6
その夜、グラニス国の奇襲作戦を見事に阻止したゼニス王国国境では、兵士達が不夜城よろしく沢山の炎を焚いて臨戦態勢が整っているとグラニス側に示した。
敵スパイ三人を連れ帰ってとりあえず牢にぶち込んだディランが全ての指示を簡潔かつ的確に出したおかげだ。三人は後日王都へと移送される。
言うまでもなく、グラニスとの危機は回避された。
この話が広まれば、ディラン王太子の的確な分析と指示のおかげで隣国の密かな企みは実を結ばなかったのだと国民は沸くだろう。
ゼニス国民のディランへの評価は相変わらずの次期暴君だろうが、これまでも反感を抱いている貴族達が表向き魔法を使えないとされる彼へと明らかな反旗を翻さない一番の理由は、彼の軍事や交渉事を含めた護国面での有能さにあると言ってもいい。
国が安泰なら自分達の懐も安泰という者が多い証拠だ。
そんな旨味もあるからこそ、わざわざ王宮を掌握する王太子と敵対するなどデメリットの方が大きいのだ。
しかし現在彼ディラン王太子殿下は、後々下されるかもしれない自らへの評価などよりも遥かに重要な局面を前にしていた。
彼は依然サニー男爵親子の泊まる宿の一室で、段差はないが玉座よろしく備え付けのテーブル一式の上座に腰かけて腕組みし、両目を瞑って黙していた。
彼の対面にいるのは言うまでもなくサニー男爵親子だ。
「殿下っ、王宮を欺いた大罪は叶うならばこのサニー家当主たる私の首一つでご容赦を!」
「お父様!? 私のためだったんですし私が責任を負います! 罰は私自身で受けます!」
(私は仕方ないけど、お父様に何かしたらホント末代まで祟ってやるんだから……って私の子供も入るからそれはよそう。でも絶対赦さないわ)
「殿下、私のこの隠蔽を娘は何も知りませんでしたし、私が責任一切を負います!」
「やめて下さいお父様!」
親子はディランと対面してはいるが、椅子にも腰かけず床に平身低頭して言い合っている。
ディランの存在は全く以て蚊帳の外にあると言っていい。半ば不敬をしているのだが、お互い相手の身の保身に忙しい父娘はそこに気付いていない。
「ディラン殿下、罰はどうか私に!」
とうとう意識を向けたのか、ミミが上半身をがばりと上げてディランへと声高に訴える。
「ならんっ、私は老い先短い身! しかしお前には男爵家は無くなろうとこの血を継いで行ってもらわねばならん! ですので殿下、娘はどうかどうか無罪放免に……!」
今度は男爵も顔を上げ必死の形相で訴える。
「ミミよ、愛しい我が娘ミレイユよ、お前達母子二人だけでもどうか強く生きていくのだ!」
「嫌です、お父様とお別れなんて嫌です! 三人で強く生きていくと約束したではありませんか!」
「すまない。今はただ耐えるのだミミよ! 生きるために……!」
「ううっ……お父様あぁ!」
またもやディランから注意が離れ、ひしっと抱き合いお涙頂戴の親子劇が繰り広げられていたそんな時、
「母子二人……? 母子、だと? 三人で強く……? 一人、二人……しかいないのに三人で、だと?」
幽鬼のような顔色で丁寧に指先で人数を数えたちょっと危うい感じのディランの声が父娘の耳朶に絡み付く。
言うまでもなく二人は見事な氷像のように凍り付いた。
(もーーーーッ! お父様ったら思い余って不用意な発言を! 私もうっかりしてたし!)
ダラダラと妙な汗を流す男爵の横でミミがどうやってやり過ごそうかと目まぐるしく考えていると、いつのまに椅子から離れていたのか、ディランがミミの前に膝をついた。
「ミミ、今の台詞はどういう意味だ? 義父上も何かあるのなら話してくれ、……今後のためにも正直に」
「えっええっとそれはですねー、お父様も私もよく数え間違いや言い間違いをするんですのよーホホホホホホ!」
(っていうかまだ義父上って言ってるし!)
