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「殿下の英才教育が、ですか?」
「そうだ。その昔、ゼニスとグラニスが一つの国だったのは知っているだろ」
「ええ、はい」
これは両国の国民ならほとんどが知っている歴史だ。古地図をみれば一目瞭然。しかし二つに分かれてからの日々は何百年と長い。
「古い史料によると、大昔はこの場所にも城が建っていて、ルピナス周辺は大きな城下町だったらしい。今のこの町よりもとても大きな規模のな」
「えっ、それは知りませんでした」
そこはミミの勉強不足だろう。何か城の名残がないかとついつい周囲を探してしまった。まあ何もあるわけもないのだが。キョロキョロしすぎたのかもしれない。ディランがくすりと笑ったような気がする。
「そして、ここからは王家でしか教えないことだが、その時代の地下通路がこの俺達の足元には幾つか通っているようなんだよ。城で万一何か起きた際の秘密の避難路だな」
「地下通路……?」
くぐもった音。姿が見えないのに音だけが「居る」不可解。
あ、とミミもディランの言わんとすることに気付いた。
「えっじゃあそこに敵が潜んで!? そっかだからくぐもっていたり反響が酷かったりしたのね。地面の下の音じゃ聴くのに苦労するのも当然だし」
思わずの納得の独り言にもディランは「そうだ」と気を悪くした風もなく相槌を打つ。
「移動しているのなら、おそらくはまだ出口には到達していないだろうな。とは言え奇襲を掛けられるような出口がこの一帯のどこかにあるんだろう。一つか複数かはわからないが。その出口をこっちで早い所探し出せれば先手を打てる。どうにかして敵を足止めするにも俺の半魔能力が役に立つだろうな」
「なるほど! ……というか、今更確認しますけど……やっぱり半魔の魔法が使えるのですよね」
「まあな」
悪びれもせずにしれっとして認めたディランにミミは苦笑いするしかない。
(言うまでもなく図太いわね。……でも、こういう性格の人だけど、彼は一切疑う様子もなく私の話を信じてくれた)
「殿下、これも今更ですが、そんなにあっさり私の言葉を信じても宜しいのですか? ああいえ勿論嘘ではないのですが、人によってはガセの情報を掴ませる可能性だってあるでしょうから」
ディランはハハハと快活に笑った。
「俺も俺の能力の限界を使う時はとても気分が悪くなるからな。そこまでしたくはないが、どうしても必要な時と言うのがあるだろう。その時は腹を括っている。だからミミがそこまでしたからにはのっぴきならない事情があるんだと踏んだ」
「そうですか」
「それに何より、お前の言葉だからな。一番に信じるよ」
「――っ」
ディランは無邪気な少年のように信頼を示している。
(これも私を懐柔するためのお芝居なの?)
ミミは彼女の半魔の力の有用さをよりにもよってディランに示してしまったのだ。最早どんな条件でも手放してくれるとは思えない。
有能な魔法使いを傍に置くためなら彼は何でもするだろう。
ディランが純粋な気持ちで言ったものか、どうしても疑ってしまうミミの胸に罪悪感が湧き上がる。当人に何も言わずにこうして逃げ出してきた自分の行いだって普通の交際お断りよりも余程質が悪い。
(この男がたとえどんな悪党でも、私は筋を通して正式に辞退を申し入れるべきだった)
今になって後ろめたくなってきた。ただ、筋を通してそこまでしても無理強いしてくるようならこんな逃亡劇もありだったかもしれないとは思う。
だが今の自分は敵前逃亡をした単なる卑怯者も同然だ。
「ところで具合はどうだ?」
「殿下のおかげでだいぶ」
「それはよかった……と言ってやりたい所だが、ミミには無理を承知で助力を頼みたい」
「私に?」
「ああ。俺の嗅覚は優秀だが、臭いそのものが届かない今回ばかりは出番がないからな。だからこそもう一度音を聴いてくれないか? 大体の潜伏位置さえわかれば、あとはこっちでどうとでもする。そういうわけで俺に同行してくれ」
「わかりました。状況が状況ですし、急を要しますものね」
ミミも国を護りたい。他国に亡命しようと思ってはいても祖国が蹂躙されたり戦争に突入してほしいとは微塵も思っていないのだ。未然に防げるのなら一も二もなくそうしたい。
けれども密かな疑問も湧いた。敵の大体の位置を絞れても、ルピナスのどこかにある地下通路の出口が見つけられなければ奇襲を防ぎ切れないのではないか、と。
(なーんて心配しなくても大丈夫よね。きっとこの人には何か策があるんだわ。でなきゃこんな自信満々にしてないでしょうし)
