案件143:君が為に立つ
「どーいう……つもりなんですかねー……」
蒼空騎士ジョブ特有の、投擲攻撃スキルを多数備える天槍を油断なく構えつつ、アリーメルの不審な目つきがこちらを見据えてくる。
身長はこちらより高め。上に少し伸びた分、肉の厚みには乏しく、両脇から締め付けるような形状のビキニアーマーに窮屈さは感じられない。
黒く長いポニテも相まって、細身の黒い龍のようにも見える。
「一対一になった途端、三重武器から大剣一本に絞った戦い方に変えるなんて……。そのままだったらもう勝負はついてたと思うんですけどー……」
「別に」
抑揚のない声で言い返しながら、ユラは慎重に間合いを測る。
アリーメルが言ったように、現在一対一の状況。
十人近くいた深紅の機動騎士団は、開始十数秒で何もさせずに全員吹っ飛ばした。まだ復活の目があるダウン状態ではあるが、アリーメルが蘇生の素振りでも見せようものなら一瞬で喉笛に食らいつける距離を維持。あちらもそれは理解しているらしく、インベントリを開く気配すらない。
残りHPはこちらが五割、あちらが四割といったところ。
ただ、例によって魔女の軽装は物理防御が薄い。見かけほどの優位はないし、それに――。
「ふっ!」
地を蹴り、ユラは突然その間合いを詰めた。
「おっととー」
気のない声とは裏腹な軽やかなバックステップから、機動装置を起動させての俊敏な低空後退。たなびく長いポニテが龍の尾を思わせる。
下がりつつ手の中の天槍を一回しし、こちらに投擲。
高速で直進する槍をかわした直後、ユラはもう一段階の大きな回避を余儀なくされた。飛び去ったはずの槍が回転しながら戻っていき、魔女帽の鍔が風圧で揺らされる。
蒼空騎士が使う槍はドローンのように飛んでは帰ってくる。直に振るうことももちろん可能で、近中距離を高機動で掻き回しつつ制圧する――それが蒼空騎士のセオリー。
さらにアリーメルは低空を回遊するように動きながら、手の中に雷撃の槍を束ねた。射出された時は一本だったそれは途中で無数の矢に分散し、避け切ったはずのユラのライフバーを目に見えるレベルで削る。
「ちぇ、かすってたか」
気にせずエメラルドグラットンを構えて見据え直したこちらに、アリーメルはあくまで怪訝そうな目を向け続けた。
「今のも、ロッド出してれば普通に防げましたよねー。なんでわざわざ相性最悪な大剣にこだわるんですかねー……。不器用な大剣クラスタでもあるまいしー……?」
「いいじゃん。そういう気分だってだけだよ」
「まー……。こっちとしては勝ちの目が出て来て助かりますけどー……。なぁんか罠臭くて怖いんですー……」
これだ。彼女は極めて用心深い。攻撃にも守りにも常に安全なマージンを置いている。現状のHPの差はほとんど意味がないと言ってよかった。
愚直な突撃粉砕を得意とする大剣に対し、変幻自在のテリトリーを持つ蒼天騎士は、典型的な苦手ジョブだ。〈キングダム〉との勝負に敗れた大剣クラスタは、モズクから話を聞く限り、実質こいつ一人に負けたと言っていい。
実際、エメラルドグラットンでアリーメルを追いかけるのはなかなか骨が折れた。
彼女は間合いを維持しつつ反撃を徹底してくる。ここまででこちらの攻撃が辛うじて相手に届いたのは、ダメージ覚悟で突っ込んだ時のみ。しかも不意打ちに近かったから、そう何度も通用する手じゃない。
けれど、どうしても。今は他の武器を出す気にはなれなかった。
(覚えてんのさ。エメラルドグラットンが)
あの時、バカみたいに真正面から受けた止めた大剣クラスタの攻撃を。伝わった振動を。まるで連中が魂を残していったみたいに。
そしてこのコが言ってる。
自分にやらせろって!