「ミミ、本当に話してほしい……今のうちに」
(いいい今のうちにって言った! いやーっ怖い怖い怖い脅しに掛かってきたあーーーー!)
男爵の方は迂闊過ぎる失言にすっかり蒼白な顔で黙り込んでしまっている。これは助けにはならない。本当に軍事面以外では頼りにならない。ミミは自身で解決するしかないと腹を括った。
気持ちを立て直してディランを強い眼差しで見据える。
「言え、どういう意味なんだ?」
ディランの方もいつにない鋭い眼差しをミミに向けていて見逃してくれない気配が濃厚だ。彼女は彼が酷薄と言われる片鱗を目の当たりにした気がした。ひゅっと変な場所に空気が入って咳き込みそうになって息を堪え、何とか呼吸を落ち着ける。
観念するしかない。
医者やその手の心得のある者に調べられたり、或いはすぐには殺されずとも時が経てば出てくるお腹で露見するだろう。
「私には、子がいるのです」
「何……だと?」
ディランが眉をヒク付かせた。
「その子供は今どこに?」
「私のお腹です」
「……妊娠中、なのか」
「はい」
ディランがミミの腹を見下ろして押し黙る。
しばらく、室内には気まずい沈黙だけが流れた。
「……子の父親は? 跡取りとか言っていた男か?」
ミミは口を引き結んだ。ここで偽りを述べた所ですぐに嘘だと彼には嗅ぎ付けられてしまうだろう。事実、意識してか無意識かは知らないがディランの目が赤く光っている。
「聞こえなかったか? その腹の子供の父親は誰だと訊いている。言えない相手なのか?」
再度問う声に苛立ちが紛れた。
雄ライオンは番いたい雌に既に我が子ではない子ライオンがいるとその子を殺す事が多々あるという。彼からしてみれば彼と一夜を過ごした後に別の男と寝ていたと思っても全く不思議ではない。
ディランの眼光が鋭さを増す。
腹の子を殺してやるーと彼がキレて暴れる前にとミミは一度ぐっと息を呑み込んで……極上の笑みを浮かべた。
母は強しと言うやつだ。
「この子の父親は私が認めた最高の男です、殿下」
「なっ……」
嘘ではない。あの夜は確かにそう思ったのだ。
しかしそれは諸刃の剣。
盾にもなるが真相がバレれば鎖にもなりかねない。
だがここで使わずどこで使うと言うのか。
このまま追及のような真似を止めて引き下がってくれるかどうか、賭けだとミミは努めて呼吸を深くする。
「ハッ、最高の男、だと? 笑わせる」
ディランの尖った視線がミミに突き刺さる。
この裏切り者め、と糾弾されているようだった。
初めてそんな目で見られて、ズキリとミミの胸の奥が酷く痛んだ。
(……っ、どうして悲しくなるのよ。自分からそう仕向けたのよ。彼が離れて行った方が良いはずでしょ。人生安全なのよ、すっかり見向きもされなくなった方が……)
なのに心の痛みが増していき、じわりと涙が奥から滲みそうになって思わず俯いたそんな時だ。
「――デイルとか言うどこぞのくそ野郎なのです殿下っっ!」
怒り声で唾を飛ばして叫んだのは男爵だ。
(なっ……お父様!?)
「娘に汚い不埒な手で触れた輩など、本来ならこの手で八つ裂きにしてやっても足りませぬ!」
男爵は憤りに声を震わせる。
「しかし、口惜しくもそうできぬのです。何故ならそのデイルとか言う馬の骨は所在不明! それに、もしも捜し出せたとしても娘には既にそいつとの子供がいるのです。血涙を呑んで婿に迎え入れるほかないでしょう。よって王太子妃には相応しくありません。ですからどうかお戯れはおやめ下さい。これはこのミレイユの父親としての願いです!」
ミミは顔面蒼白になって絶句した。知らなかったとは言え何と言う暴言をそのまさにデイル本人に浴びせているのか。
いやそれ以前によくも余計なことを喋ってくれたな、と苦々しく思う。これでは最早シラを切れない。
ディランもディランで言葉を失くしたように目を見開いている。
「社交界の右も左もまだまだわからないような未熟な娘に代わり、これまで以上に私が殿下の御ために身を粉にして働きましょうぞ! いえむしろこの身を全て捧げます!」
「ちょっ、お父様!?」
(私のことは抜きにしても、そんな事言ったら召集されての通いじゃなくて年中王宮勤務になっちゃうかもしれないじゃないの! どうするのよ国外に行きにくくなるじゃない!)
