いた。
――オンラインステータス、いまだ対人戦闘中。城から少し離れた洞窟の入り口には、大勢のプレイヤーが集結していた。
いずれも〈西の烈火〉のメンバーだろう。
先回りされていた……!
「勝手なことをするな、モモ」
二十歳すぎくらいの若い男性プレイヤーが、厳しい声でそう投げかけた。
「アイドルさんたちをつれてどこに行く気ですか?」
もう一人、同じ年代と思しき男性シンカーも似たような言葉をぶつけてくる。
ここまで案内をしてくれた女性シンカー――モモさんというらしい――は、わざとらしいほどの大きなため息をついて、
「リーダーにサブリーダー。ダメでしょこれは。単なる内輪揉めならまだしも、アイドルの皆さんを巻き込むとか」
「いや、それはサブリーダーが悪い。警備の手配をしなかった上に、一方的に予定を変更するなんてどうかしてる」
「そもそもオレは今回の大規模攻略に賛成もしてないですけど? 一部の人間だけで勝手に話を進めたのはアンタだろ」
モモの意見に男二人――リーダーとサブリーダーは即座に反論を述べてきた。至極私的な、彼らの理屈での反論。イトたち巻き込まれた側には一切の釈明にならない。モモのため息は一層深くなった。
「だから、そういうのをクランの外に出すなって言ってんですよ。アイドルの人たち、怖がってましたよ?」
「それは申し訳なかった。けど、原因はサブリーダーで……」
「いきなりPVPで決着つけるとか言い出したのはアンタだろ? 人のせいにすんなよ」
にらみ合う〈西の烈火〉のトップ。それに合わせて、二人の背後のメンバーたちも火花を散らし合う。
両方とも頭に血が上っている。ゲームを“遊んでいる”という感覚は完全に吹っ飛んでいる様子だ。本気の怒りと憎悪のぶつけ合い。その様子に怯えるアイドルたちの気配もあった。
「なら、PKでも何でもして勝手に潰し合ってくださいよ。アイドルの皆さんには帰ってもらいますんで」
モモが言って、集団を迂回しようと足を踏み出す。イトも後続にうなずき、それについていこうとした――が、
「いや、アイドルの人たちに、どちらについていくか決めてもらう」
リーダーが突然そんなことを言い出した。
サブリーダーは一瞬こちらを気遣うような顔を見せたものの、後に引けなくなったのかすぐに「いいですよそれで」の買い言葉。
「はあ!? 何考えてんですかあんたら。いい加減にしてくださいよ」
まるでこちらの怒りを代弁するみたいに、モモが怒鳴ってくれた。しかしリーダーは頑なな顔で、
「いい加減にするのはおまえだモモ。先代と仲良かったからってでかい顔をするな。オレたち〈西の烈火〉は第十七地区の攻略最前線を担っている。他の地区に後れを取らないためにも、オレたちがやらなきゃならないんだ。アイドルの人たちにもそれをわかってほしい」
するとサブリーダーの方が、
「そういうリアルにマジになんのやめてもらっていいすか。オレたちは本気で遊びたいってだけで、そんなキッショい責任感まで押し付けられたくねーんで。アイドルの人たちもお仕事あるでしょうけど、関わんない方がいいですよマジで。あくまでゲームとして楽しんでるこっちの応援お願いします」
二人の目は、はっきりと一人の人物に焦点を結んでいた。
アイドルたちの最後に洞窟から出てきたトップアイドル、月折六花。
バフ能力を考えれば彼女を一番に引き入れたいのは当然。さらにトップを味方につけたのなら、その下も自然とついてくると考えたのかもしれない。
「そ、そんな……」
二方向からの熱視線――というより奪い合いの気配に押され、六花は身をこわばらせた。
こんな身勝手な二択を選ばされる理由なんてない。蹴ってこの場を去って当然。しかし彼女は足がすくんだように動けないでいる。
「いい加減にしてください」
そんな彼女をかばうように立ちはだかる少女がいた。
結城いづな、なずなの姉妹だ。
歳で言えば男性二人の方が上。体格だって違うし、いざという時のキャラパワーも攻略勢とアイドルでは大差だろう。しかし彼女たちは一歩も退かず、
「あなたたちの勝手な争いに巻き込まないで。わたしたちは中立。みんなのためにライズをします」
「クラン内で意見が割れているというのなら、まずそちらで話し合って決めてもらおう。それすらできないのなら、おまえたちに人をまとめる資格はない」
