64.この感情こそが
銀狼族の王子とは、面識があった。
いや、面識があるという言い方では、少しばかり不足だろう。もっと深い。アルヴィドの思いだけでいえば、旧知の仲であった。
次期国王である第一王子のスコル、第二王子のハティともに、極めて能力の高い魔術騎士で、黄金竜の泉地にもその名は聞こえていた。
聖使に祭り上げられてからは、騎士としての稽古相手に恵まれず、一人で鍛錬を繰り返してきたアルヴィドにとって、彼らはぜひとも手合わせ願いたい相手であった。だからヴォーロフ視察を名目に、たびたびお忍びで銀狼族の国へ訪れていた。
警戒心が強く排他的だという銀狼族にあって、二人の王子の性質は例外であったようで、アルヴィドを快く受け入れてくれた。
むろん最初こそアルヴィドも身分を隠していたが、そのうちそれも後ろめたく面倒になって、正体を明かした。
銀狼の兄弟は驚きはしたものの、それで態度を変えることはしなかった。
「聖使様など、俺らにはありがたくも尊くもない存在だからな。
だからどうしたくらいの、まぁそんな感じだ」
軽く鼻を鳴らしてそう言った弟のハティとは、特にウマが合った。
皮肉らしい口をきくが、性根はまっすぐで正義感が強い。
竜族の聖使と銀狼の王子と。
まともに出会えばおそらく友人になどなれるはずもない二人が、魔術や武芸の稽古だけでなく、いつか互いの心の内を話す仲になっていた。
三度の転生を経て、誰にも心を許すことなどなかったアルヴィドにとって、銀狼の王子ハティは初めてできた友人であった。
(まずい……)
ハティの青灰色の瞳に見え隠れする熱に、アルヴィドはすぐに気づいた。
エリーヌの無礼な言葉に、憤然たる様子でいくらでも続きそうな暴言を止めようとしたパウラ。
下界における竜族の最高位ヘルムダールの公女が、銀狼族の名誉のために口をひらいた様を目にすれば、心を動かされるなと言う方が無理だ。
エリーヌについて、アルヴィドたち4人の聖使は、「できるだけ彼女の特性を尊重してやるように」との命を受けている。
聖使にそれを伝えたのは当代の聖女オーディアナであったが、大元は黄金竜の郷である。つまり聖使用の候補であるエリーヌには、厳しい指導は無用と言い渡されたのだ。
目に余る無礼も無作法にも、アルヴィドたち聖使は仕方なく目をつぶった。わがままも傍若無人さも、怠け癖もずるさも。すべて見ないふりをして無視を決め込む。
だからハティへの無礼無作法にも、いつものことと沈黙した。
けれどやはり、黙っているべきではなかったのだ。
ハティの熱っぽい視線、その甘い声を目の前にして、アルヴィドは心から後悔した。
「情けないことだな」
嘲るように皮肉られて、ぐっと言葉につまる。
そのとおりだ。
なんと情けない。
けれど……。
「アルヴィドはアレに何も言えないと見える。
アレなら楽に落ちるだろう。
さっさとモノにすれば良いものを」
そう続けられて、なにかがこみあげた。
おまえに何がわかる。
弾けるような思いを、アルヴィドはようやく喉元で押しとどめた。
黄金竜を長とする一族にあって、その命に逆らうことができる者はいない。
もし逆らえば、その罪はヴォーロフすべてに及ぶ。おのれの命1つで贖える罪ではない。それを承知で逆らえる者が、この世のどこにいる。
そうしたくてもできない苛立ちが、竜ではないハティに理解できるものか。
遠い昔、ただ一人と決めた女を奪われた。
奪われた女は、今も長の妻としてこの世の春を謳歌している。
耐え難い喪失感と哀しみと、己の無力を嘆く心とを飼い慣らすことができなくて、悶え苦しんだ最初の生。
一度目の生を終えた後、このまま静かに眠りたいと願った。
けれど許されず、その次の生を迎え、そして今生。
もう黄金竜に関わりたくはないとどれだけ願っても、濃い関わりから逃れることができないでいる。
その苦悩の中でようやく見つけた一筋の光。
目をふさぎ耳をおおって蹲るアルヴィドに、手を差し伸べて未来の景色を見せてくれる少女に、ようやく出会えた。
何不自由のない高貴な身でありながら、護られるだけでいることを良しとしない彼女の、なんといきいきと輝いて見えることか。
与えられた運命を知りながら、あきらめずに前を向いて自分であり続ける彼女に、アルヴィドは憧れてやまない。
その輝きを失うことを思えば、過去の痛みなど塵のようなものだと思えるほどで、この感情こそが唯一、最愛の言葉に相応しいものだと初めて知った。
その大切な存在を前に、他の女、それも黄金竜の与えた女をモノにせよとは。
「銀狼の国へおいでにならないか?
貴女であれば、心から歓迎しよう」
ハティの言葉に、アルヴィドは胸の奥に張った糸が、ぷつりと切れる音を聞いた。
目の前で、ハティがパウラの手に唇を落とす。
「そこまでにしてもらおう」
ようやく音にした声は、極限まで冷えて凍り付いていた。