男爵の娘への愛に感動でもしたのか、暫し神妙な顔で黙したディランは徐に口を開く。
「……デイルとか言う男の他には?」
「はい? 他とはどういう意味で?」
「そいつ以外にもミミには恋人が……跡取りとしての婚約者がいるんだろう? それはどこの男だ?」
「はい~?」
男爵はあからさまにポカンとした。
「娘に婚約者などおりませぬ。お恥ずかしい話ですが、私がまだ嫁になど出したくなかったのもありまして、今までどこの申し入れもお断りしてきたのです」
「えっ、密かにそんな事してたんですかお父様!」
(って詰んだーっ。ここも前以てお父様と設定の相談しておけばよかったよお~っ)
これでミミはフリーだと知られてしまった。逃げのための手札がまた一枚消えた。そんな娘の胸中など知る由もない父親は申し訳なさそうに頭を掻いた。
「す、すまぬミミ。つい出来心でな。もしかしたら善き縁談もあったかもしれぬが……赦してくれ!」
「グッジョブだ義父上っっ!」
「グッジョブ?」
ディランはあたかも予期せぬ金鉱山でも見つけたように頗る興奮してから、ちょっとだけミミを「あなたってばいけず~」的な恨めしげな目で見た。
目を逸らすミミはその件はディランの方で勝手に勘違いしたのだからと自分を強く持つ。
「あ、ありがとうございますお父様、私も全然その気がありませんでしたし断ってくれて正解でした」
「そう言ってくれるなら良かった」
ディランからの歓喜の称賛はともかく、ミミから赦しどころか感謝の言葉を貰って男爵はどこか誇らしげだ。けれど次には渋面を作った。
「そういうわけではありましたが、殿下、私はですな、デイルという男がもしもまた娘の前に現れた時は、娘と添い遂げるように説得する所存です。必要とあらば鎖に繋いででもうんと言わせてやります。そもそも彼の子供を身籠っているのですしな。重ねてお願いするようでくどいかとは思いますが、どうか娘の王宮入りはご容赦を」
男爵からの明確な妃選考辞退の言葉にか、ディランは再び神妙な顔付きになる。その目がチラリとミミを見るやくいっと口角を上げた。ミミは猛烈に嫌な予感がした。
「それはつまり……義父上は腹の子の父親との交際果ては結婚に賛成、と言う意味か?」
「その通りです!」
「なるほどそうか!」
(やっぱりそうきたーっ!)
