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これでは、こんな公衆の面前では、一国の王太子を袖にするなど、断って彼の体面を損なうなど、大罪も同然ではないか。
ミミを得るためなら、もうなり振り構ってはいられないとディランも最終手段に出たのだろう。
(くっこの男ってば何て姑息な真似を……! だけど下手に断ればお先真っ暗だわ。どうするミレイユ、私はこのままなし崩しにプロポーズを受け入れるしかないの? さっきは確かに嫉妬したわ。彼は私の男なのーって叫んでやりたいくらいにね。ええ、ええっ、好きよこの男がっ。だけどまだ気持ちを育む時間が必要でしょ!?)
曇らせた顔で中々答えないミミへと、ディランはとうとう懸念を滲ませた。どこか願うような眼差しがミミを見上げてくる。
(そっそんな顔されてもほだされないんだからね!)
「ミミ」
「――第一問です」
「は? 唐突に何を」
「殿下は私の好物をご存知ですか?」
「好物? えーーーっと……人参、とか?」
「それは苦手なベストファイブですっ!」
「あ……」
ディランは大失敗を悟り、見るからにガーンと言う顔をした。
ミミの半魔能力と兎なイメージが先行し浮かんだ答えだったが、この問いは連想ゲームではない。
「知らないのでしたら正直に知らないと答えるのが、プロポーズをした相手への誠実さだと私は思います」
「そ、それは……済まなかった。是非今度好物を教えてくれ。ところでその、プロポーズの返事はいかに?」
「第二問」
「!?」
静かなミミの眼差しと声に、彼にしては珍しくもごくりと喉を鳴らした。その様はあたかもラスボスを相手にしている冒険者のようだ。
「私とお父様には実は同じ特技があるのですが、それはどんな特技でしょう」
「くっ、超難問っ!」
ディランは答えを探すようにミミを真剣な眼差しでじ~っと見つめる。あと男爵の方へもちらりと。その挑戦者のような熱い眼差しに、彼女もどうだ小僧とばかりの猛者の形相で迎え撃つ。
これは最早一体何のシーンなのか……。周囲は完全に置いてきぼりだ。
「知らないのでしたら――」
「――じゃんけんが強い!」
じゃんけん。
暴虐王太子の口からよもやじゃんけんなどと、子供の遊び同然の単語が聞こえてくるとは……。
広場の群衆は自分達は何を見せられているのかと、大いなるコスモを感じているかのようなぼんやりした面持ちになっている。
果たしてその正誤は――
「――半分正解です」
半分!? って何だ、とその場の誰もが内心秒で突っ込んだ。
「できれば負けないと答えて欲しかったですね。相子もあるので。ですがよくわかりましたね」
「ああそれは当てずっぽうで」
「へぇ」
この場の誰もが殿下それは言ってはならない正直さーっと内心突っ込んだ。
どんな手品か、もうプロポーズ云々はすっかりに忘れ去られている。
「つ、次は? 第三問は何だ?」
プロポーズした本人ですらこれだ。
しかしながら、奇跡的に一番忘れていそうなミミは忘れてはいなかった。
「もう十分です。ディラン殿下、今日の一切は無かったことに致しましょう。お互いのためにも」
「なっ、ミミ!? せめて問題をっていやいやプロポーズの返事をくれ!」
「私のことをほとんど何も……好物すら知りもしない殿方と今すぐには結婚するつもりはございません」
「――っ、そ、そうか。それはそうだよな」
ミミは投獄も覚悟の上だった。処刑されるとまでは思わないが、最悪牢獄で耐えてみせるとすら決意する。
ディランはこれで引き下がるだろうか。いや、ある意味公開処刑したとなれば、この話を聞いて王家の顔に泥を塗ったと、国王陛下や王妃陛下がミミを妃候補から除外するに違いない。
(これでいいんだわ。プロポーズは本気でびっくりしたけど、私はやっぱりデートしたりしてお互いをじっくり知ってからが理想なのよね。もしもお咎めなしで済んだなら、だけど)
ここで、ガックリしていたディランがはたと何かに気が付いたのか顔を上げる。
「…………今すぐには? なら後々は?」
「殿下次第です」
ミミが静かに答えると、ディランの頭上に天から光が射し込んだかのようだった。
「確かに俺はミミをまだあまり知らない。だがな、俺はどうしてもミミが欲しいんだ。諦める選択肢はない」
「殿下……」
「チャンスをくれ。もっともっとミミを知る機会をくれないか」
脅しの気配は微塵もない。
恋する男の懇願がそこにはあった。
こんなにも想われて、ミミの胸がぎゅっと切なくなる。
