案件130:善良なる侵略
「何ですか、あれ!」
四人乗りという無法のホウキマウントの上から、イトはその光景に目を見張った。
町はずれの荒野に立つ〈コモン山〉。植物のほとんど生えないハゲ山の中腹に、いつの間に築かれたのか石造りの砦のような建物が見える。
だが今、そこからは黒煙がいくつも立ち上り、さらにその煙の中を赤い影が縦横無尽に飛び交っていた。
「そういえばアビスが、今日は〈ルナ・エクリプサー〉から何かプレゼントをもらえるって話をしてた……」
荒野の風に飛ばされないよう白魔女の帽子を押さえながら、千夜子が言う。
もしかしてそのプレゼントというのは、あの砦のことなのだろうか。黒い女王アビスを讃える〈ルナ・エクリプサー〉の新たなる拠点……。しかしこれは、どう見ても襲撃されている!
「あの赤い人たちは……!」
砦のあちこちに姿を見せる赤い重鎧。咄嗟に目線を交わした千夜子と烙奈も、驚きの顔のままうなずいてくる。その気配を察したか、ホウキの先頭で柄を握るユラが肩越しに振り返った。
「知ってんの? みんな」
「はい。あの赤い人たち、ライズ会場に来てた〈キングダム〉のメンバーです!」
それがどうしてアビスたちを襲っているのか。
定員オーバーで息も絶え絶えのホウキが現場にたどり着くまで、その答えはわかりそうにない。
「これは……派手にやられたな」
ややあってホウキが砦の上空に到達すると、烙奈の言葉通りの光景が眼下に広がっていた。
倒れ伏すプレイヤーは皆、体のどこかに黒いスカーフを巻きつけている。〈ルナ・エクリプサー〉である証だ。死屍累々。動いている者はいない。
それでもまだ、戦いの音は鳴り続いている。
「いた、アビス!」
千夜子が砦の上部を指さした。
翻る白髪と漆黒のウェディングドレス。風と唸るバスターアックスソード・ヒュベリオンにいささかの衰えもない。間違いなくアビスだ。
彼女は砦の最上階屋上で、生き残った信徒たちといた。
いや、非戦闘員と思しき生き残りを、丸ごと彼女が守っているような状況だ。
赤い重鎧の騎士が、飛ぶようにアビスのまわりを回っている。背中から火花のようなものが出ているから、あれは本当に飛んでいるのかもしれない。
「加速装置を付けた重鎧だね。人の脚で騎馬みたいに吹っ飛ぶやつだよ」
と、対人戦に詳しいユラが教えてくれる。
「もらった!」
翻弄するようにアビスの周囲を回っていた騎士の一人が、突然軌道を直線に変えて彼女の背後を襲った。
「もらってない!」
バギャァ! と金属がひしゃげる音を立て、彼はアビスに打ち返された。壮絶なバウンドを繰り返し、そのまま手すりを越えて山の斜面へと落下していく。そんな様子を見せられても、残り多数の騎士たちはまるで動じずに回遊を続ける。
脅威はアビス一人。信徒たちは怯え切って、とてもここから盛り返せる気配はない。
「フム、さすがだなダーククイーンとやら! 我がクランの精鋭を一撃で吹っ飛ばすとは!」
そんな砦最上階に、新たな人影が加わった。
階下を制圧し、堂々と階段を上って来たのはイトも見覚えのある老け顔。〈キングダム〉の宣伝を大声でしていったあの男性プレイヤーだった。
「何なのよ、あんたら! わたしの仲間に何の用!?」
アビスがガオオと吠えた。
「我々は〈キングダム〉である! 後から来たそなたは事の経緯を知らないようだ。しかし説明は雌雄を決した後にしよう。まずは我らの軍門に屈せい!」
強行に言い放ち、鎧に覆われた腕を振り下ろそうとする。が――。
「待てーっ!」
割り込む声が二体の折り鶴を放った。
すぐさま放出されたレーザーが、回遊する深紅の騎士たちの中へと突き刺さる。
爆裂。砦のハウジング素材と共に、数人の騎士たちが空へと舞い上げられる。
「ム! 援軍か……!」