氷が解けるようにディランの顔から険しさが薄れていき、更には天からの光でも降り注いだように彼の周囲が輝いた気がした。天使が飛び回っているような幻覚さえ見える。
「ほほうほう、これではもう、ミミとその男は結婚するしかないな。たとえどんな男であれ、な。彼女曰く、最高の男だそうだからな!」
「はあまあ、そうですな」
男爵は恐怖の王太子よりはどこぞの馬の骨の方がマシだと思ったのかもしれない、乗り気ではなさげだが首肯する。ディランがうんうんと相槌を返した。
「そうだろうそうだろう。こほん、あー、時にー、その腹の子の父親だがー、義父上、実はだな、俺――」
「――デイルはデイルです!」
ミミは真実を口にされる前に声を張った。
「殿下、私は結婚するにしても行商人のデイルとしかしません。行商人の彼が私の目の前に現れてくれれば、喜んで左手の薬指にたとえ藁の指輪だって嵌めましょう」
ディランは一度ポカンとし、無理難題を突き付けられたように顔を歪めた。
ミミの言葉は王太子をやめろと言っているのと同義だからだ。
「……俺の事は嫌いじゃなく、むしろ見た目はドンピシャなのに肩書きだけでもう駄目なのか?」
「うっ……、ひ、必要以上に縛られたくないだけです」
「縛るつもりは…………ぅうむ」
「何で濁すんですか!」
「いやっそのっ、だっだがもし……もしも……俺が帳簿を付け間違っても怒らないでいてくれるか?」
「……はい?」
「釣銭を間違えて多く渡してしまっても大目に見てくれるか?」
「はいい?」
ディランはとても真面目に深刻な顔付きで、それでいて真っ直ぐにミミを見つめる。
(えっまさか)
「お前が望むなら、どうにか適当な後継を見つけて俺は王太子をやめてもい――」
「ちょおおおーーーーっと待って下さいいいっ!」
ミミが叫ぶも、ここで男爵が「後継を見つける?」と一人呟いておずおずと手を上げる。
「あの殿下、そういう場合は何人か候補を絞ったら最終的にはあみだで決めると良いで――」
「お父様は黙ってて!」
ミミから見た事のない物凄い形相を向けられて、男爵は「はい」と正座でいつになく小さく丸まった。そんな父親から目を逸らして溜息をついてから彼女は次にディランをこれは心底疲れた心地かつ腹立ち紛れな目で見やる。
もう一度言うが、子のためなら母は強しなのだ。
睨まれたディランはらしくなくたじろいだ。
「殿下、現実的ではないもしもはやめて下さい。あなた以外に今のこの国を任せたらどうなるかわかりませんもの。とにかく、私には王太子妃は無理です。妃になったところで殿下がころりと心変わりをなされたら惨めで悲惨な末路しか浮かびません」
「心変わりなどしないっ。そこは信じてくれ」
「……だとしても、嫉妬と陰謀渦巻く王宮で暮らすなんてお腹の子にもし何かあったら耐えられませんっ」
「ミミ、お前は王宮の環境や何かしらの理由を作って妃を辞退したい程、そんなにも俺が嫌いなのか?」
「え……」
まさかハッキリ血が似合う男なんて嫌ですなどとリスキーな返答はできない。
しかし嘘を言っても嗅ぎ取られる可能性が大だ。だから本心の一つを返した。
「嫌いと言うか、殿下の威圧感には怖い部分もあって萎縮してしまいますが、今夜はとても勇敢で凄くカッコ良かったなあ、と思いましたね」
的を巧妙にすり替えたような返答に、ディランは怒ったり文句を言ったりはしなかった。
「そ、そうか勇敢か、ふーんそうかそうか」
どことなく満足そうに一人で頷いている。
ミミは発言しておいて自らの目と耳を疑った。何故なら暴虐王太子が想定外にチョロ過ぎる。
ぶちギレられるよりは良かったが逆に調子が狂う。
(どうして「俺を好きになれ」とか「俺を好きにならないと投獄だ」とか「どう足掻こうがお前は俺ものなんだよ」とか尊大強気発言が飛び出してこないの? 不可解だわ)
失礼千万な思考のミミは、それはディランが恋をして臆病になり過ぎたチキン野郎だからだとは思いもしない。
直に接しているうちに、凶暴で怖いはずのディラン・ルクスという男が本当はどんな人間なのかわからなくなっている。
好奇心は恋の始まりとはよく言うものだ。
ミミはもうディランという男に興味がある。
(どうかしてるわね私)
結婚するならデイルしかいないというのは、裏を返せばディランしかその相手になり得ないと告白しているようなものなのだと、彼女自身もその危うい論理にはまだ気付かない。まだディランとデイルを区別しているせいだ。
「ディラン殿下、よくよく考えたんですが私お妃選考にはちゃんと出ます。手も抜きません。あのスパイ三人の命にも関わりますしね」
「ホントか!」
「ただ一つ言っておきますと、結果がどうであれ結婚を無理強いしてくるようでしたら、どこかの国にでも逃げて二度と帰って来ません」
「なにっ!?」
ディランはショックと仰天の挾間で震える。
ミミは選考の末に王太子妃に選ばれても、その時にこそ辞退すればいいのだと考えをやや刷新していた。出場するしないでいつまでも揉めているだけ精神がすり減ると悟ったからだ。
「そ、そんな事言うな! 王太子としての威信を懸けて無理強いはしないと誓う!」
動転の余りかディランはミミの腰に縋るようにする。ミミはびっくりしたが逆に憐れ過ぎて払い除けられない。横の男爵は「殿下どうかご乱心召されるなーっ」と愛娘から引き剥がそうと必死になった。半魔の力を使っているのか軍人たる男爵の腕力でもビクともしなかったが、妊婦たる体を考慮してかミミには一切無理な力は掛からなかった。
でも女の腰にしがみついている。嗚呼これが天下の王太子殿下の姿かとミミが心の目尻をそっと拭っていると、顔を伏せていた当のディランからおどろおどろしい声が聞こえてきた。
「もしも……もしも異国に逃げたなら……この手でその国を滅ぼしてでも連れ戻すから、早まって無謀な真似なんてするなよ……?」
(ひいいいいっ!)
