案件102:少女のアバターの向こう側
う、うわああああああ……!
イトは吹っ飛んでいた。
頭の中で。
首をコクンと傾げた拍子に揺れた神秘的な髪。流れるヴェールの裾。甘い甘い声に、少し困ったような微苦笑。
パーフェクトだ。可愛い部門、あざと部門、女子アッピル部門、ポージング部門、その他諸々受賞総なめのパーフェクト美少女だ。
その衝撃を背中まで貫通させてのけぞっていたイトは、ここでようやく正気に戻った。希少な希少なエンジェルキャスケットから現れた、謎めいた女の子。そんな相手を前にして“この手順”を欠くとはなんたる無作法……!
「あっ、あのう、こんにちは……」
偶然出会った野良猫の許容範囲を測る心持ちで、呼びかける。
「はい。こんにちは」
棺の中からきょとんとした様子で返してくる少女。そんな顔も当然可愛い。改めて再確認したイトは、相手を怖がらせないよう極めて慎重に切り出した。
「と、突然なんですけど、百合営業っていうのに興味は……」
ビービビビビビ……!
「びゃおおおおお!」
「きゃっ……」
レントゲン写真風のレトロな感電モーションを見せたイトに、少女は小さく悲鳴を上げて身を引いた。
「イトちゃんそれ今いる?<〇><〇>」
「時と場合を弁えよ。もっと他に言うことがあるだろう」
「す、すいまふぇん……」
仲間たちからのお叱りを受け、イトは体の端々から暗黒ビームの余波を弾けさせつつ、謝罪の言葉を流した。
「だ、大丈夫……?」
こちらを気遣って少女が声をかけてくれる。そこにはウソ偽りのない心配の気持ちが込められており、それだけで少女がいかに純真で優しい心の持ち主であるかが伝わってくる。内面部門でも一次審査余裕で突破!
「も、もちろんですよ。驚かせてしまってすみません」とガッツポーズまで取って答えたイトは、安堵した様子の少女が「その、さっき言ってた、ゆりえいぎょう、っていうのなんだけど……」と口にするのを聞いて俄然力を取り戻す。
「きょ、興味ありますか!?」
「ええっと、そうじゃなくて……それ、何?」
「あっ、ご存じない……」
「ていうか……」
少女は困ったように周囲を見回し、
「ここ、どこ?」
「へ……?」
「わたし、誰?」
……………………。
突然ふっと町のBGMが抜け落ちたように、沈黙が生まれた。
「じ、自分が誰だか、わからないんですか……?」
当惑の静寂から数秒。イトが止まっていた口を手と慌ただしく動かし問いかけると、少女は弱り切った様子でうなずいた。
「これってもしかして……」
「記憶喪失……か?」
仲間たちのつぶやきに、イトは再び体を硬直させた。
記憶喪失。フィクションではよく聞くけれど、実物はまったく見たことのない怪現象。
「困ったな。どうしよう……」
女の子が視線を落としながら聞いてくる。
「ど、どうしましょうね……」
イトもどうすればいいかわからず、仲間たちに目線で助けを求めた。
と、
「イト、一旦ここを離れよう」
烙奈が声のトーンを落として提案してきた。その態度を奇妙に思っていると、彼女はさらに小声になって続きを述べてくる。
「展望台の屋根をそっと見てみろ」
言われた通り目を上に向けた。
「うわっ……!?」
「きゃ……」
「あわわ……」
イトも少女も千夜子も揃って悲鳴を上げた。
展望台の屋根に、いつの間にか異様なモノが張りついていた。
巨大な一つ目のモンスター。ヒトデのように五方向にグロテスクな肉の触手を広げ、こちらをじっと見つめている。
……何だこれ。明らかにタウン4近辺に出没するモンスターではない。もしかして、これもグレイブの破片にひっついてここまで飛んできたのだろうか。
それにしたってこんな気味の悪いヤツ、有志が作った攻略サイトでも見たことがない。
何かとてつもなくイヤな予感がする。
「さっきまでは確実にいなかった。何なのかはわからないが、すぐにホームに逃げ込んだ方がいい」
烙奈の声に全員でコクコクうなずき、このグロヒトデを刺激しないようコソコソと展望台のエレベーターに乗り込んだ。
モンスターの目玉は最後までこちらを見つめていたが、エレベーターの格子扉が閉まった瞬間、むこうも役目を終えたとばかりにまぶたを閉じたのがかろうじてわかった。
※
我らの赤レンガホーム、そのリビング。
よほどの異常事態でなければここまで来れば安全ということで、イトたちはやっと人心地ついていた。窓の外を確認してみたが、あのヒトデはついてきていない。大丈夫だ。
「今、スパチャにお茶を入れてもらってますから、ちょっと待っててくださいね」
「うん、ありがとう。……スパチャ?」
