案件132:揺れる揺れる十七地区
窓から見下ろす町並みは、何かのお祭りのように賑わっていた。
〈キングダム〉が本拠を構えたタウン11。いつもは取りたてて目立つことのない町拠点が、今は十七地区の中心かのように熱と重要性を帯びている。
「まさか、こんなに早く僕の元に来てくれるとは思わなかったな」
部屋に配置されたティーテーブルのセットから、このホームの主の声がした。
窓の外から室内へと視線を移した“ロキア”は、表情の一切を隠したフルフェイスヘルメットの内側から彼――Kを静かに見据える。
自分のために用意された部屋のすべてが他人行儀にそっぽを向いているのに対し、椅子に腰かけ足を組むKは、変わらずすべてを掌握した王の態度で室内のインテリアに受け入れられていた。
「しかし、何もアイドルを休業することはなかったのではないかな、とも思う。僕が君に望んでいるのはそういうことではないと、知っているはずだろう」
「あなたの望みはかなわない」
ボイスチェンジャーを噛ませたメカニカルな声で、ロキアは告げた。Kの端正な眉がぴくりと動く。
「同時に、わたしの望みもかなわない」
「なるほど」と、Kは膝の上で指を組んだ。
「この僕の時間を空費させることと、トップアイドルの貴重な一分一秒を交換しようと言うわけだ。価値は釣り合っている……と言っておこうか、今は」
背中で軽く勢いをつけ、Kが立ち上がる。
「しかし、それでいいのかな? 芸能界にはさほど詳しくないが、仕事で空けた穴というのは驚くほど早く塞がる。僕には停滞でも、君はどんどん落ちていく」
「這い上がる。何度でも」
毅然と言い返した言葉に自分から鼓舞され、ロキアは揺らがぬ視線をKに注ぎ続けた。
「たくましいな。以前のように逃げていく気はないらしい」
彼が近づいてくる。その足取りがなぜか、蛇のようだと思った。
蛇の頭が、耳元で交錯する。
「この地区に何か思い入れでもあるのかな?」
「…………」
「それとも、誰かに」
「……!」
動揺は全力で隠した、つもりだけれど……。このKという特殊な人物を前にどこまで通じたかはわからない。
「まあいい。僕がこのゲームでやり残したことは二つ。そのうちの一つを、まずは片づけてしまうことにするよ」
そう言い残し、彼は優雅に部屋を出ていった。
途端に脱力したロキアは、出窓の窓台に力なく座り込み、膝を抱えて丸くなった。
「ごめん、いづ姉、なず姉」
それから。
「イトちゃん……」
※
「皆、よく集まってくれた」
シャッターと暗幕で外部との接触を完全に断った室内。
クラン〈ペン&ソード〉のホームビル最上階、ケンザキ社長の作戦会議室には見知った顔が並んでいる。
まずは自分たち〈ワンダーライズ〉。アビスにユラ。〈コマンダーV〉からジェネラル・タカダ。〈西の烈火〉のモモ。〈破天荒〉のコウに〈雅屋〉のカサネ。
「いづな君たちとモズク君にも声をかけたんだが、返事はもらえなかった。急な用件だったから仕方ない。顔見知りがこれだけ集まってくれただけでもよしとしなければ」
社長室のインテリアは、いつものように執務机が一つというシンプルなものから模様替えされ、世界サミットでも開くみたいな円卓が用意されていた。
話し合う要件はただ一つ。〈キングダム〉についてだ。
「ここに集まった面々は、ひとまず今は無事ということだな」
ジェネラル・タカダが腕組みしながらそう言って、卓上の顔を見回す。
「そうとも言い切れないですね」とは、年上にも飄然とした態度を崩さないモモの言。
「うちは今、各クランの下請けみたいな中小規模のクランになってますから。あちらも本気で取り込みに来てないというだけです。その気になったら、すぐに切り崩されると思いますよ」
「弱気なこと言うじゃねえかモモ!」
机を太鼓にでもしそうな勢いで声を上げたのは、隣にいたコウだ。
「うちは初っ端から突っぱねてるぜ! PKしてくるヤツなんか正面から返り討ちにしてやりゃあいい。誰かの下につくことなんかねえ!」
「そりゃコウさんとこはみんなケンカ上等でいいでしょうけどねぇ……」
半笑いのモモの顔に、「こちらも話し合いの段階だ」と会議を進めるタカダの声が重なる。
