案件17:撮影会の夜!
「うわあ、すごい人……」
千夜子が尻込みしてしまうような光景が、イトの視界にもばっちり映っている。
いや、正確にははみ出してさえいる。
砂浜に組み立てられた特設ステージは、イトたちが所属する事務所〈ハニービスケット〉のものだ。それ自体は撮影会とは特に関係なく、開会式の挨拶や集合のランドマークとしての役目を負っている。
問題は、それに横付けされている参加受付け窓口。
誰もが知るスーパーアイドル月折六花の水着姿を自前のSSに収めるチャンス、加えて無料で誰でも参加できるとあって、この時間からとんでもない長蛇の列ができている。
「スパチャも大変そうですねえ」
事務所が用意した交通整理ボットではまったく手が足らず、各ユニットのAIマネージャーまで駆り出されていた。最後尾のプラカードを持って走り回るペンギンたちの姿はどこか愛らしく、イトも他人事のようにのほほんとそれを眺めていたのだが――。
スパチャがこちらに向かって走ってきたことで風向きが変わった。
「お嬢様方、大変心苦しいのですが、事務所から下位ランキングのユニットに、会場手伝いの指示が出されました。このプラカードを持って、行列の整理にご協力いただけたら幸いです」
『えええー』
イトたちは一斉に不満の声を唱和させる。が、事務所の指示は無視できないし、何よりこのままだとイベントがいつまでたっても始められなさそうだ。仕方ない、とお互い渋々の苦笑を交わし合い、イトたちもペンギンたちに加わった。
「最後尾はあちらでーす!」
「こ、ここで立ち止まらないでくださーい……」
「受付を済ませた者は、撮影会が始まるまで速やかに解散を」
懸命に声を張り上げて群集を捌いていく。幸いなことに、プレイヤーたちは皆素直に従ってくれる。ただ、人が途絶えることはない。
遠くで見ていた時も圧巻だったが、間近で見ると怖いくらいの人出だ。
「ちょっと人が多すぎませんか」
「リアルの方で〈サニークラウン〉の人気がまた上がったんだよ。最近、情報番組でもしょっちゅう特集組まれてるから」
「撮影会でも大部分が彼女たちの方に流れるだろうな。が、撮り終わった人々がこちらに流れてくる好機でもある」
「こ、こんな大勢の人の前で水着で撮影かぁ。ちゃんとできるかなぁ……」
緊張した面持ちの千夜子に、イトは朗らかに微笑みかけた。
「大丈夫です。撮影はユニット単位ですし、わたしたちが一緒にいますから。ポーズとかはホームで考えたやつをやって、ネタが切れたらガチャで引いたジェスチャー集で乗り切りましょう!」
「う、うん! 頑張るね!」
手を取り合ってエネルギーを補給しあっていると、ふと、周囲の人々からの声が漏れ聞こえてきた。
「なあ、あのプラカード持ってる子たち、可愛くね?」
「さすが六花ちゃんの事務所。スタッフまで可愛いのかよ」
ピクッ、とイトたち全員の耳が反応した。アイドルイヤーは地獄耳。すかさず三人でくっついてポーズを決め、行列客たちに可愛さをアッピルする。
そう。これは考えようによっては、他のアイドルたちに先駆けてお客さんに見てもらうチャンス。ここで興味を引いておいて、後で「あっ、あのプラカードの子たち、アイドルだったんだ!」となれば、撮影にも来てくれるかもしれない。
そんな期待に胸を膨らませるイトが次に聞いた言葉は――。
「あっ!? あのプラカードの子たち、よく見たら〈ヴァンダライズ〉の人たちじゃん!」
「何でこんなところに……!?」
「バカ、ああやって怪しいヤツを見張ってんだよ! ふざけて並んでるとヴァンダライズ三連コンボ食らうぞ!」
「お、おい知ってるか。あれって、ケルベロスっていう古の殺人連携らしいぜ……」
こちらを見ていた人々は突然ビィンと背筋を伸ばし、一律綺麗に前を向いてしまった。しかもこの現象は後続へと次々に伝播し、多少ばらけていた列が定規で引かれたようにビシビシ整っていく。
「ちょっ……! ええ……!?」
