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75/95

75.望んで堕ちたのだから

「わたし、もうセスラン様のものなんです」


 わざとらしく身をくねらせて、エリーヌは言った。

 頬を赤らめ、少し照れた風を装っているようだ。

 広間に集まった当代の聖女オーディアナ、3人の聖使、そしてもう1人。

 驚きに言葉を失った皆を前に、エリーヌはさらに続ける。


「だからもう、聖女オーディアナにはなれないんです」


 候補を下りることに、少しの申し訳なさもない。

 むしろ誇らしげだった。


「なにを言っているのか、わかっているの?」


 細く震える声が、私の心を抉る。

 己の愚行をもっとも知られたくない人に、真正面から見つめられる。

 目を上げることが、私にはできなかった。

 もうけっして私の手は届かない。

 それは自分で選んだ道であったのに、その時の私はいっそ狂ってしまえればとそう願い、絶望した。


 

 






 南の大陸にある大公家ゲルラは、初代黄金竜(オーディ)の弟が人の世に降りて興したという。

 東のヴァースキー、西のヴェストリー、北のヴォーロフと並んで4大公家と呼ばれる名門である。

 セスランはその大公家に、7歳になったその日に引き取られた。


 白虎の里の外れに、セスランの生まれた家はあった。

 綿のように白い美しい髪にサファイヤの瞳をした母と二人、人目を避けるようにしてひっそりと暮らしていた。


「セスランの髪や瞳の色はとっても珍しいの。

 人と違えば目立つから。

 いじめられたりしないように、ここでお母さまと一緒に暮らしましょうね」


 遠い昔に竜族に敗れてから、白虎の一族は険しい山に囲まれた貧しい土地に住んでいた。その里からさらに外れた地であれば、食糧や水の調達さえ難しい。

 セスラン親子の暮らしは、それは貧しいものだった。

 からからに乾いた麦を挽いて作った団子には、小石や虫が混ざっていたし、水だって遠い川まで汲みに行くから、毎日の飲み水はけして新鮮なものではない。

 けれど生まれた時からそうであれば、特に不幸だとは思わなかった。

 美しく優しい母がいつも一緒にいてくれた。

 それだけで幸せだと、本気で思っていたから。

 森へ入って、何か食べられそうなものを探す時でさえ、紅い髪や緑の瞳を隠すフードを被らなくてはいけなかったが、嫌だとか惨めだとかそんなことは少しも思わなかったものだ。


「おまえさえ生まれなければ、こいつももう少しはマシな暮らしができたかもなぁ」


 ある時突然やってきた男が、セスランを見て眉を顰めて言った。

 彼は母と同じ白い綺麗な髪を背中で1つに結わえ、やはり母と同じサファイヤの瞳をしていた。

 その彼が時々セスランたちの家に出入りするようになって、食糧や衣類を運んでくれた。

 母の兄だと名乗ったその人が、白虎の王族だとは後で知った。

 ということは、母も王族なのだろうか。それがどうしてこんなところに隠れ住むのか。幼いセスランには、それが自分のせいだとまではわからなかった。


 7歳になった日、セスランは自分の生まれを初めて知った。

 竜族の、それも4大公家であるゲルラの当主たる父と、白虎の王族の血を継ぐ母との間に、セスランは生まれたのだ。

 白虎族にはいない紅い髪も緑の瞳も、ゲルラの血を継ぐなによりの証だった。

 遠い昔竜族に敗れてから、白虎の一族は竜を心底憎んでいる。

 それなのに王族の血を継ぐ女が、仇敵の子を産んだ。

 白虎の一族にとって、耐え難い屈辱だった。

 だからセスランは、隠れて暮らさなくてはならなかった。

 だから母は、一族を追われた。

 それがわかった時、セスランは母との別れを了見する。

 伯父が言ったとおりだと思ったから。


「おまえさえ生まれなければ」


 セスランさえいなければ、母はきっと一族の元へ帰れる。王族として、今よりはマシな暮らしができる。

 忌まわしい出自の息子を愛してくれた母に、せめてものそれが恩返しだと。

 

「母上、どうかお元気で」


 どうか幸せになってほしい。

 涙も見せずに、セスランは母と別れた。

 迎えの飛竜に乗せられて、そのまま父の城へと向かった。



 石造りのいかめしい城、黒塗りの鉄柵でぐるりと要所を固められた要塞のような城が、ゲルラ大公家の本城だった。

 城への出入りには、必ず堀の上にかけられた橋を通らねばならず、その橋の両端には衛兵が詰めている。

 飛竜はその上をばさりと飛び越えて、城内に着陸した。

 広い中庭には、紅い髪の男とメイドらしき女性が数人立っていた。


「初めてお目にかかります。

 セスラン様付きの執事レイノーと申します。

 今後はわたくしが、あなたさまのお身の周りのお世話一切をいたします。

 なんでもお申しつけくださいますように」


 幼いセスランにはその男が何者か、わからなかった。執事とは何をするものかすら。

 ただ彼の紅い髪を見て、ほっとしたことだけはよく憶えている。

 初めて見る、セスランと同じ色の髪だったから。


 セスランの居室には、跡継ぎ公子のために用意された部屋があてられた。

 重厚で見るからに贅沢で、食うや食わずの暮らしをしていたセスランには、かえって居心地が悪く落ち着かない。


「そのうち慣れますよ」

 

 初対面の挨拶時より幾分くだけた調子で、レイノーは笑った。

 そしてこれから長い付き合いになるのだからと、自分の年齢は27歳でゲルラ公家の傍流にあたる子爵家の次男だと説明してくれた。

 次男であればどこかへ養子に行くか、そうでなければ何かしらの役目について自立せざるをえない。

 彼の場合、幼いうちにゲルラ公家へ出仕することを希望して、今に至るのだそうだ。


「地方の子爵家の、しかも次男ですからね。

 さっさと割り切ってしまった方が、人生楽しめます」


 レイノーはさっぱりした気性のようで、セスランの警戒心を気にした風もない。

 膝をついてかがみこみ、セスランと目線の高さを合わせる。


「セスラン様は、間違いなく嫌な思いをなさるでしょうね。

 母君のこと、セスラン様ご自身のこと、聞き苦しいことをきっと耳になさるでしょう。

 覚悟しておかれますように。

 けれどセスラン様には聖紋がおありです。

 ゲルラの翡翠の瞳と聖紋を持つあなたは、次の当主。

 それをお忘れにならなければ、案外楽しくやってゆけるはずです」


 レイノーは、そうしてにっこりと笑った。

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