顔を上げたディランから薄暗い不穏な半魔の赤い目で暴君だけではなくヤンデレの片鱗を見せられたミミが硬直していると、彼はふと考え込むようにした。
「王宮騎士の件にしても結論を出すには早計だな。お前が本心から望んでいるようにも思えない。時に魔法の有用性はリスクを招くからな。お前の能力なら尚更だ」
王宮騎士でも特に王宮魔法騎士には王宮からの手厚いサポートや栄光の裏には身の危険が潜むのだ。その能力故に拉致や失踪するケースが昔から時々起きている。
鋭くも図星を指されたミミは息を詰めた。リスクにしても考えなかったわけではないが、考えが浅くも目先だけを見て妃候補と王宮騎士を天秤にかけてしまった。自分にげんこつだと反省する。
「次に、妃選考だが、出てくれると決心してくれたのは嬉しいが、俺にも元より思うところもあったしな、これまでもらったお前の言葉を少し考えてみる」
「私の言葉を?」
「ああ、お前は他者との争い事を敬遠するきらいがあるようだからな。その優しく善良な心に免じて、今夜見聞きした一切は他言しないし罰則対象としないと改めて誓おう」
ミミは父親と歓喜に染まった顔を見合わせる。全部お咎めなしなど何たる幸運か。
「父共々ディラン殿下の寛大なお心に感謝致します!」
「娘共々ありがたき幸せにございます!」
(でもねえ敬遠対象はあなたよあなた、ディラン・ルクスよっ)
彼に都合のいい解釈をされて望まぬ方向に株を上げられてしまって全身が痒くなるもミミは何とか耐えた。
「まあ、そうは言っても正式にあれこれを決めるのはまずは王都に戻ってからになるだろうな。どうするにしろ連絡が行くだろうからそれまで待っていてくれるか?」
「それはもちろんです」
ミミは力強く頷いた。
「義父上も、ミミとのことは今日のところは保留にする。だが後日必ず話し合いの場を設けさせてもらうぞ」
「わかりました。ではその時に改めて反対、げふんげふんっ」
(お父様……)
不承不承な男爵は、まだどこぞの馬の骨デイルがディランだとは知らないので、結婚反対を押し通すつもりなのだろう。しかしこの場では賢明にも堪えたようだ。ミミとディランに思考はバレバレだったが知らぬは本人のみ。
ミミも、こんな展開になるとは正直期待していなかったが、少なくとも王太子妃回避のための時間稼ぎにはなる。その間に決定的に妃不適格の烙印を押されてしまえばいいのだ。無論命を失わない程度の不適格で。さすれば平和な家族団欒と子育ての道が見えてくる……はずだ。
「ところで――」
窓の外はすっかり白くなり、気持ちが落ち着いてようやく椅子に戻ったディランがふと思い付いたようにミミ達親子を見つめる。
二人はディランの正面の椅子に腰掛けていた。やっとカオスからまともな人間同士の話し合いの場になったとミミは密かに胸を撫で下ろしていた。
「二人はどうしてこの国境の町に居たんだ? 義父上に至っては念入りに変装までして。最初はイメチェンかと思ったが、何かワケありだったりするのか? 暫く身を隠す必然性があるなら俺が助けになるが?」
「「えっ」」
親子二人はそれまでのそれぞれの思考などすっかり吹き飛んで顔を見合わせた。
――その国を滅ぼしてでも連れ戻す。
先に放たれたディランの言葉の一部が強烈に二人の耳奥に甦る。ミミに限っては「お父様スリーアウト!?」という危惧も。
絶対に、言えない。旅行という設定もあるのだし……と父娘は絶妙なアイコンタクトで以て身の安全を選択する。
しかし下手な嘘はディランにバレるので身の破滅。不用意な発言をしてはいけない。
