案件107:魔性の蝶
「ここですわ」
キリンの案内の先でばばんと目の前に広がるのは、一見、他との違いがわからない尖塔型のホームだった。
自治クランのように入り口にホログラム看板が出ているわけでもなく、資料館という公的なイメージからは少々連想しづらいものだ。
「これは普通のおうちでは……?」
とイトが率直な問いかけをすると、「そうですのよ」とこれまた意外な答えが返ってくる。
「セントラルにある資料館や博物館は大抵がクランの趣味ですの。だから街に不案内な人が来てもそれとは全然気づきませんわ」
「ふむ……。趣味が高じて施設のレベルにまで達してしまったというわけか」
隣にいた烙奈が感心した様子で塔を見上げる。このゲームの歴史は人が作っているというのがよくわかる事例だ。
「あら、キリンちゃん。いらっしゃい」
「あっ、マツノさん。ごきげんよう」
尖塔の横手から現れ、キリンと親しげな挨拶を交わしたのは、人の良さそうな老婦人だった。セントラル住人特有の白を基調としたコスチュームに身を包んでいる。
『こんにちは』と、イトたちもアイドル特有の一糸乱れぬ挨拶で彼女に頭を下げた。
「あらあら、お行儀のいい。みんなキリンちゃんのお友達かしら。ご紹介してくださる?」
「ええ、もちろんですわ。こちらは友達の愛川セツナさん。素敵な歌声の歌姫ですのよ。それから千夜子さんに、烙奈さんに、あとタチの悪いイトさん」
「キリちゃん!?」
含みがこぼれ落ちる紹介にイトは抗議の声を上げたが、老婦人――マツノさんは「まあ素敵ね」とクスクス笑うだけだった。
「そしてこちらの方がステラさんですわ」
「あらっ……あなた……」
ここで、それまで穏やかだったマツノの目が大きく開かれる。
「それはもしかして〈タペストリー・オブ・ステラーパピヨン〉ではなくて……?」
「はい」と、ステラがにっこり笑って伝えると、
「まあ大変! こんなことクラン始まって以来の大事件だわ。ステラさん、その衣装を見せてもらってもいいかしら」
「うんっ、いいよ」
無邪気な笑顔に許可を得たマツノは、ガラスの床でも踏むような慎重な足取りでステラに歩み寄ると、インベントリから実際の拡大機能を備える眼鏡アクセサリーを取り出し、しげしげとステラーパピヨンを眺めた。
「これがあの伝説の蝶……。画像で見るのとはやっぱり大違いね。このデザインの繊細さ、緻密さ……。これに比べたら、今ある衣装なんて荒縄で編まれたようなものだわ」
ため息を何度も繰り返しながらステラのまわりを歩き回り、コスを堪能したマツノは、最後に満足げな吐息を一つこぼし、「わがままを聞いてもらってありがとう。とても楽しい時間だったわ」と、改めてステラに丁寧なお礼を述べた。
「キリンちゃんにもう名前を呼ばれてしまったけれど、改めて自己紹介するわね。わたしは「クラン〈キキ・トルト〉の管理人マツノです。ここに集まっていたということは、みんなでうちの展示品を見に来てくれたのかしら?」
「はい。このステラーパピヨンについての話が聞きたくて」
イトが来館の意図を伝えると、マツノはにっこり微笑んで扉を手で示した。
「それはよかったわ。さあ、中に入って」
※
クラン〈キキ・トルト〉の内装は、なるほど確かに博物館のようだった。
メイン通路に横付けされる形のショーケースに様々なコスチュームが展示されている。
所々に『使った者は必ず返却!』と謎の看板が立っていることに疑問を覚えてたずねれば、実はこれらがクランの共有アイテムとして貸し出しの対象なのだと老婦人は教えてくれた。
つまり一見博物館と思える施設の正体は、クラン員たちのためのとてつもなく豪勢なウォークインクローゼットなのだ……!
