表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

43/95

43.あの日、誰もいなくなった

 西の大陸ヴェストリーの、大公家の次男としてオリヴェルは生まれた。

 父のサカリアスと母アイラは、巷では有名な仲の良さで、その間にもうけた二人の公子も利発でかわいらしいとなれば、言うことはない。

 絵に描いたような、幸せな家族であった。

 オリヴェルが5歳になる、その日まで。


 その日のことを、オリヴェルはよく覚えている。

 朝、目覚めると身体がとても熱かった。

 ずきんずきんと頭は痛み、特に目は焼けるように熱い。

 どうにかなってしまったのかと心細くて、呼び鈴を鳴らした。


「オリヴェル様、その目!」


 呼び鈴に応えたメイドが、扉を開くなり悲鳴に近い声を上げる。


「大公様!

妃殿下!

大変でございます」


 オリヴェルをそのまま置いて、彼女は部屋を飛び出して行く。

 残されたオリヴェルは、まだうずく目を押さえながら寝台からよろよろとはい出した。


「僕の目がどうしたっていうんだ」


 姿見の前に立って、声にならない悲鳴を飲み込んだ。


 緑。


 オリヴェルの灰色だった両の瞳の色が、変わっている。

 青に近い緑色。

 それは風竜の血を継ぐヴェストリー大公家の嫡子にだけ現れるものだが、当時のオリヴェルにはただ怖いだけだった。

 何かが自分の身に起きている。

 それだけはわかるのだけれど、メイドの尋常ではない驚き方に、不安が募るばかり。


「オリヴェル……。

おまえに出るとは」


 駆けてきたらしい父サカリアスが、オリヴェルの頬を両手で挟むようにして、じっと瞳をのぞきこんだ。


聖紋(オディラ)は?」


 なんのことだかわからないオリヴェルが震えていると、父は彼の身体に手を伸ばした。

 だぼっと大きな寝巻が、まくりあげられる。

 不安におののくオリヴェルの左腕を、父は掴んだ。


「ああ、やはりあった」


 肩に近い上腕部に、赤い三筋の斜線紋がくっきりと浮かび出ている。


「間違いない。

嫡子の聖紋(オディラ)だ」


 黒地に金糸の縫い取りをした上着を脱いで、父はシャツの袖をまくり上げる。

 同じ紋が、そこにあった。

 左上腕部のやや下のあたり。


「なんてこと……」


 母のアイラは真っ青だった。

 小さく震えている。


「悪いことなの?」


 母の様子に、オリヴェルの不安はますます強くなった。

 なにかとんでもないことが起きているんじゃないか。

 そしてそれは悪いことなのではないか。


「いいや、どうして悪いことであるものか。

これはおまえが、風竜ヴェストリーの嫡子だと認められた証だ。

祝いの宴を開かねばならん」


 少しこわばった顔をしていたが、父はそう言って笑ってくれた。

 けれどオリヴェルの不安は残る。

 祝う事だというのなら、父も母もどうしてこんなに怖い顔をしているのか。


「オリヴェルに聖紋(オディラ)が出たって?」


 5歳離れた兄ベルトランの顔を見た時、オリヴェルはようやくわかった。

 やはりこれは、喜んではいけないことなのだ。

 だって兄の灰色の瞳には、はっきりとした怒りと憎しみが映っていたから。





「あなたが悪いんじゃないわ。

 気にしなくていいの」


 それからというもの、重苦しい空気が大公家の屋敷内に広がった。

 おどおどと様子をうかがうようになったオリヴェルの頭を、母はいつも撫でてくれた。

 そして「でもね」と、必ず続けるのだ。


「でもねベルトランの気持ちもわかってあげて。

あの子は長男で、自分がヴェストリーを継ぐのだと信じて、これまで頑張ってきたんだから」


 長男のベルトランは、父譲りのオレンジの髪と母によく似た端正な顔立ちをしている。

 1ダースの家庭教師が皆、舌をまくほど優秀で、次期の大公はベルトランだと自他共に認める存在であった。

 対してオリヴェルはといえば、顔の造作こそ兄とよく似ていたが、性格はまるで違う。

