案件12:歌姫とのコラボ生活を満喫せよ!
「というわけで、今日はなんとデビュー前の愛川セツナちゃんと一緒に、タウン4に来ておりますっ!」
撮影用に浮かせたボールカメラの前で景気よく挨拶すると、イトはそのままクイッとカメラを隣に向ける。
「は、初めまして。愛川セツナです」とカチコチに緊張しながら頭を下げるセツナは、昨日までの大きめなローブではなく、ささやかなフリルのついた余所行きのワンピース姿だ。
「せ、セツナちゃん、リ、リ、リラックス、リラックス……」
「そ、そうだぞ。別に録画しているからと言って、か、かしこまることはない」
「チョコさんと烙奈さんもカクカクしてますよ……!」
横でフォローしようとする千夜子と烙奈も負けず劣らず変な動きをしていた。三人揃ってアニメーションダンスしているような姿は、これはこれで見ていて面白かったが、動画の趣旨とはだいぶはずれてしまう。
いよいよ始まった〈ワンダーライズ〉と愛川セツナのコラボ生活。
これはその貴重な公式記録であり、いずれとんでもない再生数を叩き出すであろう未来のお宝動画なのだ。
(ククク、そして同じクランに属した以上、同じユニットも同然。つまり百合営業の射程距離内……! セツナちゃんの初百合営業はわたしがもらったァ……!)
カメラの横で朗らかに笑うイトの内面では邪悪な妖怪ニチャーが顔を出していたが、こうして動画を撮ろうと言い出したのはセツナからだった。
フォロワー8000という数字がかなりのものであることを薄っすら自覚していた彼女は、その評価を〈ワンダーライズ〉の役に立てられないかと、今回の撮影を思い立ったという。
イトから見て、愛川セツナはブレイクする可能性を大いに秘めている。〈ワンダーライズ〉はその際の爆風で消し飛ぶレベルの弱小ユニットだったが、ならばいっそその風に乗ってどこまでも飛んでしまえというのがグレイブアイドルの心意気だ。
とはいえ、フォロワーの数は向けられた銃口の数という古い格言もある。実力の足りない者が大舞台に飛び込めば、負う火傷は小さく済まないこともまた事実。そんなこんなで、動画初体験のセツナだけでなく、千夜子たちまでああして緊張しているのだった。
「まあまあ、みんなそう硬くならないでください。ホームビデオだとでも思えばいいんですよ。これだって後で事務所から怒られたらお蔵入りなんですしぃ~」
本音を言えば、その方がいいような気がイトはしていた。
投稿を考えれば否が応でも倫理観がつきまとうからだ。AIからセンシティブ判定を受けることを恐れて、セツナにスリスリもちゅっちゅもできなくなっては元も子もない。
「タウン4は、セツナちゃんが来てみたかった町なんですよねー?」
イトは緊張をほぐすことも考えつつ、セツナに話を振った。
「はい。デビューの前に、どうしても見ておきたいものがあって」
「果たしてそれは何でしょうか。ヒントは、ここは“あの”タウン4です!」
カメラで町を映しながら、イトもその町並みを遠望する。
小奇麗な家々が整然と並んでいる。空に浮かぶグレイブの破片で地上がまだら模様になっているのはどこも同じとして、豊かな街路樹の木陰も多いことがタウン4の特徴の一つ。ただ、やはり突出しているものと言えば――。
「木陰を抜けて、見えてきました。誰もが知るタウン4の最大名物といえば、我らがトップアイドル月折六花ちゃん率いる〈サニークラウン〉のホーム――!」
「わあ……」
セツナが空を見上げる。
〈サニークラウン〉のホーム。真っ白な外壁にピクセル風に描かれた大きな花丸があることから“花丸マンション”と呼ばれる、大型集合住宅――。
「その上に浮かぶ、〈天空の六花ちゃん像〉です!」
「相変わらずすごい光景だね……」
「シュールだのう……」
千夜子と烙奈が呆れたような、苦笑いのような、そんな顔を浮かべる。
まずそれは、マンションの上に浮かぶ巨大な岩塊だ。
スカイグレイブの破片。破片と言ってもちょっとした公園くらいの広さは余裕である。
とあるハウジング素材用ダンジョンの最奥で発見された超絶激レアアイテムで、シーズン8を迎えた現在でも各地区で二つ三つしか報告例がなく、所有者はそこに家を建てて天空の住人となったとか、自前のスカイグレイブを建設してテーマパークにしたとか、とにかくスケールの大きい話しか聞かない。
タウン4の場合、その岩塊の上には、天を指さすドヤ顔の六花の巨像が置かれていた。
花丸マンションの屋上に鎖で繋ぎ止められているこれらは、セントラルに住むとある墓王から、六花が現実世界にアイドルデビューした記念に贈られたという。ちなみに像はポーズから何から本人に無許可で製作されており、贈られた六花はずいぶん頭を抱えたそうな。
「よーく見ておいてねセツナちゃん。あれが成功者の象徴だよ」
「は、はい。何という威厳……!」
セツナが見ておきたかったというのがこの光景。いや、正確にはマンションの方を。
花丸マンションは決して高価な物件ではない。無課金でも一月くらいグレブンを貯金しておけば、誰でも手が届くくらいの価格。〈サニークラウン〉もそんなところから始まった。最初の一歩はみんな同じ。それを確かめておきたかったという。