「協力に心から感謝する。この礼は後でたっぷりさせてもらうぞ」
ミミは震え上がりそうになった。その言い方ではよもやお礼参りされるみたいではないか。そうでないのはわかってはいたものの、ディランから言われるとちょっと心臓に悪かった。
頭を切り替え、行きましょうとミミが早速と国境の方へと駆け出そうとした矢先、ディランから先を制するように横に腕を伸ばされた。怪訝にすれば彼はどこか得意気に口角を持ち上げる。
「少し揺れるが我慢しろよ」
「はい?」
彼の両目がより赤く光ったかと思えば、直後彼は両腕でミミを抱き上げた。
「あとな、舌を噛むなよ?」
「え、えっ、なっ――――」
その後は大変だった。
半魔の血を使ったディランは嗅覚強化のほか脚力強化もできたらしく、一蹴りで建物の屋根にまで跳べるだろう破格な脚力を披露してくれて夜の平原を駆けたのだ。重い足音の謎はあっさり解けた。
彼の半魔の能力はミミのように索敵や諜報向きなだけではなく、十分に物理的な脅威にもなるようだ。
(嗅覚と脚力の二つあるのね。ここまで凄いのに隠してるなんて、やっぱりこの人って食わせ者!)
一方でそれは彼が様々な交渉事で行使できる切り札でもある。そう思えば隠匿しているのも仕方がないとは思う。国王代行として実権を握っているとは言え、彼はのんべんだらりと玉座にふんぞり返っていられるわけではない。水面下での政敵も少なくないだろう。いついかなる時も自衛は念頭に置いておかなければならないのだ。
(まあねえ、いつ寝首を掻かれるかわからない生活だとは思うわよ。……うん、やっぱりこの人の嫁は無理!)
一緒に仲良く寝首を掻かれては大変だ。自己保身が一番と決意を新たに強くする。
内心の思いは別として、ディランに抱えられながら聴覚魔法で敵の現在位置を探って絞り込んでいたミミは徐々に顔付きを険しくしていた。
ディランから教えてもらったことで、まだ使える状態の地下通路の存在自体にはもう驚いてもいないし懸念してもいない。気掛かりなのは敵の動きだ。
「殿下ここで止まって下さい! 現在地はこの辺りの真下です! 地下通路の形状なのか細長い隊列を組んで移動しているようです。音がそのように聴こえてきてますから。まだてっきり敵国領内と思っていましたが、もうここまで侵入してきたなんて、移動が速い……!」
夜の平原は広いとは言え、ここはゼニス国内なのだ。思った以上に前進している。ミミ同様の危惧をディランも感じたのか彼は声を些か低くくした。
「隊列がどのくらいの長さかはわかるか? それと、隊列の居る部分の通路に途中で分岐があるかどうかも」
ミミは目を閉じ聴覚を集中し、先頭から末尾までを探る。
ついでに観測範囲を少し広げてもみた。
(分岐は……ないわ。あら、しかも国境からこの下までは一本道なのね。分岐はこの先から町並みに近付くにつれてしていくってわけか。なるほどね)
おそらく出口は幾つかあり、中にはルピナスの町中に通じているものもありそうだ。
加えて、ゼニス国内に既に入っている敵の一団はこれだけのようで、位置も例の一本道だ。
(当初拾った音の人数よりも少ない気がするわ。国境向こうに待機しているのかも。でもま、優先度は断然こっちね)
そうして目を開けると感知した位置情報を細かく告げた。
「殿下、反響を利用すれば地下通路全体の形状も地図にできそうです。出口も割り出せるかと思います」
「おお、それは良いな。喫緊の課題を片付けた後で是非それも頼みたい」
「わかりました」
古い時代の地下通路の配置図なんぞがどこに眠っていたのかは知らないが、この一件でそれを手にした隣国は中々どうして侮れない相手だとミミにもよくわかった。
(うん、良かったわ、亡命する価値はあるわね! この男に簡単に攻め落とされるような国じゃ逃げてもすぐに捕まるかもしれないから困るもの。やるべきことを終えたらさっさと亡命するに限るわね)
ミミの胸中はともかく、説明後のディランの行動は迅速だった。
何故か彼女を随分離れた場所に下ろして待機を告げると、先までいた辺りへとまた戻っていった。半魔能力は彼が戻るまで一旦抑えるようにも言われたのでその通りにする。
一体何をどうするのかと不思議に思って眺めていたミミだが、彼が平原の闇に消えてややあってから何と轟音が複数回聞こえてきたではないか。聴覚魔法を抑えるよう言われなければ耳がおかしくなっていたかもしれない。
そう考えると轟音はディランの仕業なのだと確信した。
「待たせたな、ミミ。処理してきた」
「え、えと……?」
(処理……。言い方が怖いんですけどッ! やっぱり暴虐王太子だわこの男!)
