案件131:キングオブキングス
「カサネさん!」
「あっ! チョコちゃん! もう来てくれはったん!?」
和風小物屋の趣きを色濃く取り入れた店内に、千夜子を先頭にした完全武装のイトたちが素早く滑り込む。いつも通り帳場席にいるカサネを認めるや、すぐに彼女を取り囲むように集結し、周囲に警戒の視線を飛ばす。
脅威となる人影、なし。
外にも深紅の機動騎士団の姿はなかった。
カサネは大丈夫。
イトたちがこうした緊急的な措置を取っているのには訳があった。
〈六花クライシス〉と交流サイトで名付けられた騒動の二日目。六花から話を聞いている、という事務所発表が早かったおかげで好き勝手な噂話が拡散することはなかったが、同時に彼女に何らかの異変があったことが確定的となり、活動休止か否か、そうならその理由は何かという憶測が、十七地区の底でマントルのように重々しく対流していた。
そんな中、各地に出没報告が上がる〈キングダム〉の深紅の機動騎士団。〈ルナ・エクリプサー〉が早々に餌食になったように、あちこちで衝突を起こしては勝利をもぎ取っていた。
ちなみに、真っ先に狙われたのが毎度おなじみスナッチャー。沈痛な空気を読まずに寂れたライズ会場に突撃したところを、深紅の重鎧集団に一瞬で蹂躙されたという。……それは大変めでたいことだが、やはり初手示威行為はあちこちで反発を生んでいた。つい最近ライズを手伝ってもらったばかりのクラン〈破天荒〉や〈西の烈火〉とも小競り合いがあったらしい。
そうした情報を交流サイトで漁っているところに、カサネからのSOSだ。アビスのこともあり、すわ一般のお店にまで手を出すのかとイトたちは押っ取り刀で駆けつけたわけだったが……。
「おおきにチョコちゅわ~ん。うち、ものごっつい心細かったんやでぇ~。ちゅっちゅ」
カサネが猫なで声を垂らしながら千夜子へと抱きつこうとする。押しに滅法弱い千夜子が、黙って受け入れてしまいそうになる直前で、アビスがカサネを後ろから羽交い絞めにした。冷蔵庫の肉置き場の温度で問う。
「で? 何? カサネ」
「ちょっ、何するんアビっちゃん! ここは傷心のうちを千夜子ちゃんが人肌で慰めてくれる大事な場面やろ! 何で不審者みたいに捕まらんといかんの!?」
「どう見ても不審者だから」
「傷ついた女子大生に何てこと言うねん!」
「傷心……何があったの?」
と、千夜子からたずねられたことで、アビスVSカサネの抗争は一旦停戦を見る。解放されたカサネは、直前までの同情を誘うような態度から一転、帳場席の座布団に腰を沈めつつ、憤懣やるかたなしのため息を吐いた。
「えらいこっちゃで。こんなん、うちが仕手を始めて以来、初のことや。チョコちゃん、昨日今日ってバザールをのぞいたりは……してへんやろな」
「うん。それは……」
「せやろな。六花ちゃんがあんなことになっとるもんな。とりあえずみんなで奥の部屋に来てや」
そうして案内されたカサネの作業場兼、第二の仕事場。バザールの様子を見られるよう改造された化粧台の鏡に、奇妙な画面が映し出されていた。
「これ、何?」
千夜子も首を傾げるそれは、バザール内の個人ショップのUIに間違いなかった。しかし一番肝心なもの――商品が置かれていない。
「チョコちゃんも見たことないやろ。これな、長期出店契約してる店の、商品が売り切れた時の画面なんよ」
「売り切れ? でもその場合、お店のページ自体出てこないんじゃ?」
「それはチョコちゃんたち普通のプレイヤーがやるような、一時的なお店の場合やな。売り物がなくなったらお店ごとページが消える。けど、これはあらかじめ場所代を払って土地を確保しておくちゅう、出店ガチ勢用のサービスなんや。当然、ものがなくても維持費はかかるから、品切れなんて普通は起こさへん」
「それがどうして?」
答えるより先にカサネは画像窓を増やし、他の店をいくつも提示してきた。バザールの事情に疎いイトもこの異様さにすぐに気づく。
ない。どこの店にも商品が置いてない。
「買い占められたんよ」
すでに結論が蔓延しきった頃合いを見計らい、カサネが言ってきた。
「消耗品や低レアの素材アイテムをのぞいて、あちこちのバザール品が根こそぎ買い漁られとる」
「何でそんな……。一体誰が?」
目を見張るイトに、硬い返事が届く。
「〈キングダム〉っちゅうヤツらや」
『〈キングダム〉!』
一斉に重なった声に、カサネはニヤリとした笑みを向けてくる。
「やっぱりもうみんな知っとったか。さすが、キナ臭さには鼻が利くなぁ」
「その言い方には何か誤解を感じますが、あの人たちがバザールで爆買いをしてるんですか? どうしてそんなことを?」
「賛同者たちに捨て値で配ってるって話や」