「キングダム思想という活動を否定する気はない。PK禁止の安全地帯を作るという試みも、ゲーム内のチャレンジと受け止めている。ただ頭がKという人物一人であることはいささか不安だ。こちらは協力する姿勢を見せつつ、クラン内の意思統一という名目で時間稼ぎをしている」
「やり合うんなら早い方がいいんじゃないのかい。相手がでかくなってからじゃ厄介だぜ」
時間稼ぎに異を唱えるコウに、タカダは渋い顔で返答した。
「すでに十分でかい」
うむ――とそれに追従する議長のケンザキ。
「知り合いも〈キングダム〉賛同を決定した。モモ君やタカダ氏は知ってるだろうが、〈スノーソードシアター〉を運営しているフロッグマンだ」
「フロッグマンさんが……!?」
つい最近知り合ったばかりの名前に、イトは驚きの声を上げる。
「じゃあ、ガラスちゃんたちも……?」
「劇団のメンバーも自然とそうなる。彼女たちからすれば〈キングダム〉は良い保護者役だしな。フロッグマンをそれを考えて傘下に入った」
「あの人もずいぶん丸くなりましたねぇ」
「年頃の娘さんを何人も預かれば自然とそうなる。彼にはいい傾向だろう」
モモとタカダが訳知りトークをしているのが何だかベテランの風格だ。
「アイドルも――」
と、ここでイトが挙手しながら述べた。
「結構な人たちが〈キングダム〉に身を寄せたそうです。どこの事務所的にも、ゲーム内でのことだから個人の自由だと。うちの場合は、それどころじゃないというのが正直なところでしょうけど」
月折六花のことだ、と皆から同情めいた目を向けられ、イトははぐらかす笑みを返す。
「〈キングダム〉に行けばライズ用のコスとかバフ曲が安く手に入るから、始めたての子たちが特に集まってるそうです。PK対策も万全だし。それから……ロキアの影響も大きいです」
その名前にベテラン勢たちが一斉に目元を動かす。
「彼女か」と最初に言葉を入れたのはタカダ。
「キングダム運動外でも話題のアイドルだな。アバターを含め一切が謎に包まれているし、ダンスもオートモーション。言ってしまえば誰でもその役をやれるはずだが……」
「なぜか華があるんですよね。しかも、影のある華」
「リナもこの子可愛いって言ってたぜ」
次々に感想を付け足す面々を見て、イトは漏れ出しそうになる言葉を慎重に腹へと押し戻した。
ロキアの正体は六花ちゃん。
いづなにもこのことを話してみたが、彼女でさえ、体格は確かに似てるけどと断定までは避けた。確かに、錯覚のようなものなのかもしれない。彼女の姿を求めるあまり、そう思い込んでいるだけかも。
しかし……なぜか確信めいたものがあるのだ。相手の力の流れを見破るこの目が、そう伝えてくれているのかもしれない。
いづなからは、この話は人にしないようにと釘を刺されている。
〈キングダム〉に六花がいる――。これは色々意味がわからないし、そして今の十七地区にとって決定打にもなる。Kと六花。きっと誰も太刀打ちできない無敵のコンビ。
それから、六花のことはもう少しだけ時間がほしいとも……。
「グレイブアイドルたちも割れているのだろう?」
うかがうようなケンザキからの問いにはっとなり、イトはうなずいた。
「あまり特定のクランと結びつきたくない人たちと、安心安全のために〈キングダム〉へと向かう人……。あと、楽にアイテムが手に入るってことで、苦労して集めた人たちとの間でちょっと溝ができちゃってるっていうか、なんか派閥争いみたいなのがありまして……」
だからライズ会場もちょっと不穏な空気があるのだ。
元々ライバル同士だから、完全に仲良しというわけでもなかったのだが、そこに新たな対立軸が生まれてしまった感じ。
「この時期に葵君とキリン君がセツナたちをセントラルに招待してくれたのは本当に助かったよ」
ほっとした様子のケンザキが、わずかに肩の力を抜くのが見える。
セツナ擁する事務所〈ハミングバード〉の面々は、ケンザキ社長の言うようにセントラルへのツアー中だった。差し金はキリン。そこに葵と自治クランが乗っかって実現した。アウトランドのキナ臭さを見抜いての行動だ。