「ええっと、ほら、私達を見てわかりませんか?」
「普通にお忍び旅行か?」
「お忍び、そっそうですお忍びです! お父様、もう随分と遠出を堪能しましたし、そろそろ領地に戻りましょうか!」
「あ、ああ、ああっ、そうだなミミよ!」
果たして無難な台詞のチョイスで凌げるかと手に汗握る二人だ。その汗が出ている時点で半魔の覚醒時のディランなら容易に感づいたろう。けれども、今の彼は普通状態だったのでバレなかった。
正直な話、このような展開になりミミ達親子は今後の方策を立て直すにしても一旦安息はしたかった。心身ともに落ち着ける場所などやはりサニー男爵領しかない。
ミミ達が戻ったら領地の皆はどう思うだろうかと少し不安もあったが、不都合が起きるにしてもディランの手前一度領地には帰らなければならない。
「そんなわけなので殿下、私と娘は明日にでも帰路に就きます。どうか私共を気になさらず公務に集中なさって下さい」
「何だそうなのか。帰るならこちらで馬車の手配をして領地まで送らせよう」
「いえいえそこまでお気遣いなく。来た時同様に娘との馬車旅を楽しみながら戻ります故」
「なるほど馬車旅か。御者や護衛には自由に帰路行程の変更を命じてくれて構わない。遠慮するな」
「ごっ護衛!? 大袈裟ですよ! こっちでも雇っていますし」
「ミミが心配なんだ。護衛はいくらいてもいいだろう? ここからサニー家領地まではかなり距離もあるからな。生憎と俺は同行してやれないから無事に送り届ける確証がほしいんだ。俺の部下達は最上級任務を決してミスったりはしないからな。万一があれば……彼らもわかっているだろう」
ミミの護衛を最上級任務にするのはまだいいとしても、部下達は彼女に万一があれば命はないのだ。断ってもどうせ陰ながら見守られるので、彼女は父親に厚意を受けるように促した。憐れな部下達のためにも絶対に生きて帰ろうとも決意する。
「な、ならば娘共々ご厚意に甘えさせて頂く事に致します」
「先々には姻戚になるんだし、義父上もそう気を遣わないでほしい」
「ア、ハハハ……まだ義父上呼びには及びませぬー」
ディランが婿として及ばないのでそう呼ぶなという意味なのか、正式に婚姻を結んだわけではないのでそう呼ばれるのは畏れ多いという意味の及ばないなのか。
どちらか際どい言葉にミミは内心ヒヤリとしたが、幸いディランは特に眉を寄せたりはしなかったので安堵した。
「俺は少なくとも数日はこの国境沿いは事後処理や防衛対策関係で気忙しいだろうから離れられない。俺自身の目で色々と確かめておきたいものもあるしな。その後にはなるだろうが、担当方面は違うとは言え、義父上には近いうちグラニスとの今回の件で王宮に召集が掛かるだろう」
サニー男爵は「左様ですか」と心積もりを胸にしたようだ。
そうしてサニー親子はディランの手の者に領地まで送ってもらう方向で話を進めたのだった。
「それでは明朝迎えを宿まで来させる。それでいいか?」
サニー家の二人が各々頷く様を見てディランは椅子から腰を上げた。彼としてはもっとミミと居たかったが、危機は回避されたとは言えする事が立て込んでいる現状には変わりなく長居はできかねた。
色々さっさと片付けてこの先彼女との時間をたっぷり作ってやると、子供もデキてしまったのだし心の距離をもっとずっと縮めてやると、そして最終的には結婚すると、強く決意もするディランだった。
後に、全てが明るみに出ると、奇襲など掛けようとした当初からもうグラニス国は天に見放されていたのだろうと、人々はそう噂した。
