案件15:誰が為に歌う歌
赤レンガのホームに戻った時、イトたちから漏れたのは盛大なため息だった。
安堵、決着、達成感、それから区切りの一息。
あのライズの後で一部のスナッチャーが暴露したことによると、やはりセツナへの襲撃はストーカーの計画だった。あそこで徹底的に“懲らしめてやる”はずが、むしろ彼女の活躍を一層広める結果となり、癇癪を起した本人が突撃してきたという次第だ。
今回のことはスナッチャー界隈でも意見が割れているらしく、ガチのストーカーに手を貸すほど落ちぶれてはいない、オレたちをそこらのカスと同レベルのカスと捉えられては困る、との声明が出されているとのこと。セツナのまわりは当分、平穏で済みそうだ。
スパチャが最低限の言葉と紅茶を置いていった後でも、まだ誰も言葉を発せず、一つのソファーの上で身を寄せ合い、ただぼうっと天井を見上げていた。
愛川セツナのデビューライズは終わった。そして、ここでの時間も。
「セツナちゃんは、どうしてアイドルになろうと思ったんですか?」
どちらからともなく繋いでいた手をそのままに、イトは静まり返った天井に声を吹き込んだ。
「友達が、悲しんでいて」
少し間を置いて隣から返ってきたセツナの答えには、夢の間を漂っているような響きがある。
「その子の飼っていたペットが死んじゃったんです。生まれた時からずっと一緒だった猫が。すごく落ち込んで、わたしがどれだけ励ましても、ずっと悲しんでいて。でもある時、少しだけ元気になれたんです。――歌を聴いたと、言っていました」
「歌……」
「わたしも聴いてみたんですが、哀しい歌でした。人を励ますような歌では全然なくて……でも最後に、幸せをありがとうって歌詞があって。友達が言うには、その人の歌声はわたしの声によく似ているそうです。だから、一緒にカラオケ行った時に歌ってみて……それですごく喜ばれました。今、その友達はとても元気です」
「それがセツナちゃんの出発点なんですね」
「はい。明るい歌や前向きな歌は、たくさんの人を励ませると思います。でも哀しい歌が必要な人もいるんだって、その時初めて知って……」
それを聞いてイトは微笑む。
「ひいおじいちゃんが言ってました。人は一生のうち一度、自分のことを歌ってくれる歌に出会えるって。本当にそうじゃなくても、そう感じられることが何より嬉しいんだって。その友達も出会えたんですね」
「そうなんだと思います。その歌を歌っていた人は、全然聞いたことのない人でした。クラスの友達も多分知りません。きっともっと上の世代の人です。わたしたちがよく知っているのは、アイドルとか、若い世代のアーティストの曲です。明るくて元気な曲。わたしは好きです。友達も好きでした。でも、それだけじゃ悲しみからは抜け出せなかった」
「そっか……。だから、セツナちゃんから始めようと」
「……そう言われると、何だかとても偉そうに聞こえてしまうんですけど……。でも、友達と同じ気持ちの人を少しでも慰められるならと思って、アイドルを目指しました」
友達を想う優しい気持ちが、セツナの歌の正体。
あの歌が上手いのは技術ではなく、メッセージなのだ。ただ、届いてほしいという切実なメッセージ。集まった人々はそれを聞いた。
ひいおじいちゃんはこうも言っていた。歌は間にあるものにすぎない。本当にしていることは、想いの交換。だからたとえ時代を経ても、彼らの想いをリアルタイムで受け取れるんだと。セツナはすでに、それをやっている。
「すごいですねセツナちゃんは。わたしにはとてもできそうにありませんよ……」
イトが「たはは」と頬をかくと、セツナはガバッと顔を近づけ、
「そんなことありません! イトさんは、わたしを助けてくれました。チョコさんも烙奈さんも。皆さんが〈ヴァンダライズ〉だったんですね……!」
「いやあ、それはぁ……」
目を泳がせるイトを、セツナが無邪気な質問で追いかける。
「イトさんたちはアイドルなのに、どうしてあんなに強いんですか? 他の人たちが止められなかった悪い人たちを一方的にやっつけてしまいました」
「うーん……。それが、わたしたちにもよくわからないんです。ただできることをしているというだけで」
「えっ、そうなんですか……?」
驚いた様子で視線を巡らせるセツナに、千夜子と烙奈も控えめにうなずく。
「あっ、でもあれかなあ」
と、千夜子がふと思い出したように言った。
「このゲーム始める時に、攻略動画いっぱい見たこと。やってはいけないこと十選とか、お得な情報八選とか。あともしくはシショーの……」