まあついでに、彼女がたどり着いた前人未踏の極致も見せつけられてしまうわけだが。
周囲には、この六花ちゃん石像を見に来た観光らしきシンカーたちもちらほらいた。こちらと同じくカメラを回している者も少なくない。ただ、そうした人々の中に周辺住民が一人もいないことをイトは知っている。
「ここ一帯はどこも〈サニークラウン〉さんの持ち家なんですよね」
セツナが確認するように聞いていた。
その通り。花丸マンションだけでも何十というクランが入れるのに、そこと周辺の建物はすべて〈サニークラウン〉の所有。しかし、これを買い占めと呼ぶのは少々意地が悪い。
「六花たちの人気と共に地価が高騰してしまってな。ただでさえアウトランドは貧乏人が多いというのに、このままではセントラル級の富裕層でないと住めないということで、慌てて六花たちが買い取ったのだ」
解説役の烙奈が話し出すと、ボールカメラのレンズは自然と彼女に向き直る。AIの自動サポートだ。ふんふんと聞き入るセツナの反応も交互に映し、隙の無いカメラワークを発揮する。
「その後、今まで通りの適正価格で売り出したものの、今度は一般住人同士がバザールで価格を吊り上げだしてしまった。結局は皆、同じ穴の狢だったというわけだ。そんなわけで、混乱が収まるまで一帯は〈サニークラウン〉の預かりとなった」
「月折さんたちの人気は衰え知らずだから、それがかなうのはいつなのか全然わかんないけどね」
千夜子が微笑んで、ひとまずの概要を終えた。
そんなわけで花丸マンション周辺は、タイミングが悪ければゴーストタウンのような人気のなさとなる。セツナが今日までここに来られなかった大きな理由がこれだ。無論、この動画でそんな内情は絶対明かさないが。
「月折六花ちゃんは、ホームにいるでしょうか」
セツナは窓が何十と並ぶマンションの外壁を見ながら言う。六花ちゃんという呼び方は、ファンの間では普通の呼称。その顔には人気のスーパーアイドルを一目見たいという、年相応の少女の期待が見え隠れしている。
イトはそんな少女を可愛く思いつつ、
「さあ……。ここは六花ちゃんたちのホームの“一つ”にすぎませんし、スカグフでもリアルでもお仕事いっぱいで忙しいでしょうからね」
「そう、ですよね」
しょんぼりした様子のセツナ。そんな彼女を励まそうと、イトはその手を優しく握った。
「大丈夫。セツナちゃんはこれから、六花ちゃんたちと同じ場所に立つんです。同じアイドルの仲間として、そしてライバルとして。そこでいくらでも会えますし、いくらでも話せます。あなたは勇気を振り絞って、そういうところまで来たんです」
「……! はい……!」
きゅっと握り返してくる指に、少女の決意がこもっていた。今まで積極的に何かをしてこなかったというセツナが、単なる思いつきだけでここまで来られたはずがない。
精神的なハードルはいくつもあった。それを乗り越えてきた彼女には、もう輝きの片鱗が見えている。それを間近で感じたイトは、
(はあああああああ何だこの娘!? 柔らかい! あったかい! この子はわたしに罪を犯させようとしている……!!)
裏でいつもの考えに頭を支配されていた。
と。
「ね、ねえイトちゃん」
不意に、千夜子が肩を叩いてきた。顔を向ければ、彼女はぽかんと上を見つめている。
「どうしました?」
「あれ、月折さんじゃない?」
「へ?」
マンションの最上階の小窓。
そこに、べたっと張りつくような人影があることをイトは確かめた。あまりにも小さいためはっきりとはわからないが、何やら目を見開きこちらを見ているような――。
それからすぐ。ズドドドドと、何百段とありそうな階段を駆け下りてくる勢いで、誰かがマンションから飛び出てきた。
見間違うはずもない。月折六花本人だ。周囲の観光客から戸惑うような歓声が上がる。
「イ、イトさん……! 六花ちゃんです。ほ、ほ、本物の。ど、どうしよう……!」
そうした反応はセツナも同様だった。さっきは会いたがっていたのに、アワアワしながらイトの背後に隠れてしまう。
「そんなに緊張することありませんよ。六花ちゃんは誰にでもフレンドリーですから。それにしても突然の本人降臨とは、これは物凄い撮れ高です! おはようございます六花ちゃん、お疲れ様です!」
イトはカメラの向きをしっかり気にしつつ、六花に明るく呼びかけた。が、
「イ、イトちゃん……!? そ、その女の子は……?」
「へ?」
ホームということで家着のつもりだったのだろうか。ゆったりとしたパーカーにショートパンツ姿の六花は、目を丸くしたまま、間合いを計る剣士のように摺り足でにじり寄ってくる。
「あっ、ああ。この子は愛川セツナちゃんです。次のグレイブ攻略でライズデビューする新人さんなんですよ。セツナちゃん、ほら、六花ちゃんですよ。挨拶挨拶」
「はっ、はい……こ、こ、こん、にち……。あぁ、だ、ダメですイトさん言えません。代わりに言ってください……」
(何だこの可愛い生き物!?)
