案件16:事務所主催の海水浴イベントに参加せよ!
ふと、目が覚めた。
(あれ……。わたしどうしたんだろ)
周囲は暗い。が、おぼろげに浮かび上がる家具類は、ここがホームのリビングであることを告げている。
(そういえば、寝落ちしちゃったんだっけ……?)
記憶が曖昧だ。
イトは目をこすりながら身を起こした。ソファーの上だった。
周囲は暗い。
何か変だなと思ったのは、それが理由だった。
スカグフにも夜という時刻設定はあるが、屋内は常に明るい。
「何で明かりがついてないんですかね」
寝静まったかのような室内。自分の他には誰もいない。多分、現実世界も深夜だろう。
が。
中央のテーブルを挟んで正面のソファー。……誰かいる。
「烙奈ちゃん……?」
体格、服装、そしていつもその席を彼女が使っていることも併せて、何のためらいもなくイトはその結論を口にした。
しかし呼びかけに反応はない。
彼女はいつものようにそこに行儀よく座り、どうやらこちらを見ているようだった。反射する光もない黒々とした瞳がこちらを向き、動かない。
周囲は暗い。
「どうしたんですか。明かりを切ってるんですか……?」
彼女は動かない。本当に人形みたいに。ただこちらを見ている。
周囲は暗い。
どんどん暗くなっていく。
こちらを見ている。
周囲は暗い。
周囲は暗い。
こちらを見ている。
そこで目が覚めた。
……………………。
「ていうことがあったんですよぉ」
「ほう……?」
休日、午前中からのログインというのは何だか最高の気分になれる。多分これが仕事だったら真逆の絶望に浸れるのだろうと想像しつつ、イトは今朝方見たものを仲間たちに説明し終えた。
〈ワンダーライズ〉のホーム。いつも通りに明るいリビング。
「あれは何だったんでしょうかねえ」
「わたしの夢だな。そうか、イトは昨日わたしの夢を見たということか……フフフ」
話を聞き終えた烙奈が、紙のジャーナルに目を落としたまま嬉しそうに微笑む。
「確かにそうなんですけど、本題はそこじゃないというか……」
「わ、わたしは? わたしは出てこなかったの?」
イトが論点を戻そうとしたところで、焦った様子の千夜子が肩でゴリゴリ押してくる。
「そういえばチョコちゃんはいませんでしたね……」
「そ、そんな」
「まあ、ただの夢であろう。気にするほどのこともあるまい」
そう言いつつ、どこか得意げな烙奈に、イトはまだ納得いかない胸の内を明かす。
「夢にしては何だかすごくリアルで、はっきりと覚えてるんですよね。家具の位置とか。つまり今いるここと同じだったということなんですけど……」
「ふむ……。イトは“裏イン”というのを聞いたことがあるか?」
イトは首を横に振った。
「ある種の都市伝説だが、プレイヤーはスカグフにログインする際、睡眠に極めて近い状態になる。それがデバイスの不具合あるいは本人の体調などによって本当に寝てしまった場合、本来のスカグフではない世界――“裏”に連れていかれる、と、そういう怪談だ」
「裏……!!」
言われてみれば、あの暗いホームは何だか裏世界というのがぴったりの空気だった気がする。そこになぜ烙奈がいたのかは謎だが。いやもしかするとあれは――。
「そうか、わかった!」
千夜子がいきなりポンと手を打った。
「チョコちゃん、何か気づいたんですか!?」
「うん! その夢のわたしの居場所!」
「そこ!?」
彼女は自信満々に言い放った。
「わたしはね、イトちゃんの後ろにぴったりくっついてたんだよ! だからイトちゃんは気づかなかった!」
「チョコメリーさん!?」
「怪談に怪談を重ねると途端に笑い話になるな」
烙奈は嘆息するように笑うと、広げていたジャーナルをそっと空中に手放した。ブロックノイズとなって消滅する。
「さて、朝から怪談というのもなかなか乙だったが、そろそろ本日の活動に入ろうか。二人とも、今日は何の日かもちろんわかっているな?」
イトと千夜子は揃って答えた。
『アイドル合同海水浴イベントの日!』
※
「神イベントオオオオオオオ!!」