(もしも本当に彼が庶民のデイルだったなら……――ううん、デイルなのよね。単に名前で区別してみたって結局この男は私がキュンとしたデイルなんだわ)
彼はチャンスが欲しいと言ったが、ミミは自分自身こそ彼をきちんと見つめるチャンスがほしいと思うのだ。
近くで、傍で、いつも見つけられる距離で。
ミミは彼へと微笑んだ。
「少しずつ、お互いを知っていきましょう。衝動的に結婚を決めるケースもあるでしょうが、私は結婚相手をよく知ってから手を取り合いたいのです」
「ミミ……」
「それが無理でしたらまあ……残念ですがご縁がなかったと、知り合った所から一切合切無かったことに――」
「おっ俺もお前をとことん知りたい! よしっ俺達はそれで行こう!」
「うふふ、良かった」
ディランは頑張って取り繕ったような笑みで頷いてみせた。
果たして二人の間の大きな問題は片付いた。
友達からでよりは進んだ、恋人からで、だ。
そこから自分達の新たな関係は始まるのだ。
婚約も結婚もそれからの話。
ところで、すっかり蚊帳の外のサニー男爵は、すぐそこにいるのに若人二人をとても遥か遠目にして眺めながら、やけに老け込んだ様子で終始言葉もなく突っ立っていた。もうなるようにしかならないと達観しているのかもしれない。
ディランは一先ずは首の皮一枚で繋がった安堵の表情から、いつもの厳しく引き締まった表情に変えた。
今にも「奴を牢へ連れていけ」と命じそうな様子で周囲をゆるりと見回すと、改めてミミを抱き寄せる。
これはミミにしかわからないが、そっと腫れ物に触る丁重さで。
「皆も既にわかっただろうが、たった今よりミミは、ミレイユ・サニー嬢は俺の――――」
広場が大いに沸いた。
貴族達は白くなって灰になりかけていた。
ミミは、いつになく呆然となった。
突然の裏切りに遭った、そんな気分で。
ミレイユ・サニーの名は王太子と共にグラニスの奇襲作戦を阻止した功労者として世に広まった。
さすがは軍務に長けたサニー男爵の娘だと称賛もされた。ミミとしては父親の評価が上がるのは素直に喜べた。
それも予想の範疇ではある。
しかし予想外もあった。ディランは魔法能力で脅しをかけもしたわけで、ミミとしては王太子怖い、柄悪い、乱暴者、などと前以上に彼への悪評が王国民のトレンドに上がるに違いないと考えていた。元々怖がられているのにまた一段レベルを上げてどうするのかと正直王国の将来を憂えたものだった。
だがしかし、だ。
後日、予想とは全く裏腹に、ディランの評価はとある一面において激変した。
好きな娘にはとことん甘く、刺激が過ぎる程に情熱的な男だと。
――婚約者ミレイユ・サニー嬢はこの上なく溺愛されているのだと。
そう、婚約者だ。
『ミレイユ・サニー嬢は俺の――――婚約者だ!』
あの日、王宮前広場で何と彼はミミの承諾なくそんな宣言をしてしまったのだ。
それも、婚約者だ、の部分にやけにエコーが掛かる感じで広場に響いていた。広場の端にいた者でもそこだけは聞き取れただろう。
ミミとしては交際はするにしても、互いを知る努力をしていこうとの意見の一致を見ていただけで、婚約などとは飛躍も甚だ。
されど、広場の大半の観衆からわっと歓声を上げられ祝われて、さしもの彼女もそれは行き過ぎとはもう訂正できなかった。
これも双方の根本的な認識のズレか、ディランの即座の計算なのかは定かではないが、試合に勝って勝負に負けた気分はついぞ拭えなかったミミだ。
だから彼女は父親を促して広場からそのまま領地へとUターンした。ディランの手は一切借りずテレポートはせずに気長に馬車の旅で。王宮に泊まっていくといいとディランからは提案されたが、そこは断固お断りしたのだ。
しょんぼりとして切なそうに彼はしたが、強くは言ってこなかった。
たとえしつこく食い下がられても、あの時のミミはどうしようもなく気が立っていて、帰ると押し切っただろう。
ミミは大層ご立腹だったのだ。だが婚約者辞めますなどと宣言直後に言えるわけがない。下手に感情に任せてそんな勝手を吐けば冗談抜きに身の破滅だ。
そんなわけで、ミミは馬車の中泣きたいくらいにムカつきながら領地への道中を過ごしたのだった。
ルピナスへと赴く期間と同じくらいのおよそ十日を経て無事に故郷に帰り着いたミミは、帰郷から半月、陽が燦々と射し込むサニー男爵家の寛ぎサンルームで大きな大きな溜息を落とした。部屋の明るさがガクンと翳ったような陰気さだ。
「はあああ~~~~どうしてこうなった……。功労者はともかく、婚約者だなんて、こ・ん・や・く、だなんて……っ、ホント頭の良い男ね、ディラン・ルクス! 何度思い返しても腹が立つ~っ」
