案件2:アイドルのお仕事!
赤茶けた荒野に津波のような粉塵が巻き起こる。
猛然と押し寄せる土埃に、しかし集まったプレイヤーたちは臆せず立ち向かっていった。
土中に潜むモンスターが突撃してきている? 違う。その正体は、天から垂れ下がった巨大な鎖だ。無数に伸びたそれらが地面をこすり、砂埃を上げて迫ってきているのだ。
「チョコちゃん! 烙奈ちゃん! 無事ですかあ!?」
イトはその鎖の一本にしがみつきながら、赤茶に染められた視界の中で懸命に仲間の名前を呼んだ。
粉塵はもはや砂嵐の様相を呈している。誰かの姿はかろうじて見えるものの、見知ったメンバーのものでは到底ない。
「ごめんイトちゃん……これ無理……!」
「代わりに……ピンを頼む……!」
かき消される寸前のノイズだらけのボイスチャット窓から仲間の声を拾ったイトは、
「わかりました任せてください! 必ずやアイドルの仕事を成し遂げてみせますから待っていてください! どおおおおおりゃああああ!」
他のシンカーたちに交じり、アイドルがしてはいけない迫真の雄たけびを上げながら、ぶっとい鎖をよじ登り始めた。
※
「事務所からの公式通知が来てますよ!」
その日、予定活動時刻に揃って『スカイグレイブファンタジア』にインしたイトたちを待っていたのは、所属するアイドル事務所からの告知だった。
「アイドルの皆様、スカイグレイブ〈空疎なる湖底〉が二週間ぶりに最接近中です。ライズバフにてシンカーたちを盛り上げ、ファンを増やす絶好の機会。是非とも振るってご参加ください」
事務所所属の全グレイブアイドルに向けた一斉配信だ。これが上位アイドルになると個別の案件も回してくれるというが、弱小の〈ワンダーライズ〉にはここまでが限界。いや、これだって嬉しいくらいだ。この十倍は来る“騙して悪いが系”のメールに比べれば。
「〈空疎なる湖底〉は、前回探索で新たに見つかった二番地底湖が時間切れで調べ切れなかった、ということだそうだな」
ソファーに置かれた――ではなくソファーに座った烙奈が、一グレブンで購入できる有志ジャーナルを目で追いながら状況を伝えてくる。
スカグフにおけるダンジョン探索は、エンドコンテンツの〈灰燼戦区〉などごく一部の例外をのぞいて、すべてが時間制限付きだ。空墓が地区の上空に漂っている間のみ探索が可能で、離脱されてしまえば次の接近を待つしかない。いわゆるシーズナブルイベントの側面を持っている。
ただ、墓が地区を通過してしまったとしても、隣の地区に宝を横取りされるということはない。空墓探索の進行は地区ごとで独立しており、つまるところ地区とは単なるゲームサーバーの呼び名にすぎないのだ。
しかし、攻略一番乗りはどの種のゲームにおいてもプレイヤーの華。攻略情報は地区をまたいで瞬く間に広がり、第一攻略者の名はこの世界の歴史に永遠に刻まれる。
そして、ごくごく稀にだが、全地区共通して一つしか手に入らない至高の宝というのも存在するという。
それを手にした者は、地区どころかゲームという枠を飛び越え、リアル世界で名を残すほどの栄誉が与えられるのだ。
「そうです烙奈ちゃん。だから大手クランもバンバン参加してくるはず。この機を逃す手はありません。というより、今のわたしたちに逃せる機なんて最初から一つもないです!」
「で、でもぉ。一旦離れたお墓を再探索ってことは、最初にあれやらないといけないんでしょ? あの鎖を上るやつ……。あれすっごい苦手……」
やる気を体からはみ出させるイトとは反対に、千夜子は気後れした様子を見せた。
彼女の手元の非物質タブレットには、クラゲのバケモノのような画像が映し出されている。
スカイグレイブは当然、浮いている。ジャンプした程度では届かない。だから、グレイブキャッチャーと呼ばれるプレイヤーたちが、飛行装備だの人間射出装備だのの専用装備でまず上に乗り込み、後続への導線を作るのだ。
大抵は大きな鎖で、以降はそれをずっとぶら下げたまま、空墓は空を漂うことになる。千夜子の見ているバケモノクラゲはつまり、処理を終えた空墓だ。これを登らなければ冒険は始めることすらできない。冒険の前の冒険。これもゲームを司るAI様の差配。
「フッ……大丈夫ですよチョコちゃん! わたしあれ一回しか落ちたことないですから! 頭からだったけど!」
