案件117:望みを繋いで
「よーし、敵はもうほとんど残ってない!」
最前衛で駆けながらユラは目標地点を見据えた。
古びた石台の上に発生した、空間を歪める奇妙な渦。数々の地区を渡り歩いてきたが、ここで何かが起こったという話は聞いたことがない。
果たして何が始まるのか。残りアタック時間はあとわずか。しかし行ける!
そんな明るい道筋を、頭上を圧する業火が陰らせた。
「なっ!?」
反射的に凍結魔法をばら撒いて相殺。魔力光の残滓の先へとにらみを利かせたユラが見たのは、上空を埋め尽くす有翼モンスターの大群だった。
「クソッ、増援か!」
隣で同じものを見ていたモズクが激しく舌打ちする。
しかしすぐには襲撃してこない。翼あるものどもは、小賢しくも空中からの一斉砲火を決め込んだようだった。
こちらのパーティは自分を含めてイト、ノア、アビス、モズクと手練れが揃っている。が、空から一方的に撃ちまくられたらさすがに碧瑠璃を守り切れない。
「へへッ、しょうがないなあ!」
ユラは迷わずホウキ型飛行マウントに飛び乗ると、一気に急上昇した。
「ユラちゃん!」
「バカ、ユラ、狙い撃ちにされるぞ!」
イトの叫びに混じって口の悪いモズクの制止が聞こえるも、そんなことは二百も承知。
「ここはボクに任せて先に行けってね!」
超高速で翼の群れに突っ込む。
「食らえええッ!」
攻撃持続判定を持った特大の雷球を周囲にばら撒く。
密集していたモンスターたちはたちまち紫電の塊に呑まれて、その陣容を蚕食されていく。だがまだまだ数は多い。敵の応撃が来る!
「うりゃあああああっ!」
飛び交う火や氷の矢弾。肌のすぐ横を様々な圧迫感が通過していくのを味わいながら、ユラは稲妻のようなジグザグ軌道で敵の中を飛び回る。
その際も装備を赤石のロッドから碧大剣に持ち替え、一体でも敵を多く斬り捨てることを忘れない。こっちは生粋のソロプレイヤーだ。一対多の戦いには慣れている。それでも。
「さすがに持ってかれたなぁ……!」
敵の猛攻を抜け切ったところで、ライフバーは大きく削られていた。
かつてない大規模な空中部隊。そこからの全方位集中攻撃だ。一瞬でスミクズにされなかっただけ「上手いじゃんボク」と自画自賛したくなる。
「ここで回復を……!」
急いでインベントリから取り出す高級ポーション。しかし次の瞬間、目の前を通過した鋭い棘に瓶を打ち砕かれた。
「!?」
すぐさま目を向ける。
人間サイズのスズメバチ――“エンダーサウンド”がホバリングしつつこちらを見ていた。禍々しく膨らんだ尻からジャキンと針がリロードされる。さっき飛んできた棘はこの毒針だ。
「“その羽音を聞いたら終わり”……」
有志攻略wikiに載せられた警句が、勝手に口からこぼれ出る。
発見数の少ない超極悪レアモンスター。特定グレイブの深部でしかエンカしないため図鑑でしか見たことがなかったが、そうかコイツ、アイテム妨害までしてくるのか……!
「へへ……上等!」
飲み口だけになったポーション瓶を投げ捨て、ユラはエンダーサウンドに突撃していた。
エンダーサウンドもまったく動じずに直進してくる。
現状は、考え得る限り最悪の戦場コンディションだ。
目の前にはエンカウントすら事件になるレア大物。加えて四方八方から無数の飛び道具が飛んでくる。視界外からの攻撃はクソゲーの証と罵られた時代を過ぎ、今では五感で捉えられない方が悪いとされる界隈で、それでもこれはあんまりにもあんまりな環境。
(だけど……!)
イトちゃんたちがゴールできれば……ボクの勝ち!
空中で死の羽音と切り結ぶ。恐ろしいのは針だけじゃない。牙も、ツメも、下手をすれば翅でさえ、人を容易に寸断できるだけの威力を秘めている。そこそこ程度のグレイブのボスでは、こいつの強さの足元にも及ばないだろう。
しかしこっちも、ソロ探索でグレイブの番人を何体も討ち果たしてきた身だ。勝てない勝負とは微塵も思っていない!
両者は何度も、超高速でぶつかり合った。
果たしてこの最悪の戦場で――。
ユラのHPはあと少し、エンダーサウンドの首に届かなかった。
針の直撃こそ受けなかったものの、雑魚の攻撃を食らって体がスタン状態に陥る。ギリギリの削り合いの中に差し込まれた、絶妙なまでの横槍。
「くっ、あとちょっとだったのになあ……ッ!」
制御を失い、ホウキと共に落下していくユラ。
時間稼ぎの仕事は果たしたと思いつつも、勝ち誇るようにホバリングするエンダーサウンドの顔に、嫌味ったらしい笑みが感じられるのがシャクだった。
このまま地面に叩きつけられてアウトか。
冴えないラストだな。
そう思った時。
ドン! と下から突き上げてきた衝撃が、体にのしかかっていた痺れを吹き飛ばした。
「!?」
ドン! と続けて来る心地よい風が、今度は底の見えかけていたライフバーをぐっと押し上げる。
「なっ……!? 打撃ヒール!?」
咄嗟に地上を見た。
そこには、懸命に大剣で地面を叩くモズクの姿があった。
一人でここまで追いかけてきた……!?