ミミの詰めが甘かったとしか言えない。
プロポーズを取り下げさせ現状では「結婚」はしないとは表明していたが「婚約」については言及していなかったのが心底悔やまれる。
今回のグラニス国との件でサニー男爵にも王都への召集が掛かるとディランが言っていた通り、男爵はミミと領地に戻ってすぐにまた王都へと赴かなければならなかった。
因みにテレポートよりは遅いが陸路の半分以下とかなり時短になる空路で。テイムされた大きな魔鳥に騎乗するのだ。国内外の軍を問わず急ぎの際は空路が有効とされるが、防寒をしっかりする必要と乗り手の体力と操縦技術が求められる上にうっかり落下などの危険性が高いので、利用者はそれ程多くはないようだ。
主だった重鎮達の揃った王宮会議の場では、男爵はディランからミミを正式に王太子の婚約者に認めると伝えられた。王太子が近い将来所帯を持つと示すことで後継者の心配が薄れ、今以上の王権の安定化に繋げる狙いがある。そしてその結果国土の安定にも繋がる、と統治の観点からはそういう論理だ。
……まあ本来は論理も理屈もへったくれもなく、単にディランのミミへの執着心だが、誰もそこは指摘しなかった。誰だって命は惜しい。
しかしながら、一瞬目を点にした男爵だ。彼はもう娘は王太子の婚約者だと思い込んでいたのだから。
だが言われてみればそうなのだ。広場での宣言はまだディランの思い付きつまり暫定案だったわけだ。
ならばあのまま領地に戻らず、どうしてか頗る機嫌の悪かった娘とどこかへ亡命しようと思えばできたに違いなかった。サニー男爵は自分がまさにディランから嵌められたのだと悟るも時既に遅し。
会議の出席者達は誰一人異論はないと口を揃えた。身内を妃に望む者達も多かろう王宮会議の結論でこれはかなり異常だ。
男爵はぐぬぬぬっ謀ったな王太子めっと腹の中が煮え繰り返る心地だったものの、大っぴらに反対すれば王家に反意あるとも見なされかねないので拒めず、まだ婚約ならば解消も破棄もどうにか可能だと言い聞かせた。
そんな会議の終わりに、ディランからはポンと肩に手を置かれてボソッと言われた。
『義父上、賛成してくれてホッとした。まぁこれはミミと異国まで内緒の旅行を画策した意趣返しだと思ってくれ』
『なっ……!?』
亡命作戦がバレている。男爵は額に汗して敗北感に目を閉じたものだった。やはりこの婿は侮れないと再確認した。
ミミがいる時といない時での態度の開きが半端ない。まあキラキラした目で義父上~と話しかけられるよりは百倍マシだが。
ディランの婿ポイントは、言うまでもなくマイナス値新記録を更新だ。舅婿内紛が勃発する日もそう遠くないかもしれなかった。
「済まない、本当に済まないミミよ……。私がもっと機転の利く父親だったなら、どうにかして取り下げさせる道もあったに違いない」
「お父様は悪くありませんよ。悪いのはあの男です」
男爵家のティータイム。ミミの向かいで面目ないと小さく纏まる男爵はまるで覇気がない。行きも帰りも魔鳥だった王宮会議から戻ってきてからここ一週間ずっとそうだ。いつもなら張り切ってする男爵家の騎士達との鍛錬にも今日も参加していなかった。たぶんミミが指先でちょんっと押しただけで椅子から転げ落ちるだろう。
「お父様、そう落ち込まないで下さい。一番に落ち込むべきは当事者の私です。普通は結婚しないと伝えたなら婚約だってまだしないと思うものです。彼に常識を求めた私が馬鹿でした。それにまだ婚約者になってしまっただけで単なる肩書きです」
「ミミには何かその……リンゴーンを取り止める妙案が?」
「単語が嫌だからとオノマトペで臭わせないできちんと結婚と言って下さいお父様。まぁ現状では取り止められるかはわかりませんが、それでもあんにゃろーにただで私とこの子をくれてやる気は毛頭ありません」
「あんにゃろーか……ははは」
心労で憐れにも少し頬が窶れた男爵は心配そうに娘を見つめる。娘はディランに対してまだ何かが相当頭に来ているようだからだ。
時間が経っても薄れず、いやむしろ時間と共に憤りは増しているように見える。
そんな愛娘は父親を真面目な顔で見据えるとこう言った。
「ですのでお父様、レッツ引き籠りです」
「ほあ?」
「私はこれから屋敷に籠って王宮の誰とも会いません」
「ふむ。ミミの気がそれで済むのなら喜んで従おう」
「ふふっ、ありがとうお父様。ですからもう安心して騎士達と剣の打ち合いをなさってきては? 腕が鈍っては大変です。もしもの有事には私を護ってくれなくては困りますもの」
