59. 二度としないと決めたはずなのに
二度と関わらない。
そう心から願っていたのに。
黄金竜の泉地からの使いが、聖使の任を下した時、運命の皮肉さにアルヴィドは笑った。
聖使だと?
黄金竜に絶対の忠誠を誓う、あの?
黄金竜の傍には、ただ一人の竜后オーディアナがいる。
三度生まれ変わってなお、まだ彼女に縛られるのか。
割り切れない思いを抱いたものの、断って逃亡するほどの熱もなく、ただ淡々と黄金竜の泉地の言いように従った。
召喚されてからのことは、正直なところほとんど記憶にない。昨日と同じ今日が来て、また同じ明日が来る。そうして時間は過ぎて、その長さを考えることもやめた頃に。
アルヴィドは出会った。
ヴォーロフの城、その中庭で、少女は護衛騎士を従えてアルヴィドの前に跪いていた。
銀の髪は、なにやら紐のようなもので簡単にまとめられている。極上の絹糸のような素材を、無造作にひとくくりにして惜しげもない。
見たこともない衣は、武術の稽古着だと彼女は言った。
どうやら異世界の武術のための衣らしい。
訪問者の特徴である黒い髪をした女性が、彼女の側にある。同じものを着ていたから、そう察した。
「なぜこんなことをする?
おまえには、護衛騎士がつくだろうに」
洗いざらして傷んだ稽古着で、息をあげて投げ合いをする彼女にアルヴィドは聞いた。
彼女はヘルムダールの直系公女、しかも聖紋のある跡継ぎだ。生涯大切に護られ、自ら戦う必要など間違ってもない。
「ヘルムダールの女子は、いつか飛竜騎士になります。
そのためですわ」
そう答えた彼女の顔は、誇らしげに輝いていた。
ヘルムダールの女子は飛竜騎士になる?
そんなことをアルヴィドは知らない。遠い記憶を探っても、そんな訓練をしている様子を見たこともない。
記憶にある少女は、一筋の乱れもない銀の髪を美しい銀細工の飾りでまとめていた。
傍にはいつも背の高い騎士があり、ふいと彼を見上げた当時のアルヴィドに少女は言った。
「母上が優秀な護衛をつけてくれたのじゃ」
どこへ行くにも従えたその騎士は、元は黄金竜の泉地付きだったという。特徴的な青銀の髪で、ヴァースキー公家ゆかりの男と知れる。
「わたくしはヘルムダールの女子じゃゆえな。
護られるのも我が役目じゃ」
エメラルドの瞳を輝かせて、ふんと胸を張る少女の誇らしげな表情を、アルヴィドは苦く思い出す。
胸の奥に沈めた重い石が、ずんと重みを増すようだ。
「一撃目さえかわせれば、詠唱が間に合います」
姿形はよく似ているのに、目の前にいる少女はアルヴィドの記憶にある彼女とまるで印象が違う。
汗に濡れて貼りついた銀の前髪を払うこともせず、誇らしげに胸を張るのは武術の鍛錬の、将来の成果を夢見るゆえで。
輝くエメラルドの瞳は、曇りなく未来をみつめる。
「騎士になりたいのか?」
そう聞くと、即座に彼女は頷いた。
「そうか」
応えてアルヴィドは、己が微笑んでいることに気づいた。
同じヘルムダールの女子であって、けして同じではない。
護られるだけではいられないだろう少女は、パウラと名乗っただろうか。
パウラ・ヘルムダール。
「悪くない」
パウラの潔さも、純粋さも、苦い記憶の中にだけあるビジョンによく似た姿を好ましく思うことも。それらすべてを悪くないと思えた。そしてそう思えた己の気分も。
(また会うことになるだろう)
別れ際、そう直感した。
直感は正しかった。
ヘルムダールの公女パウラに、アルヴィドは再び出会う。
聖女オーディアナ候補としての召喚であったが、「候補」の呼称は無用のもの、申し訳程度の仮称だとすぐにわかった。