半ば引いてしまったミミだが、けろりとして何事もなかったような様子で戻ってきた彼から現場へとまた横抱きにされ連れられた。
「ミミから教えてもらった敵の隊列の前方と後方の地下通路を、それぞれ完全に崩落させた。これで身動きは取れなくなったはずだ。足止め完了だな」
彼の言うように、夜の暗さでも地面が大きく沈み込んでいるのがわかる。きっとここから離れた向こうにもう一つの崩落箇所があるのだろう。
(え、ええーマジでー……)
物凄い轟音と共に地面を大きく陥没させたのだろうディランの魔法の強さを目の当たりにしたミミは、ろくに言葉も出なかった。
「とりあえず、喫緊の危機は取り去ったから安心しろ」
「は、はい……どうやったらこんな風になるのですか?」
「ああ、単純に半魔の脚力で思い切り上から踏んだ。俺の力が役に立つと言ったろう?」
「はは……」
ディランは片足で地面を踏む仕種をしてみせた。それ以上詳しく言われずともわかった。どんなトンネルでも過ぎた力が加われば崩れ落ちるのは道理だろう。地表から地下通路までは決して浅くはないので、分厚い土砂や岩石を取り除くのも魔法でもない限りは不可能だ。
ミミを抱えて高く遠くに跳んだ脚力の延長というよりは、ちょっと次元が違った一踏みというか悪魔の地団駄だ。
恐ろしいのは、彼がその気になれば敵ごと地面を容赦なく踏み潰せた点だ。
積み重なった瓦礫と屍を踏み付けてその頂点に君臨し、半魔の赤い目で不敵に残忍に哄笑しているディランの姿が脳裏に浮かぶ。ミミにとって元々ディランは容易くそういうイメージが浮かぶ相手だ。
題材はあれだが十分に絵になる。描いた暁にはその絵に破壊神という名を与えよう……とまで考えた所で我に返ったミミだった。
(天よ、よりにもよって暴君にこんな破壊力抜群の才能を与えるなんて……!)