「ヒエッ……」
「一人でも上にたどり着いてピンを刺せれば、後のメンバーはファストトラベルで行ける。わたしたちがダメな時は頼むぞ、イト」
その後、今回の第一エントリー隊はランデブー地点の地形が災いし、準備不足だった何人ものシンカーたちが脱落する大惨事となる。そんな中、明らかに初期装備の少女が一人、飛行用の“エンジェルゴンドラ”も“ルンルンバルーン”もなしに自力のみでスカイグレイブへと這い上がっていったことは、ダンジョン攻略前のちょっとした話題になったという。
※
スカイグレイブ〈空疎なる湖底〉とは、空飛ぶ岩盤の上に広がる乾燥地帯だ。
危険度を示すデンジャーランクは、プレイヤー同士で作る攻略サイトにてC判定。初期装備を卒業できた時点で挑めるお手軽なダンジョンで、無論探索は大昔に完了済み。アイテムも根こそぎ回収され、今はレベリング用のモンスターが徘徊するだけの価値の低いグレイブにすぎない。
が、前節――シーズン8第二節で状況が変わった。
このひび割れた地面の下に、謎の地底湖があることが判明したのだ。
ダンジョン名の「空疎」は乾いた地面、つまり干上がった湖を示していると考えられていた。しかし、実際は隠された地底湖のことだったのである。
デンジャーランクは未調査分も想定して一気にA。ベテランシンカーたちの食指を誘うにも十分な難易度だ。
こういう時間を経ての発見は、AI自動生成のスカグフでは珍しくなかった。
開発AIは何も告知してはくれないし、匂わせもしない。ただ創るだけ。当初からあったのか後付けなのかも定かではない。しかしその奔放さ、無遠慮さがシンカーたちは大好きだった。神様は無責任なくらいが現実的だ。
そして現実の世界では新発見なんてそうそうできる体験じゃない。
この新地下は第十七地区が一番乗りで見つけた。シンカーたちのやる気はフルマックスだ。
「みんな、今日はわたしたちのライズに来てくれてありがとう――」
そのやる気漲る墓荒らしたちを前に、ステージ上の少女は呼びかける。
ウオオオオ……という地鳴りじみた声援がその応答。
「みんなが無事に帰ってこれるよう、全力のパフォーマンスを届けます。受け取って!『ジャイアントキリングを君に』!」
機材なんてどこにもないのにスタートする楽曲。爆発するような激しいイントロに合わせ、少女たちのしなやかな肢体が弾けるように跳んだ。光の粒がその姿を追いかけ、彼女たちの溌剌とした笑顔を際立たせる。
観客のテンションは少女たちに持ち上げられて最高潮に。舞台と客席が一体となった、まさにライブ会場の空気。やがて観客――シンカーたちの頭上に、パワーアップを示すアイコンが点灯し、染み入るように消える。
ライズバフ。
アイドル職だけが持つ、特別な支援能力。
通常の支援魔法は一戦闘で切れてしまうが、アイドルがこのパフォーマンスで授けるライズバフは、フィールドを丸々一つ踏破するまで消えない。しかも他の支援魔法の上限枠にも引っかからないので完全に付け得。
今、そのためのライズダンスを皆に披露するのは、第十七地区のトップアイドル月折六花だ。
あどけないつぼみのように広がる黒のショートボブ。上は紺の和装をSFチックにアレンジしたコスチュームで可憐に見せつつ、下に履いたボーイッシュなホットパンツで躍動感を演出する。この中性さを感じさせるコーデが何とも危うく瑞々しい。
顔に関してはもう神様でもケチのつけようもない完璧な美少女で、少しだけ勝気なように見えて、でも優しくたおやかでガーリッシュで……。
「ああ~。六花ちゃんのライズで今日も栄養素が偏るぅ~」
そんな大盛況のライズを、遠く離れたステージ上からイトは熱烈に眺めていた。
「これイト。今は配信中ではないとはいえ、こちらも一応ライズ中だ。ダンスに集中せんか」
「えぇ、しかしですよぉ烙奈さぁん……」
小声でたしなめてくる烙奈に、イトはどんよりとした目を向ける。
「こっちの客席エリアにはだぁれも来てないんですがぁ……」
ステージから見下ろす地面は無人。乾いた大地のヒビくらいしか数えられるものはない。
「だってしょうがないよぉ……。わたしたちがやってる『草原を駆ける』は、HPと防御力5%アップの初期ダンスなんだしぃ……」