イトたちは困惑した。こっちを見てさえいない。これでは事前アッピル大失敗だ。
「お嬢様方、ありがとうございます! まるで箱詰めされた銘菓ひよこのように完璧な整列でございます! これならば予定通りイベントを開催できるでしょう!」
「はぁ……」
そんなこととはつゆ知らず素直に大感激するスパチャに、イトたちは生返事をするしかなかった。
そして受け付けは無事終了。ステージ上での事務所の挨拶もつつがなく終わり、本日のメインイベントの一つ、個別の撮影会が始まる。
アイドルたちは参加者たちをぞろぞろと引き連れ、各々自分で決めていたスポットに移動。参加者たちが浮かべたボールカメラの前で次々にポーズをとっていく。
これが、カメラを構えた一人一人だったら、カメラマン側の方が卒業アルバムの集合写真みたいになっていただろう。しかし大半の人間は細かい設定をボールカメラのAIに任せ、後方でワクワクしているだけなのでそこまでの混雑はない。ただ、そうであっても〈サニークラウン〉の前はとんでもない人だかりとなっていたが。
一方、事前PRに失敗したイトたちはと言うと――。
「イトさんこっち向いてー!」
「千夜子さん、リラックスリラックスー!」
「烙奈さんはポーズ取らなくても全然イケますから!」
なぜか黄色い声援が飛び交っていた。
撮影者はみんな女の子で、しかもやたらと可愛い。
「あの、これって……」
イトたちは、キャーキャー盛り上がる参加者たちにポーズを決めながら、小声で囁き合った。
「アイドルの子ですよね……?」
「ああ、他の事務所のな。見覚えがあるよ……」
「ど、どうしてこうなっちゃったの……」
「さっきの行列に彼女たちの姿はなかった。どうやら〈ヴァンダライズ〉が“なぜか”撮影会に参加しているという噂が、後から広まったようだな」
他のユニットの客層はどこも男性中心。オールマイティな六花たちのところでようやく半々といったところだ。だが、〈ワンダーライズ〉の前に集まったのはほとんどが女性だった。おまけにみんな美少女となれば、どうしたって目立つ。
しかも、ある意味で内輪の集まりなので、他と比べて明らかに空気が緩い。気楽に歓声が上がり、女子会――いや女子クラスみたいなノリになってきている。後ろの方にいる男性客は、撮影よりもむしろそれらを面白そうに見ている様子だ。
そんな輪の中に、ふと小さな人影が入ってきた。
「こ、こんにちは……皆さん」
「へえっ!? セ、セツナちゃん……!?」
イトの叫び声に、参加者たちの空気がざわと揺らめいた。
「愛川セツナちゃん? 本物の……!?」
「うそっ、どこどこ!?」
「あたし、この間のライズ、向かい側の位置で見ちゃったの。すごかった……」
途端にざわつく撮影者たち。
セツナの名前はアイドルたちの間でも知れ渡っていた。突如として現れた新たなる強敵――ではなく、天使の歌声を持ったホンモノのヒロインとして。
「イトさんたちが参加してるって聞いて、見に来てしまいました」
ボールカメラを大事そうに両手で持ったまま、おずおずとそう言うセツナはもちろん水着姿。可愛らしいレースでたっぷり飾られたスカイブルーのビキニだ。未成熟な細身に無防備なおへそが何とも危うく、そしてキュート。
「かっ、可愛すぎます……! しかしこれはまずい……!」
イトの感想と危惧の通り、セツナの周辺にはただならぬ気配が巻いていた。こんな可愛い生物を女子が放っておくはずがない。このままでは四方八方からもみくちゃにされると思い、イトはつい、セツナの手を取って自分の側へと引っ張り込んだ。
しかし、それがさらなるどよめきの発端となった。
「なにこれ、サプライズ……!?」
「〈ヴァンダライズ〉さんと愛川セツナちゃんのコラボ再び!?」
「マジで無料で撮っていいの……?」
飛び交う憶測。その上、「何か凄いことになってるらしいぞ」と、他の撮影を終えたプレイヤーたちが集まって来て、〈ワンダーライズ〉の撮影場所はお祭り騒ぎに。