仕手戦用に改造された化粧台をにらみつけながら、カサネ。
「〈キングダム〉の傘下に加わったプレイヤーにはそういう特典もあるよ、っちゅうのを宣伝しとるんよ。今、バザールに品物を出せばあっという間に売れる。それも相場の三倍、いや五倍でもや」
「三倍、五倍……!?」
日頃バザールと1000グレブン単位での熾烈な削り合いをしている千夜子が、ツチノコでも見たような顔で叫ぶ。
「出品側は笑いが止まらん。無茶な値をつけても買ってもらえるんやからな。一方で〈キングダム〉傘下のプレイヤーも、べらぼうに安い値段でコスや装備が買えるときて、みんなハッピーや」
「で、でも、そういうことが続くと……」
「そう。そうなんよチョコちゃん」
出来の良い弟子を見るように、カサネは千夜子にうなずいてみせた。
「このままだとバザールの商品価格全体が爆上がりし、普通のプレイヤーが何も買えなくなる。否が応でも〈キングダム〉に協力するしかなくなるんや。逆にそうすればアホみたいに安い値段で何でも手に入る。もうメチャクチャや」
これが彼らの勧誘の手口ということか。武力だけでなく、経済でも……。
「今のこれをぼろ儲けのチャンスって言ってる仲間もおるけどな。あの金の亡者のオウミヤですら、〈キングダム〉には拒否反応を見せとる。だって、こんなんゲームやないやろ。数字を増やすただのチートや。頭も使わん、駆け引きもない、ただ増えてく数字を眺めるだけのどこが楽しいん? こんなやり方、うちは絶対認められへん」
「でも、こんなこと本当にできるものなんですか?」
口をへの字に曲げるカサネに、イトは疑問を向ける。
カサネからチートという単語が出たが、〈キングダム〉がそうした手段を用いて商品を買い占めているということはないだろう。即座にAIに見抜かれてペナルティ祭りだ。
だとしたら、これは〈キングダム〉が自腹でバザール品を買い占めているということになる。しかし、それには一体どれほどのグレブンが必要になるというのか。
「ゲーム内通貨のグレブンだけは課金では購えん。多分、別垢か仲間のアカウントが他の地区でバカスカガチャを引いて、それを売りさばいた分をこっちに集中させとるんや。それにしたってムチャクチャやで。準備にどれくらい時間かかったかは知らんけど、毎月リアルマネー数百万くらいは平気で突っ込んでたんちゃうか……?」
「ヒエ……」
数百万。墓王でもそんな無節操な使い方はしない。しかもその金で買った商品をプレイヤーにばら撒いている。にわかには信じられない。
「ただ、こんなもんが長く続くはずがない。詐欺の末路と同じや。後に残るんは、金銭感覚狂わされた被害者と荒らされまくった相場だけ。そっからバザールが正常に戻るまで、どんだけ時間がかかることか。うちはそれが一番心配なんや……」
カサネはバザールでの取引をメインにスカグフを楽しんでいる。その大切な遊び場を壊されては、ログインするモチベも薄れてしまうだろう。彼女がもうあかんと助けを求めて来たのは決して大袈裟ではなかったのだ。
「ここまでしてキングダム思想を成功させたいのか、彼らは」
烙奈が怒り半分、呆れ半分といった様子でつぶやいた。
〈キングダム〉のメリットはそこに集約される。PKを排除した秩序あるアウトランドを築く。ただそれだけ。
確かに、スカグフの歴史に間違いなく名を残すし、リアル側のゲームメディアにも取り上げられるだろう。しかし……時の人となろうとも、この出費に釣り合うものとは到底思えない。そもそも、今見せている浪費だけでも一般人の領域ではない。
〈キングダム〉のリーダー。バルサンクがあの方と呼ぶ人物は、一体何者なのか……。
と。
ビーッというイレギュラーな異音と共に、ドレッサーのモニターに映像が映し出された。
《突然のモニタージャック、お許し願いたい》
出し抜けに朗々と読み上げたのは、金髪をオールバックにした、美男子とはかくあるべしという顔立ちの男性プレイヤーだった。
涼やかな眉と目元、すっきりと整った鼻に、硬軟持ち合わせた唇。本来は悪戯や悪党ロールプレイに用いられるモニタージャックを仕掛けておきながら、深紅を基調とした軍服風のコスや彼自身にそうした悪意や不真面目さは微塵もなく、リアルに育ちの良さそうな品と誠実さが一目で伝わってくる。
唯一隙があるとしたら、オールバックから漏れた一房が触覚のようにピンと伸びているところぐらいか。
「こ、この人もしかして……!」
赤という最大の共通点にすでに答えを見出し、イトはモニターの人物を見据えた。このカラーは十七地区の住人にとてつもない朱を垂らしている。果たして、名乗りはすぐに来た。
《私は〈キングダム〉クラン長、Kだ》
――!!
