案件10:歌姫に案件を了承させよ!
「ど、どおしてそう思ったんでしょうかあ?」
ひくひくと勝手に強張る頬をアイドル力によって必死に押さえつつ、イトは場を保たせるだけの問いを投げかけた。
水色の髪の儚げな少女は、その妖精のような容姿とは裏腹の怪訝な顔を隠しもせず、
「数日前から様子が変で、今朝に至っては“よーし今日は会社休んでゴルフ行っちゃうぞ”とか宣言して母に怒られたり、わたしが何時からログインするのかとそれとなく何度も聞いてきましたから。そこで、いきなりあなたたちです。繋がりを怪しまない方がおかしいです」
あのお父さんさぁ……。
イトはため息をつきそうになったが、そこまでしたらもう白状したも同然――いやすでに十分詰んでいるのはわかっているが。
「父はこのゲームを、一人で遠くに外出するようなものとでも思っているようです。そんな危険はないのに」
はあ、と、こちらの代わりのようにため息をつく愛川セツナ。
この町で一番目立つあのビルに視線を移さないあたり、まだ完全に正体が看破されていないようなのが、唯一救われる点か。
「そういうわけですので、結構です」
言って、早くもきびすを返そうとしてしまう。
外見に似合わずなかなか強固な態度だ。予想外だった。相手はもっと気弱な女の子で、朗らかに近づけばこちらの言い分を素直に聞いてくれると思ったのに。
このままでは任務は失敗。元々アイドルの仕事でも何でもなかったが、内容を考えるとそれでおしまいにはしたくない。
どうしましょう、とイトは救援の視線を仲間へと投げる。
いち早くうなずき返してきたのは烙奈。
その目が言っている。こうなったらなるようにならせてしまえと。イトは了承した。
「はい、実はその通りなんです。相手が本当にセツナちゃんのお父さんかどうかはわからないんですが……」
無駄な足掻きのような最後の予防線を張りつつ、イトは内情を暴露した。
「わたしたちは、近々あるあなたの初ライズまで、身の回りを守るように頼まれました」
「守る……」
そう繰り返した少女の顔に、わずかな陰がよぎった気がした。これは……。
「おや、あれは何だ?」
唐突に、烙奈が後ろを振り返った。
セツナがビクリとし、メニューウインドウを開くような仕草を見せる。
「ふむ……失礼した。そこの角に何かいたような気がしたのだが、気のせいだったようだ」
何事もなかったかのように向き直り、肩をすくめる烙奈。
それから、意味ありげにこちらを一瞥。
烙奈ちゃんナイスゥ! とばかりにイトはバチーンとウインクを返し、改めてセツナに呼びかける。
「あなたも気づいてはいるんですよね? 誰かにつきまとわれてるんじゃないかって」
「…………」
セツナは渋々といった様子でうなずいた。さっき見せた反応はそういうものだった。イトも当然アイドルだからわかる。あれは、危機を察知して即座にログアウトするための仕草。少したどたどしさはあったものの、アイドルの防衛策としては大正解。
「今日も、ログインした直後から誰かに見られているような気がして……」
素直にそこまで話てくる。さっきのお芝居が効いたらしい。この機に乗じてイトはさらに踏み込んだ話に持っていく。
「ログインした直後からですか……。相手に心当たりはありますか? どうやってログインを知られているかとか」
「フレンド欄からだと、思います……」
「フレンド……?」
イトたちは顔を見合わせる。確かにフレンド登録した相手ならログイン状況がわかるし、何ならインした瞬間に通知が来る。どんなゲームにも通じる古のシステムだ。
「じゃあ、知っている相手なんですか?」
「……わかりません」
「????」
目をぱちくりさせるイトに、千夜子が横から小声で言ってくる。
「もしかしてこの子、普通のプレイヤーとフレンド登録しちゃったんじゃ……」
セツナが痛いところを突かれたように顔をしかめるのが見えた。これでイトも合点がいった。
規約というわけではないが、スカグフでアイドルを始めるにあたって事務所からこういう注意喚起がなされる。事務所の関係者及び、他アイドル以外とのフレンド登録は極力避けるように、と。
無用なトラブルを避けるためだ。フレンド登録してあれば、相手に対しかなり自由度の高いアプローチが可能になる。つきまといなんてそれこそ自由自在。だからこれは、グレイブアイドルなら誰もが知る基本的な護身術になる。
「じゃあすぐに登録を解除しましょう。それでログイン状況はバレなくなるはず」
「……できません。お世話になった人たちなんです」
「えっ」
セツナがメニューウインドウを開示する。
フレンド欄には七つほど名前が並んでおり、うち二つは事務所関連であることが律義に明記されている。となると残り五人が……。
「アイドルになる前に、ここがどんな世界なのか見てみようと思って……。その時、右も左もわからないわたしに親切にしてくれた人たちなんです。わたしから一方的に関係を切ることはできません」
「でも事情が事情ですし。話を聞けば、むこうも納得してくれると思うんですけど」
「……メール、読んでもらえてないみたいで……」
セツナはうつむくようにして言った。
イトたちはムムムとうなる。
これは一概に相手が悪いとも言えない。スカグフのメールシステムは結構不便で、ホームの端末からしか見られない。個人に直で通話を繋ぐことも可能だが、正直言ってこれをフレンド全員に許可した場合、ものすごい大混線が起こることがある。機能自体を切っていることも珍しくなかった。