「千夜子」
「あっ、あわわ……」
烙奈の窘めるような一声に、千夜子は慌てて口を塞いだ。
セツナは目をぱちくりさせる。
「攻略動画……? それを見ただけであんなに強くなれるんですか?」
「いやぁ、なれないと思いますよ普通は……。だから、わたしたちが強いとか頼りになるとか言われても、いまいちピンと来ないんですよね」
「そうなんですか。でも……それでもカッコよかったです。みんな。わたし、こんなすごい人たちに守られてたんだって感動しました」
「え、えへへ……」
イトたちは揃ってニヤニヤと照れ笑い。
「部屋は散らかすしすぐガチャ引こうとするし、ダメな人たちだとばかり思っていたのに」
「へ、へへへ……」
今度は揃ってヘラヘラと誤魔化し笑い。
……こんなやりとりを最近何度しただろう。
でも、それも。今日で。
「イトさん……」
不意に、セツナの声が切なさを帯びた。
イトが胸がぎゅっとなるのを感じた。
「わたし、このままこの家の子になっちゃ、ダメかなあ……」
セツナの方から肩を寄せてくる。その甘えるような仕草から寂しさが伝わってくる。
一緒にいたのはたった三日だ。それでも少女にとっては激動の時間だっただろう。何でもない日常を何倍にも凝縮したような共同生活。明日からはそれがなくなる。消えてしまう。
「……ダメですよ」
イトはセツナの肩を抱き寄せながら、優しく伝えた。
「わたしたちは〈ワンダーライズ〉。セツナちゃんは愛川セツナ。そうして同じ道を別々に歩いていくんです。時に仲間として、時にライバルとして、違うところで手に入れたものを見せあって、お互いを磨いていくんです。同じところにいちゃダメなんです」
「ん……」
セツナはうなずいた。
きっと彼女はわかっていた。わかっていて聞いた。言いたかったから聞いた。だから全部ちゃんと答える。
「大丈夫ですよ。ちゃんとフレンド登録したし、いつでもホームに遊びに来てください。わたしたちもお邪魔しますから。会場でだって会えます。イベントでも会いましょう。全然、お別れなんかじゃありません。ここからがスタートです」
セツナは何度も何度もうなずいた。そのたびに、小さな涙がぽろぽろこぼれた。
千夜子が鼻をすする音がする。烙奈が息を止めているのが伝わる。イトはセツナを抱きしめた。
「そろそろログアウトしなきゃですね」
そっと言った。本当は、ライズ後すぐにログアウトする予定だった。しかしセツナは門限をオーバーしてまでホームまで帰ってきたのだ。
「イトさん、みんな、わたしこれからも歌います」
セツナが声を震わせながら言う。
「今日までのこと絶対に忘れずに、ずっと歌います。またお墓の前で会いましょう」
「はい! お墓の前で!」
「また明日ね」
「お疲れ、セツナ」
セツナの手に、千夜子と烙奈も手を重ねる。
嬉しそうに微笑んだ少女は、光の粒となって消えた。
「たくさんのフレンドに歌を届けてあげてくださいね、セツナちゃん……!」
染み込むように消えていく光を最後まで見つめながら、イトはお互いを励ますようにそうつぶやいた。
※
「……素晴らしすぎてお父さん泣いちゃったよ」
大手マスコミクラン〈ソード&ペン〉の最上階。クラン長のケンザキの部屋にて、最初に言われたのがそれだった。
セツナのデビューライズの翌日のことだ。「はぁ……」と生返事をするイトたちに、彼は続けて、
「ライズのアーカイブは100万再生突破。特に君たちとのバトルコラボは300万再生超え。フォロワーの数はゲーム内外を含めて18万まで伸びた」
「じゅ、18万……!? ……いやセツナちゃんならやりかねません……」
イトは嬉しいやら羨ましいやらで何とも言えない気分になる。
「あのバトルシーンはもはや伝説だ。大手ジャーナルから個人配信者まで、地区をまたいで様々なメディアが取り扱っている。君たちのフォロワーもだいぶ増えたのではないかね」
「増えましたよ……百五十くらい」
「おや」
イトの返事に、ケンザキはすっとぼけた様子で驚いてみせる。
「それはまた不可思議な増え方だね。あの動画を見て増えたにしては少なすぎるし、見てないのなら増える理由もない」
「当然です!〈ヴァンダライズ〉なんてユニット、検索したって見つからないんですから!」
イトがガオオと吠えると、ケンザキは執務机の上で曖昧な笑みを浮かべた。
今回増えたセツナのフォロワーの大部分は、第十七地区以外、あるいはゲーム外の人間だ。当然だ。動画はリアル世界でも閲覧でき、全世界と一つのサーバーを比べたら当然全世界の方が断然パイが大きい。
