案件127:月折六花という少女
「皆さーん! 今日は来てくれてありがとうございましたー!」
予定通りの活動を終え、イトと千夜子と烙奈は三人揃って手を繋ぎ、ステージ上から客席に向かって頭を下げた。
ライズバフを受けられる観客スペースに、人影はまばら。ただ、ちょうど近くを通り過ぎようとしていたシンカーたちが揃って「お疲れ様~」「乙です~」と声をかけていってくれるのに対し、イトたちもこれからダンジョンに潜るその人らに向かって手を振り、無事を祈った。
あらかたのプレイヤーを送り出した後の、グレイブアイドルの撤収風景。
客席というよりライズ会場全体に向かってお辞儀をし、ホームへと帰還するのが一般的な流儀だ。
そんないつも流れの中で、イトたちは小さな事件と遭遇することになる。
ライズ会場裏側で、ちょうど同じタイミングで撤収するアイドルたちが集まっていた。少し気だるげな、しかし満足感漂うスペース。今日の成果を讃えあうユニットもあれば、早くも反省会を始めてしまう女の子たちもいる。
現在リアル時間にて夜九時。この時間帯に引き上げるプレイヤーは多い。
彼女たちに一声挨拶し、イトたちもホームへ戻るつもりだった。
が。
「もうやだ……! もうつらいよ……」
そんな悲痛な声が人垣のむこうから聞こえ、イトは思わずぎょっとした。
三々五々、その場にいた他のアイドルたちも同様。揃って目を向けた先にいたのは、数人の集まりと、その輪の中央にいる中学生くらいのロングヘアの女の子。
同じコスチュームを着た他二人がユニットメンバーらしく、すすり泣く彼女を前にひどく狼狽えているのが一目でわかる。
「あんなに頑張ってダンス練習したのに……歌も頑張ったのに……お客さん全然増えなかった……! 何で……どうして。どうすればいいの……!」
少女が漏らす苦悩は、グレイブアイドル――いや、何かを目指す人なら誰もが一度は直面する……あるいは常に直面し続ける壁だった。上手くいかない。成果が出ない。それを聞いてしまったアイドルたちが、ぐっと唇を引き結ぶのが見える。
集まっている少女たちや、ユニットメンバーもどうしたらいいのかわからず、ただオロオロするばかりだった。
ユニットメンバーの気弱そうな顔を見るに、何となく今泣いている少女がリーダーのような気がした。柱となる人物が折れてしまい、後の二人にはなすすべがない。そんな様子だ。
何か言ってあげなければ、とイトは思った。
同じグレイブアイドル同士、励まし合いは必要。そんな空気が場を巡っていたが、動ける者は誰もいなかった。
この場にいるのは仲間であると同時にライバルだ。敵に必要以上の塩を送る人なんていない。
それより何より――何を言ってあげられる?