だがしかし、彼はその選択をしなかった。できたはずにもかかわらず。奇襲をかけようとする相手などに情けをかけてやる義理など、彼の立場からするとないはずなのに。
(想像した最悪な結果とは違うけど、むしろそれで良かったわ。敵兵とは言え彼らも人間だもの。それに、勝手だけどこの子の父親にこれ以上残酷な真似をしてほしくないって気持ちもあるのよね)
接する時間が増えるにつれて、ディラン・ルクスのイメージが段々と形を変えていく。
この夜、隣国グラニスの奇襲作戦は見事に崩れ去ったのだった。
「どうだミミ、何かわかったか?」
「ええ。朗報です」
依然ミミを抱き上げたままのディランへと、半魔聴力を切ったミミは明るい顔を向けた。
現在二人は国境警備隊宿舎の併設されている国境門まで移動していた。敵兵達が抜け出せるとは思わないが、酸欠で死なれても寝覚めが悪いというわけで、急ぎ崩落場所へと人員を送らなくてはならないからだ。轟音には当然門の兵士達も気が付いていて慌ただしくなっていた。もうこうなるとディランが素性を明かしての状況説明と指示出しは必須だろう。
その前にとミミは主張して彼に門の傍に連れてきてもらっていた。気になることがあったのだ。
叩いた敵の一団は奇襲部隊の先鋒隊だろう。深くフードを被ったミミが再び耳を澄ませれば、ここから近くの敵国領内の地下通路には案の定まだ他の集団がいて、より多人数だったので本隊に違いない。
されどそれも地下通路を伝って聞こえてきた不意の轟音に混乱し、或いは既に魔法か何かで通信連絡がなされており、この先は危険だとして作戦を断念したようだった。
その焦りと苦々しさの滲んだ会話を聴いていたミミは大いに胸を撫で下ろしたものだった。
「他に地下通路にいた敵軍は撤退するみたいです」
「そうか。これで当面は気も休まるな。ミミ、無理までさせて本当に済まない」
「いいえ、私がそうしたかったことですので、殿下は気になさらないで下さい」
ミミは先に存在を予想していた敵の別の一団が動く可能性を危ぶみ、その様子を探りたかったのだ。だから彼には今夜はもういいと止められたのに一度調査は必要だと主張し無理を押し通した次第だった。
とは言え、短時間に何度も重ねて精度の高い聴覚魔法を行使したせいで疲労困憊を禁じ得ないミミは、ディランの腕の中で彼の胸にへにゃんと力なく寄りかかった。これで終わったと思ったら安心して急に力が入らなくなったのだ。
「ミミ!?」
「申し訳ありませんが、少しどこかで休ませて下さい」
「わかった。すぐに部屋を用意させる」
「ありがとうございます」
ディランは会話のできる様子にどこかホッとしたようでいる。それがどこか微笑ましく感じた。
「殿下、今夜ここにあなたがいて下さって本当に良かったです」
(こんな頼りになる男が次代で、この国は安泰だわ。……でもだからって結婚はしないけど)
そう、こんな国境の町にたまたま同時期に居合わせ、敵側も行動を起こすなどと言う巡り合わせの妙はあり、更にはミミが切っ掛けで結果的に国を救ったは救ったが、これを運命的とは感じない。
そもそも、彼女には一つ大きな疑問があった。
「ところで、殿下はいつから私の聴覚能力をご存知だったのです? 先程は耳を塞いでもらって本当に助かりましたが、誰にも教えていませんのに……」
果たしてどうやって彼は知ったのか。舞踏会の日は半魔だとは知っていてもその力までは知らなかったはずだ。彼自身の台詞がそう断言していた。その後は会ってもいないのだ。
「ああそれか。王宮の魔法使い達に調査させた。ターゲットさえ絞ればその相手の持つ能力をある程度は予想できるし、お前の髪色の変化からも魔法の系統を特定できたからな。まあただ、報告は受けていたが確信したのはまさに今夜だよ。耳を使っているような仕種をしていただろ」
「……へぇ、そうですかぁ」
ディランは何でもないような顔でしれっとしている。
嗚呼、権力とは恐ろしい。
幸いにも妊娠の事実までは突き止められてはいないようだが、それもいつまで秘密にしておけるかわからない。
今だってローブはゆったりしているし厚着同然なので少し出てきたお腹にも気付かれてはいないのだ。
(うん、この男からはすたこらさっさと逃げるに限る! 三十六計逃げるに如かずって言うじゃない。きっとそれが最上の策だわ)
