66.それなら俺を選べ
アルヴィドは何も言わない。
深い緑の瞳は相変わらず静かで、さざ波ひとつない湖の水面のよう。
「アルヴィドは、知っていたの?」
正体を明かした上は、口調も自然に昔に戻る。
僅かに目を見開いたが、なぜだか嬉しそうに微笑してアルヴィドは緩く首を振った。
「パウラが言うのだ。
だからそうなのだろうと」
無条件の理解と受容に、パウラの胸は温まる。
けれどその寛容なアルヴィドに、言わねばならない。
「わたくし、黄金竜と竜后オーディアナを引きずり下ろしたいんですの。
あの二人がこのままでいる限り、銀狼と竜の争いも、それからわたくしの飼殺しの未来も、避けられないでしょうから」
竜后は、かつてアルヴィドが心から愛した女だそうだ。
それを承知で、その弱みを知りたいと。
3度も転生するほど、彼女に未練があるのだろうに。
「黄金竜と竜后オーディアナを倒すつもりか?」
変わらず静かな緑の瞳をまっすぐにパウラに向けて、アルヴィドが穏やかに尋ねる。
簡潔明瞭に、叛意のあるなしを。
こくんと息を飲みこんでから、パウラは頷いた。
「ええ。
まともな方に、その座についてもらいたいから」
「まともな……か。
あてはあるのか」
ここまで来たら、本音を話してしまおうと決めた。
「誰でも良いのよ。
誰が即位しても、今よりはマシでしょうから。
でも誰もなりたいと言わないその時は、わたくしがなりますわ」
さすがに驚くだろう。
ヘルムダールの公女は、竜后になるものだ。黄金竜ではなく。
呆れられれば、アルヴィドの助力は無理だとあきらめるしかないが、できれば協力してもらいたい。
残酷で身勝手な願いだけれど、アルヴィドは竜后をよく知っているから。
おそるおそる、うかがうようにそうっと視線を上げる。
驚いて言葉もないか、それとも呆れかえっているだろうか。
「そうか」
潤いのあるつややかな声には、そのどちらの表情もなく。
「パウラらしいことだ」
背中を押してくれているような、たのもしい優しさを感じた。
丈夫だけが取り柄の武骨な天幕の内側に、あたたかな日差しが射しこんだようで、パウラは息をとめていたことに気づく。
肩を上下して大きく息をつくと、緊張がほどけるのを感じた。
「だがパウラが黄金竜になるのは難しい」
再び身を固くしたパウラに、アルヴィドは笑って首を振る。
「言い方が悪かったな。
黄金竜より、強い存在なのだと言ったら良いか。
ヘルムダールの公女は、ただの竜を黄金竜にすることができる」
ヘルムダールを発つ時、母も同じことを言っていた。
黄金竜はヘルムダールが作ると。
どういう意味か。
「竜族の血を継ぐ男がヘルムダールの公女を愛して、彼女に愛されて、全能の黄金竜になる。
まぁ普通は、黄金竜と竜后の子が次代の黄金竜になるそうだが、今の黄金竜と竜后に子はいない」
こくんとパウラの喉が鳴る。
子がない。
その意味するところを考えたから。
竜族の夫婦が生涯でなす子の数は、とても少ない。
ヘルムダールでは通常女子が1人、ごく稀に2人生まれることもあるが、それはとてもめずらしいことだ。
ヘルムダールほどではないが、他の大公家も似たようなものだ。
正式な夫人との間になす子の数は、3人いれば多い方である。
病や身体の欠損で子をなすことが難しい竜も、黄金竜の泉地に願い出れば聖女オーディアナによる治療が受けられる。
つまり夫婦双方が望む限りにおいて、子がないことはありえないのだ。
まして全能の黄金竜とその正室だ。
今の黄金竜と竜后に子はない。
その意味するところは……。
夫婦のどちらか、もしくは両方が、子を望んでいないということ。
「竜后は黄金竜を愛していないのね」
本来の仕事を放棄してわがまま勝手に贅沢をする女の愛を乞うために、なりふり構わず機嫌を取り結んでいるのだと思えば、黄金竜もあわれなものである。
けれど竜族の長であれば、そんな妻を許してはいけない。
どれほど愛していようとも、毅然として離縁を言い渡さなければならないはずだ。
それができないその一点において、現黄金竜に竜族の長たる資格はない。
(黄金竜の郷からあの夫婦を追放したとして、アルヴィドはどうするのかしら)
竜后はアルヴィドの恋人だった。黄金竜を受け容れていないことを考えれば、竜后は今もアルヴィドを愛しているかもしれない。
追いかけるのなら、それはそれで良い。
それでアルヴィドが3度生まれ変わった意味があるのなら。
「愛されていない黄金竜は、完全ではないということね。
わたくしと相愛の竜が現れれば、今の黄金竜より強いと」
具体的な解決法はわかったけれど、これがまた非常に現実的ではない。
困った。
パウラは思い切り眉を寄せる。
相愛?
パウラが誰かを愛して、その相手から愛されるということ?
そんな相手が急に都合よく見つかるものか。
ああ、そういえば父が言っていた。
お見合いというシステムがあると。
あれなら条件の合う大公家の青年と、ちゃっちゃと会って結婚できる。
出会った後、愛を急いで育てれば良い。
パウラの母と父も、そのシステムで出会い、はた迷惑なほどの熱愛をいまだに続けているではないか。
むしろ自分のような恋愛偏差値の低い女には、こういう方法の方が向いているのかもしれないとさえ思う。
出会いの動機や方法がどうであろうと、パウラは相手に誠実である自分を疑っていない。
よしと、頷いてパウラは口を開いた。
「相愛の相手を急いでみつけてきますわ」
瞬間、空気が凍った。
絶対零度の冷気が、天幕の内外を覆う。
「本気で言っているのか?」
長いストライドで距離をつめて、間近で見下ろす深緑の瞳。
白い頬にはうっすらと血の気がさして、整った眉は苛立たしげに寄せられていた。
幾度か唇が開きかけて、ためらい、そして閉じられる。
こんなアルヴィドを、パウラは見たことがない。
「それなら俺を選べ」
言葉の意味を理解するより先に、アルヴィドの胸に抱き寄せられていた。