「わああ、どうしようどうしよう」
「どうするイト。収拾がつかんぞ」
「ぐぬぬぬ……」
仲間たちの動揺にイトはうなり、
「こうなったら強制解散させられる前に、セツナちゃんとも記念写真です! どうせむこうの事務所に怒られたら消されちゃうし、好き勝手撮りまくっちゃいましょう!」
こうして急遽、愛川セツナを加えた撮影会を強行。本来のイベント趣旨とはだいぶ外れながらも、参加者たちと大いに盛り上がったのだった。
※
夜。満天の星空の下では、寄せては返す波に月の欠片が宿っては散っていく。
昼間は騒がしかった浜辺も今は潮騒が響くのみ。夜風に誘われた人々が、ただただその景色に心を浸している。
本物の夜というわけではない。このスカイグレイブ〈暮れ色の海賊〉では二時間で昼夜が入れ替わるのだ。昼の海も夜の海も堪能できる。そんなAI様の見事な采配。
撮影会を終えたアイドルたちも、夜の間は休憩時間となっていた。
それもただの空き時間ではない。
「おおおおおおお」
イトが歓声を上げたのは、真新しい畳の香る旅館の一室。
プレイヤー有志によって海の近くに建てられた宿泊施設を、事務所が借り切ってくれたのだ。しかも浴衣コスチューム付きで。
「さあ、二時間だけのお泊り会を楽しみましょう」
朗らかに開催を宣言してくれたのは、事務所のオカンこと結城いづな。
部屋は二つのユニットの相部屋となっていて、事務所ランキング最下層の〈ワンダーライズ〉はなぜか頂点の〈サニークラウン〉と同じだった。
客室にはすでに六つの布団が三、三に分かれて敷かれている。
「わたしはここに!」
イトは早速自分の布団を決めて中に潜り込んだ。
「イ、イ、イトちゃんの隣はっ……!」
浴衣姿の六花が、枕を抱きしめながら熱い目線を向けると、イトの両隣の布団から千夜子と烙奈がニュッと顔を出す。
「だよね……」
「でもですよ六花ちゃん」
がっくりとこうべを垂れた六花に、イトは布団からうつ伏せのまま頬杖をつき、
「この位置なら隣と言ってもいいくらい近いです!」
「!!!」
三つずつ二列に敷かれた布団は、お互いの頭を向け合うように配置されている。ちょっと布団を近づけるだけで、向かい側の相手の顔はすぐそこという塩梅だ。
「イ、イ、イトちゃん、浴衣の胸元が……」
真っ赤になった六花に指摘され、イトは浴衣が乱れていることに気づいた。
「あれ、なんかこのコスチューム、着崩れしやすいみたいなんですよね。他のコスはそうでもないのに」
「そ、そそ、そうなんだ。じゃっ、じゃあ、そのままでいいんじゃないかな。仕方ないよね。公式の機能だもんね。うん」
コクコクうなずき、布団に入る六花。そこに、隣の布団のいづなが楽しそうに口を開く。
「それではお泊り会恒例の、怖い話大会始まり~」
「怖い話!?」
ギクウと一番に反応したのは六花だった。
「や、やめようよ。怖い話なんかしても良いことないでしょ。せっかくだしもっと楽しい話を……」
「そう? 怖がってるフリすれば合法的に好きな子にくっつけるのに――」
「お泊り会の定番ははずせないよね。最初に話す人は誰?」
キリッとした顔で六花が開催を宣言。
「では、わたしから行こう」
いづなの妹、なずなが先陣を切る。
……………………。
「――それからその人がどうなったのか、誰も知らない、だそうだ。おしまい」
ほうっ、と暗い室内にため息が漏れる。
「おお、さすがなずなさん。話も不気味だったし、何より話し方が上手です。最後ぞわっと来ました」
「あわ、あわわわ……」
イトが感想を述べる向かい側では、枕を抱きしめた六花が完全に真っ青になっていた。
隣の布団の千夜子もこちらにぴったり身を寄せてきているし、一人目としては素晴らしい滑り出し。
「本当はもっと怖いのがあったのだが、必要以上に気分をサゲてしまっても次のイベントに差し支えるからな。次の人もこれくらいで頼む」
「じゅ、十分怖かったよ、なずな。お願い、次の人はもっと軽いので……」