「ああ、ああっ、そうだなっ! よし早速この父は鍛えて鍛えて鍛えまくるぞおおおっ!」
「うふふその意気です」
男爵はすっくと椅子から立ち上がってサンルームを駆け出して行く。ミミは夕日と駆ける青春小僧を見ている気分で見送った。
「良かった元気になってくれて。人間何事も気持ちからなのかも」
たとえそれが予期せぬ婚約だろうとも。いつまでも同じ所をぐるぐる回っているわけにはいかない。今後に向けて建設的に考えるべきなのだ。
それでもまだ整理ができない。納得いかない。要するにまだまだ全然ディランにムカついている。
「ふん、あの男ってば精々焦ればいいのよ」
その日以来、彼女は言葉通り屋敷から出なくなった。
婚約を公言したからと言って何だと言うのだと、王宮からの使者一切を追い返し続けた。
ディランに行けと脅され……いや頼まれて使命感を胸にやって来た側近ライオネルでさえも門前払いされる始末。
駄目元の三度目の訪問でライオネルは困り顔の男爵からようやく応接室には通されたが、申し訳なさそうにするも男爵は最初から娘の味方なのでまるで頼みにはならず、結局は空手で帰路に就いた。
失敗報告を受け続け、ディランはミミの目論見通り焦った。このままでは婚約式も行えず、それどころか屋敷に断固引き籠ったミミの顔さえ見ることは叶わない。
大きくなったお腹に耳を当ててミミと二人で「あ、今お腹を蹴ったわ」「おおっ、俺にもわかったぞ!」「うふふ」「あはは」と甘い時間だって過ごせない。最悪子供には会わせませんとか言われそうだ。
これも、彼女の好意を知り激しく調子に乗ってしまった己への罰なのか、とディランは大いに嘆いた。
彼女とは関係のない案件なら、どこの誰の屋敷だろうと玄関を蹴破って踏み込んで捕縛や拷問、時に成敗も結構しれっとやっている彼だが、彼女が絡むと権力を振り翳してサニー家に踏み込む気概すら持てない、強引なことは何もできないチキン野郎に成り下がる。
そんな暴挙に出れば最悪婚約破棄されるのもあり得るからだ。
究極の決意として無理に連れ出そうとしても成功するかは正直微妙でもあるし、サニー家の軍事力は侮れない。男爵家一同は彼女と腹の子を全力で護るだろう。
ならこっそり行くかと、我慢できずにディランが一人お忍びでサニー家に会いに行っても、ミミに魔法能力で察知されていてここぞとばかりに出てきた騎士や使用人、果ては男爵にまで追い返されてしまっている。少しの隙もない。
彼女に一目だけでも会いたい、しかし叶わない。
彼はとうとうライオネルに泣き付い……助言を求めた。ライオネルは実は既婚者だからだ。新婚ホヤホヤだ。
しかも彼はディランがミミとゴタゴタしている間にさっさと幼馴染みと結婚したという、公私は決して混同しない無神経いやいや真面目な男だったりする。
そんなライオネルはディランへと、ミミの要望を聞いてはどうかと提案した。
彼はサニー家を訪問した折に、男爵家の者達のディランの強引さに対する悪感情を感じ取っていた。確かに権力を笠に着ての一方的な婚約など横暴以外の何物でもない。嫌われて当然だ。しかれども、我が身が大事なのでディランには今になるまでついぞそこを言わなかったライオネルだ。と言うか自分で気付けと言いたい。まあそれができないからこそ稀代の暴君予定などと陰口を叩かれるのだが。
ともかくそうして、粘りに粘った末についにディランとミミとの話し合いの場がセッティングされた。
無論場所はサニー男爵家だ。
その日、サニー男爵家の応接室で、ドドンと大太鼓の音が似合う緊張感ある表情のミミと、音の外れたトロンボーンのような様子のディランとの重要な話し合いが行われようとしていた。
対面する両者は冗談ではなく天と地ほどに空気が異なっている。
役者が揃ってからこっち、社交辞令的な挨拶をしてからはまだ誰も何も発していない。その間、ディランへは無表情の使用人が紅茶と焼き菓子を両陣営の座る長椅子の間のテーブルに置いていっただけだ。
ミミの表情は極めて不機嫌。
反対にディランは眉尻を下げた、彼には珍しい顔になっている。
彼は久しぶりのミミを躊躇うような目でじっとずっと見つめていた。極上の獲物を狙う飢えた狼のように決して目を離そうとはしないところが、そこはかとなく気持ち悪い男になっているのを本人は自覚なしだ。
少なくとも同席のサニー男爵と、同行してきたライオネルはそう思っていたが、ディランにとって幸いにもミミはそうは感じなかった。
(あぁまた弱ディランって言うかチキンになってるし……。私がそれに弱いのをわかってやっているのかしら?)