けれど、今は逃げるにも逃げられないので大人しくしているほかない。ただ、不思議と嫌な気持ちとか悲観的な気持ちにはならずにいた。
護るようにすっぽり包み込んでくれる彼の逞しい懐が予想外に温かかったからだろうか。
「リオン、毛布と疲労回復に効く薬と何か温かい軽食を彼女に頼む。あと足湯の用意もだ。ミミ、少々無作法な所で悪いが、我慢してくれ」
あの後、ディランはミミを国境警備隊宿舎へと連れていき、責任者の王宮騎士の中年男性と言葉を交わし、おそらくは一番上等な一室へと彼女を運んでくれた。そして、遅ればせ駆け込んできた青年にも経緯を説明してミミの持て成しを命じたのだ。
青年は舞踏会でもディランといた青年で、改めてミミは自己紹介されライオネルと言う名前だと知り、なるほどだから愛称のリオンなのかと納得した。彼もまたディランと同時に潜入していたらしく、よくこの目立つ王宮主従コンビで責任者以外には身バレしなかったものだと、つくづく二人の変装力には感心だ。
ライオネルは元の生真面目そうな印象からがらりと変貌を遂げていて、めちゃチャラ男風になっていた。仮に王宮を堂々と歩いていようと言われなければライオネルだと誰も気付かないに違いない。それくらいにレベルの高い変装だった。
因みに、ライオネルはディランと一緒にいたミミを見ての開口一番「まさか思い詰め過ぎて攫ってきたんですか!?」と大いに驚いていたが、ディランから即行で脳天をはたかれていた。そんな彼らをミミは内心仲良しねと微笑ましく眺めた。
「ええとあの、私は少し休めれば結構ですので」
「遠慮などするな。今夜はミミがいなければ大変な事態に陥っていたんだ」
「そうですよサニー嬢、今はどうか殿下の言う通りになさって下さい。見るからに疲れて見えますしね」
「そう、ですか?」
同時に二人からしかと頷かれ、ミミはそんなにお疲れに見えるのかと自身の頬に手を当てた。
「ではすぐに用意してきますので、寛いでお待ち下さいね」
「はい、ありがとうございます」
「あぁ、殿下は先にやるべきことをなさって下さいね」
「もう少しくらいは平気だろうに」
「殿下、ここは国境の町ルピナスです。その小さな甘えが取り返しのつかない結果を招くかもしれないんですよ」
「……わかったよ。ミミ、また出掛けてくるな。俺が戻るまで遠慮せずにゆっくりしていてくれ」
「あ、はい」
ディランは一つ溜息を落とすと気が乗らない様子でライオネルと共に部屋を出ていった。
その場で二人を見送って、とりあえず目に入った窓際のソファーに腰を下ろすと幾分ホッとした息が出た。
「だけど寛げって言われてもねぇー。リラックスした途端に全力で爆睡しそうで無理ね。夜が明ける前には宿に戻らないといけないもの。不在にお父様が気付いたら大変だわ。……私を捜しながら泣いて暴れ回るかも」
ふと、窓の下にディランの姿が見えて、ミミは何となく彼を見つめた。建物のすぐ外で真剣な顔で先も見た責任者だという王宮騎士と何か話している表情はとても真剣で鋭く、自分へ向けられる角のない表情とのギャップをどこか不思議な心地で眺めた。
「まんまデイルって顔も、あの厳しい顔付きも、彼なのよね」
じっと見ていたら視線圧でも感じたのか、ディランがミミを見上げた。バチッと視線が合って彼女は思わず固まってしまった。
そんなミミへと、もしかすると余程間抜けた顔にでもなっていたのかもしれない、ディランはふっと砕けた笑みを向けてくる。
(わっ、えええ? 何? びっくりしたぁ~。世間のイメージがまるっきり嘘みたいな無邪気さね)
しかし親しくもないのに笑い返すのも変な気がして、微かに会釈しただけにした。
それからライオネルが色々と運んできてくれて、彼は何だかとても温かき目でミミをまるで王太子妃か何かのように恭しく丁寧に歓待してくれ何の不自由もなかった。回復薬は胎児に影響があると困るので飲まなかったが、軽食は美味しかったし足湯がこの上なく気持ち良かったのでかなり気分は回復できた。
この持て成しの用意を命じたのはディランだが、その気遣いもまた彼のキャラとしては猛烈に別人レベルだとミミは思った。
先の現場がどうなっているのかとか、敵はどうなったのかとか、その点はほとんど心配はしなかった。ディランが陣頭指揮を執って警備隊を動かしているのだ、諸々が明るみになった以上きっちり対処するだろう。