「ばか、何やってんだ! こんなところでヒールなんか使ったら……!」
ヘイトが一気に回復係へと向く。
空中にたむろっていたモンスターたちが、驟雨の如く地上のモズクへと襲いかかった。
最優先に潰すべきが回復役であることを、怪物たちは知っているのだ。
「く――」
いくら単体生存能力に長けたモズクでもこの数は無理だ。
助けに――。
「何してんだユラああああ! あっちを見ろおおおお!」
「!?」
モズクがとてつもない大声で叫んできた。思わず彼女が指さす上空へと向き直る。
エンダーサウンドが孤立していた。
雑魚がごっそり地上へと向かったからだ。
何のためにモズクが来た? ボクを助けるためか?
いいや、彼女は救護のプロだ。もし救助目的なら、彼女は地上でこちらをキャッチして後退していたはず。それをわざわざ敵の気を引く地点でヒールしたということは。
ボクに勝ってこいってことだ!
「くたばれええええええ!」
ホウキにしがみついたユラは、流星の速度でエンダーサウンドへと突進した。
昆虫の複眼が完璧に捉えるプレイヤーの攻撃。その想定速度を、ユラのホウキはコンマ一秒上回る。
突き出された必殺の毒針はボロ魔女のスカートをわずかに裂き、それと引き換えにエメラルドグラットンは巨大蜂の首を胴体から切り離していた。
殺った!
エンダーサウンド、ソロ討伐。いや、ソロとはもう言えないけれど、友達との勝利はそれ以上に甘美なものだった。
けれど、ユラはその偉業を噛みしめることなく、すぐさま反転して地上へと突っ込む。
ホウキごと着弾し、群がるモンスターを吹き飛ばした場所には、半死半生のモズクがうずくまっていた。
「なんでぇ……。戻ってきたのかよ」
「へへ……ピンチの友達は放っておけないんでね」
「ちゃんと勝ったんだろうな?」
「当然さ。ボクの得物は大剣だよ?」
「なら、いい」
二人は微笑みあった。
次の瞬間、おぞましい数のモンスターたちが彼女たちを押し潰した。
※
目標地点まであとわずかというところで、イトは視界の端に怪しげな光が瞬くのを目撃した。
「あっ、あれは……!」
一ツ目の巨大ヒトデ――イトたちはこれを監視者と呼ぶことにしていた。
ブタの風船みたいなモンスターにぶら下がってこちらを見ている。
さっき空中の増援を呼んだのはこいつだ!
今も目玉からチカチカと毒々しい色を点滅させ、何かを呼んでいるような動きを見せている。
「こいつ!」
「このっ!」
千夜子と烙奈がすぐさま銃撃する。幸い、ブタ風船は“ブーヤン”と呼ばれる序盤モンスターで、他の魔物をランダムで運んでくる能しかない。監視者を取り落としてあたふたと逃げていく。
だが遅かった。すでに強力な増援を呼ばれていた。
地響きがイトたちの膝を打ち震わせる。
“エンゲラヴォス”
イトが後に知ることになるのは、そいつがヒュベリオンと双璧をなす悪魔型のハイエンドタイプだということ。
全身は蜘蛛の脚のように細いものの、五メートルを超える巨体にひ弱さは微塵もなく、ただただ異形が際立つ。表皮は濃い紫がメタリックに輝いており、鉈で打っても傷一つつきそうにない。ここに来てとんでもない強敵だ。
「烙奈、先行って!」
アビスが足を止めてヒュベリオンを構えた。
「絶対……碧瑠璃を送り届けてよ! 絶対に!」
同じ悪魔系モンスターから切り離した大剣ヒュベリオンに、何か思うところがあったのかもしれない。エンゲラヴォスはイトたちを無視して猛然とアビスに襲いかかった。
「うっぐ……!」
恐ろしく細く長い爪が、地面ごとアビスを斬りつける。
頑強な大剣でのガードが紙切れのように弾かれた。
エンゲラヴォスはすかさずとどめを刺しにかかった。巨体からは想像もつかないほど俊敏な動き。アビスにはなすすべもない。
ジンッ! と、悪魔の目の上を熱線が走った。
「!?」
突然の奇襲に、熊手のようなエンゲラヴォスの斬撃がアビスの横を素通りする。
「わ、わたしだって敵の気を引くくらいのことはできる!」
叫んでアビスに駆け寄ったのは千夜子だった。
「ち、千夜子……!」
「アビス、わたしも一緒に戦うよ。二人でちゃんと生き残ろう!」
その宣言に、アビスの体がぶるぶるっと震える。
「わかったわ。わたしが前衛! 千夜子は後ろから攪乱をお願い!」
「うん!」
身構える二人へ、無傷の悪魔が虫のように這いつくばる姿勢で襲いかかる。
※
不思議な光を散りばめた渦の前に、人影が形を為そうとしていた。
「オーロラ……?」
碧瑠璃がそうつぶやくのをイトは聞いた。
それはシルエットのような状態で、個人を判別できるような色も形もしていない。けれど彼女には感じ取れたのだろう。約束の場所にいるのは、愛する者しかいないと。
「オーロラ――うっ!?」
一人駆けだそうとして、碧瑠璃は突然その場にうずくまった。
「碧瑠璃ちゃん!?」
イトは慌てて駆け寄る。
彼女の様子がおかしい。しかしそれと同時に、もう一つおかしなことがあった。
碧瑠璃と固く手を繋いでいたはずなのだ。それなのに、なぜ離れた?
答えは目の前にあった。
「――……!?」
碧瑠璃の星の色をした鮮やかな髪が、色褪せて見える。
ステラーパピヨンの鮮明なきらめきもぼやけている。
「こ、これは……!」
碧瑠璃の姿が、消えかけている……!
それでは再開していきましょう!
そしていきなりみんなピンチです。