燃える太陽。白熱する浜辺。わざとらしいほどのヤシの木と、こういうのでいい入道雲のすべてが揃った海水浴場の入り口でイトは叫ぶ。
スカイグレイブ〈暮れ色の海賊〉は、巨大な海を湛えたダンジョンだ。
海底ごと浜辺をナイフでカットして持ってきたような大胆不敵なデザインで、基底部の突端からは海水が常に滝となって流れ落ちている。これではいずれ上の水が尽きてしまいそうに見えるが、落ちた水は空墓の下を通り、まるでウォータースライダーのように上部へ循環するという摩訶不思議ぶり。実際、流れに乗れば滑り台として遊ぶこともできる。
つまるところこれは、話がわかるAI様が用意してくれた、ダンジョンとは名ばかりのアミューズメントパークなのだった。
「今日から始まるゲーム内イベントは本来、ガチャで当てた水着がないと参加不可。前回はそれで涙を飲みました……でも今回は、運営会社様がレンタル水着を用意してくれたというのです!」
「それに合わせて、うちの事務所もアイドルの合同撮影会及びビーチイベントを企画、か。我々のような発信力のないアイドルにとって、こういう公式イベントはありがたい」
「撮影会……うう、緊張する……」
イトはひたいに手をかざして周囲を遠望する。
イベントが始まるまでまだ時間があるにもかかわらず、海水浴場は盛況だった。飲食系のクランが屋台を並べ、中にはハウジング素材で自作した海の家を持ち込んでいるガチ勢も。普段はダンジョン攻略なんてせずに生活系に明け暮れている人にも、このグレイブは大人気だ。
「お嬢様方、混まないうちにあちらの更衣室で着替えるというのはいかがでしょうか」
スパチャが砂の上をサクサク歩きながら言った。
真夏のビーチに合ってるのか合ってないのかよくわからないペンギンの顔に、尖ったサングラスがギュピーンと光る。今回は事務所主催ということもあって彼も同伴。情報伝達など実にマネージャーっぽい仕事を担当してくれる予定だ。
「うん、行きましょうチョコちゃん、烙奈ちゃん!」
イトたちが向かった先は、浜辺にどんと置かれた掃除ロッカーのような個室の群れだ。これが更衣室となる。コスチュームチェンジはメニューから一瞬でできるため、本来ならこんなものは必要ないのだが、それでは味気ない……とサービス精神旺盛なAI様が用意してくれた。
きっちりと服を着た女の子が、水着を持って個室に入りカーテンを閉める。わずかな衣擦れの音が聞こえ、静寂。再びカーテンが開いた時、そこに隠されていたものをすべてさらけ出したビーナスが現れるのだ。その感動のプロセスをフイにするなんて、イトには考えられない。ショートケーキとイチゴをミキサーにかけるような暴挙っ……!
一応実務的なことも言うと、ここは水着を試着する最初で最後のチャンスでもある。事前に配信されたカタログは穴が開くほど眺めたものの、実物を着るとなればやはりイメージとのギャップは生じる。レンタルは各人一回のみ。もし途中で気に入らなくなってしまったら「シンカーよガチャを回すのです……」との声に従い、マネーを吐き出すしかなくなる。失敗はできない。
「ばばーんです!」
イトは颯爽と更衣室から飛び出た。
南国を思わせる華やかな花柄のビキニ。パレオとのセット商品だ。
一目見た時からこれしかないと思った。恐る恐る試着してしっくり来た時は思わずガッツポーズ。
バザールだったら数千万はするだろう。本来手が届かないアイテムであるということも嬉しさに拍車をかけた。
「ほう、似合っておるなイト」
一番乗りかと思ったが、更衣室の外にはすでに烙奈が待っていた。
「おほふ!?」
フリルをふんだんにあしらったディープブルーのビキニ。普段はゴージャスなドレスに隠されていて見えない華奢な体が露わになり、その白さと水着の妖しい対比が夜の妖精のような神秘性を醸し出す。
「烙奈ちゃんも、すっごく、可愛いですよ、ぐへへ……」
「そ、そうか。ありがとう。この手のものは着たことがないので、選ぶのに苦労したよ」
少し照れくさそうな様子も犯罪可愛い。今度からホームは水着着用にしようかとイトが真面目に考えていると、最後に残った更衣室のカーテンが恐る恐る開く。