ディランが常態の通りの俺様さだけしかミミに見せていなかったなら、たぶん彼女はもっと違った感情を彼に抱いただろう。
こんなにもディランを気にすることもなかっただろう。
(あーもうっ顔見ていたら憎たらしくなってきたわーっ)
感情を逆撫でる沸々とした怒りのようなものが込み上げてくる。
明らかに最初よりも機嫌が下降しているミミへと、ディランは表情をより曇らせた。
彼は、勝手に婚約者にしたことを彼女がとても怒っていると思っている。彼女の王宮騎士になりたいとの希望を無視してしまったからだ。あの時は嬉しさ思い余ってつい突っ走ってしまっただけで彼女の希望を故意に無視したわけではなかったが、今更それは言い訳にしかならない。
優に十分は経ったろうか、このままでは建設的な言葉一つすら交わせずにお引き取り願われる可能性大だと、ディランは躊躇いを捨て決心して口を開く。
「ミミ、悪かった! どうか機嫌を直してくれ!」
先手必勝と謝罪を繰り出した彼は少しは彼女の態度が和らぐのを期待して長めに下げた頭を上げる。傍らの側近は驚くでもなく温い目をしていたが、サニー男爵はちょっと意外そうにしていた。そんな二人は口を挟まないで傍観者に徹している。
これは当人同士でしか折り合いを付けられない課題だからだ。
しかし、期待も虚しくディランがかち合ったのは眉のひそめられたミミの顔だった。彼女は声も低くに問い掛ける。
「殿下は何に悪いと思っておいでです?」
「勝手に婚約者にして、ミミの王宮騎士になりたいとの希望を考慮しなかったからだろう?」
「……そこも確かに強引でしたよね」
「え、他の理由があるのか?」
ミミは黙ってディランを見つめた。
いや、睨んだ。
「やっぱり全然ダメな人。結局は私だけなんだわ!」
ミミは何かとても悔しそうに顔を歪めた。その引き結ばれた口元は彼女の憤りの大きさ深さを表しているようで、隣で見守っていたサニー男爵もどうしたのかと案じて腰を浮かせている。明らかに狼狽したディランは椅子を立ってテーブルを回り彼女の傍に膝を突く。
「ごめんなミミ、俺は馬鹿だからお前が何に怒っているのかわからない。至らないところがあるなら遠慮なく指摘してくれ」
この期に及んで彼は彼女の理由には気付きもしない。強引さが悪いとしか考えていない。
それは確かに間違ってはいない。何であれ無理強いは良くない。そんなのは酷い奴だ。
一旦そう責めてやればいいと意地悪にも思うのに、色々と文句を言いたいことだってあるのに、ディランの必死な顔を見ていたら何故か言葉が出てこなかった。
代わりに席を立った。
「今日は冷静に話し合いできそうにありません。大変申し訳ありませんが、日を改めてと言うことで」
ミミは広場での憤慨や落胆を同じ強さで維持している。維持していたいわけではないのに、消えないのだ。彼の言葉を聞いて余計にむしゃくしゃしてもきた。
王太子を前に先に退室する非礼は承知だが、滲んできた涙を見られたくなくてディランからそっぽを向いて歩き出す。
彼からはっしと腕を掴まれた。
「ミミ待て! お願いだから俺の何に対してなのかハッキリ言ってくれ!」
「……あなたは私が何に怒っているのか、本当に少しもわからないのですか? ほんの少しも?」
ミミは手を振り払わない代わりに振り返らないままに訊ねた。ディランは口ごもる。
悔しかった。悲しかった。これは自分の我が儘な要求なのかもしれないとも頭の片隅で思ったくらいに。
大きく息を吸って吐く。
「私は、あなたと一緒に考えたかったんです。お互いを知っていくのも、その果てに私達の関係がどうなるのかも、勿論婚約も、二人で話し合って意見をぶつけ合って本当にそれでいいのか必要なら何度だって確認し合って決めたかったんです。なのにあなたは全部勝手にして、私はお飾りは嫌ですと言ったじゃないですか! 気持ちは対等でいたいと言ったじゃないですか!」
「そ、れは……本当に悪かった」
ディランはハッとしたようにしたが、ミミは依然として前を向いたままやや俯いていたので見ていない。
「本当にわかったのですか?」
「面目ないが、言われて初めて気付かされた。次からはもうしない。ミミと一緒に考えると誓う。だからこっちを向いてくれ」
「本当の本当にわかったのですか?」
「ああ」
「本当の本当の本当に?」
「無論だ」
ミミはまだ前を向いている。
「本当の本当の本当の本当に?」
「あ、ああ…………ミミ?」
「わかりました」
彼女の穏やかな声音に若干ホッとしたらしいディランがそろ~っと彼女の顔を覗こうとして接近した。
