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42. 水竜の宮の朝は遅い

 火竜、風竜、地竜が移り住んでから、そろそろ1年になる。

 オリヴェル、アルヴィドは黄金竜の泉地(エル・アディ)に残ることを望んだが、セスランだけは故郷のゲルラへ戻った。

 系統の交代があったとは言え、ここ黄金竜の泉地(エル・アディ)の役割はこれまでと変わらない。

 変わったことといえば、竜たちが直接人の世に関わるようになったことで、それは今のところとてもうまく運んでいる。

 それともう1つ。

 変わったことのもう1つが、最近のパウラの困りごとであった。


「ねぇパウラ、もう今日は終わりでしょ?」


 至高の竜となったパウラの夫シモンは、よくよく竜のサガが強いらしい。

 とにかく離れない、離さない。

 毎朝、寝台から出るのにまず一苦労。

 次に職場である聖女オーディアナ宮へ出かけるのに、二苦労。

 聖女オーディアナの役割を現竜后であるパウラがこなすことは、シモンも承知のはずなのに。


「僕の傍にいても仕事はできるよね?

わざわざ聖女の宮へ行く必要はないよ」


 ひどく悲しそうな、寂しそうな顔をして、パウラを抱きしめて離さない。

 

 シモンの宮で仕事ができるかできないか。

 言ってしまえば、できるにはできる。

 但しそれは、シモンが彼女に始終まとわりつかないでいてくれればという条件付きでだ。

 そしてその条件成就は、ほぼ不可能に近い。


「ねぇシモン。

あなたがおっしゃったのよ?

4竜の新しいお住まいを快適に整えなくては。

侍女やその他、お身のまわりのお世話をする者が必要でしょう?」


 今朝から何度も繰り返したことを口にする。

 ヘルムダールや4公家に適当な人物の推薦を依頼しているが、最終の人選はこちらで慎重にしなければならないだろう。


「大公家の人選ですから信用はしておりますけれど、とんでもない方が混じっていないとは言い切れませんわ。

入ってしまった後でお帰りいただくのは、とても面倒ですわ。

ですから入り口でしっかり吟味しておきませんと」


 良い例がエリーヌだとパウラは思う。

 至高の竜になったシモンの宮で、侍女として働きたいとエリーヌは言った。

 何を狙っているのかは、言うまでもない。

 シモンににべもなく断られると、しゃあしゃあと他の竜の侍女でも良いなどと言う。

 なだめすかして、最後には脅すようにして、やっと実家へ送り返したのはつい最近のことだ。

 もうあんなことは、こりごりだと思う。


「大丈夫だよ。

もうあんなことは起きない。

僕が見張ってるんだ。

パウラに面倒をかけるヤツは、許さないから」


 ひやりと冷気を感じさせる言葉の後、初夏の陽光のような明るい笑顔をパウラに向ける。


「パウラに面倒をかけて良いのは、僕だけだからね」


「面倒をかけてる自覚はおありですのね」


「でも僕は優秀な夫だから、妻の面倒の総量を増やしたりはしないんだ。

君が今抱えている仕事、僕に任せて?

人選が厄介なら、全部ヴァースキーで固めれば良い。

何かあればすぐに対応できるからね」

 

 それでは他の大公家とのバランスが崩れるのでは。

 新しい都に仕官するとなれば、他の大公家でもできるだけ自家の影響力を強めたいだろうに。


「何も僕らがずっと、至高の地位にいるわけじゃないからね。

次は火竜か地竜か風竜か、もしかしたら水竜かもしれないけど。

次の竜が使いやすい家を選べば良い。

これでヴァースキーが思い上がるようなら、しっかり躾なおすから心配ないよ」


 まぁ良いか。

 シモンの言うとおり、竜の代替わりがあれば別の家が重んじられるはず。

 使いやすい家、わがままの言いやすい家を、竜が制御下にしっかりおいておけば良いだけのことだ。

 ことパウラ以外について、シモンは冷徹である。

 ヴァースキーがシモンの制御を外れて勝手をしたが最後、たとえ名門公家であろうとも相応しい報いを受けるに違いない。


 それに、何よりもパウラがほっとしている。

 生真面目な性分はいくら時が経っても変わるものではないらしく、仕事があれば全力で片づけにかかってしまう。

 シモンが取り上げてくれなければ、間違いなく気にかかって仕方ないはずだ。

 そんなくそ真面目な性分を、パウラは密かにコンプレックスに感じている。

 思えば前世、そこをエリーヌに執拗に突かれたものだった。

 あの時の口惜しさ、悲しさ、情けなさは、ふっきれたはずの今でさえ、時折夢に見てはうなされるほどパウラの中に残っている。


 


 その夜、いつもより早くシモンの宮へ連れ戻されたパウラは、当然のように寝室に囲い込まれた。

 日付が変わり朝が来ようかという頃、ようやく眠りについたパウラは、久しぶりにみた嫌な夢にうなされる。

 何かがあったとか、きっかけがあるわけでもなく、その記憶は突然ぶりかえしたようにやってきて、パウラの心を嫌な昔に引き戻す。

 目覚めると、シモンの褐色の腕の中にいた。

 これ以上はないほど甘く、優しい緑の瞳が、心配そうにパウラをじっと見つめていてくれる。


「嫌な記憶を完全に消してあげられないのが悔しいな」


 忌々し気にシモンはつぶやいた。


「大丈夫だよ。

嫌なこと、出てくる回数はだんだん減ってるよ。

少しづつ傷跡が薄くなって、最後にはちょっと赤いかなあくらいにきっとなる。

僕がずっとそばにいるから、安心して?」


 本当にどうしてシモンは、パウラの欲しい言葉をさらりとくれるのだろう。

 言われる度、心が温かくなる。


「シモン、あなたで良かった」


 その褐色の裸の胸に顔を押しつけると、春の草花のような若い緑の香りがパウラを包む。

 シモンの香りを肺いっぱいに吸い込んで、目を閉じた。


「知ってるよ」


 低くかすれた声は甘く、艶めいて。


「だからご褒美くれない?

パウラ、まだ朝じゃないから」


 水竜の宮の朝は遅い。

 それは竜后を愛してやまない水竜が、宮の時間を遅らせているからだという。

 真面目過ぎる竜后には、それくらいでちょうど良い。

 黄金竜の泉地(エル・アディ)の人々は、美しい銀の髪の水竜后(ヴァースキア)の身体を気遣って、心からそう思っていた。

 けれど心配もしている。

 ほんとに休めているのなら良いのだけれど……と。

 

 

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