千夜子からの指摘に誰も異論を挟めない。
ライズで使われるダンスは、ジョブの育成やイベント報酬、あるいはアクセサリーなどと同じくガチャで手に入れる。そのため、通常のジョブよりも開始難度が高めだ。
一旦ダンスを手に入れたならば、後はメニューからそのダンスをセレクトするだけで体が勝手に踊ってくれる。レッスンもいらない。
つまりアイドル職でなくとも踊れるわけだが、その場合は単なるエモーションになる。ステージがせり上がり、BGMが流れ、ライト等のエフェクトが付き、バフを配るという豪勢な追加要素は、アイドルにしか成しえない技なのである。
ちなみに、未取得のダンスを頑張って自力でコピーしても、ライズとはならない。ただし、オートモーションで体が踊ってくれている中にアイドルたちが最小限のアレンジを挟むことは可能だ。指先の動き、目や唇のアクション、このゲームのアイドルに詳しい者ほどそういった細部を見逃さない。
六花はそのアレンジがずば抜けていると、イトは確信していた。
誰がやっても同じなはずのオートモーションを、彼女は細部まで自分だけのものにしている。動きの一つ一つが彼女の意志であり、つやつやの肌であり、ぬくぬくの体温であり……。
「うへへ可愛いなぁ六花ちゃん……」
「イトちゃん? 仕事中だよ?<〇><〇>」
「ほわっひゃ!? す、すみません千夜子さん!」
「まあ実際のところ、今の段階で我々のところに来る物好きはおるまいな……。〈サニークラウン〉のライズ範囲から漏れた者でも、こんな隅っこまで足を運ぶ者はいまい」
そう言って、烙奈はフェス会場と化した荒野を見回した。
ライズバフ付与には有効範囲がある。ステージ前の正方形のエリア。この枠に入れなかった者は次のライズまで待つか、別のアイドルのところに行ってバフを受けるかの二択となる。
お客さんを集めるにあたって、場所取りは非常に重要な要素だ。
いい位置につければ、それだけお客さんは集まりやすい。当然、一番人気はダンジョンの入り口前。攻略最前線のシンカーたちに交じってスカイグレイブに一番槍で乗り込んできたイトには、一応、そこを先取りする権利くらいはあった。
「いやだって、さすがに、初期ダンスを六花ちゃんの横で踊ってたら怒られるでしょ……」
「そうだね……」
「そうだな……」
今、ベストスポットには六花たち〈サニークラウン〉が陣取り、その近くには、SFチックなサイバーコスに身を包んだ〈乙MATA〉、お客のリクエストに柔軟に応えてくれる〈バフレシア〉などなど、いずれも地区のトップアイドル――つまり強力なバフを操れる面々が重厚に固めている。
初心者用のバフしかかけられない弱小ユニットの入れる隙間はどこにもない。無理に居座れば、お客さんからひんしゅくを買ってしまうリスクすらある。
「イト、月折六花を観察しているのなら、他のことにも目を向けてみるといい。たとえば〈サニークラウン〉の一曲目『ジャイアントキリングを君に』に対し、〈乙MATA〉は雷属性攻撃10%アップのバフ『エレクトリックモンロー』、〈バフレシア〉は対水棲生物攻撃力7%アップの『珊瑚の槍』をぶつけてきた」
「ほう、雷属性と対水棲生物ですか。大したものですね」
イトはよくわかってないのに知ったような口をきいた。
烙奈が指摘しているのは選曲。すなわちセットリストだ。
本物のライブと同様に、アイドルたちは予定表に沿って複数のライズダンスを披露する。ずっと同じものを踊っているわけではない。
ライズの種類によってかかるバフも変わるため、プレイヤー側も注意が必要だ。違うライズをうっかり受けてしまうと効果が上書きされてしまう。今もステージ脇のモニターに曲目のリストが表示され、シンカーたちはそれをチェックしている。
「六花たちは、前探索で大型モンスターが多く発見されたという調査結果を踏まえての選曲。他二つはより用途に特化したダンスを選んだ。これは自分たちのカラーもあるが、客層にも合わせてきているようだ」
「確かに、〈乙MATA〉と〈バフレシア〉のお客さんたちはそれぞれ似たような装備の人が集まっていますね。六花ちゃんのところは、あんまり統一感ないです」