男性プレイヤーが振り上げた腕を素早く手招きの動きに代えると、アビスを包囲していた騎士たちはたちまち彼の元へと集結した。
「アビス!」
「千夜子! 来てくれたのね!」
その隙にイトたちは屋上へと降下。最後に飛び降りた千夜子に対し、駆け寄ったアビスが早速抱きついて熱烈歓迎を示した。
「アビスちゃんたちをやらせはしません!」
イトはガローラを抜き放ち、赤い騎士団と対峙した。
ユラと烙奈も武装を露わにして臨戦態勢。すぐに、ひとしきり密着し合ったアビスと千夜子もそこに加わる。
「フム! 誰かと思えば、そなたはあの時ライズ会場にいた真のアイドル……!」
「そういうあなたも、ライズ会場にいた目立つ二人のうちの一人……!」
イトが視線をつき返すと、男性プレイヤーは、この対決は望むところとばかりにふんぞり返った。
「改めて自己紹介しよう。吾輩はバルサンク卿である! なお卿は勝手に僭称させてもらっているだけで、特に偉いとかはない!」
「何という正直な人……! ならばわたしも正直に言いますと、正統清純派アイドルの白詰イトです、よろしくお願いします!」
「ウムよろしく!」
手早く挨拶を終えて、イトはすぐに相手を指弾する声を放つ。
「しかしこれはどういうことですか!」
「どう、とは?」
バルサンクは泰然とこちらを見つめた。
「PK排除の安全地帯があなたたちの目的だったはずです。でも、ここでしていることはPKそのものじゃないですか! 事と次第によっては、この子が黙っていませんよ!」
ジャキン! とガローラを見せつけ吠える。
「ウム……アイドル職だてらに古剣ガローラとは良い趣味だ! その審美眼に応えて、我が得物もお見せしよう!」
それまで素手だったバルサンクの手の中に、ブロックノイズと共に武器グラフィックが生成される。それは――。
「へえ……!“テュボーン”!」
隣にいたユラが感心した声を上げる。
バルサンクが取り出したのは、体のあちこちに鱗や棘を生やした奇怪なバスターアックスソードだった。アビスのヒュベリオンが悪魔の邪悪さと生物学的洗練を両立させたデザインならば、テュボーンは魔獣的な豪華絢爛さに満ち溢れた一振りだ。
「現在のバスターアックスソードではトップに君臨する極レア装備だよ。十七地区じゃまだ一、二本しかドロップしてなかったはずだけど……」
「ほう、知っているか! これは、しゃちょ……や、“あの方”が吾輩に贈ってくれた珠玉の品! どうだ、美しいであろう!?」
「いや、うちのエメラルドグラットンの方が断然美しいね」
「わたしのガローラの方が可愛いです!」
「ヒュベリオンの方がスマートよ」
「ヌヌッ! やはり女子とは合わんかぁ!」
バルサンクはテュボーンを豪快に一振りした。怪物の咆哮にも似た野太い風切り音が、イトたちを威圧する。が、その切っ先がこちらに向くことはなかった。
バルサンクは斧大剣を大事そうに下ろし、
「こたびの勝負はここまでとしよう。すでに我ら〈キングダム〉の実力はわかってもらえたと思う。PKを禁じ、秩序を守るためには確かな武力が必要なのだ。その力が我々にあることをまずは知ってほしかった。〈キングダム〉は理想に共感してくれる人々を歓迎する。ではさらば!」
軽くカッと地面を蹴ると、バルサンクの重厚な鎧が翼を得たように浮き上がった。そのまま後方へと大きくジャンプ。ゆうに数メートルを飛び越える跳躍力に任せて、他の騎士たちもろとも彼は山を下っていった。
「何とかなりましたか……」
イトはふうっと大きなため息をつく。
こっちもフルメンバーとはいえ、数では圧倒的に不利。退いてくれてよかったというのが正直な気持ちだ。
「アビス、何があったの?」
千夜子の問いかけに、しかし救援の要請を寄越したアビスは首を横に振る。「何があったの?」と、アビスがそのまま同じ質問を向けたのは、床に座り込んだ信徒の一人だ。