(もしかしたら、亡命先はグラニスから変えた方がいいかもしれない。もし亡命してから私の助力が知られたら立場が悪くなるだけだし、そうしたらお父様にもこの子にも良くないわ)
ライオネルが「どうぞごゆっくり」と退室し、ミミは一人暫くゆっくりさせてもらった。こんな状況だからか当初気にしたように眠くはならなかった。
(殿下は大丈夫かしら。戻りが遅いようなら申し訳ないけど勝手に宿に帰らせてもらうわ。通路の分岐を調べてあげたいけど今夜はそんな時間はないし、よくよく考えれば潰した部分から入って調査すれば、私の力がなくてももうわかるのよね。手間は多少掛かるだろうけど)
気にしなくて大丈夫だろうとそんな結論を出したり、つらつらと他の物事を考え耽っているうちに、とっくに日付を跨いでどんどん傾いていた時計の針の位置にはたと思考が覚める心地がした。
「本当にそろそろ宿に戻った方が良さそうだわ」
そう呟いてソファーから腰を上げようとした矢先、タイミング良くもようやくディランが帰ってきた。
「ただいま、ミミ」
彼はノックの後で部屋に入り彼女を見るなり、何やらとても素敵なものでも見たみたいに目をキラリと瞬かせた。
ちょっと面食らったミミだ。
彼はソファーに腰掛けていた彼女の前にやってくると何を思ったか片膝を突く。更には、思わずポカンとなる彼女の手をそっと掴んで懺悔でもするように自らの額に押し戴いた。
「えっあのっ?」
「長々待たせて済まなかった」
「いっいいえ、そんなことはっ。ですので立って下さいっ」
「ミミ、――悪かった」
「や、あのですからまずは早く立って下さい。国境防衛に重要な事案を蔑ろには出来ませんもの。全然悪くなんてないですからっ!」
ミミが動揺するも、ディランは跪いたまま黙って彼女の両手を握り締めややしばらく俯いた。
(ええーと、何? ど、どうしちゃったのこの人? 故障した?)
困惑していると、伏せられていた彼の睫がゆるりと持ち上がり金瞳が現れた。赤も素敵だが元々の色も魅力的だ。
彼はその瞳で必死そうに彼女を見上げた。
(きゃーっ超絶イケメン上目遣いッ!)
カッコ可愛い視線のアッパーに疲労もぶっ飛びうっかり魂が飛び出しそうになったミミだったが、幸運にも表情には出ていなかったようでディランは特に不審そうにするでもなく彼の言葉を続ける。
「いいや、謝らせてくれ。こうして落ち着いて話せる時間が欲しかったんだ。幸いにも想定外に早くその機会が巡ってきた。ミミの大活躍のおかげだ」
今夜の隣国の一件がある程度収拾が付いたからこそ、彼も時間が作れたのだ。確かにミミの功績は大きい。
けれど彼女はそこまで活躍した認識はなく、むしろディランの攻撃力による結果だとの認識なので、褒められてかえって戸惑った。
彼女のそんな表情を見て察したディランはくすりと微苦笑した。
「実は、舞踏会でのことをずっと考えていた。俺はミミを悪意から騙そうとしてデイルなんて偽名を使ったわけじゃない。もしもお前があの翌朝も一緒にいたなら、きちんと正体を告げていた。だから……赦してくれ、赦してほしい」
真剣な眼差しがミミを射る。彼女は予想外の言葉に目を丸くした。
お互い様だろうとの後ろめたさに何も言えないでいると、彼はゆっくりと手を放してやっと立ち上がってくれた。しかしその両肩は悄然として落ち、顔付きもそれに倣う。
「やはりそう簡単には赦してはくれないよな。ミミ、俺は何度でも赦しを乞うからな。俺にできる贖罪があれば、何でも言え。だから、その…………俺を嫌わないでくれ」
苦しそうに眉間にしわを寄せるディランは、まるで意気地のない様子で佇んでいる。
(……ええと、誰この人?)
呆気に取られっ放しなミミは内心ついついそんな言葉を呟いてしまっていた。
上からただ偉そうに無理難題を吹っ掛けたり冷酷な命令をするだけのイメージはとうに崩れた。彼は自らで率先して動き危険な場所にも赴く人間だった。
(接してみると、暴君のイメージと中々結構違うのよね。むしろ……慕われる名君になりそうな感じでしょ。彼みたいなのうちの騎士達も好きそうだし)
ここでミミはハッとした。
(どうしよう、私ったら彼への抵抗感が落ちてる……!?)