ぶるぶる震えながら六花が懇願してくる。彼女は怖い話が相当苦手なようだ。
「じゃあ、次はわたしが」とイトが二番手を買って出た。
「怖かったというか、不思議な話をしますね。と言っても、今朝見た夢の話なんですけど」
イトは烙奈から教わったばかりの“裏イン”の話をした。
暗いホーム。誰もいないはずのリビング。そこにただ一人、なぜかいた烙奈。彼女は暗い瞳でじっとこちらを見つめ。そして闇が迫って来て……。
「ふにゃああああ!」
話の途中で、突然六花が悲鳴を上げた。布団をかぶったまま声を震わせる。
「草景さん、何で一人だけそこにいたの……!?」
「わたしにそれを聞くのか……。イトがそういう夢を見たからとしか言いようがない」
「ちなみにわたしはイトちゃんの真後ろにいたんだ」
「きゃあああ! 怖い怖い怖い!」
「あっこれ怖い時のツボに入ってるわ~」
いづながクスクス笑いながら、隣の布団をツンツンつついている。一度恐怖心を抱いてしまうと、箸が転がってるだけで怖くなってしまうものだ。
「六花が限界だから、わたしで最後にしましょうか」
「それはトドメと言うのでは……」
イトの指摘をスルーして、いづなは話し始める。
「みんなが今いるスカイグレイブ〈暮れ色の海賊〉には、こんな噂があるのを知ってる?
ここの海底の隅っこに沈没船があるのは有名よね。そこに一つ、開かずの扉があるの。
まだ誰も鍵を見つけたことはない。
けれどなぜか、開いていたことがあるの。
どうしてかわかる?
簡単よ。“中から誰かが開けた”の。
――ある女の子がね、この沈没船の秘密を調べていたわ。
その子はとある重要な手がかりを発見し、他の仲間たちに内緒で船を訪れていた。扉の奥の秘密を独り占めしようと思ってね。
でも、その日の船内はどこか変だった。
がりがり、がりがり。
誰かが何かを引っ掻いているような音。
女の子は恐る恐る船内を調べたけど、誰もいなかった。残るは一つ、開かずの扉だけ。
女の子は近づいたわ。
そして気づいた。
扉が、少しだけ開いていることに。
周囲は暗い。
女の子は隙間からそっと中をのぞこうとしたわ。
部屋の中も、やっぱり真っ暗で何も見えない。
でもね。
またたいたの。
闇が。
そう、それは目だった。
誰かが部屋の中から、同じように女の子を見ていたの。
女の子が悲鳴を上げた次の瞬間、突然腕をガシッと掴まれ、中に引きずり込まれた。
そして二度と出て来なかった。
その扉は、今でも閉ざされたままよ。そして時折音がするの。がりがり、がりがり。引っ掻くような音。それから女の子の声で、たすけて、って……」
「ぴぎゃあああああああああ!!!!」
絶叫した六花がイトの布団の中に頭からスポーンと滑り込んできた。
「あっ、ちょっ、り、六花ちゃん!? この体勢はさすがに……!?」
「無理無理無理もう全部無理いいいいい!」
布団の中で六花が必死にしがみついてくる。勢いのあまり浴衣がはだけ、イトの顔のすぐ前でも露わになった太ももがバタ足をしている。
それを見たなずなが双子の姉に苦情を述べた。
「いづな。やりすぎた。どうするんだ、これは」
「あ、あら~? よかれと思って怖がらせてあげたんだけど、これは……。まあでもあと二時間はあるわけだし、イトちゃん、その子の回復よろしくね~」
誤魔化し笑いを浮かべると、速攻で寝たふりをしてしまう。
「落ち着いてください六花ちゃん! せめて頭をこっちに向けて……はあああとっても柔らか仕上げェ……!」
ひとまず引っ張り出そうと悪戦苦闘するイトだが、布団の中で六花の体温と混ざり合うと、その顔も自然とにやけていってしまう。
「イトちゃん?<〇><〇>」
「ええい、そんなに出禁チャンスを増やしたいのか貴女は!」
左右からの圧も厚い。
こうして、楽しい旅館の夜はしっとりと更けていった。
イトちゃんがスプリングセンテンスされても「みんな知ってる」で不発になりそう。