「イ、イトちゃん。これでいいかな……」
「エッッッッッ!!!???」
未知の衛星が二つ、この星にやって来ていた。
満開のサクラがプリントされたピンクのビキニ。しかしそれよりも、それを身にまとう本体の方があまりにも豊穣の大地。
「これは怒首領蜂・大豊作ですよ!」
「何語!?」
イトにもよくわからないが、とにかく実っている。ミニスカ&ニーソというそれはそれで全然悪くない封印が今解かれ、すべてが瑞々しくそれでいて自由奔放に輝いていた。
「むう、これは、ムッチリとしていてハリのある、それでいて清涼感も……」
イトはまじまじと観察しつつ、千夜子のまわりをぐるぐると回る。
これが普段服の下に隠れているのは人類の損失なのでは? いや、露出している方が浪費と言えるのかもしれない。ムチムチプリンからしか得られないダークエネルギーというのは多分きっと存在する。難しい。これは地球のエネルギー問題を左右する課題だ……。
「千夜子さん、地球の未来のために、ちょっとここ触ってみてもいいですか?」
「ふあっ!? ハ、ハイ……」
ぎゅっと目を閉じる千夜子。ぐへへと手を伸ばすイト。
「やめんか」
ベシとイトの頭が叩かれた。烙奈が手に持った宇宙ザメの浮き輪だ。これだけは以前のビーチイベントの際にガチャで当たったのだ。これだけが。
イトはそれで正気に戻り、
「ハッ、わたしは何を……。あっそうだ、すっごく可愛いですよチョコちゃん! 滅茶苦茶似合ってるし、これしかないというベストチョイスです!」
「ほ、ホント……? ありがとう……」
かあっと頬を赤くなった頬を手で押さえながら、千夜子は微笑んだ。
「イトちゃんもすごく可愛いよ。ずっと見ていたいくらい。えへへ……」
「わっ、ありがとうございます! わたしもチョコちゃんのことずって見てたいですよ。ぐへへ……」
「へへへ……」
「ブヘヘ……」
「二人揃ってBANされたいのか? わたし一人を残して」
再びの宇宙ザメの攻撃により、二人は正気に戻る。
周囲の更衣室からは、続々と水着姿のシンカーたちが出てきていた。自前の水着を持っているプレイヤーも、せっかくだからと新商品を試している様子だ。
「あれ……」
ここでイトはふと、あることに気づいた。今回配信された水着は十種類にも及ぶ。しかし形状に偏りがあった。別に肌面積が増えるのは嬉しいことしかないのでかまわないのだが、どれもこれも……。
不意に着信音が鳴った。目の前で小さく開いたウインドウにはメガホンのマーク。フレンドからのボイス通信だ。表示されている名前は、
「あっ、六花ちゃんからです!」
事務所ぐるみのイベントとなれば、その看板娘である六花がいないはずがない。イトはすぐに音声を繋いだ。
「おつか――」
「イ、イトちゃん!? もう水着になってるの!?」
言いかけた挨拶は一瞬で吹き飛ばされた。叫ぶような六花の声だ。
「すぐ行くから!」
一方的にそう伝えると、通話は切れた。
「イトちゃん、あれ」
千夜子に肩をつつかれ、振り返ってみれば、砂浜から立ち上る砂煙。こちらに迫ってきている。
「あっ、きっと六花ちゃんですよ。来るって言ってました!」
「それはいいんだけど……。月折さんすごく遠くから走り出したね」
「よくイトに気づいたものだな」
ズドドドという砂煙はだいぶ遠い。少なくともここから六花の様子はほぼ見えない。
……………………。
数分が経過した。
「まだ走ってますね……」
「さ、さすがに迎えに行った方がいいんじゃないかな!?」
「急ごう」
イトたちも小走りで六花へと向かう。当然、あんな砂煙なんて立たない。
てっきりホバーボード的な乗り物を使っているのかと思ったが、近づくにつれてはっきりとわかった。ガチでウオオオオと走っている。
そしてさらに数分後、ついに合流を果たした。
「イトちゃん、水着……す、す、すっごく可愛い……よ」
長い距離を爆走してきたためか、ハアハアと息を荒くする六花。顔も赤く、今すぐ海水に浸した方がいいのではないかと思われるほどだ。