覗かれる前にミミはゆっくりと振り返る。
「!?」
ディランは目を見開いて硬直した。ミミは眉を吊り上げていたからだ。まだ怒りは冷めやらないようだ。
ディランは固まったまま蒼白になった。
「ミミ、嘘じゃなく本当だ。二人で決めるべきものは決めると誓う! だからミミ……頼む……怒った顔も可愛いが、どうかもう怒らないでくれ」
「…………」
「ミミ……」
「…………ふっ……ふふっ」
彼女は無言でじっとディランを見据えていたかと思えば、突然噴き出した。そのまま一人肩を震わせて笑い出す。ディランは困惑気味だ。
「ミミ……?」
「引っ掛かりましたね? 仕返しですよ。仕方ありません、今回だけは特別に私も譲歩します。だって私達はまだこれから沢山知っていくことがあるのですもの」
「赦して、くれるのか?」
「はい。これからを信じます。……まぁ、次はないですが」
「わ、わかった。軽率な行動は取らないよう善処する」
婚約者からまんまと脅されている暴虐王太子と名高い男の姿に、サニー男爵も側近ライオネルも最早驚きはなかった。
彼と彼女はお互いが特別なのだと嫌でも見せ付けられたのだ。悟れないわけがない。
まさかディランが嫁さんの尻に敷かれるタイプだとは思ってもみなかったサニー男爵とライオネルは、これも天の采配かとしみじみと数奇に満ちた世界の深さを味わうのだった。
ディランの正面に向き直ったミミは、彼の両手を両手でぎゅっと握り締めた。
(この男ってば、私がその顔に弱いの本当に知らないの?)
彼の艶やかな黒髪、煌めく鋭くも甘い金瞳、高く通った鼻梁、頬骨は凛々しいが出っ張り過ぎてはいないので決してゴツくはなく、顎にかけての線はむしろシャープだ。囁かれるとぞくぞくくる美声を紡ぐミミを求める熱い唇と、その他顔以外も思い浮かべて……。
(――はあぁんっ、何でこうなのよ私ってばーっ!)
キスしたいキスしたいキスしたいと欲張る破廉恥な自分に打ちのめされそうだ。つい今し方まで腹を立てていたと言うのに何たることか。肉食女子な自分の気質に呆れさえする。
(まあ当面はこの子がいるから彼にガッついたりはしないけど。謙虚にね、謙虚に)
考え事に意識を取られていたせいでまた無言になったミミを気にするディランが、無意識にか手を握り返す力を増したので、ようやく彼女も現実を認識してひらりと瞬いた。
その目がディランを見上げると、ふわりと細められる。
「殿下、これで仲直りですね」
その瞬間、ディランはきっと一生ミミには勝てないと予感した。
自分だけに向けられるこの笑顔をどうしたって失いたくはないのだと、強烈なまでに願った。
仲直りからこっちミミの身の上に変化はない。当たり前だがディラン達は王都に戻った。
しかし取り巻く状況は近いうちに変化するだろう。
ミミは王宮騎士になる。正確には王宮魔法騎士に。
ディランをフェアな視点から見たいのと、やはり国の将来のためにも自分の半魔の力を無駄にしたくはないからだ。
だからこそ、彼との話し合いでは王宮騎士になる確約、それが婚約を継続する条件とした。
大々的に周知されてしまったからと言って、ミミの方から婚約破棄やら解消が絶対的にできないわけではない。故にディランも条件を呑んだ。償いの意味合いもあったのだろう。あとご機嫌取りも。
ミミは内心では少し卑怯かとも思ったが、清濁併せのむのが人間だと言い聞かせ、上っ面は終始しれっとしていた。本人に自覚はないが父男爵に似て彼女も存外食わせ者な面がある。
他方ではライオネルが本当に人間ここまで変わるのだなぁ、と感激すらして二人のやり取りを黙って聞いていたものだった。
サニー男爵に至ってはディランから威圧を与えられた娘が怯えて不利な取り決めをさせられないかと、交渉の邪魔にならないよう無言ではいたが目を皿のようにしていた。
先の話に戻すと、ミミはディランの婚約者であると同時に、謎の女魔法騎士として王宮勤めをするようになる。
ミレイユ・サニーとしては半魔なのを公にはしない方向で当面は行くのだ。
王宮騎士と王太子の婚約者、別人とする方が騎士活動をする場合は余計な注目や忖度を避けられ動きやすいのだ。気も楽だ。
そして、ディランとは大きく環境が変わるもう一つの取り決めもした。
婚約者として王宮暮らしをする。
そうディランと二人で決めた。
彼をより沢山知りたいミミと、いつでも近くで彼女と過ごしたいディランの双方が納得できる形だった。
その話を聞いたサニー男爵は「結婚までは実家暮らしだと思っていたのにっ。王太子めええ~っ」と悲嘆とディランへの怨嗟を口にした。婿ポイントは当分稼げそうにない。