「うちのAIマネージャーです。すぐ来ますから」
棺の少女を複数人用の大きなソファーに座らせ、イトたちはその正面の一人掛けソファーでおしくらまんじゅうしつつ、改めて向き合った。
他人のホームで委縮したように肩をすぼめる少女は、やはりどうしようもないほどに可憐だった。
柔らかで儚げな瞳、ほどよく高く小振りな鼻、上品だが素朴さも感じさせる唇。少し物憂げな居住まいですら、彼女の愛らしさを引き立てるための演出に思える。
これは……まずい。
このアバターのレベルは正直、六花ちゃんレベル。いや、彼女を超えているのでは……? いやいやいやそんな領域が存在してはならない。六花ちゃんは不動の頂点。世界の順列はそれより下で勝手に入れ替えられるのだ。登山家だって頂上が動き回ったら困るはず。
「ねえ、この子って……」
なんてことを考えているうちに、千夜子が小さな声で囁いてきた。
「プレイヤーじゃ、ないんだよね……?」
その言葉にイトは虚を突かれた気分になった。
プレイヤーではない。つまりNPC。
それは、そうだ。
空を漂うエンジェルキャスケットに入っていた記憶喪失の女の子。どこをどう切り取ってもプレイヤーであるはずがない。
しかし千夜子は言い出しにくそうに、「あの、でもね……」と繋げる。
「あのコス、どこかで見たことある気がするの。古いカタログか何かで……」
イトは少女の服装に目を向ける。
スカグフのNPCというのは、ある意味で全員がユニーク装備を身に着けていた。お店のおねーさんや武器屋のおじさんの服装は、プレイヤーには実装されていない極めて簡素なものだ。ちょっとわかりづらいが人とNPCを見分ける最初の手段にもなっているほど。
しかしこの少女のドレスはあか抜けているなんてレベルではなかった。蝶の翅脈をイメージし、デザインからも生地の質感からも珠玉と呼べる逸品。ショールも頭巾もそれに負けないハイクオリティ。ついでに少し短いスカートの裾からのぞく、桜色をした膝小僧の形なんて……。
「<〇><〇>」
「は、はい、スミマセン……。あの、千夜子さん、本当にあれがカタログに……?」
「多分……。でもどうしてもどこで見たのか思い出せないの。ゲームを始めたての頃だったかも……」
申し訳なさそうに彼女が言う。
NPCがプレイヤーと同じコスを着ることは基本ない。ましてや、こんな地区に二人といないような究極かつ完璧なコーデなんて。つまり千夜子が言いたいのは、このどう考えてもNPCな女の子は、実はNPCではないのではないかという可能性……。
「…………」
イトはここで、少女が上目遣いでこちらを見つめていることに気づいた。
しまった。本人を前にひそひそ話が過ぎた。不安にさせてしまったらしい。たとえ彼女がNPCであったとしてもぞんざいに扱うのはNG。それはスカグフでもっとも忌み嫌われる行為の一つだ。慌てて声をかける。
「すみません、これからどうしようか相談していて……。と、とりあえず簡単な自己紹介しちゃいますね。わたしはイト、こっちがチョコちゃんこと千夜子ちゃんで、こっちが烙奈ちゃんです」
「わたしは自分の名前も名乗れないけど、よろしくね」
棺の少女がどこかほっとした様子で微笑むと、三人で猿団子を作っていたイトたちは全員がぶるりと身じろぎした。少女の笑顔の攻撃力、255超え。平気で受けられる者などいない。
「と、ところで、ここまでで何か思い出したことなんてありますか?」
なんとかそう話を切り出すと、彼女は残念そうに首を横に振る。
「だったら、ちょっと試してみたいことがあるんです。ステータス欄を見せてもらうだけなんですけど……」
これはたった今思いついた、一石二鳥の妙策だ。
その人物の身分証とも言えるステータス欄には様々な情報が載っている。そしてプレイヤーとNPCではその内容がまったく異なっていた。つまりこれを見るだけで、彼女の正体がある程度わかってしまうというわけ。
「ステータス欄? どうすればいいの?」と少女は聞き返してきた。が、別に構わない。NPCのステータスはこちらから勝手にのぞき見できる。一言断りを入れたのは人として最低限の礼儀だ。
イトは少女から許可を得て、彼女のステータスを開いた。
NPCならばここに彼女の素性と簡単なフレーバーテキストが添えてあるはず。これでひとまずの疑問は解消――。
するはずがしかし、次の瞬間イトたちはこれまで以上に困惑させられることになった。
ミニウィンドウに表示されたのは――プレイヤー用のステータスだったのだ。
『……!!!』
どういう……こと? プレイヤー……人間?
