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92.恨みを手放せたのは

「契約は済んだか」


 始祖だという白い髪の青年が、満足そうに笑った。


「セスラン、どうだ。

 本懐を遂げた気分は」


「至福とは、このことかと」


 さらりと言ってのけたセスランは、いつもの貴公子然とした表情に戻っている。

 水晶の間で契約の儀を済ませたセスランは、既に実質的には次期黄金竜(オーディ)確定なのだそうだ。

 ヘルムダールの聖紋(オディラ)が、そんな役割を持っているなど、パウラは知らなかった。


黄金竜(オーディ)の代替わりには、恩赦がつきものだな。

 言わずともわかろう。

 我らの封印、そろそろ考え直してはもらえぬか」


 サファイヤブルーの瞳が、きらりと輝いた。

 始祖がここに封印されてから、何万年が経ったことか。初代の黄金竜(オーディ)が封印したというのだから、それこそ気の遠くなるほどの年月だ。

 

「封印を解いたとして、あなた方がまた争いをしかけないという保証は?」


 先ほどから徹頭徹尾、表情を変えないセスランが、白虎の始祖に切り返す。

 命の恩人とも言って良い方に、なんと畏れ多いとパウラは青くなるが、セスランはまるで動じない。

 既に竜族の長であれば、簡単に言質をとられるわけにはゆかないのだろう。


「そんなものがあるわけはない」


 くっと白虎の始祖が笑う。


「争いは人の業のようなものだ。

 永遠に忠誠を誓うなどと言うは、きれいごとに過ぎぬ。

 たとえ我が今ここで、竜族への忠誠を誓ったとしてだ。

 それが永遠に守られることなど、あろうはずがない」


「だからこそ歴代の黄金竜(オーディ)は、あなた方の封印を解かなかったのでは?」


「そうだな。

 それでその間に、黄金竜(オーディ)は何をした?

 穏やかな平和な時間をこの地にもたらしたか?

 蛮族と呼んで我らの一族を迫害し、異世界から女をさらい、やりたい放題だったではないか。

 抑えるべきもの、警戒すべきものがあってこそ、均衡を保つために善政を敷く。

 それもまた人の世の(ならい)だとは思わぬか」


 なるほど、始祖の言い分にも一理ある。

 けれど今ここで即決するには、重大過ぎることでもあった。

 落ち着いて考えて、他の竜達、聖使達とも協議する必要があるだろう。

 パウラ個人としては、竜以外の一族を蛮族と呼んで蔑み迫害を続ける今の在りようを、けして良いとは思っていない。

 けれど竜族が支配した時間の長さを思えば、例えば土地の分配や人の世における公式の発言権、竜族の譲歩なしには解決できない問題でもある。

 諾とすぐに言うなら、それは竜族の長としてあまりにも軽々しい。

 当然セスランは、ついに諾とは言わなかった。


「今日のところは、まずお礼だけをお受け取りいただきたい。

 私が生涯の唯一を得るにあたり、始祖様のご助力なしにはかなわなかったこと。

 心より、お礼を申し上げます」


 白虎の始祖はそれ以上何も言わず、黙ってセスランとパウラを見送ってくれた。

 後、もう1つ、セスランとパウラには大仕事が残っている。

 それを片付けるため、行かねばならない場所がある。

 黄金竜の郷(エル・オーディ)

 現黄金竜と竜后のいるところ。

 竜族の都だった。



 清浄なる香気に包まれた地は、高い山々の連なる山脈の中、ひときわ高い山の上にあった。

 遠い昔、初代の黄金竜が自らの住まいと決めた宮が、その中心にある。

 白亜の城は意外に小ぶりで、贅沢三昧と噂に高い竜后がそこにいるとは信じられないほど小さな宮だった。


「ここにいるのね」


 パウラのそれは、確認だった。

 記憶にある黄金竜のオーラが、目の前の宮から確かに感じられた。

 けれど違和感があった。

 オーラの力が、なんだか弱い。

 全身で集中していれば、よくわかる。

 とぎれとぎれの、まるで息継ぎをしながらようやく立っているような、そんな弱々しいオーラだ。

 黄金竜の力は尽きかけている。

 目の前にそれを突きつけられると、パウラはなんともいえない気分になった。

 悲しいとも、憐れとも、切ないとも、なんとも言い難い複雑な気持ちで、パウラを数千年の間飼殺した相手に向けるには優しすぎる感情だということはわかっていたが、湧き上がる思いを抑えようもない。


「我が唯一(つま)の、なんと優しいことか」


 ふっと、隣でセスランが微笑んだ。


「さすがに愛を司るヘルムダールの姫らしい。

 だが、それは奴らには過ぎた恩寵だ。

 パウラに奴らが何をしたかを思えば、この身は怒りで震えるというのに」


 セスランの思いはありがたかった。

 砂をかむような虚しい年月を思いやってくれるのだと思えば、胸の芯に温かな灯がともる。

 それだけでもう、パウラは赦せるような気がした。

 これまでのなにもかも。

 過ぎ去った日々に、彼女を苦しめた人々への恨みつらみ。

 そんなものは持っている方が苦しいのだと、セスランと共にあってパウラは初めて知った。

 手放してしまえば、なんと心の軽くなることだろう。


「もう良いのですわ。

 本当に、もう。

 黄金竜(オーディ)、竜后にも、もう関わりたくありませんの」


 それが通らないことだとは理解していた。

 彼らとの最後の対面、いや対決は、新黄金竜、竜后となるセスラン達にとって避けては通れない道で、彼らに引導を渡すのはセスランとパウラでなければならない。


「我が唯一の願いなら、かなえてやると言いたいところだが。

 許せ。

 これだけは、ならぬ」


 心底すまなそうな表情で、真っ正直に答えるセスランの生真面目さを、愛おしいと思う。

 不器用で生真面目で、まっすぐにパウラを愛してくれる人。

 セスランと共にある2度目の人生をくれただけで、黄金竜(オーディ)を許しても良い。


黄金竜(オーディ)にはできるだけ穏やかに、退位をおすすめいただけますか」


 せめてもと、心からそう願う。

 名のみとはいえ前世確かに夫であった黄金竜(オーディ)が、力づくで追い立てられる姿は見たくない。

 勝手気ままに他人の人生をもて遊んだ元凶は、彼の最愛である竜后で、その竜后も胸に秘めた苦しみゆえの乱行だったのだと、今のパウラは知っている。

 セスランと唯一の契約を成した後、パウラには現竜后の過去が視えるようになっていた。

 前世のアルヴィドと恋仲であった彼女は、その思いを抱えたまま竜后になり、いまだ夫を受け容れられないでいる。

 セスランを愛し、愛された今のパウラには、竜后の深い悲しみがわかるような気がする。

 けれどどんな事情があろうとも、他人の人生をもて遊んで良いはずはない。

 何でもできる力を持つからこそ、竜后は自制しなくてはならなかったのに。

 受け容れられないと知りつつ、竜后をひたすらに愛する黄金竜も愚かだけれど、その愛を知りつつ好き放題してきた竜后の方が、より罪深いと思う。

 同じヘルムダールの血を継ぐ公女として、それは違うと言ってやりたい。


「努力してみよう」


 短く答えたセスランに、ありがとうと微笑を返した時。

 もう何度か聞いた、透明で清らかな声が響いた。


「ありがたいことだ。

 私にはもう、抗う力は残っていないのでね」


 言葉のとおり弱々しい今にも消えそうに薄い青年の姿が、かげろうのように頼りなくゆらめいて現れる。

 力の尽きかけた黄金竜(オーディ)、その哀れな現在(いま)の姿だった。


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