「しゅ、しゅしゅ、しゅごおい……ここにあるの、どれもバザールじゃ一千万越えの超ガチレアアイテムばかりだよぉ……」
千夜子がイトの腕にしがみつきながら、生まれたての小鹿の足取りで声まで震わせる。
「そうね」と、先頭で案内するマツノもショーケースに目を向け、
「うちのクランはコスチュームを楽しみたい人が多いのだけれど、一人ですべてを買い揃えていたら経済的にも大変だしね。だからみんなで使い回すために手分けして集めていたら、いつの間にか大抵のコスはコンプしてしまっていたというわけ」
「ということは、このクランに入れば毎日コスチューム選びたい放題……?」
千夜子は妖しい霧に包まれた顔でそうつぶやくも、
「はっ!? いやわたし今のクランに不満があるわけじゃないよ!? みんなで一緒にいられる場所の方がずっと大事だから!」
と必死の顔で釈明してきた。イトは当然そんなことわかりきっているので、微笑んで彼女に応じた後、改めて前を歩くマツノに呼びかける。
「このコレクションを最初に始めたのはマツノさんなんですか?」
すると彼女はぷっと吹き出し、
「なんか見た目で大ババ様みたいに思われることが多いけど、わたしはただ古株なだけの一般メンバーよ。冒険には行かないからここの留守番を任されてるだけ。リアルの方で足を悪くしてから、家で一人でいることが多くてね。それはよくないって孫からこのゲームに誘われたの。そこからの参加」
ピシュン! と、マツノの姿が突然掻き消えた。
「えっ!?」
「残像よ」
「ざんぞう!?!?!?」
いつの間にか背後に立っていたマツノに、イトたちは目を白黒させる。
「せめてゲームの中では足を動かしたいと思ってね」
「こ、今度は天井に!」
「脚力ばかり鍛えていたの」
「おかげでいい気晴らしになっているわ」
「結局リアルの方で」
「リハビリしないといけないのは変わらないのだけどね」
「ああ、でも冒険はダメ」
「本当に足しか育ててないから」
「最初のモンスターにだって負けちゃうわ」
「ひいい残像のマツノさんたちが笑顔で語りかけてくる!!」
「おばーちゃんすごい!」
「出ましたわ! マツノさんの多重残像ババアですわ!」
「キリンちゃん、ババアっていう言い方はちょっとどうかなって……」
「マツノさんが自分でそう名付けたんですの! 誤解しないでセツナさん!」
少女たちがキャッキャと喜ぶ姿を受け、マツノは最初の位置へと舞い戻ってきた。
「さあ、盛り上がってきたところでステラーパピヨンはこちらよ」
そうして通路の先、自然光がこぼれるガラス扉を抜ける。
「う、わああああ……」
イトたちは揃って感嘆の声を上げた。
フロアを真っ直ぐに抜けて出たのは、広大な空中庭園だった。
向かい側にもう一つの尖塔が見える。どうやら二つの塔の連絡路に植物園を設け、さらにレアコスチュームを展示してしまったらしい。美しい木々や花に囲まれたそこは、まるで森の宝物庫だった。
「オシャレすぎい!」
「はああああ、もうだめ……」
「千夜子お姉ちゃんしっかり」
「千夜子さんしっかりなさって」
とうとうめまいを起こした千夜子が、慌ててセツナとキリンに支えられている。それほどにセンスと素材を凝らしたハウジング。これほどの贅を尽くすのに、建築担当はどれほどダンジョンを掘り漁ったのか。
「ここには特に旧シーズンで有名だったコスチュームの区画でね。今ではバザールでも滅多に見かけないものが揃っているわ。ステラーパピヨンはこちらよ」
秘宝に溢れた庭園を進み、やがてとある場所でマツノは足を止めた。
二つのシンボルツリーに挟まれ、一際豪奢な展示台の上に浮かべられているのは――〈タペストリー・オブ・ステラーパピヨン〉! ……のホログラフィック。
「残念だけど、実物はここにはないわ。初代クラン長が八方手を尽くしたけど、どうしてもこれだけは手に入らなかったそうよ」
マツノが展示台に手をかざすと、テキストボックスが展開される。