因みに男爵は即刻動き王都にタウンハウスを設けた。これでいつでもすぐに王宮に駆け付けられる、と。
「騎士になってもすぐに産休かもだけど、まあその時は遠慮なくゆっくり休もうっと」
ぽっこりと出たお腹を優しく撫でてやる。もう普段着ているドレスもマタニティーだ。デザインは通常ドレスにも見劣りしない可愛さなので満足している。
……これはディランからの贈り物で彼直々のチョイスというのが未だ信じられないが。あの横暴王太子に女性の服への審美眼があったのには驚かされたものだった。
「任命されれば二重生活開始よね。他の人にバレずにやっていけるといいんだけど」
ミミは二つを演じ分けなければならない。
どう言った形で王宮騎士として振る舞うべきなのか、または王太子の婚約者として振る舞うべきなのか、まだ不明だが、両者をこなすのは容易ではないだろう。
辛くて逃げたくなるかもしれない。それでも自分で選んだ結果のこの道だ。ミミは不思議とわくわくしてもいた。
ディランとだけではない。魔法なしに卓越した王宮騎士だったと言われる父親とも肩を並べて立てるようになりたいとの思いもある。密かに幼い頃から憧れ続けた大好きな背中は今も大きいままだ。昔のように無邪気に飛び付きたくなるが、ギックリ腰になられても困るので我慢している。
「見ていてね、お母さん頑張るわ!」
サニー家に今日届いたディランからの手紙には、近況の他に王妃は息子の恋路に乗り気でいてくれて、嫁姑関係は安心しろとも記されていた。
心の底では乗り気ではないのだろうサニー男爵は自棄酒の代わりに鍛錬三昧の毎日を送っている。自棄鍛錬とはある意味健全と言えば健全かもしれない。
双方の親の感じ方もそれぞれだとミミは一つ息をついた。
そんなミミは、本格的に王都へ引っ越す前に一度きちんと国王と王妃に挨拶に出向いた。
療養中の国王には負担を掛けないよう挨拶と手短に会話をして寝室を辞したが、その埋め合わせのつもりだろう歓待してくれた王妃はおっとりとして善良。ディランの手紙にも記されていた通りにミミに好意的で、だからこそ心苦しかった。
(実はもうあなたの孫がお腹にいます、なんて言ったらお父様みたいに卒倒したかしら)
ミミのドレスはレースやデザイン的な膨らみを駆使し巧妙に腹回りの形状がよくわからないようになっていて、近くで過ごした王妃でさえも気付きはしなかったろう。
知られればすぐにでも婚姻させられて王宮に留め置かれ、自由がなくなるのは想像に難くない。気合いだって入ると言うものだ。
(まだディラン殿下とはお互いを知る途中でもあるし、彼の子を妊娠中なんて公にすれば、最悪命を狙われる危険だってあるもの)
ディランもサニー男爵もそこは同意見だったのか、伏せておこうとのミミの前以ての提案に反対しなかったのはホッとしていた。
(でもいつかはちゃんと話したい。一緒にこの子を愛してほしいもの)
そうして、領地の顔見知り達と当面の別れを惜しんだりして過ごしているうちに、ミミの感覚的にはあれよあれよという間に王宮への引っ越しの日になっていた。
ここでいいからと玄関ホールで屋敷の皆に挨拶を済ませ、一抹の寂しさを抱えつつも扉を開け玄関先に待機している王宮からの迎えの馬車を見る……。
「――ってどうしてまたあなたなのですかっ、ディラン殿下っ!」
突っ込まずにはいられなかった。
王都に長期滞在予定を組んだサニー男爵はミミよりも先に外に出て王太子に挨拶を済ませていたようだった。腹に一物、いや十物くらいはあるのか薄い笑みがどこか寒々しい。ディランが全く気付いていないのがせめてもの幸いだ。……気にするだけ労力の無駄と放置しているのかもしれないが。
「その、まぁ……サプライズと思ってな」
「へぇ、そうですか」
ミミは正直呆れていた。国王代行ともなれば暇人ではないだろうに、彼は一体全体何を思ってこんな真似をしているのか。
「俺直々に迎えに来たかったんだ。一秒でも早くミミの顔を見たかったから。馬車が大きく揺れても俺なら難なくお前を抱きとめて護ってやれるだろう。あと馬車はテレポートなしでゆっくり走らせる。王宮までの時間をお前と共に過ごしたいんだ。そのために仕事は前倒しで片付けてきた。それに念のため妊娠中は魔法具の多用は控えたいところだからな」
ストレートかつ無邪気に好意を示すディランには、ミミもさすが表立って文句を言うのは控えた。
「私を気遣って下さりありがとうございます」
「当然だ。さあ行こう。手を」
