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トランスファは何個前? Watch your step.  作者: 梅室しば
二章 銀箭に侵された地
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美蕗への報告

 屋敷に着く前に、利玖は自分で目を覚ましたようだった。

 史岐はというと、ずっと起きていて、この後、槻本家の当主・美蕗(みぶき)に話す内容の整理を頭の中で行っていたが、駅を出てから一時間ほど経った所で車の減速と方向転換の頻度が増え、目的地が近い事に気がついた。

 それとほぼ同時に、隣にいる利玖が身じろぎをして、体を起こすような気配がした。両目、両耳を塞がれていても、同じシートに座っているのでそれくらいは伝わってくる。

 車が停まった後、後部座席のドアが開き、目隠しと耳栓を外されて門の前に下ろされた。

「よく寝られた?」

 門を見上げて眩しそうに瞬きをしている利玖に、史岐は訊く。

 さっき、車内で叩いた軽口をまだ根に持っているのか、彼女はじろりと史岐を睨んでから頷いた。

「それはもう、すっきり、がっつり、ショートで純度の高い良質な午睡を頂きました」

「ふうん……、うらやましいね。僕、どんなに寝不足でも、あの車でぐっすり寝られた事ってないよ」

「毎回、おちおち眠っていられないという心当たりがあるからじゃないですか?」

「あながち間違いでもない」史岐は微笑む。「じゃあ、行こうか」

 門扉は右側が開かれた状態で、中へ入って行けるようになっていた。

 歴史の長い寺、あるいは戦国時代の城趾を彷彿とさせる、立派な切妻(きりづま)屋根(やね)のついた楼門(ろうもん)である。史岐は、今日に至るまでに様々な理由で美蕗に呼び出されているが、この門を見るのは初めてだった。今回は「《とほつみの道》を使わせてほしい」という用件の為に、ここが選ばれたのではないか、と推察する。

 門をくぐると、白い砂利が敷き詰められた中庭があり、美しい石畳が奥に向かって伸びている。突き当たりの部分には、左右に伸びる暗い回廊。しかし、どちらの入り口の扉にも錠前がかかっている。

 運転手の男から指示された通りに、向かい合った二つの扉の間を通り過ぎ、先へ進むと、木製の古い螺旋階段が現れた。高さはそれほどでもない。三階建てのアパートくらいだろうか。

 階段を上りきると、(ひさし)のついた通路に出た。どこかの山肌にでも沿って造られているのか、視界の左手に向かって緩やかに湾曲し、末端は見切れている。正確な距離はわからない。だが、見えている部分だけでも、ちょっと走って、すぐに帰って来られるような長さではないとわかった。

 右側は、胸くらいの高さに仕切り板があるだけで、展望がきく。最初に通ってきた門と中庭もそこから見えた。

 反対側には、客間だろうか、木製の引き戸が等間隔に並ぶ。どの戸も隙間なく閉め切られていたが、手前から二番目の引き戸だけは半分開いていた。二人はその中へ入る。

 右側の約三分の一が板の間になった、青畳の和室だった。板の間の方が一段高く、繊細な刺繍を施した赤い座布団が敷かれている。

 畳敷きの方には、もっと地味な無地の座布団が二枚。そこに座って待っていると、喪服のような黒い和服をまとい、顔の前に薄衣を垂らした女性が茶を運んできた。利玖と史岐の前、そして、板の間に置かれた座布団の前にも茶を置くと、無言で後退して部屋を出て行く。

 こういった黒子(くろこ)のような人間が、何十人、いや、もしかしたら百人近く、住み込みで働いていて、それでいてほとんど口をきく事なく、屋敷の手入れや主人の身の回りの世話をしている。それが、槻本家の異質さの一つだった。



 茶に手をつけずに待っていると、二人の約束の相手、槻本家当主の美蕗(みぶき)が現れた。

 わずかに肩にかかる長さの黒髪は無垢にウェイヴし、黒いリボンがクラシカルな彩りを与えている。まだ高校を卒業していない彼女は、黒いセーラー服姿で、その上から椿の花びらのような真紅の打掛(うちかけ)を羽織っていた。

 美蕗は板の間に上がると、打掛の前を開いて腰を下ろし、優雅な仕草で首を傾ける。

「おはよう、利玖。史岐」

 赤みがかったアーモンド形の瞳が二人を順番に映す。ロココ期の閨房画(せんぼうが)のような意図されたあどけなさ、そして万象を引きずりこむ魔性が、そこには内包されている。

「美蕗さん」利玖は三つ指をつき、頭を下げた。「本日は我々の為にお時間を取って頂き、ありがとうございます」

「いいのよ。わたしも興味があるわ」美蕗は微笑む。「柏名山、ね……。取り立てて特別な由縁(ゆえん)がある場所ではないと記憶しているけれど、一体、何があったのかしら」

「千堂という男が、潮蕊の悪神(あくじん)・銀箭と通じており、放っておくと山そのものを食い潰されかねない、というのが妖達の言い分です」史岐がそう説明し、鞄から書類の入ったファイルを取り出して美蕗に渡した。ここに来る前に、利玖も読ませてもらったもので、千堂峰一について簡単な身辺調査を行った結果がまとめられている。

 千堂峰一は本名。年齢は三十五歳。

 結婚歴があり、娘も一人いたが、妻は出産直後に死亡。潟杜市内で会社勤めをしながら一人で娘を育てていたが、彼女は四歳になった時、観光の為に訪れた柏名湖で行方不明になった。千堂が目を離した隙に、橋の欄干をすり抜けて湖に落下したとみられている。

 数日間にわたって消防隊による捜索が行われたが、娘が見つかる事はなかった。数年が過ぎたのち、遺体のないまま死亡届が提出され、受理されている。

「彼がそれまで勤めていた会社を辞めて、柏名湖畔で喫茶店を開業したのは、そのすぐ後です」史岐が口頭で補足する。「住所も移している。店舗の二階部分が住居になっているみたいですね」

「娘を捜す為に?」美蕗が書類に目を落としたまま呟くように問う。

「いや……、奇妙な事に、そういった形跡がまったくと言って良いほど見当たらない」史岐は怪訝な面持ちで首を振った。「警察や消防に対しては協力的でした。心から娘の無事を願い、一秒でも早く助け出そうと手を尽くしていた。そこに関して、不自然な点はありません。ただ、今の住所に移った後は、ビラを撒いて目撃情報を募ったり、捜索をやり直してもらえないかと警察に相談したりしていない。日々、丁寧に喫茶店を営んでいる。本当に、ただそれだけなんです」

「死亡届も出したのだものね。娘が死んだ事を受け入れ、菩提を弔うつもりで事故現場の近くで暮らす事を決めたのか、あるいは……」美蕗は書類を無造作に手前へ放った。「あの場所で生活する事、それ自体が、彼にとって重要な意味を持つのか」

 史岐は片方の眉を上げた。

「同じ事では?」

「この資料、流石に貴方が用意しただけあって、よく調べられているけれど、意図的に記載を避けた箇所があるわね?」史岐の問いかけを無視して美蕗が言う。「千堂の娘が湖に落ちた日、もう一件、水難事故が起きている。現場はそれほど離れていないわ。同じ県内よ。幸い、こちらの被害者はすぐに引き上げられて、今でも治療が続けられている。それはまだ、実を結んでいないようだけれど」

 美蕗は頬にかかった髪をゆっくりと指で払って、利玖を見た。

淺井(あざい)の一人娘。貴方のお兄さんの婚約者よ」

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