 内気で控えめ、兄が剣術や魔術に秀でているのに、その方面はまるで兄に敵わない。

 どちらかといえば、音楽や絵画に興味があった。


「オリヴェルはそれでいいんだよ。

大公になるわけじゃないんだから」


 剣術の稽古の後などに、出来の悪い弟を兄はそう言って慰めてくれていた。

 次期大公は、兄にとって彼自身を支える大切な座であったのに。

 それをできの悪い弟が、奪ってしまうとは。


「どうしてベルトランに聖紋(オディラ)が出てくれなかったのかしら」


 それこそが問題だと、なにかにつけて繰り返しため息をつく母。

 その様子を見て、諫めるわけでもなく黙ったままの父。

 まだ5歳になったばかりのオリヴェルに、平気でいろというのは無理だろう。


 ベルトランはあれ以来はっきりと、オリヴェルを避けていた。

 これまでいつも一緒だった食事の席にも現れない。

 剣術や魔術の稽古も別々になれば、広い屋敷のことで、偶然すれ違うことすらなくなった。

 そうして気まずい1年が過ぎた頃。

 


 屋敷内の重苦しい空気に息の詰まる思いをするようになって、オリヴェルは部屋のバルコニーに沿うように立つ大きな木を伝って、外に出ることが多くなった。

 時にはその木の枝の間に寝転がって、本を読んだり絵を描いたりする。

 さわさわと木の葉の重なる音を聴きながら、いつのまにか寝入ってしまうこともしばしばで。

 今のオリヴェルには、なくてはならない避難場所であった。


 ある日、いつものように木の上で本を読んでいると、馬のひづめの音がした。

 だんだんにこちらに近づいてくるようで、オリヴェルはそっと下を伺ってみる。

 兄だ。

 騎馬での戦闘訓練の後らしく、彼は軽装の鎧を身に着けていた。

 鈍い銀の鎧は、少年の身体に負担になりすぎないように軽量化処理がされている。

 オリヴェルも同じようなものを持っているが、兄のものにはヴェストリーの聖紋が刻印されていた。


<どうしたんだろう>


 普段寄り付きもしない兄だ。

 オリヴェルの部屋のバルコニーの下で馬を止め、じっと見上げる様子を不思議に思う。


「…………ってしまえばいい」


 小さな声だった。

 聴き取れなくて、オリヴェルは身を乗り出した。

 そのはずみで、手元の本を落としてしまう。

 

 厚い革表紙の本は重く、よく手入れされた緑の芝の上で、ばさりと大きな音をたてた。

 思いもよらない物音に、兄が瞬時に振り返る。


「誰だ?」


 見上げた先にオリヴェルの姿を見つけた途端、兄の顔は歪んだ。


「おまえか。

相変わらずけっこうなご身分だな。

剣の稽古もしないで、昼寝とは」


 あからさまな敵意に、オリヴェルは怯む。

 こんなことを言う兄ではなかった。

 いつだって頼れる、優しい兄だったのに。

 

「どうして……。

どうしてこんな出来損ないに、風竜(ヴェストリー)聖紋(オディラ)を授けた!」


 吐き出された憎しみが、むき出しの刀身となってオリヴェルの心を切りつける。


「おまえなど、いなくなってしまえば良い」


 返す刀は、オリヴェルの心を凍らせた。

 

 イナクナッテシマエバイイ。


 オリヴェルが望んだわけではないのに。

 聖紋(オディラ)など欲しくはない。

 大公家の嫡子の座など、けして望んでいないのに。

 哀しくて、寂しくて、消えてしまいたいとオリヴェルは思った。


 父も母も、もう昔のようではない。

 いつも兄を気遣って、オリヴェルを人前に出さないようにしている。

 祝うべきことと言いながら、できるだけ隠そうとされる自分の扱いに、だんだん慣らされて卑屈になってゆくのも苦しかった。

 だからもう、楽になりたい。


「わかりました、兄上。

できるだけ早く、僕、ここを出てゆきます」


 そう言ってオリヴェルは、枝を伝って部屋へ戻った。

 兄がどんな顔をしていたのか、彼は知らない。

 知りたいとも、思わなかった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