案件6:パーソナルグレイス
「ただいまー!」
イトは玄関から元気よく帰宅を告げた。
専業主婦の母親からの返事より先に、「おばさん、お邪魔します」と少し間延びした声の千夜子声が続き、いそいそと高校指定のローファーを脱ぐ。
校章の入った紺のブレザーの裾とチェックスカートを揺らしながら足早に階段を上ると、イトは自室に彼女を呼び込んだ。
「どうぞどうぞお入りください」
「し、失礼します」
千夜子が面接でもするみたいに頭を下げて部屋に入ってきたので、イトは少し笑ってしまった。
「緊張しなくても前と何も変わってませんよ」
「うっ、うん。ただ、イトちゃんのおうちにお邪魔するの久しぶりだったから」
「えっ、先月ですよ。でも、言われてみれば何だかすごく前の気もしますね。ホームで一緒のことが多すぎて」
「だね」
イトと千夜子は笑い合った。
その顔立ちと表情は、『スカイグレイブファンタジア』の中とほぼ変わらない。髪の色がおとなしいことと、無用の長物となって久しい素顔隠しの伊達眼鏡くらい。
事務所と契約するにあたり、グレイブアイドルたちはアバターのカスタマイズにも制限がつけられている。
スカグフのキャラクリは現実の自分の姿が初期設定されており、ここからカスタマイズしていく形。イトたちへの制限は、AI判定による本人との誤差5%以内。あまりにも差があるようだと、もし現実世界での活動があった場合にファンの乖離が起きてしまう。
イトも千夜子もそのハードルはクリアしている。ここにはいない烙奈もそうだろう。もっとも、この結果が役に立つのがどれくらい先かはわからないけれども。
「ジャケットはこっちにかけてください」
「あっ、ありがとう」
鞄を置き、ジャケットも脱ぎ、お茶とお菓子を並べてリラックスする。
白詰糸と飯塚千夜子は、幼馴染だ。
ただ、本当に幼馴染んでいるかというと、少々議論の余地がある。近所に住んで小学校も同じだったけれども、親しい交流が始まったのは中学三年生の時、つまり去年のことだ。同じ高校、同じクラス。二人の距離は親友というほどに近い。
はじめに声をかけたのはイト。
そこから距離を近づけてくれたのは千夜子。
そうして今、同じ夢を追いかける離れられない仲となった。
他愛ない会話は何となく続かなかった。この後の大事な時間のためにとってあるみたいに。
今日の学校のことも、クラスメイトのことも、今はあまり話したくない。
手持ち無沙汰のようで、でも居心地はいい。無言を許容できる。いや、共有できる。
「それじゃあ、そろそろ、しましょうか……?」
「う、うん。する……」
イトが呼びかけると、千夜子は覚悟を決めたようにおずおずとうなずいた。
テーブルを挟んで離れていた二人の体が微熱を持って近づき、お互いに同じところに手を伸ばして――。
ジャキン!!
「インするお!」
「な、何語……?」
充電ポートから二人同時に取り上げたゲームダイビング用のヘッドセットを掲げ、イトは堂々と宣言した。
遮光バイザーと一体化したそれを装着し、スイッチを入れるだけで、ユーザーはスカグフの世界にドボン。後は快適なゲーミングライフが認可される。科学の力はどうなっているのかわからないが、とにかくすごい技術だ。
「でも、急にどうしたんですかチョコちゃん。一緒にインしたいなんて」
イトはへらへらと締まりのない笑顔で千夜子にたずねた。
さっきから普段の自室にはない甘いスメルが漂い、イトの表情筋を弛緩させている。千夜子から発される美少女粒子に違いない。し、深呼吸を……いや、こらえるんだ。しかし……。
「急にごめんね。でも、そうしたくて……」
「いえ、全然いいんです、大歓迎ですよ! 最初にダイブした時もそうでしたし……」
イトは〈ワンダーライズ〉が結成される少し前のことを思い出す。
意識を投入する没入型のゲームというのを、千夜子はほとんどしたことがなかった。本格的なのはスカグフが初めて。ゲーム自体をあまりやらなかったという彼女からすれば、二重に未知の体験となる。その不安と緊張をやわらげるために、初期の頃はこうして同じ部屋からインしていたのだ。
「チョコちゃんはベッド使ってどうぞ。わたしはクッションで十分ですから」
睡眠に近いフルダイブは、そこそこ慣れないと上手くいかない。都市伝説なんかでは、悪夢めいた世界に連れていかれるとか、カセット半刺し状態に近いとか、フーフーしろとか、後半二つは意味がよくわからないがとにかく接続不良が起こる。
イトはそれよりもっと単純に、寝違えたことがあった。初心者の千夜子にそんな苦労はさせたくない。
「い、一緒がいいな……」
「え?」
イトが顔を向けると、千夜子はうつむけた顔を赤らめながら、手をもじもじと揉み合わせていた。
「同じベッドで。隣で……手を繋いで。最初の時みたいに。……ダメ、かな」
「エッッッ!!!!」
まずいでしょ。百合営業法的に。タイーホされる。
だから返事は、
「もちろんいいですよ!」
来いよサイバンチョ! 情状酌量なんか捨ててかかってこい!