ゲーム内でトップアイドルである彼女たちは、現実の芸能界でも活躍する社会人だ。その経験に裏付けされた二人の意見は、背筋と同じく筋が通って重みがあった。
さすがの〈西の烈火〉のリーダーも一瞬たじろぐ。が、すぐにこの二人を無視するように、結城姉妹の頭上越しに六花に呼びかけた。
「月折六花。我々のために君のパーソナルグレイスを使ってほしい」
『!!!』
その一言による変化は劇的だった。
六花はもちろん、いづなとなずなの表情も一瞬で強張る。
六花のパーソナルグレイス。イトも聞いたことはない。しかし、
「やはりあの噂は本当だったのか」
反応を目撃したリーダーは、わずかに得意げになりながら言う。
「君はライズ専用のパーソナルグレイスを隠したままにしている。オレたちにそれを使ってほしい。グレイブ攻略のために! 君はトップとして、その責任があるはずだ!」
「月折さん!」
「月折六花さん、お願いします!」
リーダーに呼応するように、他のクランメンバーまで声を上げ始めた。サブリーダー側も負けじと叫び出す。その剣幕はまるで、彼女が罪の中心にいるかのようだった。もはや結城姉妹でも止められない。
「い、いや……」
「!? 六花ちゃん!?」
イトは六花の様子がおかしいことに気づいた。こんなふうに詰め寄られたら普通でいられないのは確かだとしても、体はカタカタと震え、瞳の光も弱々しく収縮していく。
「やめてええええッ! いやああああ……!」
ついに、悲痛な叫び声と同時に、六花は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。
はっとなる〈西の烈火〉の面々。
「あなたたち……!」
それを見たいづなの目に剣呑な光が灯った。
「ち、違う。オレたちは責めるつもりはなくて……」
その瞳に気圧されたのだろう。リーダーは、詰め寄ってくるいづなの幻を見たように、手を横に払った。それは、実際にはその場から動かなかった彼女の手前を何事もなく通過した。
のだが。
まるでそれを攻撃と見なしたかのように、その下を潜ってくる影があった。
暗く尾を引く二つの眼光――!
「六花ちゃんに何してくれてんだあああッ!」
「ぐぶぇ!」
地を這うような低姿勢からの急接近。そして胴体への横薙ぎの一撃。
バスターソードの直撃を受け、リーダーは吹き飛んだ。
「えっ……なっ……!?」
反射的に剣を抜こうとしたサブリーダーには、横、斜め、縦の三連斬撃。バスターソードの初期スキル“サンセットブレイド”を叩き込む。
どちらも動きの出かかりを捉えたカウンターヒット。一撃必殺とはならずとも大ダメージを受け、地面に伏す。
〈西の烈火〉の中核メンバーが倒れた地面に、イトは叩きつけるようにバスターソードを突き刺した。
「六花ちゃんをあなたたちの正しさに利用するな! 自分の正しさは、自分で証明しろ! 六花ちゃんを泣かせたあなたたちに、そんなのないですけどね! 帰らせていただきます!!」
ずい、とイトが前に出ると、大手クランはひっくり返ったままのリーダーとサブリーダーを境目にずざざと左右に割れた。
「六花ちゃん、帰ろう」
イトは、千夜子たちに介抱されていた六花の容態を確かめ、彼女を抱きしめた。声もなくしがみついてくる彼女を立たせると、〈西の烈火〉のど真ん中をゆっくりと歩き出す。
夕日の中を去っていく二人を止められる者は誰もいなかった。
※
後日。イトはタウンの片隅にあるNPCカフェに、いづなから呼び出されていた。
元々今日はこの間のお礼を兼ねて、〈サニークラウン〉とユニットデートをする予定だった。それがイト一人だけ早くに呼び出された形だ。
「この前はありがとう。六花ももうすっかり元気になったわ」
「よかった……」
先にテーブルで待っていたいづなから告げられ、イトはほっとする。
あの時の六花の様子はただごとではなかった。その後、モモからのメールにより〈西の烈火〉が大分裂し、解体的出直しになったことが伝えられたが、そんな大事件もどっさり出た迷惑料も、六花のことに比べたら些細なことにすぎなかった。
「六花は、過去にある事件に巻き込まれて、男性恐怖症の気があるの」
「そうだったんですか……」