「イエス、イエスイエス……」
「……!」
その女性プレイヤーの証言を聞き、イトは目を丸くする。
「イエスイエス、イエス……イエス!」
「すいませんわたしたちには普通の言葉でお願いします……!」
「はじめ、彼らは友好的にやって来たんです。私たちも砦の竣工祝いだったので、喜んで彼らに事情を説明しました」
やはりこの砦がアビスへのプレゼントだったのだ。以前、武装蜂起した時以来の要塞。〈ルナ・エクリプサー〉は普段はまったく別のクランを持ち、別の暮らしをしているため、集まる時に使える特別な拠点がほしかったのだろう。
しかしそのお祝いは台無しになってしまった。アビスが唇を噛むのが見える。
「すると、さっきの――バルサンクという人が言ったんです。我々の仲間になれば、その大切なダーククイーンとやらも守ってあげようと。そしたら、それを聞いた一部の人たちが怒り出してしまったんです。自分たちじゃ足りないとでも言うのかって……」
それは……なかなか難しい問題だ。バルサンクもそこまで悪気があったわけではないのかもしれない。きっと偉そうには言ったんだろうなとは思えつつも。
「正しい反応ね」
アビスは彼らの怒りを追認した。
「〈ルナ・エクリプサー〉はこれまででも十分わたしを守ってくれている。おかげで、今もこうして無事よ。ヤツらの力なんて借りる必要なんてないわ」
「イエス……マイ、ダーククイーン!!」
信徒たちは感極まった様子でアビスを見上げる。こういう時の彼女は、千夜子の隣で溶けている姿とは本当に別人だ。
「そして、そこからなし崩し的に戦闘に発展したと?」
続きを促す烙奈の言葉に、気を取り直した信徒は首を横に振った。
「私たちはそこまで武闘派じゃありません。仲間があの人たちに反発したら、では実力を試させてもらおうとか言っていきなり襲って来たんです。その後はもう、クイーンが駆けつけてくれるまで一方的にやられて……」
「戦力の売り込みだねえ、有体に言って」
嘆く信徒を尻目に、ユラが軽い口調でまとめに入る。
「とりあえず暴れてクランの名を売ろうって魂胆。本人たちは一応お行儀よくしてるつもりだろうけど、やってることはゴロツキと一緒だよ。まあでも、みんなで手を繋いでPK反対~なんて綺麗ごとを押しつけてこないのは、ほんのちょっぴり好感が持てるかな。ほんのちょっぴりだけね」
人差し指と親指の隙間で、ほんのちょっぴりの程度を示して見せるユラ。指先はほぼくっついていて、好感度は無に等しかった。
「ただ、さっきのバルサンクの話が本当なら、ちょっと厄介かもしれないね」
「どの話です?」
「テュボーンを誰かからもらったって話。自力で掘ったのなら相当のやり込み勢だし、バザールで買ったんだとしたら、十億ぐらい平気でいくからね、あれ。そういう人がバックについてる」
「……!」
イトはすぐに察した。あの方、という人物だ。恐らくはクランのリーダー。キングダム思想を訴えつつ、プレイヤーとしても強い求心力を持っている。〈ルナ・エクリプサー〉の砦を落とせるほどのメンバーを揃えられている点からも、これは確実。
「今、十七地区は精神的支柱だったアイドルの月折六花を失いかけてる。その穴を埋める何かを、人は無意識のうちに探してる。そこに現れたキングダム思想と、それを標榜できるだけの有力なプレイヤー……。誰もが飛びつくわけじゃない。でもだからこそ、そこに摩擦が生まれる。荒れるかもねぇ、これ……」
不謹慎に微笑んだユラの懸念は、すぐに現実のものとなった。
事態がまた少し悪い方へと動いたのは、その翌日。
きっかけは千夜子のフレンド欄に点灯した通話のランプ。
「チョコちゃん、うちの店、もうあかんかも……。助けてぇな……」
クラン〈雅屋〉の店主、カサネのSOSから。
〈ルナ・エクリプサー〉はいつもひどい目に遭っている気がする……。