ユラは大きく斬り込んだ。これ以上の削りダメージはダウンにかかわる。もう一度、被弾覚悟で仕留めに行く。直撃すれば、防御よりは機動力寄りのビキニアーマーは一撃で砕ける。一撃必殺こそ大剣の存在意義――。
こちらに即応したアリーメルの雷撃槍が、すかさず迎撃に飛んでくる。
クリーンヒットで麻痺の状態異常までついてくる攻撃を、ユラは直進する動きを変えず、すれすれのところでかわした。広い攻撃範囲に引っかかったライフバーが大きく目減りする。だが距離は詰めた!
「食らえ!」
激しい金属音が鳴り、エメラルドグラットンの分厚い軌跡が、天槍のガードごとアリーメルを吹き飛ばす。
ガードクラッシュ!
不十分な体勢で重量攻撃を受けた際に発生する大きな隙。
(今!)
ユラは地を滑るようにしてアリーメルを追撃した。
大剣スキル中、随一の追尾能力を持つ〈ブレードマンバ〉。
直撃、と思った瞬間、アリーメルの背中が爆発した。
「!」
機動装置による緊急回避。
そして大技を外したユラの目の前には、地に突き立つ天槍が残された。
「じゃ……乙カレーセットですー……」
低空に逃げ延びたアリーメルのセリフが聞こえた瞬間、ユラの足元に仕掛けられた天槍から烈光と爆炎が溢れる。
それは蒼天の切り札とも言える、天槍と魔力スキルを同時に手放す必殺技――。
〈蠍火〉。
大爆轟!
炎と稲妻と風が吹き荒れ、えぐり取られた地面が土埃を舞い上げる。
ひらひらと孤独に舞うボロ魔女の帽子が、主の敗北を告げているようだった。
「いやー……。破壊の魔女ともあろう者が、変にこだわってくれたおかげで助かりましたー……」
低空から砂塵渦巻く地表を見下ろし、そこにもう何の動きもないことを確かめたアリーメルは、ようやく安堵の息を吐いた。
「えーとー……じゃあ、疲れたけどKに合流しますかー。仲間を起こしてー……はあー……しんどー……」
「その必要はないんじゃないの?」
「そーゆうわけには――……。!?」
普段通りにやる気なく返し、ぎょっとしたアリーメルがさらなる天を振り仰ぐ。
そこに落ちてきている。
エメラルドグラットンを万全の体勢で掲げたユラ。
「生きて……何で……!?」
ライフバー。はっきり言ってもう残ってない。大人しく死んどけというほどのミリ残し。
けれど〈蠍火〉を仕掛けられた瞬間、これだという閃きがあった。
〈蠍火〉のダメージの大半は魔力属性。魔力防御に長けたボロ魔女のローブで、さらにカス当たりならば、生き残れる可能性はあった。用心深いアリーメルを詰めるにはこれくらいのリスクを踏まないといけなかった。
果たしてユラは賭けに勝つ。
〈蠍火〉の最大威力範囲をギリギリで外し、敢えて上方向に吹っ飛ばされることにより、蒼天騎士の一番の死角を取った。
何とも皮肉な話だが、蒼天騎士は普段空から相手を見下ろしている分、頭上への注意が甘い。というか、戦いの中で前後左右上下すべてを見張れという方が無理。
「さあ行こうか、大剣使い」
エメラルドグラットンに腕を引かれるように、ユラは必殺の一撃をアリーメルに撃ち落とした。
直撃。いただき!