あのしっかり者でクールなセツナがこののぼせよう。こちらの体に顔を埋めてプルプル震える姿は別の生き物のようだ。これが全年齢対象アイドルのなせる業なのか。
「新人って、う、うちの事務所から、ってこと……? そんな話、聞いてない、けど……」
そんなセツナとは何やら別種の緊張感を帯びながら、六花が質問を重ねてくる。
「あっ、あー……。いえ、訳あってうちの事務所じゃないんですよ。ええと確か、〈ソングバード〉……でしたかね」
「どうしてイトちゃんが、よその子と一緒に……ま、まさか、付き合……」
「え、ええーと、そういう案件を引き受けてしまって……。あのう、いづなさんたちには内緒にしてほしいんですが、傭兵まがいの、いわゆる騙して悪いが案件で……」
「!! な…………なーんだ!」
ぱああっ、と六花の顔が突然輝いた。
「うおっ、まぶしっ……!」
キュウンとボールカメラの瞳孔が縮小する音。
「ご、ごめん。イトちゃんがいきなり知らない女の子をつれてうちの前に来てるから、何事かと思って」
「よくわかんないですけど、六花ちゃんに笑顔が戻ったことはよかったです! 今日は、このセツナちゃんが六花ちゃんのおうちを見ておきたいと言うので来たんですよ。ね? セツナちゃん」
「は、はい……」
消え入りそうな声でうなずくセツナ。六花は腰を屈めるようにしてそれに顔を近づけ、
「ごめんね驚かせちゃって。愛川セツナちゃんって言うのね。中学生?」
「! はっはい。中学……二年生、です……」
「そうなんだ。わたしもデビューはそれくらいだったよ。〈ソングバード〉所属ってことは、自分の声で歌うんだよね」
セツナはうなずいた。それから何かを言おうとするが、唇がわずかに上下するだけで、思うように言葉を紡げない。もどかしさが少女の表情を曇らせたことに六花も気づいたのか、彼女は一段と優しい声音で語りかける。
「本番まですごく緊張して、不安もいっぱいあると思うけど、今は自分の“普通”が出せることだけ考えて。練習通りのこと。大成功する努力なんて考えなくていい。100%の自分を出すことに一番努力して。まずは、そこから」
「あっ……はい……!」
強くうなずいたセツナは、イトにさらに強く抱きついてきた。
「ど、どうしようイトさん。六花ちゃんからすごいアドバイスをもらってしまいました……!」
「うんうん。よかったですねセツナちゃん。これで本番も無敵です」
声を震わせる少女の初々しさが愛おしくて、イトは思わず頭をポンポンしてやる。
「ね、ねえイトちゃん」
ふと、六花が落ち着かない様子でたずねてきた。
「これを機に事務所を変えるなんてこと、ないよね?」
「あはは、そんなことありませんよ。この依頼だって事務所からじゃなくて、セツナちゃんのぉ――あーあー……一ファンから頼まれたことですし」
「そ、そうだよね! よかったぁ。……………………」
「六花ちゃん?」
まだ何か聞きたげな六花に呼びかけると、彼女は上目遣いになりながら、
「イトちゃんて……もしかして年下の方が……好き?」
「へ? そりゃ、可愛いとは思いますけど……」
「!! そ……そう、なんだ……」
「六花ちゃん?」
「で、でも、そうだ! イトちゃんの誕生日って、わたしより一月早いよね! つまりわたしも一か月間は年下!」
「突然の若さアッピル!? 一体何を!」
瞬時に輝いたり沈んだりと地球を終わらせに来ている太陽みたいな動きをする六花に、イトは戸惑うしかなかった。おかしい。オフだからなのか、それとも予期せぬ訪問に驚いているのか、挙動が不審だ。これはこれでもちろん可愛いし、カメラはばっちり回して後で堪能させてもらうけれど。
「う、ううん。何でもないの。何でも……。わたし帰るね……」
我に返った六花はそう言うと、なで肩をさらに落とし、しょぼしょぼとマンションに戻っていってしまった。
イトは何も言えなかった。
セツナは興奮した様子でさっきのアドバイスを繰り返しつぶやいているし、千夜子と烙奈は何だか半笑いのような顔でこちらを見ているしで、何かを聞けそうにない。
ただ、この動画がお宝ではなく炎上――いや何か大量破壊的な何かになってしまったような危機感だけが、胸の奥で小さく芽生えていた。
上手く編集しても微妙な空気感を嗅ぎつけられてスキャンダル化しそう。