「わっ、すごい文量」
全員が呆気にとられるのも当然の長大な解説文だった。実物は手に入らなかったが調べられるものはすべて調べた。そんな執念の声が響いてきそうだ。
「これによると、ステラーパピヨンはシーズン2の夏に実施された〈星界の蝶〉という、公式の大規模攻略イベントの景品として用意されたもののようよ。イベントの内容としては、当時陥落不能と呼ばれていた要塞型のスカイグレイブに対して、公式の方から総力戦を促した形になるわね」
なかなか血の気の多いイベントだ。AIが難易度を高くしすぎちゃったので、何とかしてくれと運営サイドがプレイヤー側に泣きついたのかもしれない。
「攻略イベントは大成功で、多くのプレイヤーが参加。そして一地区につき先着三名までしかゲットできないステラーパピヨンは、すべて配布された……。けれど誰一人として、それを実際に身に付けようとはしなかったわ。ステラーパピヨンが持つ圧倒的な存在感に、どんな美しいアバターでも対抗できなかったから」
これは六花が聞いた噂とも合致している。無理矢理装備してみすぼらしい自分を思い知るよりは、極レアアイテムとして売り払った方がはるかに有意義だったのだ。
「ただそれでも資産にものを言わせて手に入れ、身に着けた自信家の女性プレイヤーもいたそうよ」
「……!! そ、その人は……?」
イトたちは気色ばんだ。まさかそれがステラなのか。
が、その予想を読み取ったようにマツノは首を横に振る。
「その人はステラーパピヨンを自分に帰属させながら、ゲーム内から姿を消してしまった。そして二度と帰ってこなかった。着用して大勢の前に現れた時の人々の反応、そして、貴重な資産アイテムを個人で消費してしまったことへの批判、それが彼女を引退へと追い込んでしまったのね」
ひやりとした感覚がイトの背中をなぞった。
たかが、とは言わないが、コス一つでここまでの大事になるなんて。だってその女性プレイヤーは、ゲーム内の正しい手順でそれを手に入れているのだ。どう使おうとその人の自由なはず。でも、ステラーパピヨンはそれだけにとどまらない価値があった。価値に築き上げられてしまった。
ステラが今着ている衣装はただ華美なだけでなく、こうした陰の部分も持つ魔性のコスなのだ。
「でも、あなたは違った」とマツノの目が柔らかくステラを見据える。
「一目見た時から不思議だった。ステラーパピヨンがまるで景色に調和するようにそこにあった。これだけ別格な衣装なのに。それはステラさんの魅力のおかげ」
「わたしの?」
ステラはきょとんとした顔を返す。
「ええ。あの女性のアバターも美しかった。ステラーパピヨンを着られるのは彼女しかいないと言われるほどに。でも、それでさえ足りなかった。このコスはどこまで美しさを要求するのか……そう人々を悩ませた。けれど違うのね。ステラーパピヨンが求めていたのは、自身とはまったく別の美しさだったんだわ」
たくさんのものを見てきたスミレ色の瞳が、奇跡でも目の当たりにしたように光る。
「あなたは磨き抜かれた宝石のようだわ。内側と外側からたくさんの愛で磨かれた貴石の粋。その輝きこそが、ステラーパピヨンが求めていた半身だったのね」
アバターの造形美ではない。人が持つ輝き。人に愛され、人に愛を返すことで磨かれていく形。それは正にアイドルの正しい姿……!
(やっぱり、ただ者じゃないんだ。ステラちゃんは)
イトはぶるりと震えた。人々から崇められ、価値を高められまくったステラーパピヨンに押し負けないステラの魅力。底が見えない。まるで星空の深さ。
伊達に六花たちと衝突してライズ会場をぶっ飛ばしていない。
けれどそれなら、彼女のことが知られていないのはやはり不自然ではないか……?
歴史の断絶。陰。
イトはそこに、何か底知れない怪物が潜んでいるような気がした。
それでは再開していきましょう! いきなり長すぎたのでまた分割しました!(考えなし)