が――。
隕石のように地に激突したアリーメルは、驚くことに、天槍に縋りつきながらも震える足で懸命に立ち上がってきた。
「そっちもギリ残ったのか。お互い運がいいね。……と言いたいところだけど、スタンしてるだろ? もう何にもできない」
大ダメージを受けた際に発生する一時的な行動不能状態。
デス・スタンとも呼ばれるもので、激闘の中でこれが起これば勝負はほぼ終着。
「らしくないのはわかってますがー……。それをさせるのがKなんでー……」
アバターはほとんど操作不能になり、できても鈍い動きだけ。感覚として言うのなら、手足に何キロもの重りをつけているようなものだ。その中で立ち上がってくるまでするのは、無気力の権化のようなこの少女には不釣り合いな行為だった。
「わたしのデザインを買ってくれたのは……Kだけなんでー……」
アリーメルは苦しげな顔の中に、かすかな笑みを浮かべてみせた。
「らしくないこともー……。したくなるんですかねー……」
「……!」
Kに言われたから、じゃあない。
Kに監視されてるからでもない。後でKに叱責されるからでもない。
「わかるよ」
自分に叱られるから。
「自分の中の感謝の気持ちを裏切りたくないんだろ」
いきなり告げられた内容に、アリーメルは驚いたように目を剥いた。
「それは……どーなんですかね……。そんなドラマチックな感情、わたしにあるかどうかー……」
そっか。君もか。
「信じられないだろ?」
だってそんな気持ち、ウソじゃん。そんな気持ち、フィクションの中だけの、そうさせてもらえることがあらかじめ決まってるヤツだけの特権じゃん。
本当に“在る”なんて、リアルじゃ誰も教えてくれなかった。のに。
もう知ってる。ちゃんとあるんだって。ちょっと踏み出せば、届いたんだって。
だからさ。
ユラは今にも倒れそうなアリーメルを見据えた。
もうこれ以上、倒す必要なくないか。
もう一度、這いつくばらせる意味なくないか。
ここに残ってるのは、“在って”いてほしいものだけだよ。
そうだろ? 大剣使い。
エメラルドグラットンの中に振動はなかった。
「これで、二分けだ」
「……は?」
「0勝0敗2引き分け。そういうことにしとくよ」
ユラはホウキに乗ると、その場から飛び去った。
仕事は終えた。友の顔が見たかった。
※
森の中の、木もまばらな広場のような場所。
アリーメルがオートランを設定したバイクは、あれから何事もなくロキア――六花をそこまで導いた。
待っていたのはK。
普段の豪奢な軍服風コスから、鉄甲付きのより戦闘的なコートに着替えている。
「やあ、待っていたよ月折六花」
名前を直に呼ばれたことに六花は慌てたが、周囲に人影はない。そもそもKはそういうところで無神経な人物ではなかった。これは、ここには二人しかないという意思表示。
「森の入り口に待たせている騎士団は見たか? あれが僕の本隊だ。この勝負は抵抗派もメインメンバーが揃ってる。決着をつけるにはちょうどいい」
「あなたも出るの?」
何を話すべきかよくわからないまま、流れを汲んでそう口にする。
「ああ。大将がわざわざ出ていくのは迂闊に思えるだろうが……大勢の人間を引っ張るにはイメージが大事なんだ。“何となくそうだ”という認識が」
〈キングダム〉が勝ったのではなく、Kが勝ったという認識。そのぼんやりした認識を武器にして人を束ねる。そういえば、昔からそういう人だった。
「しかし……聞くところによると、うちの幹部は敗れたらしい。まあ……企画部長とデザイナーだからね。経験者とはいえそこまでガチでやり込んでるわけじゃない」
少なくともバルサンク卿の方は相当ノリノリだったはずだが――と六花は思ったが、抵抗派のメンバーを考えるとその熱意を上回ってもおかしくはなかった。
「手助けがほしい――」
ガチャ景品の高級グローブを手にはめながら、Kの視線がこちらを向いた。
わずかな緊張を背中に張りつかせながら、六花は平然を装って応じる。
「ライズバフはPVPには機能しないわ」
「いいや。君のはするだろう」
「……! イヤよ。しない」
「してくれ」
強い語調ではない。しかし、二度目の要請には反論を許さないような重さがある。
Kは俊才だ。確実にビジネスの才がある。そんな彼にとって一番無礼なことは、逆らうことではない。同じことを二度させて無駄に時間を奪うこと――。そんなことを、勝手に頭が思ってしまう。そういう雰囲気にさせる。