「よかった」
いそいそと二人でベッドに横になる。
いたって普通のサイズなので、二人で並べばさすがに手狭。自然と肩がぴったりくっつく。
「寝相が悪かったらごめんなさい」
「ううん。いいよ。何でも……許すから」
千夜子の方から指を絡めるようにして手を握ってくる。最初の頃、千夜子の手は強張って震えていた。今は違う。まるで探していた片割れを見つけたみたいに、隙間なくぴったりと重ねる感触。しっかりと手を握り……ていうか、あれ……握が強い!?
「じゃあ、むこうでねイトちゃん……」
「は、はい。また会いましょう」
ヘッドセットをオンにして本格的に没入態勢に入る。
いつもとは違う、すぐ隣に人の体温を感じるゲームイン。
だからだろうか。最後まで、千夜子の吐息がすぐ近くに聞こえていた気がした。
※
ポン、と光が弾け、イトの視界に世界が広がった。
いや、言うほどは広がらなかった。第十七地区タウン6、〈ワンダーライズ〉のホーム。その手狭なリビング。
「おはよう。お疲れ様イト」
声がかけられた。振り向けば、ソファーの上にちょこんと座ったゴスロリ人形、ではなく烙奈。
「おはようございます! お疲れ様です烙奈ちゃん!」
イトは元気よく挨拶した。
何時だろうと最初に会った時はおはようございます、そしていつでもお疲れ様だ。
烙奈はわざわざ紙の形でジャーナルを眺めながら、
「千夜子はまだ来ておらぬよ」
「あれっ、まだですか。でもすぐ来ますよ。一緒にインしましたから」
「ほう?」
烙奈が首をかしげるようにこちらに目を向けたのと同時に、リビングに光が収束した。そこから現れるミニスカ魔法使いの少女。
「ふう」
「おはようございますチョコちゃん。お疲れ様です!」
「おはようイトちゃん。烙奈ちゃん。お疲れ様」
さっきまで一緒だったのに習慣化した社交辞令を挟むのが何だか可笑しくて、イトと千夜子はくすくすと笑う。
「おはよう千夜子。お疲れ様。イトと一緒にインしたと聞いたが、それは?」
「うん、イトちゃんの部屋からインしたんだ。深い理由はないんだけど、何となくそうしたくて」
「そうか……」
烙奈はジャーナルをたたんだ。ゲーム内らしく、新聞紙はブロックノイズとなって消失する。
「つまり二人して仕事前から無駄に百合営業していたということか。では次はわたしも混ぜてもらおう!」
「きゃあ!?」
「烙奈ちゃんの無謀なダイビングヘッド!?」
特殊なミサイルよろしく、高くジャンプした後、頭から垂直に落下してきたゴスロリ少女を、イトと千夜子は慌てて受け止めた。
が、抑えきれずに三人でソファーに倒れ込み、キャッキャウフフとじゃれ合いが始まる。
「お嬢様方、お揃いでございますか」
そこに何事もないかのように現れるイワトビペンギン。スーパーセバスチャン。
彼は、絡まった体勢のまま手を差し出してきた三人に日当の500コアグレブンを支給すると、静かな口調で告げた。
「現在、タウンに“町荒らし”が出没しております。お嬢様方におかれましては、迂闊にバザールなどにお出かけになられませんよう」
イトたちは顔を見合わせた。
町荒らし。その名の通り、町を荒らしに来たPKプレイヤーだ。
しかしいくらPK可能のアウトランドと言えど、こうした町拠点にまで乗り込んでくるのは珍しい。
各プレイヤーのホームは攻撃・侵入不可だし、NPCを狙うなんて人としてあまりにも外道。唯一の利点と言えば、プレイヤー同士でアイテムの売買ができるバザールを荒らすことくらいだが、その場の全員から猛反撃を受けるリスクを考えると多少の自制心は働くはずだ。
それが利かない真の無法者が、現在降臨中というわけだった。
「ヒャハーッ! オレ様の“パーソナルグレイス”は〈タウンキラー〉! 町の襲撃時に対人ステータスに20%ものボーナスが付く選ばれし者のスキルなのだああああ!」
タイヤのない、近未来的な浮遊バイクにまたがりながら、騒音と自己紹介をまき散らす集団が、今、アパート前の通りを突き抜けていった。
