67.唯一の最愛
オークモスの香りにふわりと包まれる。
湿度の高い森に生えるという苔の香り。
アルヴィドのまとう落ち着いた芳香に、戸惑いながらパウラは目を閉じた。
(何が起こっているのだろう)
すっぽりと抱きしめられているのは、間違いないのだけれど。
なぜかと考えて、出した答えに赤面して首を振る。
(そんなのありえないわ。
だってアルヴィドは竜后を愛しているのよね)
「パウラは勘違いをしているようだ」
アルヴィドにしては珍しく早口で、余裕を失っているかのように見える。
「俺が君を好きだとは、どうして気づいてもらえない。
とうに……伝わっていると、俺は思っていたが」
前世も今も、パウラはこの方面に鈍い。というより、自信がまるでない。コンプレックスさえあるのだと、わざわざ告白する必要があったのだろうか。
あったのだろうなと、パウラは反省する。
「あの……。
2度も生きていて今さらなのですが、恋とか愛とか、わたくしそういうのにまるで弱いんですわ。
かなりの劣等生で、落第寸前、いいえ正直に告白しますね。
落第してます、きっと」
さすがに誇れることではないので、つい俯いてしまう。
「だから以前、お見合いのあれこれを実家で聞いた時、これは良いと思ったのですわ。
わたくしの両親も、そうやって出会ったようですし」
最後の方はかなりぼそぼそと、消え入りそうであった。
本当の事だから仕方ないが、言いながらあらためて恥ずかしくなる。
抱きしめられた背に腕に、小刻みの震えが伝わってくる。
おそるおそる顔を上向けると、唇を引き結び顎を引いて笑いをこらえるアルヴィドを見つけた。
目尻にはうっすら涙がにじんでいる。
「正直だな」
くっくと喉元で笑いながら、アルヴィドが短く答えた。
「いくらでも笑ってください。
こんなだから、前世エリーヌにしてやられたんですわ。
『男心がぜっんぜんわかってないのよね~』
でしたかしら」
思い出しても腹のたつエリーヌの言葉を、言われたままに口真似をした。
「ではあらためて言っておこう。
3度目の生でようやく得た唯一の人だ。
相手が誰であろうと、けして渡さない」
深い針葉樹の緑の瞳が、真摯な色をのせてまっすぐにパウラを見つめる。
どきんと心臓が跳ねた。
かぁっと顔に血が上り、うるさいほどの鼓動がどくんどくんと耳に響く。
「これから急いで探すと言ったな。
相手が俺ならば、探してもらう必要はない。
手間が省けて良いだろう」
艶のある声は、笑いを含んで甘くからかうようで。
アルヴィドの美貌と声を前世からよく知るパウラであったが、こんな甘い囁きを受けたことはない。免疫のない心に、凄まじい破壊力で迫ってくる。
「竜后、竜后はどうするのですか。
もう一度会いたいのでしょう?」
慣れない甘い熱に流されて、つい頭から飛んでいたことを、少し落ち着いたところで思い出す。
唯一、最愛。
竜族にとって特別の意味を持つ言葉が、それを思い出させてくれた。
竜后オーディアナ、かつてのアルヴィドの恋人を、彼は本当に追い詰められるのだろうか。
パウラを唯一と呼ぶアルヴィドの、心の奥底にはまだ竜后オーディアナがいるのではと思う。
3度も転生して追いかけた思いを、そう簡単に忘れられるものか。
焦がれるほどの激しい思いを経験したことのないパウラには、よくわからない。
「会わねばならないだろうな。
だがそれは会いたいからじゃない。
パウラと俺が、竜族の頂点に立つために必要だからだ」
すっきりと長い指が、パウラの頬にかかる。
銀の細い髪をその指で払って、アルヴィドは続ける。
「妬いてくれたなら嬉しいのだが……」
切なげに目を細めて、微笑んだ。
(一気に来ないで、お願いだから。
状況に頭がついて来られない)
既に処理能力を超えた事態である。
聖女オーディアナとしては優秀で、年頃の少女としてはとてもポンコツなパウラの頭脳は、今やチカチカと緊急停止ランプを点滅させてフリーズ間近だった。
それでもその寸前、事切れる前の最後の思考で、パウラは必要なことをやっとの思いで口にした。
「わたくしの相愛に、どうぞお願いいたします」
とりあえずこれで、黄金竜の郷に行ける。
後のことは、もう少しだけ時間をおいて考えよう。
今は無理。
もう少し、もう少しだけ眠った後で。
点滅するランプが消灯し、パウラは意識を手放した。