元々PK不可であるセントラルはキングダム運動にはノータッチ。避難先としては申し分ない。セツナからこちらを気遣うメールも来ていたが、実のところあちらもあちらで、レベルの高いセントラルの歌手たちと結構バチバチやって大変らしい。
それがいい。その方がずっと彼女らしい戦いだ。
「うちの仕手仲間も、昨日のうちに結構もってかれましたわ」
ここでカサネが新しい一石を投じる。
「〈キングダム〉の支配は武力方面だけやないです。バザールとかあらゆる場所に及んでますわ」
「その通り。かくいう我々マスコミクランも、多額の報酬に釣られて協力を表明しているところがある。いわれなき誹謗中傷でなければ、〈キングダム〉は批判記事を容認しているからね。ただ、問題は流れだよ……」
にわかに緩んだ口元を引き締め直し、ケンザキは組んだ指の上にあごを置いた。
「今たくさん聞かされたように、十七地区は〈キングダム〉賛同派と抵抗派に真っ二つに分けられてる。交流サイトで活発に議論がされ、一部のマスコミクランがそれをさらに煽ってる。まあ実際、地殻変動級のビッグニュースだからね」
六花のことも含めて。
地区に大きな動きが起こっている。
「アウトランドの戦闘職クランは、PVPで勝利したらとりあえず格上みたいな風潮がある。〈キングダム〉自身もそうだけど、特に傘下のクランが抵抗派を襲撃して、無理矢理下に組み込もうという流れが定着しつつある。まるでスカグフ戦国時代だよ。〈キングダム〉に与したからと言って、特にデメリットはないのが救いだがね……」
どころかオイシイことだらけ。スカグフを浅く広く楽しむプレイヤーなら入らない理由がないほどだ。それでも、スカグフ歴の長く深い人々は〈キングダム〉――そしてKというプレイヤーを強く警戒している。イトも六花がああなっている今、素直に協力する気にはなれない。
「どういう形にせよ〈キングダム〉に対抗するには、一個人、一クランでは厳しい。せめて、こうして顔馴染みだけとでも連絡を密にし、協力体制を敷いていきたい」
ケンザキ社長がそうまとめ、会議はお開きとなった。
「何か、すごいことになっちゃったね」
がやがやと話を続けつつ社長室から出る面々の中、千夜子が浮かない顔でそう伝えてきた。
たびたび事件に出くわしてきたイトも、今回のこれは最大級のものだ。みんな何でもっと大人しくゲームができないのかと、ちょっと思うところはある。
「アビスはしばらくうちのホームで居候するとして……ユラは大丈夫?」
「ボク?」
突然千夜子に話を振られ、ユラはきょとんとした顔を返した。
「いつも一人であちこち飛び回ってて、危なくない?」
「アハハッ、危ないのはボクの足元にいるヤツらだよ。槍の代わりにいつ爆雷が降ってくるかわかんないんだから」
「危ないと思ったら、すぐうちのホームに避難してくださいね。ゲスト登録しときますから」
「ありがと、イトちゃん。千夜子」
ユラはケラケラと笑い、ビルの出口のところでホウキに乗って飛んでいった。
「我々もライズ会場に行こう。微妙な空気だが……六花のことは先輩たちに任せて、わたしたちはわたしたちの仕事をするしかない」
烙奈の提案にうなずき、イトたちも本来の活動に戻っていく……。
※
ユラは大樹の枝葉に隠れた小屋で小休止していた。
木目調のハウジングパネルでこしらえた、至って簡素な個室だ。ホーム登録もされていないので、本当にただの雰囲気ということになる。
家具は一切なく、立ち寄った時にインベントリから出し入れするから、他人に悪戯されることはない。こんな刹那的で気分屋な暮らしができるのも、スカグフの中だけだ。友達だってできた。地区を揺るがす今の騒動も、ユラにとってはみんなで立ち向かう一大レイドみたいなものだった。
イトたちはどうこれを乗り切るのだろう。そして自分はどんな役目を果たすのだろう。今からワクワクが止まらない。
と。
「あーあー……破壊の魔女ユラ。PKの最大常習犯さーん。こちらは〈キングダム〉でーす……。そこにいるのはわかっていますんでー……出て来てくれませんかホウセンカ……」
何だか覇気のない呼びかけが、拡声器を通じて隠れ家の壁を微震させた。