と、突然、豚のマスクをつけたアバターが、ポータルからポップアップする。
「気に入らねえタウンがあれば、オレたちに依頼しな! バザールを荒らして経済活動をストップさせてやんぜえ! 依頼のメールフォームはこちらァ!」
町荒らしたちのモニタージャックだ。
この無駄にハイレベルな悪戯を行うには、有償ガチャから排出されるアイテムが必要となる。それを惜しみなく投入することから彼らの本気がうかがえる。
あれはあれで自らを輝かせるプレイングなのだ。限りなく迷惑な極彩色のネオン光だけれども。
「うるさいなあ。せっかく気持ちよくイトちゃんとインしてきたのに……」
千夜子が窓から外を眺めて不満そうにつぶやく。確かに、〈ワンダーライズ〉のまったりタイムはすっかり邪魔されてしまった。しかし、イトは別のことを考えていた。
「でもあの人、ちゃんと自分のパーソナルグレイスを理解できてるんですね」
うらやましい気持ちが素直に湧く。
パーソナルグレイス。
『スカイグレイブファンタジア』のプレイヤーに一人一つ与えられる、固有のスキル。
発芽のタイミングは、プレイ時間にして十日間ほど経過した後。
その内容はプレイヤーのそれまでの行動次第で、思考や性癖まで関わってくるとも言われている。ゆえに狙ったパーソナルグレイスを獲得することは不可能。同じ人間が別のアバターを扱ったとしても同じにはならないのだ。
当たりハズレも大きい。ただ、このスキルは成長と共に変化した。だからプレイヤーはAIからのこの恩恵を大切に育てる。どう育つかもまたプレイヤー次第。
「わたしのこれは、いまだに中身がわからないんですよね」
イトは空中にステータスウインドウを展開する。
様々な能力値の項目に交じり、パーソナルグレイス〈フロートラッカー〉の文字。
「これイト。そういうものはあまり人に見せるものではない」
「二人はトクベツです! あ、でも、二人のを見せろとは言いませんよ。こういうのは普段隠されていて、恥じらいながら見せてもらえることの方が……」
「イト」
「すいませんセクハラこきました……」
烙奈から厳重注意を受け、イトは無駄口をつぐんだ。
「不満に思うのはわかる。パーソナルグレイスは、本人が正しく中身を理解した瞬間に説明のテキストが浮き上がる。古参プレイヤーの中にも、いまだに不明な者もいるという。しかし嘆くことはない。そもそもこれは、“その人らしさ”が能力になったものだ。自分らしく過ごしていれば、自然と成長し、貴女を助けてくれる」
「えっ、烙奈ちゃんが優しいです」
「わたしはいつでも優しいぞ。あえて口にしないだけでな。さあ、外が少々騒がしいが、もう少しおしゃべりでもしようか。二人の学校での話でも聞かせておくれ」
「はい! ささチョコちゃん、こっち来て」
「うっ、うん」
三人で改めて、おしゃべりの体勢に入った時。
爆光が窓枠の形に切り取られて部屋の中を照らした。
続けて、爆発音と震動。
「ホアッ!? 何事ですか!」
「表の通りだ」
三人で窓際に飛びつく。するとそこには、
「ぎゃああああ! お、オレ様のホワイトチェーンソー号がっ!」
横転して黒煙を上げる近未来バイクと、それを見て絶叫する豚マスクの男。
「事故ったんですかね」
「なんと間抜けな。うん……?」
烙奈がふと何かに気づいた。
「いや、あれは……。よく見ろイト」
「ああっ!」
何かが豚マスクの周囲を飛んでいる。
――二体の折り鶴だ。だが折り紙にして大きすぎる。つまりあれは。
「チョコちゃん!?」
「あっ、えっ、あの子たち!?」
千夜子が慌ててステータスウインドウを開示する。
パーソナルグレイス〈絶対防衛ミストレス〉の文字が、起動を示すライトブルーに点灯していた。
「やめ……アーッ! ギャーッ!!」
再びならず者たちの悲鳴。
あの折り鶴は、ソーサラービットと呼ばれる魔法系のサブ武器だ。千夜子が持っているようなステッキとセットで運用され、魔法の詠唱などの隙をカバーしてくれる。ただしそれは最小限のパワーでのはず。
なのに。
ビービービー、ボボボボボ……!