「一つ前の戦いで、僕は君の頼みを聞いたな?」
Kの言葉が追ってくる。
「その程度のこと……。わたしはアイドルとしてキングダムに貢献してる。それでおあいこでしょ」
「僕としてもあれは負けられない戦いだった。釈明一つで信頼は地に落ちていたかもしれない。あの時は正直な気持ちを話すだけでやけに納得してもらえたが……言うほど容易いことではなかったよ」
「……あなたのすることは、いつもそうのはず」
「フ……」
Kはどこか腑に落ちたように微笑んだ。
これで引き下がってくれるかと思ったが――。
「だが、やはり貸し一だ。君に〈フェンリルの酔〉を使わせるほどではないが、こちらも一つ、手を解禁させてもらう」
「手……?」
「君の後輩……いや友人に、白詰イトという少女がいるな?」
「……!!!」
彼女の名前がKの口から出たことに、六花は全身の毛が逆立つのを感じた。
「年齢は同じ……。キャリアは雲泥の差だが、同じ事務所に在籍し、普段から親しくしているようだ」
「だっ……だから……な、何……?」
素っ気ないフリをしないといけないのに、ダメだ。呂律すら回らない。手足の先が冷たい。地面が揺れてる。
「彼女に、第三地区のRIKKAというアイドルのことを伝えてあげようと思う」
「!!」
心臓が痛いくらいに縮まった。
「そ、それに……何の意味があるの……」
かろうじて抵抗する言葉。それこそ、何の意味もなく。
「結城いづなとなずなは、第三地区のことを受け入れて君と組んでいる。あの二人は確かに並外れた胆力があったし、攻略プレイヤーとして荒事にも慣れていた。だが、彼女はどうかな」
「イト……ちゃんは……」
「確かにゲームの中でなら、彼女は頼もしい存在のようだ。だが〈フェンリルの酔〉はゲームを越えてリアルにまで及ぶ。本当の傷が痛む世界だ。彼女は……君を恐れたりしないか?」
……!!
それは、今一番なってほしくないこと。
「イトちゃんは……きっと……大丈夫と言ってくれる……!」
歯を食いしばるようにして答えた。
過去を知っても彼女はこれまで通り付き合ってくれる。
そう信じているし、きっと彼女も信じてほしがっているはず。
二人の気持ちは……一緒だ!
「その期待が、白詰イトの負担になるとしてもか」
「えっ……?」
虚を突く言葉だった。胸の奥に一滴落とされたもの。じわりと黒いものが広がる。
「君がそこまで信じる人物であれば、確かに一度はそういう対応をしてくれるのだろう。だがどこかで不安を感じていたら? それを抱えたまま、彼女は君と付き合うことになる。君に対し……恐怖と、そのことへの罪悪感を抱きながら、ずっと」
「そ、そんなこと……」
「そんなことないか? 君は〈フェンリルの酔〉を恐れた。彼女もそうすると思うのが普通なのに、なぜ違うと言い切れる。君が彼女の推しだから? それくらいは応えてくれて当然だと?」
「違う、そんな」
言葉が出ない。体の中が塗り潰されていくのがわかる。
イトちゃんのことを信じてる。彼女も信じてほしがってる。
でもそれはイトちゃんが何も知らないからで、知ってしまった後の気持ちは、誰にもわからない。
葛藤が、始まるのかもしれない。後悔が、押し寄せるかもしれない。
「彼女は普通の女の子だよ。君がそれをわかってあげなければ」
「――!!」
どんなに。どんなに。どんなに。どんなに特別に思えても。
そこにいるのは一人の人間。一人の女の子なのだから。
……奪う。奪ってしまう。
あのみんなから愛される無邪気で純粋な笑顔を。わたしが。
潰れかけた心臓が冷たく鼓動している。
呼吸が細く、荒く、視界がチカチカとまたたいている。
何を信じればいい。自分の都合のいい願望はもう信じられない。何か――誰か――。
「君のバフを受けるのは、僕だけだ」
すぐ隣で、Kの声がイヤにはっきりと聞こえた。
「前のように大勢の人間を巻き込むことはない。そして僕は〈フェンリルの酔〉に耐えられる。君がその力を使ってくれさえすれば、僕はあの出来事に対し永遠に口を閉ざそう。月折六花。つまらない意地よりも、君と白詰イトの穏やかな関係を優先するべきだ」
六花は硬い生唾を呑んだ。
〈フェンリルの酔〉はゲームに許可された能力だ。だが、イトとの関係は誰からも保証されていない。簡単に傷つき壊れる。そして彼女が離れていくことを、自分は容認しなければならない。大切な人だから。誰よりも尊重したい人だから。
「さあ、君の大切なものを守れ。月折六花――」
次回、対決へ。