「彼女はリアルでも顔が売れているほどのホンモノのアイドルだ。集まる客は幅広い。プレイスタイルや、グレイブ攻略という目的すら同じとは限らない。だからバフ対象を絞れば、その恩恵にあずかれない者が出て来てしまう。そういう相手を考慮し、手広くかかるバフを選択したのだろう」
「優しさの塊……!」
「しかし、そうした制限をものともしない自信に満ち溢れたパフォーマンス。追う立場のはずの他のアイドルたちの方が、プレッシャーを感じているようにも見える。同じ場所で踊っていても、かたや現実にも進出したトップアイドル、自分はまだ卵の殻の中。焦ってしまうのも無理はないか」
「烙奈ちゃんすごいね。よく見てる」
千夜子も揃って感心すると、烙奈は少しはにかんだように微笑んだ。
「わたしは貴女たちと違って伊達や酔狂でアイドルをやっているから、一歩引いてものが見られるのかもしれない。何にせよ、あそこはアイドルたちのバトルフィールドだ。わたしたちが立ち入るのは、もう少し後にした方がいいだろう」
大手のおこぼれを狙えるレベルにすらなっていない。バフした人数がそのまま事務所のポイントになるとは言え、お客さんから反感を買っては次がない。
だからイトたちは邪魔にならないよう、このまま隅っこで慎ましく踊ることにする。
知名度は一向に上がらないけど。認知は一向に変わらないけれど。それでもこうしてグレイブ攻略に参加すれば、事務所の提示したノルマカードに花丸を一つつけてもらえる。今はそれが精いっぱい。それにこの角度からなら六花ちゃんもガン見できるしぃ……。
「イトちゃん!?」
「ひゃいいい! なんでバレるのお!?」
そんなこんなで、やる気カンスト勢な第一陣、第二陣を送り出すと、続いてプレイヤー人口の大多数を占める一般エンジョイ勢がライズ会場を訪れる。
この頃になるとライズバフの内容にさほどこだわらないシンカーも出てきて、イトたち〈ワンダーライズ〉の前にもちらほらと観客が現れた。イトは配信用のカメラをオンにする。
「み、皆さん頑張ってください! ライズバフいきます!」
「おー、ヨロりー」
「装備点検してるから、楽にやっていいよ楽にー」
お客さんはゆるゆるだが、それでも自分たちのところに来てくれたこと、それから気さくなコミュニケーションをしてくれたことがイトには嬉しかった。
アイドルでなければ、こんなことすらできそうもなかったから。
バフをかけ終えたシンカーたちは、笑顔で手を振ってグレイブへと向かっていく。
これから命がけの冒険――というと少し大げさだけれど、意識をフルダイブさせるスカグフは緊張も恐怖もリアルだ。
どうか、みんなが無事に帰ってきますように。そう自然と祈りを込めて、イトは手を振って彼らを見送った。
これが、『スカイグレイブファンタジア』のアイドルのお仕事。
どんな人気ユニットでも、どんなに顔を覚えられないほどの大勢のお客さんを集めていても、心を込めてライズをして、シンカーたちを送り出す。
アイドルは一緒に冒険をしない。窮地に回復魔法もかけてあげられない。だから精いっぱいパフォーマンスをして、彼らを支える。
アイドルはきらきらと光り輝くもの。
でもここで輝くのは、アイドルだけじゃない。
みんなだ。
みんなが自分自身を輝かせているのが、イトは好きだ。
このゲームでは多くのものが埋まっている。宝物も、ダンジョンも、世界の秘密も、みんな空の上の土の下。
だけどプレイヤーだって、きっと多くのものを自分の中に埋めたままにしている。
だから、みんなでそれを掘り起こしに行こう。
その手助けができたらと、強く思う。
そうして何度か客を入れ替え、ダンジョン前も落ち着きを見せ始めた頃。
突然、事件は起こった。
「アイドルのみんなお疲れ様でしたァ! 後はオレたちと特別な撮影会をしたら解散していいよォ!」
「ヒャッハー! 最高の曇り顔と無様なKO姿をよこせえ!」
フィールドの出入り口側から響き渡る下卑た声。
「PK! スナッチャーどもだ!」
「警備隊、対応しろ!」
ライズ会場は再び騒然となる。今度は悪い意味で。
PKによる襲撃事件。こうした危険と向き合うことも、ある意味、このゲームにおけるアイドルたちの仕事だ。
第一話をお読みいただきありがとうございました!
第二話にしてもう<〇><〇>が登場するのか……。
 