微細ながらほだされつつある自分を感じショックを受けた。
(駄目駄目駄目駄目、駄目よ私! これ以上この人と過ごしたら判断を誤りそうだわ。離れないと。ちゃーんと現実を見るのよミレイユ! この男は稀代の暴君予定なのよ)
忘れかけていたが、王宮でのやらかしの責任の所在だって明らかにしておかなければならない。彼の意思を確かめて、それによっては新たな逃亡対策を練らないといけないかもしれないのだ。
ミミはすっと息を吸い込んで口を開いた。
「その件については私も何も告げずに去った身ですし、王宮では不敬を致しました。私こそあなたに謝らないとなりません。殿下は私への処罰をどのようにしようとお考えですか?」
「ミミが謝る必要はないし、俺から罰するつもりはない。お前が俺を罰するのなら甘んじる」
ミミは少し肩透かしを食らった気分だった。
「……でしたら、私にジャッジさせてもらえるのでしたら、お相子、では駄目ですか?」
「お相子……」
「はい。お互い様というわけで恨みっこなしでどうでしょう?」
「過去の咎は水に流す、と?」
「はい」
ディランは、暫し黙考してから静かに微かに安堵の滲む溜息をついた。
「わかった。ミミがそれで良いのならそうしよう。だが、本当にいいのか?」
「はい」
ミミが手堅い調子で肯定してみせれば、彼は「そうか」と呟いてようやく頬を緩めた。ミミとしても不安要素の一つが取り除けてホッとした。何事も直接交渉してみるものかもしれない、と彼女は思った。
「あの殿下、ところで私そろそろ帰りますね。それでできればルピナスの町中まで馬車を出して頂けませんか? 歩いて帰るとさすがに夜が明けてしまいそうなので」
そうすると夜歩きが父親に見つかるのは確実だ。
「ああ、もうこんな時間だったな。わかった。すぐに送ろう」
「ありがとうございます」
すんなり了承が出て、ミミはやっとディランから解放される喜びにそっと微笑んだのだった。
時はやや遡る。
まだ暗いが、闇が刻々とそのベールを一枚一枚と剥がしていく時分。地下通路が崩落し、敵軍が見事足止めされているその場所で。
危急の案件が発生したとして大急ぎで国境門から移動してこの場に整列したゼニス国国境警備兵達の前には、一人の黒髪の青年が堂々たる威様で声高に命令を放っている。
瞳は金色で現在赤くはない。
警備隊の中にはその青年は志願して約一月程前に入隊してきたばかりの新兵ではなかったかと目を疑った者もいた。
しかし、その真の正体は聞けば震え上がる人物、王太子ディランその人だ。
何かの悪い冗談かとも最初思ったものの、警備隊責任者の王宮騎士の上官が彼のやや後ろで緊張した面持ちで佇んでいるので、その可能性は消えた。
下手な揶揄などしなくて良かったと心底胸を撫で下ろしていた者は何人いただろう。普段なら新入りをいじるのも珍しくはないのだが、このところは隣国との緊張状態が高まっていてそんなおふざけをする空気ではなかったのは幸いだったかもしれない。
ディランは指揮官が着る目立つロングコートの裾を夜風にはためかせながら、兵士達に命令を放っている。
国境という要所でもあるルピナスにも、半魔の血を引く者は当然配置されているので、彼らの能力を駆使して地面を掘り起こし敵国兵士らを捕縛する計画だ。
そして、それはほとんど苦労せず成された。狭い地下通路が密閉され、パニックに陥った兵士や馬は大半の酸素を早々に消費し酸欠になりかけていたのもあるが、そもそもディランを含め戦闘に関しては精鋭揃いだったおかげだ。
ディランは故に遅くなり過ぎずにミミの元に戻れたのだ。
そんな彼を地上の離れた場所からひたと見据える目があった。
低木の葉の間に身を隠すようにしていて、葉の隙間からディランを見つめている。それも随分と距離があるにもかかわらずだ。
ディラン達が到着するよりも少し前にこの場にやってきたその者の瞳は、闇の中でも赤く底光りしている。
ややもして、兵士達が動き出すとその目はいつしか消えていた。
ディランは身分だけは明かしたが半魔能力を警備隊にはまだ隠していたので、嗅覚魔法を使ってはいなかった。
崩落は老朽化していたものが偶然崩れたのだと言うことにしたのだ。
だからその存在にはついぞ気が付かなかった。
ディランに付いて部屋から出て地上階まで下りたミミは、そういえばと今更ながら彼の服装の変化に気を留めた。
そうは言っても変わったのは羽織っている上着だけだが、誰が見ても彼が指揮官だろうとわかる目立つ立派なロングコートだ。責任者の王宮騎士が纏っていたコートと同じ物だろう。
現にすれ違う兵士達は上官に対するように鯱張って敬礼していた。兵士達の間では光の速さで彼が恐怖の王太子ディランだと周知されているらしかった。誰だって無知な仲間がうっかりやらかして首を飛ばされるところなど見たくはないだろう。
(お父様のにも似てるわね。軍服系って皆大体似たようなデザインなのはやっぱり……格好良いから? うん、デイルもバリバリ格好良いわ!)