一瞬でその事実に突き当り、イトたちは即座に顔を見合わせる。皆目を丸くしたまま、誰も何も言えないでいる。
長期間放置されたエンジェルキャスケットに入っていて、しかも記憶喪失で……。それなのにプレイヤー? そんなことある?
「あの。何か、変だった、のかな……」
少女が恐る恐るたずねてくる。イトは必死にごまかし笑いを浮かべて場を取り繕いつつ、頭をフル回転させた。
プレイヤー。この女の子は、本物の人間。
本当に? あり得るのか? だって棺の中で眠っていたのに。
(か……考えられるとしたら……)
自分から空に上がり、空のエンジェルキャスケットに潜り込んで寝てた説。しかし、ダンジョン内の棺ならともかくエンジェルキャスケットは誰かが開けた後すぐに消滅してしまうため、この可能性は低い。仮にこれが精巧に作られたニセモノであったとしても、空墓軌道上にアイテムを浮かべる手段はプレイヤー側にはない。再現不可能。
一方の記憶喪失はと言うと……これはなくはない。ロールプレイの可能性だ。
スカグフの楽しみ方は人それぞれ。例えば記憶を失ったという設定にして、周囲を巻き込んだセルフシナリオを展開するのもまた自由。意外と一緒にノッてくれるプレイヤーは多いらしい。
珍しいことではない。アイドルには違う星から来たと告白する人すら結構いるのだ。ファンはそれを受け入れている。NASAと政府が認めていないだけ。しかし……。
(……やっぱりわからない)
エンジェルキャスケットに入っていた点。これだけが引っかかる。
あの棺の中の静謐な空気は、単なる演出では醸し出せないほどの長い時間と、喪失感を含んでいた。そして記憶喪失のフリというのも正直ないとイトは感じていた。少女は今、明らかに本気で困窮し、戸惑っている。これが演技なら百回騙されてもいいと思えるほどに。
この子は本当にプレイヤー? それともNPC?
NPCなら何も問題はなかった。これはきっと“ユニークイベント”だから。
このスカグフには何と豪勢なことに、「個人に対して配信される世界でたった一つの公式イベント」が存在する。巡り会える可能性は極限小。経緯を記録して動画にまとめれば、とんでもない再生数を叩き出せるほどのレアケース。
棺から現れた記憶喪失の少女を巡る大冒険……これほど王道なセッティングはないだろう。
しかしこの子の場合、NPCではない証拠ばかり揃っているから困っている。
ただ、こんな可愛らしい子が地区にいながら、これまで噂の一つも立たなかったのも不自然。ログインした初日に初心者の館の皆さんが大騒ぎしているはずだ。そして交流サイトでは六花ちゃんファンとハルマゲドンの戦いを巻き起こす。自分もそれに参戦しているはず……。
でもそうはなっていない……。
本当にもう、わけがわからない。彼女は本当にスカイグレイブと共に眠りについていて……記憶を失ったプレイヤーなのか? じゃあリアルでは一体どうなっている? こんなゲームみたいなストーリー、現実にあり得るのか……?
大変お待たせしました。それではしれっと再開していきましょう!