すでに泣くほど頑張ったであろう彼女に、もっと頑張れと言うのか。……そうだ。それしかない。そのことをこの場のみんなが知っている。しかしそれも――正しいかどうかわからないのだ。
ここにいるのは全員がアイドル未満のグレイブアイドル。明日、自分がああなっているかもしれないのに、偉そうにアドバイスなんてできるわけもない。
千夜子と烙奈も、居づらそうな表情で立ち尽くすばかり。イトも上手く言葉が出ず、歩き出せないでいた。
その沈痛な静寂を、颯爽と草を踏む足音が通り抜ける。
誰もがはっとしてそちらを見る。
この場の誰よりも堂々と、ぴんと背筋を伸ばして歩む彼女は。
トップアイドル、月折六花――。
「――そうだね」
彼女はそう呼びかけ、そのアイドルユニットの横に立った。
「り、六花さん……!?」
「月折さん……!」
たちまち慌てる少女たち。グレイブアイドルたちにとって、六花はすぐそばで同じゲームをプレイしている、リアルの時よりもよっぽど近い距離にいる存在だ。しかしその実、誰もが自分とは格の違う天上人だと理解している。そんな人にいきなり声をかけられたら、驚いて涙も引っ込んでしまうに決まっている。
「どれだけ頑張っても、どれだけ努力しても、成功するかはわからないよね。わたしだっていまだにわからない。何かを始める時は不安でいっぱい」
六花は優しい声でそう告げる。柔らかく、だから強い。
「でもね」と、静かな月夜に似た目が少女を見据えた。
「できないことができるようになるのって、嬉しいよ。やりたいことがやれるようになったら、楽しいよ」
「……!」
「何をしても成功するかどうかわからないのなら、あなたはどっちがいい? 楽に成功するのか、楽しく嬉しく成功するのか。あなたがアイドルを目指した理由は何だった……?」
「それ、は……」
聞くまでも、きっとないこと。
ここにいるグレイブアイドルたちの大半は、月折六花に、あなたに憧れてスカグフを始めた。
あなたがあまりにもキラキラしていたから。
絶対に、楽にあなたみたいになれるなんて思ってない。ただただ楽しそうで、綺麗で、輝いていて、だから追いかけたかった。同じになりたかった。その道の険しさなんて知らずに。いや……恐れずに。
泣いていた少女の瞳に強い光が戻ってくるのを、イトは見た。
「たっ、楽しく、嬉しい方が、いいです……!」
「だね。わたしもそう」
六花は優しく笑いかけ、目線で彼女の仲間たちを指した。少女ははっとし、それまで狼狽するばかりだったユニットメンバーへと振り返る。
「ごめんね、りっちゃん、さーちゃん、迷惑かけて。わたしもっと頑張る」
「ううん、迷惑なんかじゃない。頑張ろう……また頑張ろう……!」
「わたしたちももっともっと練習するから……!」
少女たちはそうお互いを励まし合い、六花に何度も何度もお礼を言いながら、その場を後にした。
ほうっ……と誰もがため息をつく。安堵というより感動。誰も何も言えなかったあの場面で、きっと一番正しいことを言えた六花への感嘆と憧憬。
「り、六花ちゃん……!」
「あ、イトちゃんもいたんだ。お疲れ様――」
「りっがぢゃん、ずばらぢかったでずううううううッ!」
「ひゃあっ!?」
イトは六花に抱きついて……いや、すがりついて感激の涙を流していた。
「さすがは六花ちゃん! あまりにもさすが……! あんなふうに人を励ませるなんて……生きててよかったぁ!」
「き、聞いてたの? あはは……」
六花は照れ笑いを浮かべながら、柔らかそうな指先で、もっと柔らかそうな頬をかいた。
「あれは励ましじゃないよ。ただの本当のこと」
「へ?」
「あの子たち、まだ何もしてない。成功も失敗も全部まだこれから。こんなわたしがまだ、こうしてここにいられるんだもの。もう諦めるなんてもったいなさすぎるよ」
わずかな寂寥が六花の笑みをかすめた気がして、イトは目をぱちくりさせる。
「つまりね……君たちに挫折はまだ早い、ってとこかな?」
指先をくるっと回し、あざとくポーズをつけたその一言に、イトは――いやきっとこの場の全員が、見事にハートを撃ち抜かれた。可愛すぎる天使か。
そして思う。彼女でよかったと。
十七地区のトップアイドルが月折六花で、本当によかった。
彼女は太陽、そして月。華やかな真昼はすべてを明るく包み込み、孤独で寂しい夜はひっそりと足元を照らしてくれる。
成果が出せなくて苦しくても、努力が実らなくてつらくても。六花という偉大な先駆が道を突き進む限り、わたしたちはそれをただ見つめ、一つずつ積み上げていけばいい。
彼女と同じ地区にいられる自分は、本当に幸せ者だ。
同じ道を歩いていたい。これからもずっと。
きっと誰もがそう感じ、六花を熱い眼差しで見つめていた。
そんなことがあってから、数日のことだった。
彼女が、月折六花が、
活動の無期限休止を発表したのは。
今シリーズの最終章となります!
どうぞ最後までお付き合いください。