もう一人の候補はあきらかに聖使用で、本命はパウラだと誰にでも知れる。つまりパウラはアルヴィド用ではない。黄金竜の、その后の、二人のために飼殺される竜妃、聖女オーディアナの本命。
だからこそ救いたかった。いや、違う。
だからこそ、惹かれた。
記憶の中にある彼女とは違う輝きを放つパウラに、アルヴィドは惹きつけられた。ヘルムダールの血の意味を、その因縁を理解しながらも、己の力で立とうとする彼女にこそアルヴィドは惹かれてやまない。
ああ、けれど。
アルヴィドは知らない。
その感情を、その心情を扱う方法を。
(ばかな。
俺はもう、二度と誰かを特別に思うなど、しないと決めたはずではないか)
要らないと捨てられ、傷ついた過去の痛みが、素直になることを拒ませる。
もともと無口で不器用なところへ、さらにトラウマまで加われば、こじらせ加減もひどくなる。
だからパウラの前では、無様な取り乱し方をしないように、極力無口を通した。まともに目を合わせることも、避ける。
「アルヴィド様は、ほんとに無口なんですね~。
でもそのくらいの方がかっこいいです」
聖使用の候補エリーヌは、己の役割を理解しているのか、やたらに親密に、なれなれしすぎるほどの距離感で、べったりとまとわりついてくる。けれどこれには、動揺しない。淡々と短い受け答えのみ返して、感情が乱れることもない。
うるるんと大きな緑の瞳をうるませて、エリーヌはアルヴィドを見上げる。
「わたし、アルヴィド様のお心を少しでも癒してさしあげたいんです」
陶器の人形のような愛らしい容姿は、さすがに黄金竜が用意した少女だと思う。だがはたして今の聖使の中に、これを本気でほしいと思う者があるのだろうかとも思う。
癒すなどと、なんともおこがましい。
昨日今日会ったばかりの少女に、誰が心の内をさらすだろうか。
仮にさらしたとして、寄り添うに必要な知識と気遣いが、見るからに浅薄な彼女にあるとは到底思えない。
けれどなぜだか彼女はアルヴィドに執着しているようで、どれだけつれない態度をとっても、日に何度かはあまったるい声でしなだれかかってくる。
その日もそうして、適当にあしらうつもりだった。
だが執務室を出てすぐの回廊で、いかにも待ち受けていた様子のエリーヌの顔を見た途端、
(うっとうしい)
眉を寄せて踵を返そうとしてしまう。
「あ~、アルヴィド様。
わたし一緒に帰ろうと思って」
質の悪い砂糖をスコップで山盛りすくいあげたような、あまったるい声。
いささかならずうんざりした思いで、アルヴィドはため息をついた。
寄るなと、はっきり言ってやれば少しは変わるだろうか。
聖使たる立場を考えれば、名のみの候補とは言え、上司たる聖女オーディアナになるかもしれない少女に、あからさまに冷たい態度は避けるべきだ。そう思うから堪えてきたのだが、エリーヌの図々しさは、筋金入りだった。
一度ぴしゃりと言っておく必要がある。
再びくるりと反転し、エリーヌの方へ向き直り、アルヴィドは息をのんだ。
「あぁ、パウラもいたんだ?
なに?
パウラもアルヴィド様に、なにか用なの?」
エリーヌの少し低くなった声。
「実技課題の計画書を提出に参りましたの」
胸元に厚めの白いファイルを抱えて、パウラはばつの悪そうな顔をしていた。
間の悪いところへ来てしまったと、居心地悪そうに後ずさる。
「もうお帰りのようですわね。
明日にいたしますわ」
くるりとその身をひるがえし、パウラはその場を離れる。
見られた。
何をしたわけでもないのだから、慌てる必要などないのに。無表情の仮面の下で、アルヴィドは動揺していた。
だから言えなかった。
待てと。
その一言がどうしても。




