77.半竜だから
黄金竜の泉地には、水火風地の竜の代理人として4人の聖使が仕えている。
竜族の長黄金竜オーディは、人ではない。
竜の竜たる所以、強大な魔力に体力知力、永遠にも近い長寿、圧倒的な美貌、そしてなによりも生涯にただ一人の伴侶を愛し慈しみ、その唯一に執着する性質をきわめて強くもつもので、それは下界にある竜の血を継ぐ人と桁の違う、神格化した能力と特性であった。
その黄金竜に仕える水火風地の4竜もまた、人ではない。人でない彼らは、普段は黄金竜の郷に住まい、人の世のことにほとんど関わらない。人の世の調和を保つものとしてそれぞれの血を継ぐ聖使を代理人においた。
火竜の代理人、それが南の聖使。数代に一度、ゲルラから召喚される。
その次代の聖使の一人として、セスランは召喚された。
「聖使とはな。
ゲルラの跡継ぎをどうしてくれるのだ」
ゲルラ大公は、憮然とした調子で口にする。
黄金竜の泉地からの召喚であれば、否やの言えるはずもない。けれどゲルラ大公家に、セスランの他に子供がいないことを考えると、大公の不機嫌も理解できる。
「もうお一人、お作りになるしかありませんね」
セスランには自分がいなくなった後のことなど、どうでも良い。
だれかがセスランの代わりに、ゲルラの後継者になるのだろうが。
夫人との仲が良くないことは、昔も今も変わらない。
かといって、ヴォーロフの大公のように愛妾をかこっている風でもない父は、あまり欲求が強くないのだろう。
その彼にとって、愛してもいない女との子作りはさぞ苦痛なのだろう。
だが当主の義務だ。
「レーア、おまえの母に、もう一度頼むしかあるまいな」
信じられないことを、父は言った。
「は……はに、母に頼むとおっしゃいましたか?」
何を言っているのか。
ゲルラの、父の子を産んだために、母がどれほど肩身の狭い思いをしたことか。
そしてその間に生まれたセスランも。
「母にかまわないでやっていただきたい。
私も里からいなくなって、ようやく落ち着いてきた頃でしょう。
今になってまた、竜族との間に子など作ったら、なんのための10年でしょう。
もとの木阿弥ではありませんか」
勝手な話だ。
あの美しく優しい母を、ゲルラの都合で振り回してほしくない。
どうしてあの母がセスランを身ごもったのか、詳細は知らない。知らなくて良いと思っていた。
セスランが知っているのは、父のない子を産んだ母が、その後白虎の一族から追われ、寂しい貧しい暮らしを送っていたことだ。
そうした責任は、彼の父、ゲルラ大公にある。
「母と私が、白虎の一族に追われ、どんな暮らしをしていたか。
ご存知ですか。
そしてここでどのように扱われたか。
白虎でも竜でもない子は、どちらの一族からも必要とはされない」
「おまえと問答する気はない。
これは私とレーアの問題だ」
言葉どおり、ゲルラ大公はぴしゃりとセスランの口を封じた。
何を勝手なと言いかけて、セスランは表情を改める。
平静さを装って、静かに言葉を発した。
「父上、あなたは勘違いをしておられる。
召喚された上は、私は既に次期の聖使。
つまりあなたより身分は上だ。
私に何かを命じることはできません」
血の継承のみでつながった父と子だった。
恩や情愛によってではない。
最初からこの男には、セスラン母子の立場や、その思いへの気遣いはない。
だから期待するのが、間違っているのだ。
それならばセスランも命じるだけだ。
「私の母が、この先暮らしに困らぬように、保護していただきたい。
母の望まぬことを強要せず、穏やかに暮らせるように」
「望まぬことでなければ良いのだな?」
大公の言いようが、ひっかかる。
まるで母が、この父をもう一度望んでいるように聞こえる。
「傍に置かぬ方が良い。
私には唯一を守りぬく力がない。
己の無力を嘆く情けなさを、おまえの年齢の分だけ噛みしめてきた」
ほとんど表情を変えない父の、暗い微笑に驚かされる。
まさか。
父はあの母を、愛しているのか。
白虎のしかも端女を母に持つ女を、ゲルラ大公が。
とても信じられなかった。
「いずれにせよ、おまえにはもう関わりのないことだ」
言いおいて、父はくるりと背を向けた。
こつりこつりと革の長靴のかかとが鳴って、両開きの大きな扉が開く。
「私のようには、けしてなるでない」
背を向けた父の、それが最後の言葉だった。
黄金竜の泉地に上がったセスランは、黄金竜や火竜の代理人として、この上もなく大切に扱われた。
主にゲルラ公国の神事に関わる他、他の公国での紛争や災害の視察や調整、黄金竜の郷への報告と、言ってみれば畏くももったいない仕事ではあったが、さして忙しいものではない。要するに、一日の大半は暇であった。
ゲルラに在る時には、やれ獣の血を継ぐ子だの、端女の息子だの、汚らわしいだのと悪口三昧言われていたが、ここではそれほどでもない。
セスランの混じり血を快く思わぬ者は、この黄金竜の泉地にもいないことはなかったから、それなりに陰口は言われたし、
「御大層な身分におなりだこと。
蛮族の血を継ぐ半竜が」
通りすがりにセスランの宮付きの侍女や侍従から、聞えよがしの冷笑を浴びせられることもある。
最悪なのは、下界の調整がうまく運ばなかった時だ。
戦でも起ころうものなら、それはセスランが半竜で、聖使としての力が不足しているからだと言われた。
けれどその程度で済んでいる。
さすがに聖使は代わりが効かぬと皆承知しているので、セスランを傷つけたり害したり、そんな愚かなことをもくろむ阿呆は、ここにはいなかったから。
食事に虫は入っていなかったし、飲み水は新鮮で、酒も極上品だった。
(まあ悪くない待遇だ。
こんなものだろう)
セスランは周りに何も期待していない。
自分の中に流れる血が、好むと好まざるとに関わらず、竜と白虎の混じりものであることは確かだったし、完全なる竜でも白虎でも、どちらでもないのだと知っている。
ここ黄金竜の泉地では、限りなく純粋な火竜の血が尊ばれる。
混じり血ではない。
こんな自分が、なぜここへ呼ばれたか。
考えてもわかるはずがない。
わかっているのは、ここに呼ばれたからには、その任の果てるまでここにいるしかないということだ。
数百年か数千年か、聖使としての力がなくなって、次の代に聖使を譲るまで、セスランはここで生きる。
大して忙しくもなく、緊張感もない日々は、いつかセスランから年月を数えることをやめさせていた。
時の流れるままに、抗わず、あるがままに、セスランは日々を送った。