彼女は差し出される手をじっと見つめて、相手が怪訝になる前にそっと手を重ねた。
(あ……)
いつも触れる度に感じていたが、ディランの剣だこのある無骨で大きな手は冷たそうなのに実はとても温かい。緊張で血流が悪くなる段階を通り越して燃えている感じだ。
彼はミミの姿を見ると、それまでの冷めて凝り固まっていたのが嘘のように急激に軟化し熱っせられるようなのだ。
ミミに会えたのが嬉しい嬉しいと全身で表しているみたいに。
ここで、馬車に乗り込もうとしていたミミはその足を地面に戻した。
動きを止めた娘の様子に、サニー男爵は「もしやミミ、婚約破棄か!?」と心底嬉しそうにした。怪訝にしていたディランはその言葉に青くなる。見送りに来ていたサニー男爵家の騎士達が目を疑うレベルで暴虐王太子はあたふたとした。
「ミ、ミミ、どっどうしたんだ急に?」
眉尻を下げた彼から顔を覗き込まれた彼女は静かな表情を崩さない。
「ディラン殿下、あなたに言いたいことがあります」
「な、何だ言ってみろ。別れる以外なら何でもいいぞ!」
彼のいつにない焦りっぷりにどこか可笑しくなってミミは「なら遠慮なく」と小さく笑いながら返した。
ディランの緊張が微かに震える掌から伝わってくる。震えは手を握るミミだけにしかわからないだろう。
あのディラン・ルクスがこんな風になるなど、誰が想像できただろう。
とても得した気分だ。
ミミは繋いだ手に願いを込めた。
「――どうかこの子に恥じない父親になって下さい。少なくともその間は、私はいつもあなたの味方でいます」
「ミミ……」
その場のほとんど全員が凍り付く。
これは端的に言って惚れた弱みに付け込んだ脅しだ。
皆は今にも王太子がキレるのではないかとヒヤリとした。
だがしかし、予想に反しディランはミミの手を包むようにしてぎゅっと握り直した。
「ああ、一生俺の味方でいさせてやる」
彼は全力で努力するだろう。傲慢な攻めの言葉とは裏腹な彼のひたむきな程の眼差しに、ミミの心臓は激しく跳ね回る。
(この男は……ホント、時々どうして可愛いんだから!)
彼女としては、未だにどうして好かれているのかよくわからないというのが正直な心情だ。
よくよくわかっているのは、ディラン・ルクスは自分に首ったけという事実。
(そうだわ、この際私の思うような道を見出すのもありなんじゃないの?)
子供のためにも自分がこの王国に代々根強く存在する非情な暗部を切り崩していけたなら、その未来は捨てたものではないだろう。
そんな無謀で冒険的な選択肢を取る価値はあるのだろうとミミは打算と好奇心をも胸にする。
きっとディランなら理解して手を貸してくれる。いや、そうしてもらわねばならない。
政治的な面とは別に、幻想のように結ばれた夜の甘い記憶は切れ切れだが、あの時のようにこの男をまた躊躇いも柵もなく愛したいとも思う。
全てはこの男との出会いが始まりなのだ。
(はああ~私も大概だわ。ふふふっ、でもこの子が生まれて落ち着いたら、そのうちに……ね?)
一方、間違いなく王太子はミミの尻に敷かれる、であれば国は安泰だ、とその場の誰もが確信していた。
乗り込んだ馬車がゆっくりと走り出す。
繋いだ手はそのままだ。少し手が冷えていたから熱いくらいの彼の手で温まっているのだと言い訳をして、安堵する程に愛しく感じながら。
トクリトクリと心地よく心音が鳴る。
ディランの息遣いも穏やかだ。
向かいの席の父親の目が吊り上がっている。
(あはは、可笑しな家族団欒だわ)
そう、家族団欒だ。
もうミミには明るい緑の庭で自分と子供と父親と、そしてディランとで過ごす姿を苦もなく思い描けるようになっていた。
ついついくすりとする。そうやってディランと歩んで果たして将来どうなろうと、不思議と後悔だけはしないような気がした。
今はもう通常運転に凛々しい横顔へと視線を向けると、その彼の目と目が合った。
(一体いつからこっちを見ていたのだか)
まさかミミが視線を向けてくるとは思っていなかったようで、彼はびっくりしたように目を見開き少しあたふたとした。
ミミは少し考え、とある実験をしてみることにした。
羞恥心を押し殺し小首を傾げてできる限りのぶりっ子スマイルを浮かべる。
「ディランのそういうところ、実は結構好きですよ?」
「そそそそういうってどういうと――えっ!? 今名前で呼ん……っっ」
ディランは特大の幸福弾に撃たれたようにして、何故か緩み切った嬉しそうな顔で昇天した。
チキンな暴君にはまだ刺激が強かったのかもしれない。