そんな彼女は、オフショルダーの白のトップに、ローライズなホットパンツ風アンダー。可愛さと躍動感を両方押し出すような、実に月折六花らしい水着だ。ファンたちがこれを見たら、こぞって同じものをレンタルするに違いない。そしてバザールの販売価格がケタ一つ増える。
「ありがとうございます! 六花ちゃんも、すんごく似合ってて可愛いですね!」
「! あっ、あぁ、ありがとう……嬉しい……」
元から赤かった顔がさらに赤くなる。恥じらう乙女のような仕草で破壊力はさらに加速した。
「はぁぁ可愛いなあ六花ちゃんは。ずるいくらい可愛い。いや実際ずるいですよこれは! ちょっとくらいもらえませんかねえ!」
「……っっっ!」
シュボオオオオオと六花の全身から湯気が上がる。
「も、もらって……くれますか……?」
「ハイ喜んで!!」
「じゃあ、イ、イトちゃんの、お好きなところからどうぞ……」
「うひょお!」
「やめろと言っておるだろ! ええい、今日はこういう役回りか!」
飛びつこうとしたイトと、それから無駄にのぼせている六花の両名に、本日早くも三度目を数える宇宙ザメのツッコミが入る。
「あらあら、イベント前からみんなパワー全開ね~」
そこに現れたのは、〈サニークラウン〉の残りのメンバー、結城いづなとなずなの双子姉妹だ。
イトたちはたちまち一列に整列すると、「おはようございます! お疲れ様です!」と挨拶する。姉妹は同じく礼儀正しく返礼しつつ、
「六花も飛ばしすぎよ。さすがに追いかける気にならなかったわ」
「せめてもう少し近づいてからイトに気づいてくれ」
「ご、ごめん」
謝る六花に、二人はクスクスと優しく笑う。
大人びた二人は(一コ上)、それぞれ赤と青のリボン付きビキニでソツなくまとめていた。普段は巫女服なのでわかりにくいが、この二人も千夜子に負けず劣らずの豊体。間にいるバランス優良児の六花が小振りに見えてしまうほどだ。
「あれ、やっぱりなんか……?」
改めて、新たに現れた〈サニークラウン〉の三人を見てイトは考え込む。
「どうかしたのイトちゃん?」
「はい、いづなさん。何だか今回、みんなビキニだなって。ワンピース型の水着がないんです」
「いいところに気づいたわね。でもこれには理由があるの。ほら――」
言って、いづながメニューウインドウを開いて何かを操作した。直後、彼女の体がデジタルな光線に包まれる。その後に現れたのは――。
「!? よ、鎧……!?」
メカニカルな意匠のアーマーだ。ただ、鎧と呼ぶにはあまりに部分的というか、隙間だらけでスッカスカ。
「ビキニアーマーに移行できるのよ、これ」
「ビキニアーマー!!?」
ビキニアーマーとは、とってもビキニなアーマーのことである。
当たらなければどうということはないという防御面積が最大の特徴。別に他の装備だって鎧部分が特別硬いかと言われれば、防御力的には均一なのだが、それでも露出の方がメインではないかと思えるほどに、肌色部分が強調されている。
「そ、そんな機能があったなんて」
「AIが無告知で実装したからね。気づいた人から大騒ぎを始めるわよ。この機能を使ったイベントもあるそうだから、楽しみにしておいてね」
悪戯っぽく微笑むいづな。彼女はすでに何かを掴んでいる様子だ。もしかすると彼女は、事務所のおかん的立ち位置から、企画立案に一枚噛んでいるのかもしれない。
イトがアーマーをオンにしてみると、腕や足がSFチックな鎧に包まれ、特にパレオ部分がアシンメトリーなアーマースカートへと変化した。動いてみても邪魔にならず、これはこれでなかなか格好いいかもしれない。
と、そこに、ペタペタと砂浜を歩いてきたスパチャ。
「お嬢様方、そろそろイベントが始まるそうです。お集まりください」
イトたちは六花たちとうなずき合うと、合同イベントに胸を弾ませながら特設ステージへと歩いて行った。前回は参加出来なかったビーチイベント。
どんな一日になるか、今から楽しみで仕方なかった。
肩アーマーは横にとんがってるより丸みを帯びて肩のラインに沿ってる方がいいです(身勝手)