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70.この感情の名は嫉妬

 気の毒に。

 

 そう思ってしまった。

 彼女が竜后であることを考えれば、あってはならない同情だった。

 けれどパウラの心は引きずられ、彼女の心に寄り添ってしまう。


 なりたくてなったわけではない。

 望んでここに来たわけではない。

 仕方がなかった。

 ヘルムダールの女子に生まれた己の運命と、あきらめるしかなかった。

 彼女の胸の内は、出自を同じくするパウラにはわかる。

 前世のパウラもそうだった。

 だから目の前で狂ったように高い声で叫ぶ、彼女の痛みに同情してしまう。


 けれど竜后の位に就いたからには、己の責任から目を背けてはいけない。

 逃げたくなるのはよくわかる。

 そう思うことは自由だが、実際にそうすることは自由ではない。

 彼女が思っているだけであれば、パウラも一緒に泣いてやったかもしれない。彼女は思うだけでなく、逃げてしまったのだ。それも中途半端に。


「きいた風な口をきく資格を、わたくしは持っていましてよ。

 あなたこそ、知った風な口をきかないでいただきましょう」


 パウラにとっては遠い先祖でもある竜后だが、その人が前世の飼殺し人生の元凶でもある。とうてい敬い(かしず)く気にはなれない。

 ぴしゃりと言い放つと、彼女の嫉妬で赤く染まった視線を真正面から受けて立つ。


「わたくしはこれが2度目の人生ですの。

 前世は聖女オーディアナでしたわ。

 それはそれは真面目に仕事をこなしましたの。

 あなたが逃げ回って放り出した仕事を、このわたくしが、ぜんぶ。

 おわかりいただけまして?」


「だからなんだと言うのじゃ。

 ヘルムダールの女子であれば、当然のことであろうが」


 本心で言っているのなら真正のおばかだが、多分そうではないだろう。屁理屈であることは、竜后もわかっているはず。その証拠に、口調に迷いが感じられた。


「ええ、当然ですわ。

 それがわたくしの運命だと思っておりましたから。

 その座についたからには、ヘルムダールの名に恥じぬよう、己の感情を殺して勤めあげよとは、代々の教えでしたわね。

 あなたもそう教わりましたでしょう?」


 竜后の務めを放棄したことを皮肉ると、竜后の顔が怒りに染まる。


「無礼な!

 たかがヘルムダールの公女風情が、竜后オーディアナにそのもの言い」


 権威を振りかざした怒声に、パウラはふぅと小さく息をつく。

 愛した、いや今も愛しているだろう恋人の前だ。

 美しくありたい、そう見せたいはずなのに、取り繕う余裕さえなくしている。

 こんな取り乱した竜后を、さらに追い詰めなくてはならないのか。


「パウラ、もう良い。

 ここからは俺が引き受けよう」


 少しだけかすれた声には、アルヴィドの痛みがあるようだ。

 ツキンと、胸に不思議な痛みを感じた。

 憶えのない感覚に、パウラはその正体を不安に思う。


「竜后オーディアナ」


 呼びかける声は、静かで穏やかで、どこか哀しい。


「遠い昔の記憶を懐かしみ、嘆いて恨んで。

 そうやって繰り返した日々を、もうやめないか。

 俺はもう、貴女を愛していないのだから」


 淡々とした言葉は、事実だけに残酷だった。

 竜后の緑の瞳に動揺が走り、次いでにじみ、ぼろりと涙がこぼれた。


「俺も貴女も、互いに追わなかった。

 本当に欲しかったなら、相手が誰であろうとどんな目にあおうと、譲らなかったはずだ。

 今の俺にはそれがわかる」


 彼女が一番見たくない、知りたくない真実だっただろう。

 今のアルヴィドには、わかる。

 それを彼にわからせたのは、竜后ではない。


「貴女とは、そういう縁だった」


「なぜじゃ……。

 わたくしは仕方なく、ヘルムダールの公女として仕方なくここへ召された。

 そうしなければ、ヘルムダールに害が及ぶ。

 わたくし一人の罪では済まぬ。

 仕方なかったのじゃ。

 きっとアルヴィド、そなたが迎えに来てくれる。

 わたくしをさらって逃げてくれると、そう信じて今日まで耐えてきたのに。

 だからそなたを、何度も転生させたのに。

 今になってわたくしを裏切るのか」


 絞り出すような声は低く唸るようで、竜后の緑の瞳にははっきりと怨嗟の色が浮かんでいた。


「わたくしが何をした?

 何万年も待って待って待ち続けたぞ?

 他の男に心を移したことなど1度もない。

 そのわたくしを、そなたは裏切るのか。

 そこなヘルムダールの小娘のために、唯一と呼んだわたくしを」


 パウラへびしりと指を向け、赤黒い怒りのオーラを立ち昇らせる。

 既に竜后は正気ではない。

 銀色に輝くはずのオーラが、醜く赤く変色している。


「許さぬ。

 わたくしのものにならぬなら、アルヴィドそなたも生かしてはおけぬ。

 未来永劫、その魂をわたくしの下に置いて、わたくししか見えぬようにしてやろう。

 そこな小娘の記憶は綺麗に拭ってやるから、安んじておるが良いぞ」


 恨みと嫉妬で凝り固まった竜后が、指先から赤黒いオーラを放つ。

 その瞬間。

 パウラの銀色のオーラが、ぱぁと辺りを包んで竜后の害意を弾いた。

 ぶつけられた害意の塊は、銀色の微粒子となってきらきらと散り、空気に溶けてゆく。


「あー----。

 もう聞いてられませんわ」


 パウラがため息をつきながら、竜后の前に進み出る。

 ぐいと顔を近づけて、自分とそっくりのエメラルドの瞳をまっすぐに見つめた。


「黄金竜の妻になったのでしょう?

 まだ夫であり妻であるのに、あなたは一言だって夫のことを口にしない。

 アルヴィドに愛を告げるのなら、まずその夫をどうにかしてからでしょう?

 別れてもいないのに、いったい何を言ってるのだか」


 優等生と言われたパウラには、こういう感情的な人間の筋の通らない屁理屈が最も苦手である。

 聞いているだけで疲れる。

 感情的には共感できる部分もあった。

 けれど自分の義務を放棄しておいて、自分には非などないと言い切る傲岸さには、どうしようもなく虫唾が走る。


「そんなに好きなら、どうして別れてほしいと言わなかったの?

 黄金竜(オーディ)だって、その方が幸せになったかもしれないでしょう?

 自分では何もしないくせに、他人には何かをしてもらうことを期待して、あげく裏切られたなんて。

 ご先祖様にあたる方に、大変失礼だとは思いますけれど。

 幼稚過ぎて、あきれてものが言えませんわ」


 パウラだって、前世の飼殺し人生を嘆き、黄金竜(オーディ)や竜后を恨んだ。

 けれど彼女は、自分のなすべきことをしてその後でやり直しを望み、現在がある。

 なすべきことを放り出して、ぐずぐずと他人が「してくれない」と恨み続けるみっともなさは、他人事ながら腹立たしい。

 「してくれない」と恨む相手が、アルヴィドだから余計に。


(え……?)


 アルヴィドだから。

 アルヴィドだから、なぜ余計に腹が立つのか。

 アルヴィドに執着する竜后を、どうしてこんなに不快に感じるのか。


 唯一と、パウラを呼んだアルヴィドの掠れた甘い声が蘇る。

 ああ、そうか。

 嫉妬。

 それがこの感情の名なのだと、パウラはやっと気づいた。

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