イトたちの周囲を音なきざわめきが包む。
この人が〈キングダム〉のリーダー……K!!
《今、この十七地区で我々が起こしている多種多様な小競り合いを、まずはお詫びする》
謝罪を伝える内容とは裏腹に、声には張りがあり、そして艶があった。
見た感じ、年齢は二十とかそのあたりだろう。けれどもまだ学生のイトから見て、Kはすでに十分な社会経験を積んでいる大人に思えた。
《アウトランドは綺麗事でまとまるような生半可な土地ではない。まずは我々に、皆を守り切るだけの十分な力があることを示したかった。反発は重々承知している。しかし、元より力で自分の身を守ってきた皆には、この規模の衝突など挨拶程度のものでしかないことをわかってもらえると思う》
「勝手なこと言って……!」
「せやせや! ちょっとばかり顔がいいからって調子に乗って、この触覚イケメン!」
アビスとカサネがブーブーともんくを垂れる。特にアビスなどは祝いの席を台無しにされているため、不満もひとしおだ。
《すべてはPKという無作法を排除し、お互いの快適さを尊重しあえるゲーム空間を作るため。我々も公式から用意されたPVP自体を否定するつもりはない。ただ、相手のプレイを阻害するためだけに行われる悪質な行為を阻止したいだけなのだ》
言っていることは……まともだ。
PKというのは、それを積極的に行わない者にとってはマイナス要素でしかない。システムの一つとして存在するから仕方なく従っているだけ。標的にされやすいアイドル職にとっては、正にこれ。
《我々の考え方が独りよがりでないことを、すでに集まってくれた賛同者たちが証明してくれている》
ここでカメラがクルリと反転し、演説台にいるKの対面を映し出した。
様々な格好のプレイヤーたちが集まっている。性別年齢問わず、大勢だ。
《うおおおお、K・O・K! K・O・K!》
《キングオブキングス!》
《わたしたちはKに賛同する!》
広場から口々に叫ぶ彼らの熱気がモニターを揺さぶるようだった。たった二日でこれほどの仲間を集めた。PKを憎み、〈キングダム〉の恩恵を受けたいプレイヤーはそれほど多いということだ。
イトは胸がざわつくのを感じた。
まるで月折六花という特大のヒロインが抜けた穴を、新しく現れたKというヒーローが埋めようとしているみたいで。
違う。そこは……彼女の席だ……!