結局ゼニス国を脱出出来なかったミミと男爵の二人が合わせる顔がないような気分で屋敷に帰れば、男爵家の騎士達からは予想外にも男泣きで歓喜され、早くお入り下さいと屋敷の中へと胴上げ宜しく担がれた。
ディラン配下の王宮騎士達は異常なまでの帰宅の光景に呆気に取られていたのでミミは変に勘繰られないといいと願った。
そして財産などはまるっとそのまま返された。
というかまだ継承に関する書類一切は提出されておらず領地は依然の父親の所有だったのだ。あみだくじ後継者を中心とした善良なサニー男爵家の騎士達がきっと男爵達は戻って来るだろうと予想して書類提出の猶予を設けてくれていたのだ。
これも彼らの詳細な情報分析の結果で、このドンピシャな予測は、もしかするとサニー男爵の下にはどこよりも、王宮よりも優秀な人材が集まっていると言っても過言ではないのかもしれなかった。
これも不思議と強運なサニー男爵だからこその展開かもしれない。
何にせよ二人は涙ながらの感謝と安堵と共に再び元の生活に戻ったのだった。
後日、ミミの元には王宮からの書面が届き、最終選考に残った者は取り決められた日時に必ず王宮へと参上するようにとの勅命が記されていた。
勅命では拒めない。
何らかの理由をつけて欠席したり辞退するのも認められないだろう。何しろ「必ず」と記されている。従わなければ後が怖い。
病床の国王を引っ張り出してまでこのような勅書を作るとは、ディラン王太子め何とも狡猾なやり口を……とミミとサニー男爵は親子の寛ぎティータイムに全く寛げずに歯ぎしりしたものだった。上昇した彼への心証も婿ポイントも駄々下がりだ。
しかし結局何も回避策を講じられずの半月後、とうとうその日が訪れた。
その日までは平穏だったのに……とミミは後にそう述懐している。
事前通告にてミミには迎えの馬車を寄越すとされていた。
男爵領から王都までは遠く、ルピナスへ向かうくらいに物理的距離があるが、途中で空間転移魔法具を使うので当日出発で間に合うそうだった。
身重で長距離を移動する負担がなくなるのはありがたいが、魔法具は製作に手間が掛かるとても貴重なアイテムだ。物によっては国宝にもなっている。それだけでも何とも破格な待遇で、ミミを重要と考えている証だろう。
それでもミミはディランの「好き」を未だ信じ切れていない。
半魔能力の他に、彼の子供を身籠る自分を世継ぎ獲得のために利用したいだけかもしれないのだと、もう一つ疑念を抱く理由ができたせいだ。
どんなに貴重な物を費やしてくれようと、世の中お金では到達できない領域が愛情にはあるとミミは知っている。
そして、ミミが欲しいのはそれなのだ。
サニー男爵と腹の子と三人ならそれが得られる。けれどそこにディランが入るなら、崩れてしまうかもしれない。
果たして彼はどこまで本気なのだろうか。口ではどうとでも言えるのだ。
王宮からの馬車が予告通りの時間に門前に停まり、支度を終えたミミが馬車へと歩み寄ったタイミングで、御者席にいた二人の男性のうちの一人が帽子を取って席から飛び下りた。ふわりと軽やかに華麗に着地する。
「迎えにきた。会いたかった、ミミ!」
「って何でディラン殿下なんですかーっ!」
ミミは思わず突っ込んでしまった。不敬ノーカウントで頼みたい。
「おほんっ、ディラン殿下におかれましては、お変わりなくお元気そうで何よりです。わざわざ我が娘の迎えに殿下御自らでお越し頂き恐悦至極にございます」