初めて聞く話だった。ステージで大勢のファンを前にしている時でも、そんな素振りは見せたことがない。
「だから警備に関しては難しいところもあって。あなたが彼女を守ってくれて本当に助かってる。実を言うと専属の契約をしたいくらい。事務所の先輩としては失格だけど」
いづなは自嘲気味に笑い、それからつぶやくように言った。
「六花のパーソナルグレイスには、本物の魔法が宿ってる」
「――!」
「彼女が傷ついたきっかけでもある。でもそれはこの地区での話じゃない。他の地区のこと。あのクランのリーダーはどこかからその噂を聞きつけてきたのね」
地区一つでも日々膨大な情報が飛び交う。他の地区の噂となれば、それはもう外国のローカルな話題にも等しい。一体どういうものなのか。六花はどんなパーソナルグレイスを持ち、それで何が起こったのか。
「……聞きません」
イトは静かに告げた。
「六花ちゃんが知られたくないことを、わたしは知っていたくありません」
「ありがとう。さすが、あの子が慕う子だわ」
いづなはほっとした様子で微笑んだ。
本音を言えば、心配だったからだ。もし自分が六花の秘密を知ってしまい、それで心の中のどこかが変わってしまったら。あるいは、もしどこかでポロッとそれを口にしてしまったら。
六花は深く傷つくに違いない。それはあらゆる代償よりも重い。それを背負ってまで知る価値のある秘密なんて、絶対ない。
「でもそれだと、六花ちゃんは本気のライズができないってことですか?」
六花のパーソナルグレイスは、ライズに関することだという。パーソナルグレイスは、大げさに言えば“生き様”だ。それを手にした六花は正に真のアイドルと呼ぶに相応しい。AIがそう認めたのだ。
しかし、いづなの話を聞くに、その力はどうやら発揮できないらしい。
「大丈夫。あの子はいつでも本気で全力よ」
いづなは確かな自信と信頼を乗せてそう返してきた。
「ゲームの中でも現実世界でもそう。実際、現実の方ではパーソナルグレイスなんてないわけだからね。それでもパフォーマンスは見劣りしない」
「よかった……。六花ちゃんが――あの誰よりも輝いてる六花ちゃんが本気でライズをやれないなんて、可哀想ですから」
いつでも本当の輝きでいてほしい。本当の彼女でいてほしい。それが心からのイトの願いだった。
「本当にいい子ね、イトちゃんは。この地区に来て……同じ事務所の仲間になれて、本当によかったと思う。今後とも、あの子のそばにいてあげてね」
いづながそう言った時だった。
唐突に、焦った足音が、カフェのテーブルに駆け込んできた。ずざざざという派手なブレーキ音。
「いづな!? イトちゃんと何の話をしてたの……!?!?」
六花だった。よほど慌てていたらしく、いつものピシッとした和装が乱れて肩がしどけなく露出している。
「あらあら、バレちゃってたの~?」
ぱっと顔を明るくするいづな。
「なずなに聞いたら、一人でイトちゃんを呼び出したって……!」
なずなさんはそういうこと平気でバラしそう。
「それで、二人で一体何の話を……!?」
「うん。大したことじゃないの。六花がイトちゃんのこと大好きだから、今後とも仲良くしてあげてねって」
「はあっ!!!!!!!??」
ボウンと六花の顔が赤熱し、(///〇▽〇///)みたいな形の蒸気が上っていった。
そのままアワアワし始める彼女の前で、
「六花さん」
イトはイケボを放ちつつ席を立ち、六花の手を取った。
「わたしも六花さんのこと大好きなんで、いつでもお付き合いしますよ」
「つ、つつ、付き合っっ……!?!?!?」
ボウンボウンと連続で発生する蒸気爆発。
「そんな、イトちゃ……だめ、あっ、ああ、あふっ……あひゅううう……」
やがて六花は、ふにゃふにゃと空気が抜けるようにしてその場にしゃがみ込んでしまった。慌てて彼女を抱き支えるイト。その際、間近で見てしまう。
(フオッ!? なんだこれ、エッッッッ! エエエエッッッッッッ!?)
力なく潤んだ瞳、甘く浅い息を繰り返す半開きの唇、火照った少女の体は何やらビクンビクンしており――。
(あっこれもう許されないな)
百合営業法最大違反。イトはシャバの空気との別れを予感しつつ、六花の姿を心のフォルダにしっかりと保存しておくことにしたのだった。
この後のデートで一生手つないでそう。