配信動画を見た人々は、まず愛川セツナを調べただろう。これは苦も無くヒットする。
そしてその中の一部が、今度はバトルアクターだったイトたちを調べる。しかし、〈ヴァンダライズ〉なんてユニットのホームページはどこにもない。当たり前だ。そんなクランは存在しないのだから。
十七地区のプレイヤーならある程度の事情は知っている。しかし他地区、そして完全ゲーム外の人間からしたら「ああ、ないんだな」で終わってしまう。
しかしそれでも、さらにごくごく一部くらいは、真相を調べようとする人がいるかもしれない。
そこでトドメを刺すのがジャーナルで、「彼女たちのビジネスを妨げぬよう、詳細を調べることは避けたい。謎に満ちていた方がヒーローは魅力的だ」などと自重を求める文章が掲載されているのだ。
「主にケンザキさんとこぉ!」
「仕方あるまい。わたしと君たちとの繋がりがバレては困るのだからね」
眼鏡クイーで悪役風にキメているが、家では酸素か二酸化炭素だ。しかも秘密の半分くらいは娘にバレている。いずれはママ(ラスボス)にもバレるだろう。
「しかしだとすると、今度は増えたフォロワーの謎が残るね」
「わかってるくせにい……。なんか〈暗黒☆ですとろいやー〉とか〈強襲株式会社オイハギ〉とか、悪の組織みたいなクランばっかりからフォローされてるんですよ。普通の個人とか全然なくて! 何でそっちの人たちは〈ワンダーライズ〉にたどり着いてるんです!?」
「ヒント、うちには裏稼業用のジャーナルもある」
「ケンザキイイイイ!!」
「ハハハ……。いやもちろん、今回はノータッチだったよ。ただ、それで逆に我々の繋がりがバレたかもしれないね。けれど表には出んよ。我々はそういうごっこ遊びをしている。ある一定の年齢になるとね、人は暴露とか逆張りなんてせずに、そのコンテンツをそのままの味で楽しむようになる。一番素直に遊びを享受していた、子供時代のようにね」
ケンザキは「まあそれはいい」と咳払いすると、不意に席を立った。そして頭を下げてくる。
「ありがとう――。君たちは本当によくやってくれた。仕事だとかゲームだとかそんなのを抜きにして、君たちのような素晴らしい人たちがセツナのそばにいてくれたことを心から感謝する」
「わたしたちも、セツナちゃんと友達になれてよかったですよ」
イトが微笑むと、千夜子と烙奈も「そうそう」とうなずき合う。
それは心の底からの本音。だとすると、自分たちはこんな秘密の会合のど真ん中にあって、秘密の一切ない話し合いをしている。それが少し可笑しい。
「報酬額にはボーナスを上乗せさせてもらおう。本当はもっとどっさり出したいところだが、それはそれで傭兵という遊びに水を差す。あくまで常識的な追加分だ」
「わたしたちはどっさりほしいですけど」
「まあそう言わないでくれ。下手に大金など渡して今の君たちが変わってしまうのが怖いんだ。その代わり、何かあったらいつでも相談に乗るよ。わたしと〈ワンダーライズ〉と〈ヴァンダライズ〉の関係がバレない範囲でだがね」
「それってつまり、アイドル関連は全滅ってことじゃないですか……」
「ハハハ、ママがマジで怖い(真顔)」
イトはため息をついた。羽ばたいていったセツナに比べ、パパはどこまでも窮屈そうだ。
けれども、結果的に言えばこの依頼を受けたのは大正解だった。いや、それ以外の選択肢が大ハズレすぎたと言うべきか。
セツナと友達になれなかった明日なんて今さら考えたくもない。〈ソード&ペン〉との関わりも、なんか役に立つかもしれない。どちらも金銭には置き換えられない、とても意義のあることだった。
騙して悪いが……いや、悪くはなかったですよ。今回に限ってはね。
「それでは、わたしたちはこれで」
イトはそう告げると、颯爽ときびすを返す。
報告は済んだ。依頼は達成。今日からまた普通のアイドルに戻るのだ。
「もう帰るのかね」
「はい。これからデイリー消化で辻ライズしないといけないので」
「ふむ、そうか。それならば――」
ケンザキがうなずくと、ウイーンと小さな音がして、机の上の一部がスライドする。中からこれ見よがしに出てきたのは赤いボタンだ。そんなもの前回はなかったはず。彼はそれをポチッと押した。
ガシャーン! とガラス張りだった周囲の壁に、一斉にシャッターが降りる。
『!!!???』
室内は間接照明のみとなり、ぼんやりと姿の浮かび上がったケンザキが机の上で指を組んだ。なんだか声音までしっかり変えて、
「仕事の時間だ、〈ヴァンダライズ〉」
『ヴァンダライズじゃありません!』
この終わり方はみんな知ってた。