41. 変わらないものなんかない
雷鳴が轟く。
青銀の稲妻が走り、神殿の床を閃光が貫いた。
ドォンと大きな音がして、辺りが揺れる。
ミシミシと神殿が軋み、粉塵が舞った。
とっさに張ったらしい金色の結界が、かろうじて黄金竜を守っている。
だがその結界も、青銀の光の帯にどんどん浸食されて、いまにも食い破られそうだ。
「次はあなたを狙うよ?
僕は今狙ってもよかったんだけど、僕の最愛は優しいんだ。
警告もなくいきなり狙ったら、きっと悲しむだろうから」
パウラを腕に抱いたまま、シモンは冷たい微笑を浮かべている。
「ねぇ、黄金竜。
取引しよう。
あなたが受けてくれたら、僕たちはこのまま出てゆくよ。
もちろん黄金竜の郷にも手を出さない。
これまでどおり、あなたが治めれば良い」
「どういうことだ?」
薄い微笑を崩しはしなかったが、即座に反応するあたり、黄金竜にも己の劣勢が理解できたのか。
「僕はね、あなたの地位が欲しいわけじゃない。
下界とあなたが呼ぶ人の世界に、あなたは全く関わらない。
黄金竜の泉地に任せて、自分はのんびり過ごす。
悪くないとは思うけどね。
僕の最愛は、それを良しとしないんだよ。
パウラはそういう人だから」
とろけるような優しいまなざしで、シモンは腕の中にある最愛、パウラを見つめる。
「ほう……。
それで?」
「簡単なことさ。
黄金竜の泉地、あそこをもらう。
人の世への関わり、役割はそのままだけど、黄金竜の郷からは離れるよ。
今後、あなたと関わることはしない」
「それはそれは……。
面倒ごとを引き受けてくれるとはな。
だが本当にそれだけで良いと?」
「ああ、良いよ。
これまでどおり、聖紋の現れた大公家の直系はこちらにいただく。
もちろんヘルムダールもね」
ヘルムダールを得れば、全能の竜となる。
つまり今後は黄金竜の泉地にこそ、全能の竜が現れてこの世を統べるとシモンは宣言したのだ。
事実上の遷都、系統交代である。
「あなたが受け入れるなら良し。
そうでないのなら……。
不本意ながら、一戦交えることになるけど?
ああ、もう一つ。
ヘルムダールやほかの大公家に、もし手を出そうものなら相応の報いがあると思ってね?
竜が最も苦しむことをしてあげる。
意味はわかるよね?」
酷薄な微笑は氷のようで、前世今生含めてシモンをよく知るパウラでさえ、初めて見る恐ろしい顔だった。
黄金竜がヘルムダールを質にするのならと、シモンは竜后オーディアナを質にした。
そして彼が大切に守ってきた最高神と崇められる尊い位を骨抜きにして、すべての実権を奪うと突きつける。
「さぁ、どうする?」
ただ頷くことしかできない状況で形だけの選択を迫られる屈辱に、黄金竜の顔が初めて歪んだ。
「脈々と続く竜の系譜に連なるものでありながら、私に叛くとは。
シモン、そなた初代黄金竜を怖れ敬わぬのか?」
「そう。その初代黄金竜が遠い昔に竜妃とかわした約束を守って、あなたは今の窮地にあるんだよ。
昔そうであったことが未来永劫変わらないと信じるのは勝手だけど、不変のものなんかこの世にはないよ。
狼や虎や狐や、その一族を滅ぼして彼らの歴史を変えたのは、初代黄金竜だったじゃないか。
そこは忘れて、竜だけは変わらないなんて、どうしたら信じられるんだろう。
不思議で仕方ないけどね」
シモン、よく言ってくれた!
パウラは内心で快哉を叫ぶ。
だが同時に、もうそろそろ終わりにしてほしいとも思う。
甘いと思うけれど、正直な気持ちだ。
「シモン、もう良いわ。
帰りましょう」
なすすべもなく黙ってみていることしかできない黄金竜の顔は、屈辱に歪んでいる。
見るものを魅了する美しい微笑を、意地にかけて保つ余裕さえなかったらしい。
絶対的な力で誰かを従わせることは、自分に与えられた当然の権利で正しいことだと、好き勝手してきたことの罰は受けてもらった、
今後彼は最強至高の竜ではなくなり、ここ黄金竜の郷は、廃都となる。
(気味が良いとだけ、思えたら楽なのに)
パウラは複雑な心境だった。
かつて名のみとは言え、夫であった男だ。
その彼が惨めに崩れ落ち座り込む様は、見ていて愉快なものではない。
それにしてもと、パウラは辺りを見回した。
これほどの騒ぎになっているというのに、なぜ竜后オーディアナは姿を見せないのだろう。
彼女にとっての唯一の最愛、黄金竜オーディの危機だ。
男女の仲など傍目にはわからない。
かつて父テオドールは、そう言っていたが……。
「帰ろう、パウラ。
僕らの家、黄金竜の泉地へ」
頷いて、シモンの差し出す右手をとった。
「火竜、風竜、地竜がね、ここへ移って来たいって」
黄金竜の泉地は、以前とまるで変わらない。
何事もなかったかのようだ。
黄金竜の泉地、その名の由来である小さな泉は、枯れることのない緑の森に囲まれて、水面には金色のさざ波が揺れている。
そのほとり、やわらかな草の上に座りこんで、シモンはパウラの肩を抱いている。
あの後、シモンは正式に水竜を継承した。
前水竜は残るわずかな生を、住み慣れた黄金竜の郷で過ごすのだそうだ。
「火竜たちはね、ここで聖使の仕事をする。
もともとしていたことだから、難しいことじゃないからって」
4竜は代々、交代時に聖使であったものが継承してきた。
だから彼らの言うとおりなのだが。
「ではセスランたちは、どうするの?」
現在の聖使3人をどうするのか。
竜たちがここで聖使の仕事をするというのなら、それとは別に聖使をおく必要はない。
けれど彼らもここで長い長い時間を過ごしている。
いまさら下界へ戻れと言われても、彼らの知る人々はとうの昔にこの世を去っているだろうに。
「うん。
だから選んでもらうよ。
残りたいというのなら、今までどおりここにいても良い。
だけど次の代からは、新しい聖使はとらない。
竜がその役目を果たすのなら、交代は何万年に一度だからね」
火竜、風竜、地竜も、前世のパウラと同じ飼殺しの身で、それが己が運命とあきらめて生きてきたようだった。
シモンは彼らに、あきらめずとも良い道を示してみせた。
どれほど嬉しいだろうか。
「シモン、あなたで良かった」
胸の内、奥底からの本心を告げると、最愛の夫は真っ赤になって顔を背ける。
「だから……。
言ったよね?
そういうこと、いきなり言わないでって」
もっとデレデレに甘いセリフをさらりと吐くくせに。
けれどこんなところも、愛おしい。
言葉にする代わりに、シモンの背に腕を回す。
そっと唇を重ねた。