外見は好みジャストなのもあり、ついついうっとりしてしまってからハッとして気を取り直す。
(今日でさよならするんだから、いつまでも未練たらしく架空の男デイルを追わないのよミレイユ! うぅ、だけど見納めかぁ~。惜しいけど生存優先よ、我慢我慢)
詰め所の玄関から外に出て、きっと手配した馬車を待つのだろうと考えるミミがそこに大人しく立っていると、前のディランがくるりと振り返った。
「さてと、来いミミ」
「はい?」
彼から手を差し出されてミミはキョトンとする。何がおいでなのかもさっぱりわからない。彼は馬車を一緒に待っていてくれるのではないのだろうか。
とは言えキレられても怖いので無難にしようとおずおずとして彼のすぐ前まで近付いた、刹那。
ふわりと、ミミの肩をすっぽりと覆うようにディランが彼の指揮官用のコートを被せてきた。
遠くても指揮官がどこかわかるように上等なだけではなく目立つ代物でもある。
「夜風は体を冷やすから着ていろ。バタバタしていて俺はむしろ暑いくらいだから着なくて平気なんだ」
ディランはやや早口だ。
「だ、大丈夫です。寒くないですから」
「ふん、痩せ我慢するな。お前はこんなに細っこいんだから」
「細っこい……」
微妙な形容に遠慮ではなかった言葉も引っ込んだ。何故なら、こんな上等な制服、借りたら洗って返さないとならないではないか。いくらミミでも借りパクはさすがに気が引ける。それにあまりしつこく断るのも不自然なので仕方がなく「ではお言葉に甘えて」と拝借した。
(よし、こうなったら洗濯したら宿の人に頼んで詰め所まで届けてもらおうっと。感謝のカードを添えて荷物として送るのもありよね。その頃には私とお父様は馬車の中ってね)
「一応また言っておくが、舌を噛むなよ?」
「え……?」
ディランの金色だった瞳が、赤く煌めいた。
「きゃあああっ!?」
ディランから横抱きにされたミミは、気付けば彼と共に夜の空へと跳び上がっていた。
「あのあのあのっ、警備隊の皆に見られますよ!? それに馬車は!?」
「別にこれくらいなら構わない。かえって皆の気も引き締まるんじゃないか? 敵側の連中が知れば牽制にもなるだろうしな。向こうが行動を起こすのも俺が国王と同じように魔法使いとしては無能だと侮られていたせいってのもまあ、あるだろうからな。それとこの方が馬車を用意するより手っ取り早い」
「え、そういうものですか!?」
「そういうものだな」
振り落とされないようにとギュッと強くディランに抱き着けば「心配するな。絶対に放さないから」と耳元でどこか笑いを含ませた声で囁かれた。
(酷い~っ、こっちは怖いって言うのにっ、絶対面白がってるでしょこの男~!)
性格悪いわねと内心で詰りつつ、腕の力を緩められない自分を悔しく思うミミだった。
一方のディランは抱き着かれて純粋にミミ可愛いとにやけただけだった。
まだまだ温度差のある二人だ。
何はともあれ、夜が明ける前に迅速に全ての対処が済み、町の住人達のパニックを引き起こさず済んだのは幸いだった。