《特に、人前に立つことの多いアイドル職や、文化系のイベントを主催するプレイヤーはPKプレイヤーに辟易していることと思う。そうした人々には、迷わずこちらに加わってもらいたい》
ざわりと、イトは心の一部を撫でつけられた気になった。Kは誰が一番キングダムを望んでいるか理解している。
《すでにアイドルの参加者も多数いる。この機会に紹介しよう。〈キングダム〉専属アイドル“ロキア”だ》
Kがわずかに場を譲るように横に移動すると、画面脇から一人の人物が現れた。
広場の人々の熱狂的な声がそれを歓迎する。
見る角度によって微細に色を変える、ディープパープルのライトアーマー。どこか刺々しいデザインでありつつ、装甲部分の少なさからいかつさは感じない。黒いインナースーツで地肌は見えていないものの、すらっとした体つきの美しさは一目でわかった。
特徴的なのは、白い炎にも似た、体のあちこちに取り付けられたファー。それが獣毛を表していることは、人物がつけたフルフェイスのヘルメットから容易に想像がつく。
狼だ。美しく、気高く、そしてどこか影のある狼のフォルム。
雪狼――という言葉が、自然とイトの脳に浮かんだ。
《我々はここに宣言する。PKを恐れる人々が、その脅威に晒されずにゲームを楽しめる王国を作り上げると。それを記念して、彼女からのバフを一曲贈らせてもらおう。他のアイドルやそれ以外のプレイヤーも、これに触発されることを祈る――》
そうして、ロキアによるパフォーマンスが始まった。
曲は『千年樹の祀り』。バフ効果も準環境級と優秀だが、何よりシンフォニックメタルの曲調とスピード感が素晴らしく、アイドルでなくとも多くのプレイヤーが欲したという、バザールでの高額商品常連。
これを持っているというだけで、ロキアが並のアイドルではないということは確実――。
「…………」
そんな彼女のパフォーマンスを、イトはまばたきもせずじっと見つめた。
キングダム信奉者たちの声援を絶え間なく浴びるダンスは、オートモーションで演じられている。アイドルとしての個性、そして実力であるアレンジ箇所は皆無。だが……。
「イトちゃん……?」
「イト、どうした?」
いつの間にかモニターに鼻がつくほど顔を近づけていたイトに、仲間たちが不審そうに呼びかける。
イトは半ば無意識に、己の中に生まれた答えを口にしていた。
「……これ、六花ちゃんです」
『なっ……!?』
騒然となる一同。モニターとこちらを交互に見つつ、
「ホントなの、イトちゃん?」
「このダンスでわかったのか? しかしオートモーションのようだが……!?」
「はい。でも、ほんのわずかにアレンジされてます。いえ、これは……アレンジというより……」
無意識の動き。
何百、何千と練習してきた中で自然と身についてしまった個性。
個性とは生の食材だ、とひいおばあちゃんが言っていた。しかもえぐみもクセも強くてそのままではお出しできない食材。だから様々な工程で個性を殺し、隠す。それでも最後には素材の味が料理の決め手になる。個性とはそういうものだと。
ロキア――六花もきっと気づいていない。オートモーションに漫然と身を任せたつもりでいる。けれども……動きの変化の出かかり、指先の伸ばし方、そんな微細な場面で、自然と染み出てしてくる。六花の個性。六花の声。わかる。ずっと見てきたから。彼女は、そういう人だから。
「六花が〈キングダム〉にって、どういうこと」
眉を吊り上げながらアビスが言う。彼女にとって〈キングダム〉はすでに敵だ。となれば、そこにいるロキアも。
しかしそれを差し引いても、これはゆゆしき事態。六花は誰よりもPKの標的にされてきた人間だ。キングダム思想に共感することはわかる。しかし彼女は、アイドルの休業を宣言しているのだ……!
(それがどうして、〈キングダム〉の専属アイドルとしてあの場に……!?)
事務所との話し合いはどうなった? これは織り込み済みなのか?
もうじっと待ってはいられない。
いっそ、こちらから直接通話して確かめるしか――。
不意に鳴った呼び出し音に、イトは口から心臓が飛び出るくらいに驚いた。
通知ランプが点灯しているのは、結城いづなの名前だった。飛びつくようにして回線を開く。
彼女ならロキアについても何か知っているかも――。
「イトちゃん、ごめんなさい。六花が逃げたわ!」
「はっ……!?」
出し抜けに発された一言に、イトたちは素っ頓狂な声を上げた。
「話し合いの一時間前に事務所に突然現れて、今後のスケジュールについて勝手に上と決めちゃったみたい。もちろん上は、聞くだけ聞いて保留という形にはしてくれたみたいだけど……。それから姿を消して――いえ、多分、自宅で居留守使ってるわ。通話も全部拒否して籠城状態よ!」
「はああああああああ!?」
いづなたちとも連絡を絶って籠城……!?
家に閉じこもってスカグフにログイン――いや、〈キングダム〉に参加しているのだ。
「なにやってんですか六花ちゃああああああん!?」
スーパーで食料を買い込み、外部との連絡を絶ち、いざオンラインゲームへGO!
王族か?