「お、おれのミリタリーアンバランス号があーっ! バザールで5000万グレブンもしたのにいいいいい!」
「ひいいいオレのマンハッタンスペシャル三号も撃たれてる! やめろ、やめて、ぐおおおおお!!」
折り鶴たちはその嘴から放つレーザーで、逃げ回るバイクを執拗に攻撃。その硬そうなボディをあっという間に炎上させていく。
そうして足を奪うと、次は本人たちに狙いを定めた。
「ゆ、許し……ぎょえーっ!」
「何だこの町、悪魔でも住んでるのか――ほぎゃあああ!」
一度でも転倒させられれば、後はまな板の上で切り刻むようにレーザーを浴びせかける。無法者たちは、仲間のライフバーが溶けていくのを茫然と見届けるしかない。
やがて最後の一人がレーザーで滅菌され、通りには静寂が戻った……。
「静かになったね……」
その光景を見下ろしていた千夜子がつぶやくように言う。
イトと烙奈は、お互いの服を掴み合うようにしながらコクコクうなずいた。
千夜子のパーソナルグレイス〈絶対防衛ミストレス〉の機能はわかっている。千夜子を守るためにソーサラービットが全自動で標的を攻撃、撃滅する。その火力、特に攻撃性は一言で言って、異常。
このスキルの発芽過程を、イトは何となく知っていた。
スカグフにインしたばかりの頃、ゲームに慣れるために、事務所からも推奨されてモンスター戦と対人戦を多少やっていたことがある。
ただしあまりにもゲームに不慣れだった千夜子は、戦っているようでいて実は何にもできていなかった。
本人はできているつもりで必死に魔法のステッキを振っていた。しかし、ゲームとしてのコマンドは一切受け付けられていなかった。それに気づかず、イトたちはずっと戦闘を行っていた。結果、芽生えたのだ。
ソーサラービットの方に。
「この主人を放置したらまずい」という危機感が。
多分、わざと彼女と同じ行為をしても、このパーソナルグレイスは発現しない。
また、もし似たようなプレイをしていても、誰かが間違いを指摘してくれたり、それとも上手くいかなすぎて途中でゲームを投げ出してしまうだろう。
千夜子はそうならなかった。ゲーム自体がよくわかっていなかったから。
イトたちも気づかなかった。
千夜子の奇跡的なポンコツプレイが、この極悪非道な能力を生み出したのだ。
当然、これまでのスナッチャー戦でも、折り鶴たちは殺戮の限りを尽くしていた。
ただ、イトのバスターソードと違って人目に付きにくく、千夜子も自覚していなかったため、目立たなかっただけだ。
千夜子のプレイヤーキルカウントを確かめれば、そこには恐ろしいスコアが並んでいる。
傭兵団ヴァンダライズの圧倒的エースにして、影の閻魔様。それは飯塚千夜子に他ならない。
「よかった。これで静かにお話しできる。ね、二人とも?」
邪魔者を完全に町から消し去り、千夜子はにっこりと微笑んだ。
逆光が彼女の顔を暗くする。
イトと烙奈は、より身を寄せ合ってコクコクうなずくしかなかった――。
やっぱりあの写真は正しかったんだ。