直に会って話すのが一番。時代錯誤に思えるが、そもそもスカグフのAIは、この古くからのフェイス・トゥ・フェイスを重視しているところがあった。すべてがデジタル化された中、その気になれば言葉を使わない意思疎通だって可能であったはずなのに、あえて直接対話以外のコミュニケーションに制限をかけている。
この理由について、スカグフAIの指向性を探っている人たちの間では、ここでは人間自体がデバイスであるからだ、との考察がされているという。あなたが通信機器そのものなのだから、電波よろしく相手のところにすっ飛んでいって話を聞いてこいと、そういうことらしい。
「恐らく、セツナとフレンド登録した人々は、ゲーム開始地点をうろついている通称“初心者の館の人”だろう」
烙奈が切り出す。
彼らは、ゲームに不慣れな新規ユーザーにあれこれ世話を焼いてくれる奇特な人たちだ。きちんとガイドしてくれる良質館の人もいれば、ナンパ目的の悪質館の人もいる。最近では“スタート横”と呼ばれるはぐれ者の溜まり場もできたそうで、そうした親切な人たちに交じって誰がセツナに近づいてきても不思議はない。
「館の人は新人の面倒を二、三日の間は見てくれるが、その後は多忙さから通知類を切るという話だ。この場合もそうかもしれないな」
であればセツナの方からフレンド登録を解除することに問題はなさそうだったが、
「それでも、わたしの都合で一方的に切ることはできません」
風一つで空の岩塊まで飛んでいきそうな見た目とは裏腹に、彼女の意志は強固だった。
「こうなった責任は全部わたしにあります。アイドルになると決めた時から、覚悟はしてきました。だから、あなたたちのお手間は取らせません」
言い切る。根がものすごくマジメなのだろう。律義でもある。こんな小さいのにえらい。可愛い。しかし……。
「それは違います」
「えっ」
イトは真剣な眼差しでセツナを見つめた。
「セツナちゃん、さっき怖がってました。それは、アイドルを始める子が引き受けなきゃいけないものじゃありません。確かにアイドルは人前に出ます。そうしたら必然的に色んな言葉や、目を向けられることになります。でもそれは、傷つけられることをひたすら我慢しなきゃいけないって意味じゃないんです。傷つける方が絶対に悪い」
「そうだな」と、烙奈も続く。
「覚悟をするということは、対策するということでもある。何もせずにただ傷つくのを待っていることを覚悟とは言わぬ。それは諦めと言う」
「……!」
セツナが目を丸くした。
「セツナちゃんが何か準備できてるなら、それでいいです。でももし、まだ何もできていないというのなら、どうですか。わたしたちに協力させてくれませんか」
イトの呼びかけに、セツナは戸惑う視線を巡らせた。
責任感の強い少女だ。自分の失敗、ましてや自分のワガママに他人を巻き込むことに抵抗があるのだろう。もしこれで自分のデビューがダメになってしまっても自業自得。そんなふうにすら考えているかもしれない。しかし、それもやはり間違い。
「セツナちゃん。わたしたちがあなたの歌声のファンというのは本当ですよ。聞かせてもらいました。とても素敵な歌声でした。それをもっとたくさんの人に聞かせてあげないと、もったいないですよ。セツナちゃんにも、お客さんにとっても。わたしはあなたに、全力で歌ってほしい。何も気にすることなく全力で輝いてほしい。それだけなんです。……いけませんか?」
「……あ……うぅ……」
セツナが口ごもる。まだ不安が拭えない。初対面の相手。自分のこの先のこと。不慣れなゲーム世界。彼女がここだけは大丈夫と安心できる場所がない。
「心配いらないよ」
その気持ちを優しくすくいあげるように、千夜子が微笑みかける。
「イトちゃん、可愛い女の子に優しいから。ちゃんと守ってくれるよ」
「で、でへへ……」
「半分罪だよ?」
「びゃう!」
お尻をつままれてイトは飛び上がった。
それを見てセツナが初めて、ぷっと笑った。空気がふわりと緩む。
「本当に、わたしは守ってもらえるんですか」
おずおずと上目遣いになり、少女は問いかけてきた。
年相応の不安と気弱さが混じったその様子に、イトは彼女の素顔を見た気がした。さっきまでの頑固な態度は、弱い自分を必死に隠したハリボテの鎧。こちらが本当の彼女。
「はい。わたくしが、最後まであなたをお守りすると誓います」
「……!」
イトは片膝をつき、芝居がかった仕草でセツナの手を取った。
少し面食らった少女の顔が、ぽっと赤くなる。すぐに慌てて手を引っ込められてしまった。
「そ、そういうのは、しなくて大丈夫です……」
「あ、あれ、そうでしたか? あはは……」
「でも、それなら……どうかよろしくお願いします」
ぺこりとセツナは頭を下げた。
「! うん、よろしくお願いしますね、セツナちゃん!」
イトも笑顔でお辞儀した。
通じた。わかってもらえた。
これで任務は続行。護衛対象との関係も良さそうな形で構築できた。
「そ、それじゃあ今日からわたしが、つきっきりでセツナちゃんを守りますね。おはようからおやすみまで、肌身離れずついていきますから……ムフフ」
「え? あ、あの、そういうのは、ちょっと……」
「いいえ! 仕事を受けたからには徹底するのがプロというものです。まずはセツナちゃんのプロフィールを紹介してもらえますか? 身長体重スリーサイズ、あとお風呂に入ったらどこから洗うかも……。あっ、いえこれは決して不埒な質問ではありません! 万が一セツナちゃんの偽物がわたしを惑わせに来たら撃退するための、本人しか知らない秘密の共有なのですぐへへ……」
邪悪な笑みを浮かべながらにじり寄るイト。左右から音もなく寄ってきた千夜子と烙奈にプレスされ、それが悲鳴に変わるのは直後のことだった。
ストーカーにはストーカーをぶつけんだよ!