62. 二度と良い子にはならない
「話があるのではないのか。
さっさと本題に入れ」
極上のビロードのように滑らかで艶のある声が、いつになく冷たく尖っている。
その声とほぼ同時に、黒づくめの長身がするりとパウラとハティの間に割って入った。
「こちらもそうそう暇ではない」
不機嫌を隠すつもりもないようで、アルヴィドはさらにたたみかける。
「では、ヴォーロフに退けと言え」
ハティの声から感情が消えた。
青灰色の瞳も薄い霧に包まれて、その向こうにある何も、伺うことはできない。
「もともとこちらが望んだ面倒ではない。
退きさえすれば、こちらも引き揚げると約束しよう」
パウラはひゅっと息を飲んだ。
紛争地に向かう途中、ここはまだ一夜限りの野営地に過ぎない。それなのにいきなり交渉が始まるのか。
それにしても相手が違うのではと思う。
アルヴィドはヴォーロフの大公ではない。
「俺にそれを決める権限はない」
わかっているはずだと続けたアルヴィドに、ハティは首を振った。
「民の命がかかっている。
力を貸してもらいたい」
ハティの言いたいことは、パウラにもわかった。
正規のルートを通すなら、紛争の交渉は公国の主たる大公の代理人となされるべきである。昔はともかく現在のアルヴィドは聖使の一人で、ヴォーロフの外交にいかなる権限もない。人の世への干渉は、黄金竜の泉地の最も神経質になるところである。それは黄金竜の泉地の影響力が大きいからこその自粛であった。竜族の世で、聖使、それも自国出身の彼らは、神のように敬われていたから。
ハティはそれを承知で、アルヴィドに頼んでいる。
おそらく彼の言葉のとおり、多くの民の命のために。
「ええっと~。
アルヴィド様がお願いしたら、ヴォーロフの人は聞いてくれるんですよね?
よくわかりませんけど、アルヴィド様は王子様と仲良しみたいですよね?
だったら聞いてあげてもいいじゃないですか」
ぴんと張りつめた空気に不似合いの、いかにも明るいのびやかな調子で、エリーヌが口を挟む。
つい先ほど、自身の働いた無礼のせいで、「仲良し」の間に緊張が走ったことなど気づいてもいないらしい。ここまで突き抜けると、いっそあっぱれというべきかもしれない。
「黙りなさい!」
これ以上まぜっかえさないで欲しい。
ぴしゃりとやって、エリーヌをにらみつけた。もしこれ以上まだ何かを言うつもりなら、そのよく動く唇を縫い付けてやる。
いつになく厳しい表情のパウラに、さすがのエリーヌも悔し気に口をつぐんだ。
アルヴィドの目元がわずかに緩む。
針葉樹の瞳に、温度が戻ってゆく。
「俺が口をきいて、どうにかなるほど単純な問題ではないだろう。
鉱脈の採掘権を、ヴォーロフが簡単にあきらめると思うか?」
先ほどより穏やかな声で、アルヴィドは問いかける。
希少な鉱石プラチナムの採れる山に、ヴォーロフの採掘班が無断で入ったことが、争いの発端であった。
プラチナムは鈍い銀色に輝く鉱石で、加工すれば美しい宝飾品になる他、最高級の武具にも使われる。この世で最も硬度が高く、ほとんどの物理的衝撃による損傷を受けない。唯一例外はプラチナムを研磨した武器による攻撃であったが、プラチナムの武器を鍛えられる職人は非常に珍しく、今のところ銀狼族にしかいない。だから市場に出回ることは、まずないと言って過言ではないのだ。
その貴重なプラチナムは、銀狼族の重要な収入源である。それをヴォーロフが奪おうというのだ。何事もなく済むはずがない。
「強盗も顔負けじゃないか。
他人の家へ力づくで押し入って、その家が気に入ったから出て行かぬと言う。
いやいや、どうして。
竜族の品性とは、実に見上げたものだ」
痛烈な皮肉を吐いた後、ハティは表情をあらためて深々と頭を下げる。
「頼む。
このままでは間違いなく戦が起こる。
スコルは……、兄は一族を挙げて戦うつもりだ。
だが勝てるとは思えない。
我らはきっと滅びる」
誇り高い銀狼の王子が、助けてくれと頭を下げる。
彼の言うとおり、戦って勝てる見込みは万に1つもないだろう。それでも彼の兄、スコル王子が戦うのは、銀狼族の誇りのため。領土に押し入った竜を、好きにさせないためだ。
けれどその後どうなるか。
おそらくは銀狼族は狩りつくされる。この世から銀狼族は一人残らず消えるだろう。
一族の血は守らねばならない。
たとえ敵に頭を下げてでも、それだけは避けたいとすがっているのだ。
できることならなんとかしたいと、パウラは思う。
そしてふっと、気づいた。
「ヴォーロフが急にプラチナムを欲しがるなんて、不思議ですわね」
加工する、研磨するにも、職人が必要だ。そしてその技術は、銀狼族が独占しているはず。
つまり鉱石を手に入れても、ヴォーロフではどうしようもない。職人をさらうつもりなら話は別だが。
「黄金竜の郷から命じられたらしい」
ひどく言いにくそうに、アルヴィドが陰鬱な声で答えた。
「竜后オーディアナが、プラチナムの家具をご所望になった」
家具?
プラチナム、つまり金属でできた家具?
よくも考えついたものだ。
宝飾品に使われる希少な金属を、家具に使うなどと。さすがに竜后ともなると、贅沢のスケールが違う。
けれどそれなら納得がゆく。
加工の職人などいなくとも、黄金竜ならなんとでもできる。なにしろ彼は全能の力を持っている。鉱石の研磨や加工など、なにほどのこともない。
最愛の竜后の望みとあれば、何をおいてもかなえるだろう。
だから躊躇いもなく、ヴォーロフに鉱石を手に入れるよう命じたに違いない。
「つまり……、竜后の贅沢のために銀狼族は滅びるということでしょうか?」
どこまで身勝手な夫婦だろう。
愛する妻のためにならなんでもするバカな夫と、それに甘えてやりたい放題の妻。
丸投げされた仕事の山をこなしながら過ごした、飼殺しの前世。
あの辛い日々を思い出して、パウラは叫びだしたい思いをようやく抑える。
「紛争の解決が、たしか課題でしたわね?
わたくし、本気で当たってみる気になりましたわ」
出来の悪いエリーヌに大差をつけてはならないと、適当に手を抜いてあたるつもりだったが、そんなことを言っている場合ではない。
エリーヌなどよりもっと性根の曲がった、傲慢な迷惑夫婦の横っ面を張り倒してやる。
竜族の長とその妻だろうが、知ったことではない。
ここで彼らの機嫌をとって銀狼の滅亡に目をつぶるなら、きっとまた飼殺しルート確定だ。
二度と良い子にはならない。
「プラチナムの家具、あきらめていただきますわ」
まずはそこからだ。