ミミの後ろからサニー男爵が空気を変えるようにして挨拶する。それと同時に困惑を隠せないのは彼もまさか迎えにディラン本人が来るとは思っていなかったせいだろう。加えてどこか嬉しくなさ気でもある。しかしディランと目が合った途端に無難な微笑へと表情を瞬時に切り替えると言う早業をこなしていた。その表面の素早さが社交界でも男爵の腹を容易には読ませない理由でもあった。
ミミは王宮へ向かう支度はしてあったので、驚きから解放されるや早速と必要な荷物を積み込んで出発した。
因みにサニー男爵も同行している。最終選考に残った娘の家族も出席可とされているので彼が一緒に行かない選択肢はないのだ。
その馬車の車中、ディランはわざわざミミの隣に腰掛け、サニー男爵は娘達の向かいに座ってディランへと目が笑っていない笑みを向けている。車内の空気は絶対的にピリピリしているが、三人の誰も口元の微笑を崩したりはしなかった。
その筆頭たるディランが体をやや斜めにしてミミへと顔を近付ける。
「ミミ、俺はお前に安心してその腹の子を産んでもらいたいと思っている。だからな、よーく聞け。俺は未来永劫お前以外は娶らない。お前は俺が生涯を懸けて愛し抜くただ一人の俺の女だ」
彼は眩しい物でも見るように目を細めてミミを見つめる。その激甘ぶりにはミミ本人もポカンとした。
男爵も変な形に口を開けている。王宮の軍事会議で何度と顔を合わせていた王太子は絶対的にこのような男ではなかったと衝撃を受けているのだ。ルピナスの宿でも王太子何か違くね?とは感じていたが、ここにきて本当にディランがミミに首ったけ説を補強する。
(見る度に思うけど、綺麗な金の瞳よね。見てるとどんどん吸い込まれそうになる……)
「だからミミ、ミレイユ・サニー、俺の妻になれ」
(――っ)
更にぐっと接近されての不意打ちの甘い命令に、自覚なく見惚れていたミミの胸がトクリと跳ねる。
ハッとして目を逸らしこれだからイケメンはと苦々しく思いつつ頬を赤らめていると、その頬にディランの指先がそっと触れてきた。
(何で……こんな……っ、俺様なくせに!)
彼の臆病に、そして躊躇うような手付きがどこかいじらしくて、これまでとのギャップに気持ちが落ち着かなくなる。
(心臓、うるさい……っ)
「俺はお前と寝たあの夜から、俺の妃はお前しかいないって決めていたんだ。結婚を無理強いはしないが、お前が応じてくれるよう攻めのアプローチをするつもりだ」
「……こんな風に?」
「そうだ」
と、ここで二人はとてつもない悪寒を感じた。
ミミはぞくりとして肩を強張らせたが、それだけだ。しかしディランはあたかも強烈な殺気に晒されたかのように極限の緊張を強いられた。純然たる殺気を向けられたのは彼一人だけだったのだからそれも当然の反応温度差だ。彼は得体の知れない刺客の出現かとミミを抱き寄せ庇いつつ、武人としての鋭い嗅覚で出所を即座に見やり、困惑した。
「義父上……?」
「わ~た~し~は~で~ん~か~の~義~父~上~で~は~あ~り~ま~せ~ぬ~」
サニー男爵の怨嗟の声が呪いの蔓のように床を這ってきた。彼の舌先も二つに分かれ蛇のようにチロチロしている……ようにも見える。
「お、お父様?」
実父の妖怪変化も然りな豹変に、さしものミミも息を呑む。
男爵はギョロリとさせて今にも飛び出そうな目ん玉をディランへと向けている。
「殿下ぁ~……今何とぉ~? うちの娘と……ミミと寝たとぅおおお~?」
(あー……うっかりしてたわ)
ミミは気まずげに額に手を当てる。実は途中からすっかり父親の存在を忘れていた。




